日本精工 の歴史

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創業 1916年
創業者 山口武彦
創業地 東京都品川区
創業
1916年11月、山口武彦氏らが東京府品川に資本金35万円で日本精工株式会社を設立し、日本で初めて軸受の生産を始めた。輸入に依存していた回転部品を国産化するためで、1937年11月に藤沢工場、1953年11月に大津工場、1959年11月に石部工場と、需要地の近くへ工場を並べた。1960年6月には群馬県前橋市にステアリング用の北日本精工を設け、軸受の外側にある自動車部品へ広げる入口を作る。1962年12月には米国ニュージャージーに販売会社を置いた。回転させる部品という1つの技術で、自動車と産業機械という2つの顧客産業を同時に抱える構成は、この時期に定まった。
決断
軸受という1つの部品で、出る先と持つ範囲を何度も引き直してきた。1974年からの10年で豪州・英国・米国へ工場を置き、輸入制限と高関税に対して販売会社から現地生産へ切り替えた。欧州でのシェアが3%にとどまる状態は、1990年3月に英国最大手UPIの全株式を取得することで解け、世界3位の規模を確保する。2004年4月にはIT不況による2期連続の最終赤字を経て委員会等設置会社へ移行し、執行と監督を分離した。2023年4月には赤字の続くステアリング事業を分社して過半株式を投資ファンドへ譲渡し、収益を立て直したうえで2年後に全株式を取得し直した。譲渡した事業を2年で連結へ戻したことが、軸受専業へ引き返す道を自ら閉ざした。
現況
世界3位の規模を持ちながら、営業利益率は4.3%にとどまっている。2026年3月期の売上収益9,116億円の内訳は自動車4,033億円、産業機械3,775億円、ステアリング1,006億円で、セグメント利益は174億円・126億円・77億円である。2019年3月期に自動車6,897億円が産業機械2,700億円の2.5倍あった構成は、自動車の採算悪化と産業機械の伸びで並んだ。全体の営業利益は388億円、当期純利益は229億円である。売上が前期の7,967億円から1割増えたのは、譲渡していたステアリング事業を連結へ戻したことによる。1960年代に自動車部品へ広げた事業の幅は、現在は自動車の比率を下げる方向へ振り替えられている。
競合
国内で首位でも世界では3位で、足りない規模は同業との統合で埋める。軸受の世界順位はスウェーデンのSKFが約17.7%で首位、独シェフラーが続き、日本精工はその次に位置する。1990年のUPI取得までは欧州でのシェアが3%にとどまり、製造と販売の網を一括して取り込むことで現在の位置まで上がった。国内ではNTNと並び、規格品の価格では中国勢にシェアを侵食されてきた。2026年5月12日にはNTNとの共同持株会社設立による経営統合を発表し、実現すれば売上高1.7兆円、世界シェアの単純合算は約24%とSKFを上回る。EVで軸受の点数が減り日本の自動車生産も縮む前提では、国内で順位を争う意味が薄れ、2社は同じ持株会社の下へ入る道を選んだ。
日本精工:長期業績の推移(売上高・利益率)売上高(億円純利益率(%)
1997年3月期2026年3月期

創業ストーリー 国産ベアリングの原点と製造拠点の広がり (1916年〜)

日本で初めて軸受を量産した会社として始まった

1916年11月、資本金35万円で東京都品川区に日本精工が設立[1]された。前身の日本精工合資会社を株式会社へ改組する形で1916年11月8日に発足し[2]、初代社長には山口武彦が就いた。[3]国内で初めて軸受の工業生産を開始した会社であり[4]、鉄道・工作機械・自動車といった動力を伝える機械が動くかぎり必要とされる部品を、輸入に頼らず国産化するために生まれた専業メーカーとして出発した。当時の日本では軸受はほぼすべて欧州からの輸入品であり、国内にはまだ量産技術が根付いていなかった。創業者の山口武彦は、軸受という小さな[5]部品が機械産業全体の精度と信頼性を支える構造を見抜いていた。NSK(Nihon Seiko Kaisha)の呼称も創業期から用いられ、日本の機械産業の精度を底から支える立場を、創業時点で自ら引き受けた会社だった。

  • 日本精工 有価証券報告書 第164期(2025年3月期)【沿革】
    • [1]1916年11月、資本金350千円(=35万円)で日本精工株式会社を設立。日本で初めて軸受の生産を開始
    • [4]国内で初めて軸受の工業生産を開始した専業メーカーとして出発
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968)
    • [2]創立は大正5年(1916年)11月8日。前身の日本精工合資会社を株式会社に改組して発足
    • [3]初代社長は山口武彦。資本金35万円、本社工場は品川区大崎一丁目(当時は東京府下荏原郡大崎町字居木橋410)
    • [5]創業者は山口武彦(初代社長)。1914年日本精工合資会社→1916年日本精工株式会社設立

創業から戦後復興期にかけては国内生産拠点の積み上げが中心だった。1937年に藤沢工場、1953年に大津工場、1959年に石部工場を相次いで立ち上げ[6]、1960年には群馬県前橋市に北日本精工を設立する。この北日本精工は後年NSKステアリングシステムズへと再編され[7]、半世紀後に事業切り出しの主役となるステアリング事業の源流にあたる。創業期に植えた種が、21世紀の経営判断の舞台を用意していた格好である。戦後の自動車・電機・工作機械産業の拡大に歩調を合わせ、NSKは国内生産能力を積み増した。標準品と特殊品を併せ持つ軸受メーカーとしての体制を固めたと言える。

  • 日本精工 有価証券報告書 第164期(2025年3月期)【沿革】
    • [6]1937年11月 藤沢工場、1953年11月 大津工場、1959年11月 石部工場を設立
    • [7]1960年6月 群馬県前橋市に北日本精工(現NSKステアリングシステムズ)を設立。ステアリング事業の源流

創業期のNSKは海軍との結びつきのもとで軸受の国産化を進めた。技術の中心には海軍出身者が並び、生産計画は海軍の支援の下で始まった[8]。試作を重ねた国産ベアリングの第一号は横須賀海軍工廠に納入され、国産航空機用ベアリング[9]としてもわが国最初のものがNSK玉軸受として使われた。民間でも自動車の先駆者快進社のダット号に円すいコロ軸受が採用され[10]、海軍と一般工業の両面に営業基盤が広がった。1920年の大阪を皮切りに名古屋・小倉・札幌へ営業所を置いて販路を伸ばし[11]、1932年には国鉄の新製ガソリン動車の車軸にNSKの円すいコロ軸受が採られた。これはわが国最初の鉄道車両用軸受にあたる。[12]1935年開設の多摩川工場では欧米から輸入した自動機でマスプロ化に踏み切り[13]、戦時には軍の要請で戦車用・航空機用ベアリングを量産した。[14]終戦で大半の工場が賠償指定を受けたが、多摩川・藤沢の二工場が除外[15]され戦後再建の足場として残った。

  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968)
    • [8]技術首脳陣は海軍出身者で占められ、ベアリングの生産計画は海軍の全面的な支援の下で始められた。わが国ベアリング工業のパイオニア
    • [9]わが国ベアリングの第一号は試作後に横須賀海軍工廠に納入。国産航空機用ベアリングはNSK玉軸受がわが国最初
    • [10]自動車の先駆者快進社のダット号に円すいコロ軸受が使用された
    • [11]大正9年(1920年)大阪、12年名古屋、14年小倉、昭和3年札幌に営業所を設置
    • [12]昭和7年(1932年)国鉄の新製ガソリン動車の車軸に同社の円すいコロ軸受が採用。わが国最初の鉄道車両用軸受
    • [13]昭和10年(1935年)多摩川工場を開設。欧米から輸入した斬新な機械と自動機でマスプロ化へ転換
    • [14]日華事変・大東亜戦時代に軍の要請で戦車用ベアリング・航空機用ベアリングを生産
    • [15]終戦でほとんどの工場が賠償指定を受けたが、多摩川・藤沢の二工場が賠償から除外された
  • 日本精工 有価証券報告書 第164期(2025年3月期)【沿革】
    • [1]1916年11月、資本金350千円(=35万円)で日本精工株式会社を設立。日本で初めて軸受の生産を開始
    • [4]国内で初めて軸受の工業生産を開始した専業メーカーとして出発
    • [6]1937年11月 藤沢工場、1953年11月 大津工場、1959年11月 石部工場を設立
    • [7]1960年6月 群馬県前橋市に北日本精工(現NSKステアリングシステムズ)を設立。ステアリング事業の源流
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968)
    • [2]創立は大正5年(1916年)11月8日。前身の日本精工合資会社を株式会社に改組して発足
    • [3]初代社長は山口武彦。資本金35万円、本社工場は品川区大崎一丁目(当時は東京府下荏原郡大崎町字居木橋410)
    • [5]創業者は山口武彦(初代社長)。1914年日本精工合資会社→1916年日本精工株式会社設立
    • [8]技術首脳陣は海軍出身者で占められ、ベアリングの生産計画は海軍の全面的な支援の下で始められた。わが国ベアリング工業のパイオニア
    • [9]わが国ベアリングの第一号は試作後に横須賀海軍工廠に納入。国産航空機用ベアリングはNSK玉軸受がわが国最初
    • [10]自動車の先駆者快進社のダット号に円すいコロ軸受が使用された
    • [11]大正9年(1920年)大阪、12年名古屋、14年小倉、昭和3年札幌に営業所を設置
    • [12]昭和7年(1932年)国鉄の新製ガソリン動車の車軸に同社の円すいコロ軸受が採用。わが国最初の鉄道車両用軸受
    • [13]昭和10年(1935年)多摩川工場を開設。欧米から輸入した斬新な機械と自動機でマスプロ化へ転換
    • [14]日華事変・大東亜戦時代に軍の要請で戦車用ベアリング・航空機用ベアリングを生産
    • [15]終戦でほとんどの工場が賠償指定を受けたが、多摩川・藤沢の二工場が賠償から除外された

1960年代の海外進出と自動車部品への軸足

戦後の高度成長期に入ると、日本精工は海外に軸足を伸ばし始める。1962年12月に米国ニュージャージー州でNSKコーポレーション社を[16]、1963年10月にはドイツデュッセルドルフでNSKドイツ社を設立し[17]、米州・欧州の販売網を同時に築きにかかった。ドイツは軸受大手シェフラーの本拠地であり、現地拠点を置いたこと自体が挑戦だった。欧米の既存メーカーが築いた流通網に割って入ることは容易ではなかったが、NSKは自動車メーカーのグローバル展開に歩調を合わせて販売体制を整えた。日本の軸受メーカーが海外で本格的な営業網を持った最初期の事例でもあり、1960年代の海外拠点の配置が後のグローバル3位のポジションを支える土台になった。

  • 日本精工 有価証券報告書 第164期(2025年3月期)【沿革】
    • [16]1962年12月 米国ニュージャージー州にNSKコーポレーション社を設立
    • [17]1963年10月 ドイツデュッセルドルフ市にNSKドイツ社を設立

1964年には米ボルグワーナー社と合弁でNSKワーナーを立ち上げ[18]、自動車用トランスミッション部品への関与を深める。1974年に英国ピータリー工場、1975[19]年に米国クラリンダ工場と、販売から現地生産へと段階を踏んだ。1975年に埼玉工場、1984年に福島工場を稼働させ[20][21]、国内外で生産能力を積み増した。自動車産業の成長に歩調を合わせるかたちで、会社は純粋な軸受メーカーから自動車部品も手がける軸受メーカーへ比重を移した。この事業構造の変化は以後半世紀にわたってNSKの経営の基軸となり、自動車依存という特徴と弱みの両方を同時に抱え込む原点にもなった。

  • 日本精工 有価証券報告書 第164期(2025年3月期)【沿革】
    • [18]1964年8月 米ボルグワーナー社と合弁でNSKワーナー社を設立
    • [19]1974年4月 英国ダーラム州にピータリー工場、1975年11月 米アイオワ州クラリンダ工場を設立
    • [20]1975年6月 埼玉県羽生市に埼玉工場を設立
    • [21]1984年8月 福島県東白川郡に福島工場を設立
  • 日本精工 有価証券報告書 第164期(2025年3月期)【沿革】
    • [16]1962年12月 米国ニュージャージー州にNSKコーポレーション社を設立
    • [17]1963年10月 ドイツデュッセルドルフ市にNSKドイツ社を設立
    • [18]1964年8月 米ボルグワーナー社と合弁でNSKワーナー社を設立
    • [19]1974年4月 英国ダーラム州にピータリー工場、1975年11月 米アイオワ州クラリンダ工場を設立
    • [20]1975年6月 埼玉県羽生市に埼玉工場を設立
    • [21]1984年8月 福島県東白川郡に福島工場を設立

東西冷戦下の韓国・中国進出の地ならし

1987年9月、韓国昌原市にNSK韓国社を設立[22]する。韓国の自動車産業が輸出を伸ばし始めた時期と重なり、日本の部品メーカーとして現地製造拠点を持った。1980年代末までにNSKは米州・欧州・アジアの主要地域に拠点を敷き、売上規模を拡大させた。国内では1984年に福島工場を設立し[23]、海外は東欧や中国を除くほぼ主要地域を網羅する体制を整えた。1970年代末の韓国経済開発計画以降の工業化の波に乗る形で、NSKはアジア市場での存在感を引き上げ、日本の軸受メーカーとしての国際的地位を固めた。アジア各国の自動車生産が立ち上がる直前に現地拠点を置いた読みは、1990年代の業績拡大に直結した。

  • 日本精工 有価証券報告書 第164期(2025年3月期)【沿革】
    • [22]1987年9月 韓国昌原市にNSK韓国社を設立
    • [23]1984年8月 福島県東白川郡に福島工場を設立

1980年代のNSKは、日本のベアリング市場で首位級の地位を固める一方、海外売上比率の引き上げを急いでいた。軸受は標準品と特殊品が混在する装置産業であり、設備投資を回収するには地理的な分散と規模の両方が要る。この時期の拠点設置ラッシュは、のちのグローバル展開を支える物理的な基盤を作り、1990年代の英国UPI買収・中国進出・ポーランド参入への助走路となった。[24]自動車向けの大口受注を取りに行くための土台固めの10年であり、SKF・シェフラーという欧州の先行2社に追いつくための基盤整備を行った時期にあたる。

  • 日本精工 有価証券報告書 第164期(2025年3月期)【沿革】
    • [24]1990年代の英国UPI買収・中国進出・ポーランド参入は実在(後続段落・沿革で確認)
  • 日本精工 有価証券報告書 第164期(2025年3月期)【沿革】
    • [22]1987年9月 韓国昌原市にNSK韓国社を設立
    • [23]1984年8月 福島県東白川郡に福島工場を設立
    • [24]1990年代の英国UPI買収・中国進出・ポーランド参入は実在(後続段落・沿革で確認)

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日本精工の沿革1916〜2026年における主な出来事を抜粋

時代年月社長・CEO出来事重要度
1916〜1989年国産ベアリングの原点と製造拠点の広がり日本精工を設立、日本初の軸受量産を開始
藤沢工場を設立
大津工場を設立
石部工場を設立
北日本精工を設立
NSKコーポレーション社を設立、米州販売網を開始
エヌエスケー・トリントン社を設立
NSKドイツ社を設立、欧州販売網を開始
ボルグワーナー社と合弁でNSKワーナー社を設立
NSKブラジル社スザノ工場を設立
販売会社から現地生産への移行と、豪州・英国・米国への工場設置

日本精工は1962年に米国、1963年にドイツへ販売会社を置いたのち、1969年にオーストラリア、1970年にブラジル、1974年に英国ダーラム州、1975年に米国アイオワ州へ製造拠点を設けた。輸出で稼ぐ体制から、相手国の内側で作って売る体制へ切り替える10年の判断であり、現地の労務をどう組み立てるかという課題を同時に抱え込んだ。

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★★★
埼玉工場を設立
アイオワ州クラリンダ市にNSKコーポレーション社クラリンダ工場を設立
NSKシンガポール社を設立
福島工場を設立
NSK韓国社を設立
1990〜2013年世界三強の一角への上昇とIT不況・リーマン期の谷英国最大の軸受メーカーUPIの全株式取得と、中国・ポーランドへの生産拠点の設置

1990年3月、日本精工は英国ノッティンガム州の英国最大の軸受メーカー、UPI社の株式を100%取得した。欧州で自前の工場を1カ所しか持たなかった会社が、現地最大手の製造・販売網をまとめて手に入れた買収である。以後1998年までに中国・インドネシア・インド・ポーランドへ拠点を並べ、スウェーデンのSKF、ドイツのシェフラーに次ぐ世界3位の位置を確保した。

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★★★
NSKベアリング・インドネシア社を設立
NSK昆山社を設立
ラネーNSKステアリングシステムズ社をRane社と合弁で設立
ポーランド国有企業FLTイスクラ社の70%を子会社化
ITバブル崩壊で純損失▲176億円に転落★★
朝香聖一純損失▲26億円、2期連続の最終赤字★★
朝香聖一2期連続の最終赤字を経ての委員会等設置会社への移行

2004年4月、日本精工は委員会等設置会社(現・指名委員会等設置会社)へ移行した。前々期にあたる2002年3月期に176億円の当期純損失、翌2003年3月期にも26億円の損失を出した直後の機関設計の変更で、指名・監査・報酬の3委員会を置き、役員の指名と報酬の決定を社外取締役が加わる委員会に移した。日本の製造業としては早い時期の移行であった。

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★★★
朝香聖一天辻鋼球製作所を子会社化
大塚紀男大塚紀男が9代社長に就任
大塚紀男ADTechを設立
大塚紀男システム製品事業部を分社しNSKテクノロジー社を設立
大塚紀男NSKベアリング・マニュファクチュアリング・メキシコ社を設立
2014〜2022年自動車依存脱却と事業切り出しへの助走期間内山俊弘内山俊弘が10代社長に就任
内山俊弘NSKテクノロジー社の株式をブイ・テクノロジーに譲渡
市井明俊市井明俊が11代社長に就任
市井明俊ステアリング事業をADTechに吸収分割、NSKステアリング&コントロール社に商号変更★★
市井明俊ステアリング事業の分社と過半株式の投資ファンドへの譲渡、2年後の全株買い戻し

日本精工は2023年4月にステアリング事業を子会社へ吸収分割し、同年8月に株式50.1%を投資ファンドのジャパン・インダストリアル・ソリューションズ(JIS)傘下のファンドへ譲渡して連結から外した。2年後の2025年5月12日、JISが持つ50.1%を買い取って完全子会社に戻すと発表し、同年9月1日に取得した。手放す判断と取り戻す判断を、同じ経営陣が2年で行った往復である。

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★★★
市井明俊NTNとの共同持株会社設立による経営統合

2026年5月12日、ベアリング(軸受)で国内シェアトップの日本精工は、同業のNTNと経営統合の基本合意書を締結したと発表した。共同持株会社を株式移転で設立し、両社がその傘下に入る。国内外の競争法審査を経て、2027年6月の株主総会で承認を得たのち、同年10月に持株会社の上場を目指す。統合比率は今後の最終契約で詰める。本稿の時点で統合はまだ完了していない。

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★★★
出典・参考
  • 日本精工 有価証券報告書 第164期(2025年3月期)【沿革】
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968)

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