ファミリーマート の歴史

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創業 1981年
創業者 沖正一郎
創業地 東京都豊島区
創業
1981年9月、西友ストアーの休眠子会社だった株式会社ジョナスが、ファミリーマート事業部の営業と資産を譲り受け、商号を株式会社ファミリーマートへ改めた。本社は東京都豊島区、引き継いだ店舗は89店で、初代社長には伊藤忠商事出身の沖正一郎氏が就任した。始まりは1972年9月にさかのぼる。西友ストアーが企画室へ小型店担当を置き、翌1973年9月に埼玉県狭山市で実験第1号店を開設した。1974年3月の大規模小売店舗法で大型店を出しにくくなったスーパー各社が、規制の外にある小型店へ向かった時期にあたる。ただしセブン-イレブン・ジャパンが米サウスランド社の運営方式を全面的に使ったのに対し、この会社は方式を自前で組み立てており、海外へロイヤリティを払う先を持たなかった。
決断
株式の名義は二度替わったが、経営者を送り出す先は替わらなかった。1981年から1997年まではセゾングループの流通部門で、1987年10月に沖縄のリウボウと、1988年8月に台湾の現地資本と合弁会社を設立し、地元企業と一緒に店を増やす形を取った。1998年、資金繰りに追われた西友がファミリーマート株を伊藤忠商事へ譲渡した。ところが初代社長の沖正一郎氏は伊藤忠商事の出身で、2013年5月に社長を継いだ中山勇氏も同じ商社から来ている。2002年3月に就任した上田準二氏のもとで、連結営業総収入は2002年2月期の1,956億円から2016年2月期の4,277億円へ、経常利益は250億円から519億円へ増えた。セゾンから伊藤忠へ移ったのは持株の名義で、店を増やす方法も経営者の出所も、その前後で連続していた。
現況
規模で並んだ直後に、この会社は株式市場を離れた。2016年9月、ユニーグループ・ホールディングスを吸収合併した。合併比率はユニー1株に対しファミリーマート0.138株で、コンビニエンスストアは単純合算で約1万8,000店となり、セブン-イレブンとほぼ並んだ。統合で抱えた総合スーパーからは2年4か月で離れ、2017年11月にユニー株の40.0%を、2019年1月には残る全株式をドンキホーテホールディングスへ譲渡している。2019年9月に商号をファミリーマートへ戻し、2020年11月、伊藤忠商事の子会社による公開買付と株式併合で東京証券取引所市場第一部の上場を廃止した。1987年12月の上場から33年である。2023年2月期の営業収益4,614億円・税引前利益492億円を最後に、有価証券報告書の提出も終わった。
競合
米国の運営方式を買わなかったことが、この会社の広げ方を決めた。業界には本部が米国の会社へロイヤリティを払う先が多く、セブン-イレブン・ジャパンもその一つである。ファミリーマートは方式を自前で組み立てたため海外への支払いがなく、1988年8月に台湾へ出るときも契約上の制約を受けなかった。台湾の会社は2002年2月に現地の店頭市場へ株式を公開している。一方、国内で店舗数を増やす手段は他社の看板の書き換えだった。2009年12月にエーエム・ピーエム・ジャパンを取得して看板を書き換え、2015年10月には株式会社ココストアを完全子会社として同年12月に合併した。1987年12月の上場時に第3位だった順位は、自力の出店では動かなかった。
ファミリーマート:長期業績の推移(売上高・利益率)売上高(億円純利益率(%)
2002年2月期2023年2月期

創業ストーリー 西友の実験店から独立し、10年で1,000店に届くまで (1972年〜)

西友の実験店から独立し、10年で1,000店に届くまで

大店法に追われたスーパーが選んだ小型店

1974年5月、セブン-イレブン・ジャパン[1]が東京都江東区に1号店を開き、日本のコンビニエンスストアが本格的に始まった。同じ年の3月には大規模小売店舗法が施行され[2]、売場面積1,500平方メートル以上の出店には調整がかかるようになる。大型店を出しにくくなったスーパー各社は、規制の外にある小型店へ向かった[3]。西友ストアーも1972年9月に企画室へ小型店担当を置き[4]、翌1973年9月には埼玉県狭山市で実験第1号店を開いた[5]。フランチャイズ方式での本格的な事業化は1978年3月で、この月に社内へファミリーマート事業部が発足[6]し、翌4月には加盟第1号店が埼玉県狭山市で営業を始めた[7]。1980年4月にはコンピュータを使う商品発注システムが動き始めた[8]

1981年9月、西友ストアーの全額出資子会社で休眠していた株式会社ジョナス[9]が、西友ストアーからファミリーマート事業部の営業と資産を譲り受け、商号を株式会社ファミリーマートへ改めた。出店の意思決定を速めるために事業部を切り出す措置[10]で、引き継いだ店舗は89店[11]、初代社長には沖正一郎氏が就いた[12]。沖氏は1951年に伊藤忠商事へ入社[13]し、1963年から西武百貨店と伊藤忠商事の合弁スーパーである株式会社マイマートへ出向して6年を過ごし[14]、1974年に西友ストアー常務取締役[15]として小型店・中型店の販売部門を担当した人物である。コンビニエンスストア設立の準備は1980年9月から進めていた[16]

  • ファミリーマート 有価証券報告書【沿革】
    • [9]1981年9月、休眠会社の㈱ジョナスが㈱西友ストアーから営業と資産の譲渡を受け、商号を㈱ファミリーマートに変更して事業を開始
    • [10]出店意志決定の迅速化などを目的として、ファミリーマート事業部を独立させるための措置だった
    • [11]会社設立時(1981年9月)の店舗数は89店(加盟店87店・直営店2店)
    • [12]初代社長は沖正一郎(1981年9月 ㈱ファミリーマート取締役社長就任)
    • [13]沖正一郎は1951年4月に伊藤忠商事へ入社
    • [14]1963年春、西武百貨店と伊藤忠が合弁で設立したスーパー㈱マイマートへ伊藤忠から出向し約6年間勤務
    • [15]1974年8月、㈱西友ストアー常務取締役に就任し小型店・中型店の販売部門を担当
    • [16]1980年9月からコンビニエンス・ストア設立の準備を進めた
    • [1]1974年5月にセブン-イレブン・ジャパン(当時ヨークセブン)1号店が東京都江東区に開店。日本の「コンビニ元年」
    • [2]1974年3月に大規模小売店舗法が施行。売場面積1,500平方メートル以上が調整対象
    • [3]大店法でスーパーの出店が難しくなり、法規制の枠に入らない小型店の展開を有力な大手スーパーが目指した
    • [4]1972年9月、西友ストア企画室に小型店担当を設置
    • [5]1973年9月、埼玉県狭山市に実験第1号店を開店
    • [8]1980年4月、コンピュータを利用した商品発注システムが稼動(沖正一郎社長は講演で1978年3月からと述べており、一次資料間で年に食い違いがある)
    • [14]1963年春、西武百貨店と伊藤忠が合弁で設立したスーパー㈱マイマートへ伊藤忠から出向し約6年間勤務
    • [15]1974年8月、㈱西友ストアー常務取締役に就任し小型店・中型店の販売部門を担当
    • [16]1980年9月からコンビニエンス・ストア設立の準備を進めた
  • ファミリーマート 有価証券報告書【沿革】
    • [6]1978年3月、西友ストアー内にファミリーマート事業部が発足(直営店1店)
    • [9]1981年9月、休眠会社の㈱ジョナスが㈱西友ストアーから営業と資産の譲渡を受け、商号を㈱ファミリーマートに変更して事業を開始
    • [7]1978年4月、フランチャイズ契約による加盟第1号店が埼玉県狭山市で営業開始
    • [10]出店意志決定の迅速化などを目的として、ファミリーマート事業部を独立させるための措置だった
    • [11]会社設立時(1981年9月)の店舗数は89店(加盟店87店・直営店2店)
    • [12]初代社長は沖正一郎(1981年9月 ㈱ファミリーマート取締役社長就任)
    • [13]沖正一郎は1951年4月に伊藤忠商事へ入社

ロイヤリティを海外へ払わない運営方式

収入の柱は、加盟者へ経営ノウハウと経営指導を提供する対価[17]として受け取るロイヤリティだった。契約は3種類あり、店舗を加盟者が用意する第1種は加盟店営業総利益の35%[18]、店舗を会社が用意する第2種は60%を本部が取る[19]。1986年1月には加盟時負担金を430万円から50万円へ下げた第3種[20]を設け、資金の乏しい人でも加盟できるようにした。契約期間は7年[21]と、この種の契約では短い。什器が年中無休24時間営業では7〜10年で古くなること[22]、加盟者の側も7年やってみて続けるかを決められるほうが参加しやすいことの2つによる。加盟店の指導は営業担当者250人が受け持ち、1週に最低2回[23]、1人あたり7〜8店を回った。

    • [17]フランチャイズ契約を締結した加盟店に対する経営ノウハウの提供および経営指導援助が事業の内容
    • [18]第1種フランチャイズ契約は店舗を加盟者が負担し、ロイヤリティは加盟店営業総利益の35.0%
    • [19]第2種フランチャイズ契約は店舗を同社が負担し、ロイヤリティは加盟店営業総利益の60.0%
    • [20]1986年1月より第3種を導入。加盟時負担金を430万円から50万円(加盟金のみ)に引き下げ
    • [21]契約期間は7年。什器の耐用年数が年中無休24時間営業では7〜10年で陳腐化すること、加盟者が参加しやすいことが理由
    • [22]契約期間7年の理由は、什器の耐用年数が年中無休24時間営業では7〜10年で陳腐化すること、加盟者も7年やってみて続けるかを決められるほうが参加しやすいこと
    • [23]営業担当者250人が各店を1週に最低2回、1人が7〜8店を直接訪問して指導

セブン-イレブン・ジャパンは米サウスランド社と提携してその運営方式[24]を全面的に使い、コンビニエンスストア業界には米国の会社へロイヤリティを払う先が多かった。ファミリーマートは自前で方式を組み立てたため[25]、海外への支払いがなかった。沖正一郎氏は1987年12月の講演でこの点を自社の特色に挙げ、国内で力がついた段階で海外へ出ることも考えたい[26]と述べた。店舗数は1985年2月に500店、1987年2月に1,000店[27]へ届き、単体の営業総収入は1983年2月期の27億円から1987年2月期には196億円[28]へ、経常利益は0.5億円から30億円へ[29]増えた。値入率は28.5%[30]で、一般のボランタリー・チェーン店の20%前後を上回っていた。

1987年12月7日[31]、ファミリーマートは東京証券取引所の市場第二部へ株式を上場した。公募350万株のほかに、西武百貨店を率いる堤清二氏[32]と株式会社有楽町西武が持ち株90万株を売り出した。1987年2月末時点で西友が発行済株式の58.4%、有楽町西武が11.4%[33]を保有しており、上場後もセゾングループの一員である立場は変わらなかった。従業員は1987年2月末で554名[34]、店舗は加盟店966店と直営店41店[35]を数え、その87.7%が東京都・神奈川県・埼玉県・千葉県に集まっていた。売上の順位はセブン-イレブン・ジャパン、ローソンに次ぐ第3位[36]だった。1989年8月には市場第一部銘柄[37]に指定された。

    • [17]フランチャイズ契約を締結した加盟店に対する経営ノウハウの提供および経営指導援助が事業の内容
    • [18]第1種フランチャイズ契約は店舗を加盟者が負担し、ロイヤリティは加盟店営業総利益の35.0%
    • [19]第2種フランチャイズ契約は店舗を同社が負担し、ロイヤリティは加盟店営業総利益の60.0%
    • [20]1986年1月より第3種を導入。加盟時負担金を430万円から50万円(加盟金のみ)に引き下げ
    • [27]1985年2月に店舗数500店(加盟店468店・直営店32店)、1987年2月に1,000店(加盟店959店・直営店41店)
    • [28]営業総収入は1983年2月期2,681百万円から1987年2月期19,654百万円へ増加
    • [29]経常利益は1983年2月期49百万円から1987年2月期2,951百万円へ増加
    • [31]1987年12月7日に東京証券取引所市場第二部へ上場
    • [32]公募3,500千株・売出900千株。売出株の放出元は堤清二と㈱有楽町西武
    • [33]1987年2月28日現在の大株主は西友58.4%、有楽町西武11.4%
    • [34]1987年2月28日現在の従業員数554名(男509名・女45名)
    • [35]1987年2月28日現在で直営店41店・加盟店966店。全店舗の87.7%が東京・神奈川・埼玉・千葉の首都圏
    • [21]契約期間は7年。什器の耐用年数が年中無休24時間営業では7〜10年で陳腐化すること、加盟者が参加しやすいことが理由
    • [22]契約期間7年の理由は、什器の耐用年数が年中無休24時間営業では7〜10年で陳腐化すること、加盟者も7年やってみて続けるかを決められるほうが参加しやすいこと
    • [23]営業担当者250人が各店を1週に最低2回、1人が7〜8店を直接訪問して指導
    • [25]先発した米国企業からノウハウを受けロイヤリティを支払う社が多い中、当社は純国産のノウハウでロイヤリティを支払っていない
    • [26]沖正一郎社長は国内での展開が軌道に乗り力がついた段階で海外進出も研究したいと述べた
    • [30]値入率は28.5%程度で、一般のボランタリー・チェーン店などの20%前後より高い
    • [36]業界における順位は売上でセブンイレブン、ローソンに次いで第3位
    • [24]セブン-イレブンはイトーヨーカ堂が米サウスランド社と提携し、そのノウハウを全面的に活用した
  • ファミリーマート 有価証券報告書【沿革】
    • [37]1989年8月、東京証券取引所の市場第一部銘柄に指定

セゾングループの一員として台湾へ渡り、年500店の出店に踏み込むまで

自前の方式を持って台湾と沖縄へ出る

1987年10月、ファミリーマートは沖縄の百貨店であるリウボウとの合弁で株式会社沖縄ファミリーマートを設立[38]し、翌1988年8月には台湾に全家便利商店股份有限公司[39]を設けた。米国から運営方式を買っていないため海外へ出るときに契約上の制約がなく、国内でも1985年4月に名古屋の株式会社綜合酒販センター[40]と合弁で中部ファミリーマート株式会社を設け、1993年4月には鹿児島県[41]で株式会社南九州ファミリーマートを設立して、地元の企業と組んで店を増やす形を取った。1988年2月末の店舗数は、中部地区のサブフランチャイズ店約60店と沖縄の開設分を含めて1,320店を超える見込み[42]だった。台湾の会社は成長を続け、2002年2月には現地の店頭市場へ株式を公開した[43]

堤清二氏のもとでセゾングループは西武百貨店から西友・パルコ・ファミリーマート・クレディセゾンへと事業を広げ、1970年代後半から1980年代前半にかけて総合生活産業と呼ばれる姿を作った[44]。ファミリーマートはその流通部門の一角として経営理念に『協業の精神』を掲げ[45]、グループで蓄えた運営ノウハウと情報を加盟者へ渡して共に稼ぐという考え方を取った。加盟店から毎日の売上金を預かり、仕入代金の支払いを本部が代行する仕組み[46]も整え、その立替にかかる金利を公定歩合に1%を上乗せした水準[47]に抑えた。もっともセゾングループ自体はバブル期の事業拡大が裏目に出て[48]、崩壊後は多額の借入金を抱えることになる。

    • [38]1987年10月、沖縄県に㈱沖縄ファミリーマートを設立(沖縄の百貨店リウボウとの合弁)
    • [42]1988年2月には店舗数1,250店超、中部地区のサブフランチャイズ店約60と沖縄の開設分を合わせ1,320店以上の見込み
    • [45]経営理念は「協業の精神」。西武のセゾン・グループとして習得したノウハウや情報をフランチャイジーに提供する
    • [46]加盟店から毎日送金を受け、仕入代金の支払いはすべて本部が代行する方式
    • [47]商品の納入に伴う代金の自動貸付の金利は公定歩合プラス1%(1987年12月時点で3.1%)
  • ファミリーマート 有価証券報告書【沿革】
    • [39]1988年8月、台湾に全家便利商店股份有限公司を設立
    • [41]1993年4月、鹿児島県に㈱南九州ファミリーマートを設立
    • [43]2002年2月、全家便利商店股份有限公司が台湾店頭市場において株式を店頭公開
    • [40]1985年4月、㈱綜合酒販センターと合弁会社・中部ファミリーマート㈱を設立し中部地域での店舗開設を開始
    • [44]堤清二が率いる西武百貨店(セゾングループ)は西友、パルコ、ファミリーマート、クレディセゾンと事業を開拓し、昭和50年代(1975〜1984年)に総合生活産業としての地歩を築いた
    • [48]セゾンはバブル期に積極的に事業を拡大したことが裏目に出て、バブル崩壊以降は多大の借金に苦しむこととなった

年500店の出店が積み残した不採算店

コンビニエンスストア業界は1970年代後半から1980年代を通じて、年率30〜50%で店舗数と売上を伸ばした[49]。フランチャイズ方式なら本部は出店の費用をあまりかけずに立地を確保でき[50]、スーパーの進出に脅威を感じた中小の小売店[51]も加盟者として入ってくる。

筆頭株主がセゾンから伊藤忠商事へ代わり、量から質へ転じるまで

ユニーと統合して1万8,000店を抱え、伊藤忠商事の傘下で上場をやめるまで

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ファミリーマートの沿革1978〜2021年における主な出来事を抜粋

時代年月社長・CEO出来事重要度
1972〜1987年西友の実験店から独立し、10年で1,000店に届くまで西友ストアーがフランチャイズ方式でコンビニエンスストア事業を開始★★
西友ストアーから営業譲渡を受けた休眠会社ジョナスがファミリーマートに商号変更★★★
沖縄ファミリーマートを設立
東京証券取引所市場第二部に株式上場
1987〜1997年セゾングループの一員として台湾へ渡り、年500店の出店に踏み込むまで台湾に全家便利商店を設立し海外初出店★★
東京証券取引所市場第一部銘柄に指定
南九州ファミリーマートを設立
1998〜2015年筆頭株主がセゾンから伊藤忠商事へ代わり、量から質へ転じるまで西友によるファミリーマート株1,350億円の譲渡と、伊藤忠商事グループへの移行

1998年2月4日、西友が保有するファミリーマート株2,862万株を1,350億円で伊藤忠商事へ譲渡することで合意し、同年3月にファミリーマートは伊藤忠グループへ移った。譲渡後の持株比率は伊藤忠グループが30.6%、西友グループが17.2%となり、筆頭株主が入れ替わった。

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★★★
田邉充夫ファミマ・ドット・コムを設立
田邉充夫全家便利商店が台湾店頭市場に株式を店頭公開
上田準二中国・上海市に上海福満家便利を設立し中国本土に出店★★
上田準二中国・広州市に広州市福満家便利店を設立
上田準二中国・蘇州市に蘇州福満家便利店を設立
上田準二エーエム・ピーエム・ジャパンの買収と、am/pm店舗のファミリーマートブランドへの一本化

2009年11月13日、ファミリーマートが取締役会で、レックス・ホールディングスの保有する㈱エーエム・ピーエム・ジャパン(am/pm)の全株式と貸付債権の取得を決議した経営判断。同年12月28日に完全子会社化し、2010年3月1日に吸収合併したうえで、am/pm店舗をファミリーマートブランドへ転換した。

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★★★
上田準二エーエム・ピーエム・ジャパンを吸収合併★★
上田準二エーエム・ピーエム・関西を吸収合併
上田準二中国・杭州市に杭州頂全便利店を設立
上田準二中国・成都市に成都福満家便利を設立
上田準二シニアライフクリエイトの株式を取得
上田準二中国・深圳市に深圳市頂全便利店を設立
中山勇中国・無錫市に無錫福満家便利店を設立
中山勇中国・北京市に北京頂全便利店を設立
中山勇中国・東莞市に東莞市頂全便利店を設立
中山勇ココストアを株式取得により完全子会社化★★
中山勇ココストアを吸収合併
2016〜2023年ユニーと統合して1万8,000店を抱え、伊藤忠商事の傘下で上場をやめるまで上田準二ユニーグループ・ホールディングスの吸収合併と、サークルK・サンクスのファミリーマートへのブランド統一

2015年3月10日に協議入りを公表し、2016年9月1日に実行した、ファミリーマートとユニーグループ・ホールディングスの経営統合。ファミリーマートを存続会社とする吸収合併でユニーグループ・ホールディングスを取り込み、商号をユニー・ファミリーマートホールディングスへ改めた。コンビニエンスストア事業は傘下のサークルKサンクスへ承継し、同社が株式会社ファミリーマートへ商号を変更している。

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★★★
上田準二名古屋証券取引所市場第一部に株式上場
髙柳浩二ユニー株式の40.0%をドンキホーテホールディングスに譲渡★★
髙柳浩二ユニーの完全子会社化とPPIHへの改称——GMS最大手級を呑み2兆円企業へ

2019年1月、ドンキホーテホールディングスが大原孝治社長のもとで総合スーパー大手ユニーを完全子会社化し、翌2月に商号を『パン・パシフィック・インターナショナルホールディングス』(PPIH)へ改めた経営判断。グループ店舗数は600店に達した。

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★★★
澤田貴司子会社ファミリーマートを吸収合併し商号をファミリーマートに変更★★
澤田貴司名古屋証券取引所市場第一部の上場を廃止
澤田貴司ファミリーマートの完全子会社化TOBと、少数株主による公正価格の争い

2020年7月、伊藤忠商事はすでに50.1%を握る子会社ファミリーマートの残る株式を株式公開買付け(TOB)で買い取り、完全子会社化すると発表した。買付価格は1株2,300円、買付総額は最大約5,809億円。8月にTOBが成立し、11月にファミリーマートは上場廃止となった。

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★★★
細見研介全家便利商店の発行済株式5.0%の譲渡が完了
細見研介ゲート・ワンを設立
出典・参考

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