日本ガイシベルギーの碍子メーカーの買収と欧州生産拠点NGKボドゥールの設立

輸出と技術供与で世界一に立った碍子を、なぜ欧州では現地の工場ごと買って作ったか

時期 1977年3月
意思決定者(推定) 日本碍子 取締役会
論点 欧州市場への参入と海外現地生産
概要
1977年3月、日本碍子はベルギーの碍子メーカーを買収し、製造会社NGK-BAUDOUR S.A.として欧州の生産拠点にした。同じ年に販売会社NGK EUROPE S.A.もベルギーに設立し、作る会社と売る会社を同時に据えた。1962年にハンブルクへ駐在員事務所を置いてから15年を経ての欧州進出であった。
背景
500キロボルト級の超々高圧送電向け碍子で世界有数の地位を築いた日本碍子には、先進国からも輸出と技術援助の商談が集まっていた。北米では1965年に販売会社、1973年に米GE社との合弁で製造会社を置いた一方、欧州は駐在員事務所のままであった。
内容
工場を新設せず、稼働中のベルギーの碍子メーカーを設備と人員ごと買い取った。ボルチモアでGE社の工場を引き継いだ北米と同じ入り方で、現地で認められた製造者をそのまま取得している。販売会社NGK EUROPEを併設し、欧州での製造・販売を同年に立ち上げた。
含意
この拠点は1985年の自動車用セラミックス製造会社NGK CERAMICS EUROPEを呼び込み、1994年・2007年の合併を経て自動車用セラミックスの会社へ姿を変えた。碍子のために買った工場が、次の主力事業の欧州拠点になったとみることができる。
筆者の見解

技術で勝つことと、市場に入ること

この買収を輸出から現地生産への自然な移行と読むと、選ばれた入り方の意味が落ちる。日本碍子は超々高圧送電の技術をめぐって先進国からも商談が殺到し、GE社が頭を下げて合弁を申し入れてくる立場にあった。それでも欧州では自社で工場を建てず、稼働中の碍子メーカーを設備と人員ごと買っている。技術で勝つことと、各国の電力会社が持つ規格と納入実績の壁を越えることは別だと見切っていたからだとみられる。

もっとも、買った碍子会社は碍子の会社としては残らなかった。1994年に販売会社と合併し、2007年には自動車用セラミックスの社名を引き継いで、欧州でのがいし製造は同社の事業構成から消えている。1977年の目的だけで測れば、この買収は長続きしなかった。ただ、ベルギーに工場と人を抱えていたことが1985年の自動車用セラミックス工場の立地を決めた。海外の拠点は、それを作った事業より長く生きることがある。

Yutaka Sugiura, 2026年7月

背景

超々高圧送電が呼び込んだ商談

日本碍子は1919年に日本陶器の碍子部門を分離して名古屋に設立され、戦後は1948年以降、インド・アメリカ・オーストラリア・スウェーデンなどから受注して輸出を再開した。1965年には500キロボルト変電所用の碍子を開発し、翌66年以降は500キロボルト大容量送電線向けの高強度懸垂碍子をシリーズ化する。国内の電源開発に支えられ、碍子の分野で世界有数のメーカーとなっていた[1]

1974年2月の日経ビジネスは、超々高圧送電技術をめぐって「開発途上国はもとより先進国からも、輸出や技術援助の商談が殺到している」と伝えている。米ゼネラル・エレクトリック社は合弁会社の設立を申し入れ、ボルチモア工場の設備と人員をそのまま引き継いでロック・インシュレーターズが発足した。技術は各国から求められていたが、市場そのものは輸出と技術供与で押さえるほかなかった[2]

北米に置いた拠点と、欧州の空白

海外の足場づくりは北米が先行した。1962年にニューヨークとハンブルクへ駐在員事務所を置き、1965年に北米での碍子拡販のためNGKアメリカを設立、1968年にはNGKカナダが続く。製造については1973年12月、米GE社との合弁でボルチモアにロックインシュレーターズを設立し、販売会社の設置から8年を経て現地生産に入った。駐在員事務所から販売会社へ、さらに製造会社へと順に踏む進出であった[3]

一方の欧州は、ハンブルクに駐在員事務所を置いたまま15年が過ぎた。国内では1976年に事業本部制を導入して電力・機械装置・特品の3事業本部を発足させ、同じ年にブランドマークを「NGK」へ統一している。「NGK」は日本碍子のアルファベット頭文字を採ったもので、海外現地法人の名称にも用いられた。事業ごとに責任を持つ組織と統一の商標を整えた時期にあたり、欧州はその整備が生産・販売の拠点に及んでいない地域として残っていた[4][5]

決断

工場ごと買うという入り方

1977年3月、日本碍子はベルギーの碍子メーカーを買収し、NGKボドゥールとして欧州の生産拠点にした。新設でも合弁でもなく、すでに稼働している工場と人員を丸ごと引き受ける買収であった。碍子は焼成炉と型を抱える装置産業で、各国の電力会社は自国の規格と納入実績を重んじる。工場を一から建てるより、現地で認められた製造者を取得するほうが早いという判断がうかがえる[6][7]

入り方は、北米でGE社と組んだときと重なる。ボルチモアではGE社の工場の設備と人員をそのまま引き継ぎ、ベルギーでは既存メーカーを買った。いずれも土地と設備を自前で用意するより、稼働中の生産と顧客をそのまま手に入れることを優先している。名古屋の堅実経営を伝統としてきた会社が、海外の生産拠点については他社の資産で時間を買う方法を選び続けた。技術は輸出できても、工場と顧客は買うほかないという割り切りがうかがえる[8]

製造と販売を同じ年に置く

1977年には、製造会社のNGK-BAUDOUR S.A.と並んで、販売会社のNGK EUROPE S.A.もベルギーに設立された。北米では1965年の販売会社設置から現地生産まで8年が空いたのに対し、欧州では作る会社と売る会社を同じ年に据えている。駐在員事務所の15年で市場の下地は分かっており、拠点を置く順番を踏む必要がなかったとみられる[9]

1977年は、竹見淳一氏が第7代社長に就任した年でもある。前年に3事業本部制とNGKブランドへの統一を終え、欧州の製造・販売会社を立ち上げたところで経営が交代した。国内の電力需要に支えられて世界有数の碍子メーカーとなった会社が、送電網の成熟した欧州に自前の工場を持つ体制へ移る作業を、社長交代をまたいで進めたことになる。欧州の2社が動き出した1977年3月期の売上高は875億円で、前期の767億円から1割強伸びた[10][11]

結果

碍子の拠点に加わった自動車用セラミックス

買収から8年後の1985年12月、日本碍子はベルギーに自動車用セラミックス製品の製造会社NGK CERAMICS EUROPE S.A.を設立した。1970年の米国大気浄化法を受けて開発した排ガス浄化用のセラミックス製ハニカム担体は、1976年にフォード社への納入に成功しており、欧州の自動車メーカー向けにも現地で作る段階へ入っていた。碍子のために選んだ国に、二つ目の工場が加わった[12][13]

その後、ベルギーの2社は整理が進む。1994年に製造会社NGK-BAUDOURと販売会社NGK EUROPEが合併してNGK EUROPE S.A.となり、2007年には1985年設立のNGK CERAMICS EUROPEがこの会社に吸収されて消滅した。存続したNGK EUROPEは社名をNGK CERAMICS EUROPEへ改めている。買収した碍子会社の法人格が、自動車用セラミックスの社名を引き継いだ[14]

欧州で作るものが入れ替わる

2024年3月期の有価証券報告書では、がいしを製造するのは国内の日本碍子と明知ガイシ、それに米国のNGK-LOCKEであり、欧州の製造会社が担うのは自動車排ガス浄化用部品とセンサーである。ベルギーで碍子を作るために買った拠点は、碍子の生産拠点としては残らなかった。一方、欧州の連結売上は2006年3月期の231億円から2018年3月期には1,012億円へ伸びている[15][16]

欧州で売るものの主軸は、碍子ではなく自動車用セラミックスへ移った。1977年に買った工場は、電力会社向けの碍子を欧州で作るという当初の目的に照らせば役割を終えている。それでも、ベルギーに工場と従業員と取引の履歴を持っていたことが1985年の自動車用セラミックス工場の立地を決め、2003年のポーランド進出へ続く欧州の足場となった。ポーランドでは2017年に第2工場も操業を始めている[17]

出典・参考
  • 日本会社史総覧(東洋経済新報社, 1995)
  • 日経ビジネス 1974年2月18日号「省エネルギー技術売る日本碍子」
  • 日本碍子 有価証券報告書【沿革】
  • 日本碍子 有価証券報告書(2024年3月期)【事業の内容】
  • 日本碍子 有価証券報告書(連結・所在地別セグメント情報)
  • 日本ガイシ 公式サイト「沿革」(https://www.ngk.co.jp/info/history/)
  • 日本碍子 会社年鑑(単体業績)

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