今里広記

日本精工・元取締役社長

(敬称略)

Imazato Hiroki

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生年月日
学歴 大村中学校
出自
出自
長崎県の出身で、1925年に大村中学校(現・長崎県立大村高等学校)を出た。1939年4月に日本特殊鋼材工業の専務取締役、1942年に日本航空機工業の専務取締役、1946年5月に日本金属産業の取締役社長を務め、金属と軍需の系列を渡っている。日本精工に在籍した経歴はなく、41歳で社長として入った。同じ1948年7月には、日本航空機工業で常務取締役だった矢野範二氏が日本金属産業の取締役社長に就いており、入れ替わる形になっている。
抜擢
1948年7月に取締役社長へ就いた。1964年版の役員欄に並ぶ常務・取締役は、杉山章三氏が1932年、岸科忠雄氏が1933年、中沢弘三氏が1934年、中路正氏が1936年と、1930年代に入社した生え抜きで占められている。そのなかで社長だけが在籍歴を持たず、直前の役職は日本金属産業の取締役社長であった。戦後の立て直しを、社内の序列ではなく外から来た経営者に託した人事だったとみられる。
施策
1953年11月に大津工場、1959年11月に石部工場を設け、1960年6月には群馬県前橋市にステアリング用の北日本精工を置いて軸受の外側へ広げた。1962年12月に米国のNSKコーポレーション社、1963年10月にNSKドイツ社と販売網を出し、1964年8月には米ボルグワーナー社との合弁でNSKワーナー社を設けた。1969年からは高関税の国での現地生産へ踏み込む。売上高は1952年4月期の23億円から1973年4月期の713億円になった。
評価
執筆予定
就任前-
退任時-
変化-
就任前-
退任時-
変化-

参考文献経歴・学歴・出身地の裏づけに当たった資料

  • 日本企業要覧 1974年版 経歴・学歴・出身地・出自
  • 日本企業要覧 1964年版 経歴・学歴・出身地

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