{"spec_version":"3","endpoint":"history","stock_code":"8028","company_name":"ファミリーマート","content_lang":"ja","meta_lang":"en","canonical_url":"https://the-shashi.com/tse/8028/","api_url":"/api/8028/history.json","updated":"2026-08-09","license":"© 2026 Yutaka Sugiura. All rights reserved.","attribution":"The社史 (the-shashi.com) — https://the-shashi.com/tse/8028/","title":"ファミリーマートの歴史概略","sections":[{"start_year":1972,"end_year":1987,"main_title":"西友の実験店から独立し、10年で1,000店に届くまで","subsections":[{"title":"大店法に追われたスーパーが選んだ小型店","text":"1974年5月、セブン-イレブン・ジャパンが東京都江東区に1号店を開き、日本のコンビニエンスストアが本格的に始まった。同じ年の3月には大規模小売店舗法が施行され、売場面積1,500平方メートル以上の出店には調整がかかるようになる。大型店を出しにくくなったスーパー各社は、規制の外にある小型店へ向かった。西友ストアーも1972年9月に企画室へ小型店担当を置き、翌1973年9月には埼玉県狭山市で実験第1号店を開いた。フランチャイズ方式での本格的な事業化は1978年3月で、この月に社内へファミリーマート事業部が発足し、翌4月には加盟第1号店が埼玉県狭山市で営業を始めた。1980年4月にはコンピュータを使う商品発注システムが動き始めた。\n\n1981年9月、西友ストアーの全額出資子会社で休眠していた株式会社ジョナスが、西友ストアーからファミリーマート事業部の営業と資産を譲り受け、商号を株式会社ファミリーマートへ改めた。出店の意思決定を速めるために事業部を切り出す措置で、引き継いだ店舗は89店、初代社長には沖正一郎氏が就いた。沖氏は1951年に伊藤忠商事へ入社し、1963年から西武百貨店と伊藤忠商事の合弁スーパーである株式会社マイマートへ出向して6年を過ごし、1974年に西友ストアー常務取締役として小型店・中型店の販売部門を担当した人物である。コンビニエンスストア設立の準備は1980年9月から進めていた。","references":[{"title":"日本産業史 第3巻 金融・商業（日本経済新聞社、1994年）「流通－コンビニエンスストアの台頭」","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"証券 1988年40巻1号「株式会社ファミリーマート」（新規上場会社紹介）","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"証券アナリストジャーナル 1988年26巻1号「ファミリーマート」（沖正一郎、1987年12月22日 日本証券アナリスト協会企業分析部会 講演要旨）","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"ファミリーマート 有価証券報告書【沿革】","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]}]},{"title":"ロイヤリティを海外へ払わない運営方式","text":"収入の柱は、加盟者へ経営ノウハウと経営指導を提供する対価として受け取るロイヤリティだった。契約は3種類あり、店舗を加盟者が用意する第1種は加盟店営業総利益の35%、店舗を会社が用意する第2種は60%を本部が取る。1986年1月には加盟時負担金を430万円から50万円へ下げた第3種を設け、資金の乏しい人でも加盟できるようにした。契約期間は7年と、この種の契約では短い。什器が年中無休24時間営業では7〜10年で古くなること、加盟者の側も7年やってみて続けるかを決められるほうが参加しやすいことの2つによる。加盟店の指導は営業担当者250人が受け持ち、1週に最低2回、1人あたり7〜8店を回った。\n\nセブン-イレブン・ジャパンは米サウスランド社と提携してその運営方式を全面的に使い、コンビニエンスストア業界には米国の会社へロイヤリティを払う先が多かった。ファミリーマートは自前で方式を組み立てたため、海外への支払いがなかった。沖正一郎氏は1987年12月の講演でこの点を自社の特色に挙げ、国内で力がついた段階で海外へ出ることも考えたいと述べた。店舗数は1985年2月に500店、1987年2月に1,000店へ届き、単体の営業総収入は1983年2月期の27億円から1987年2月期には196億円へ、経常利益は0.5億円から30億円へ増えた。値入率は28.5%で、一般のボランタリー・チェーン店の20%前後を上回っていた。\n\n1987年12月7日、ファミリーマートは東京証券取引所の市場第二部へ株式を上場した。公募350万株のほかに、西武百貨店を率いる堤清二氏と株式会社有楽町西武が持ち株90万株を売り出した。1987年2月末時点で西友が発行済株式の58.4%、有楽町西武が11.4%を保有しており、上場後もセゾングループの一員である立場は変わらなかった。従業員は1987年2月末で554名、店舗は加盟店966店と直営店41店を数え、その87.7%が東京都・神奈川県・埼玉県・千葉県に集まっていた。売上の順位はセブン-イレブン・ジャパン、ローソンに次ぐ第3位だった。1989年8月には市場第一部銘柄に指定された。","references":[{"title":"日本産業史 第3巻 金融・商業（日本経済新聞社、1994年）「流通－コンビニエンスストアの台頭」","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"証券 1988年40巻1号「株式会社ファミリーマート」（新規上場会社紹介）","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"証券アナリストジャーナル 1988年26巻1号「ファミリーマート」（沖正一郎、1987年12月22日 日本証券アナリスト協会企業分析部会 講演要旨）","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"ファミリーマート 有価証券報告書【沿革】","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]}]}]},{"start_year":1987,"end_year":1997,"main_title":"セゾングループの一員として台湾へ渡り、年500店の出店に踏み込むまで","subsections":[{"title":"自前の方式を持って台湾と沖縄へ出る","text":"1987年10月、ファミリーマートは沖縄の百貨店であるリウボウとの合弁で株式会社沖縄ファミリーマートを設立し、翌1988年8月には台湾に全家便利商店股份有限公司を設けた。米国から運営方式を買っていないため海外へ出るときに契約上の制約がなく、国内でも1985年4月に名古屋の株式会社綜合酒販センターと合弁で中部ファミリーマート株式会社を設け、1993年4月には鹿児島県で株式会社南九州ファミリーマートを設立して、地元の企業と組んで店を増やす形を取った。1988年2月末の店舗数は、中部地区のサブフランチャイズ店約60店と沖縄の開設分を含めて1,320店を超える見込みだった。台湾の会社は成長を続け、2002年2月には現地の店頭市場へ株式を公開した。\n\n堤清二氏のもとでセゾングループは西武百貨店から西友・パルコ・ファミリーマート・クレディセゾンへと事業を広げ、1970年代後半から1980年代前半にかけて総合生活産業と呼ばれる姿を作った。ファミリーマートはその流通部門の一角として経営理念に「協業の精神」を掲げ、グループで蓄えた運営ノウハウと情報を加盟者へ渡して共に稼ぐという考え方を取った。加盟店から毎日の売上金を預かり、仕入代金の支払いを本部が代行する仕組みも整え、その立替にかかる金利を公定歩合に1%を上乗せした水準に抑えた。もっともセゾングループ自体はバブル期の事業拡大が裏目に出て、崩壊後は多額の借入金を抱えることになる。","references":[{"title":"ファミリーマート 有価証券報告書【沿革】","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"証券アナリストジャーナル 1988年26巻1号「ファミリーマート」（沖正一郎、1987年12月22日 日本証券アナリスト協会企業分析部会 講演要旨）","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"日本産業史 第3巻 金融・商業（日本経済新聞社、1994年）「流通－コンビニエンスストアの台頭」","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"週刊東洋経済 2001年6月16日号「負の連鎖避けられるか 500店閉鎖の賭け ファミリーマート」","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"週刊東洋経済 2000年1月22日号「トップの履歴書 ファミリーマート社長 田邉充夫」","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]}]},{"title":"年500店の出店が積み残した不採算店","text":"コンビニエンスストア業界は1970年代後半から1980年代を通じて、年率30〜50%で店舗数と売上を伸ばした。フランチャイズ方式なら本部は出店の費用をあまりかけずに立地を確保でき、スーパーの進出に脅威を感じた中小の小売店も加盟者として入ってくる。伸びが続くという前提のもと、ファミリーマートは1995年度から1997年度にかけて年間500店近い出店に踏み込んだ。それ以前の出店は年200店程度だったから2倍以上の速さで、この時期に出店の基準を緩めて開けた店が不採算店となり、後年まで足を引っ張ったという見方が業界に残った。\n\n店舗の純増数は1997年度を境に急激に落ちた。1998年からは既存店の売上高が前年を下回りはじめ、販売促進費を投じても戻らなくなる。ファミリーマートは業界3位のまま、首位のセブン-イレブン・ジャパンとの距離を詰められずにいた。1店あたりの平均日販でも、ファミリーマートとローソンは大きく水をあけられていた。劣勢の2社は出店を増やして巻き返そうとしたが、同一チェーンの店が目と鼻の先に立つ状態を招き、逆の結果になった。かつて既存店から500メートルの範囲には出店しないという暗黙の了解が本部と加盟者の間にあった、と関西の加盟者は述べた。","references":[{"title":"ファミリーマート 有価証券報告書【沿革】","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"証券アナリストジャーナル 1988年26巻1号「ファミリーマート」（沖正一郎、1987年12月22日 日本証券アナリスト協会企業分析部会 講演要旨）","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"日本産業史 第3巻 金融・商業（日本経済新聞社、1994年）「流通－コンビニエンスストアの台頭」","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"週刊東洋経済 2001年6月16日号「負の連鎖避けられるか 500店閉鎖の賭け ファミリーマート」","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"週刊東洋経済 2000年1月22日号「トップの履歴書 ファミリーマート社長 田邉充夫」","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]}]}]},{"start_year":1998,"end_year":2015,"main_title":"筆頭株主がセゾンから伊藤忠商事へ代わり、量から質へ転じるまで","subsections":[{"title":"1,350億円で親会社が入れ替わる","text":"1998年2月、ファミリーマートはセゾングループから伊藤忠商事の傘下へ移った。伊藤忠商事が投じた額は総額1,350億円にのぼり、丹羽宇一郎社長が自ら旗を振った買い物だった。ところがその後の株価は下がり、2001年3月末の時点で伊藤忠商事は830億円の含み損を抱える。住江漠副社長は「毎期確実に利益を出しているし、バランスシートも傷んでいない」（週刊東洋経済 2001/6/16）として2000年度決算に評価損を計上しなかったが、この株価水準が1年、2年と続けば計上を避けられない状態にあった。伊藤忠商事にとってファミリーマート株のてこ入れは急務になった。\n\n1999年10月、伊藤忠商事で食品部門を歩んだ田邉充夫氏が社長に就いた。就任の際に繰り返したのは「チェンジ・オア・ダイ」という言葉で、年間400店に達したこともある出店計画を200店程度に抑え、1日あたりの売上が40万円を下回る店の立て直しに力を注いだ。それでも2000年度決算は創業以来はじめての経常減益となり、田邉充夫氏は2001年2月末に量から質への転換を宣言して、2002年2月期に不採算店500店を閉め、新店を450店に絞った。平和堂から東近畿スパー本部の約80店を譲り受けた分を除けば店舗数は実質的な純減で、大手のコンビニエンスストアでは初めての事態だった。\n\n加盟者の生活に直結する本部主導の大量閉鎖は、業界では禁じ手とされていた。証券アナリストからは「一度負のスパイラルに入ったコンビニで立ち直った例はない」（週刊東洋経済 2001/6/16）との警告も出た。閉めた500店のうち7割は開業から5年以上、大半は契約更新の10年目を迎えた店だった。同じ2001年5月の人事で、ファミリーマートは店舗開発から商品までの重要な役職に伊藤忠商事の出身者を据え、旧セゾン系をほぼ入れ替えた。商品調達では取引先を選別して集約し、伊藤忠商事系列の卸である西野商事が関東で物流センターを一度に4か所立ち上げた。2001年度上期には弁当工場16か所と物流拠点7か所が完成した。","references":[{"title":"週刊東洋経済 2001年6月16日号「負の連鎖避けられるか 500店閉鎖の賭け ファミリーマート」","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"週刊東洋経済 2000年1月22日号「トップの履歴書 ファミリーマート社長 田邉充夫」","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"週刊東洋経済 2008年1月26日号「TOP INTERVIEW ファミリーマート社長 上田準二」","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"ファミリーマート 有価証券報告書【沿革】","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"ファミリーマート 有価証券報告書【役員の状況】","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]}]},{"title":"セブン-イレブンを研究するのをやめた15年","text":"2002年3月、上田準二氏が社長に就いた。1970年に伊藤忠商事へ入社し、プリマハム取締役とCVS事業部長を経ての就任である。上田準二氏はまず、セブン-イレブン・ジャパンを研究する定例会議をやめさせ、その理由を「トップのたどってきた道を通るなら永遠に三流」（週刊東洋経済 2008/1/26）と説明した。商品は自社で考えるようになり、このとき始めたフライドチキンは年間1億本を売る商品に育った。これはセブン-イレブン・ジャパンが匂いと加盟店の手間を理由に一度やめていた商品だった。2005年ごろからはサービス・クオリティ・クリーンネスの3語を掲げ、店頭の水準を揃える活動に取り組み、企業理念も15年ぶりに改めた。\n\n同じ地域へ自社の店をぶつける自店競合も、上田準二氏は就任後に宣言した。他社にぶつけられて閉店するよりはよいという判断で、2店が成り立たない場合には同じ加盟者へ両方の経営を勧め、奨励制度で負担に報いる形を取る。2008年の時点で7,000店のうち2,000店ほどが複数店経営だった。首位のチェーンはこの手法を邪道と呼んだが、加盟者不足は業界に共通する問題で、2〜3年のうちに同じ奨励を始めるチェーンが現れた。2006年には全国出店を果たし、2007年までに約320億円を投じて店舗システムを入れ替えた。伊藤忠商事と物流の仕組みを組み直し、約55億円の費用を削った。\n\n規模は買収でも積み上げた。買収の第一弾として2009年12月、ファミリーマートは株式会社エーエム・ピーエム・ジャパンを株式の取得で完全子会社とし、翌2010年3月に吸収合併する。2011年4月にはエーエム・ピーエム・関西も合併した。2015年10月には株式会社ココストアを完全子会社とし、同年12月に合併した。海外では中国で2004年5月の上海を皮切りに、広州・蘇州・杭州・成都・深圳・無錫・北京・東莞へ現地法人を置いた。連結の営業総収入は2002年2月期の1,956億円から2016年2月期の4,277億円へ増え、経常利益も250億円から519億円へ伸びた。連結の従業員数も同じ期間に4,205名から7,622名へ増えた。2013年5月、上田氏は会長へ退き、伊藤忠商事から来た中山勇氏が社長を継いだ。","references":[{"title":"週刊東洋経済 2001年6月16日号「負の連鎖避けられるか 500店閉鎖の賭け ファミリーマート」","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"週刊東洋経済 2000年1月22日号「トップの履歴書 ファミリーマート社長 田邉充夫」","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"週刊東洋経済 2008年1月26日号「TOP INTERVIEW ファミリーマート社長 上田準二」","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"ファミリーマート 有価証券報告書【沿革】","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"ファミリーマート 有価証券報告書【役員の状況】","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]}]}]},{"start_year":2016,"end_year":2023,"main_title":"ユニーと統合して1万8,000店を抱え、伊藤忠商事の傘下で上場をやめるまで","subsections":[{"title":"サークルＫサンクス6,300店の看板を替える","text":"2016年9月、ファミリーマートはユニーグループ・ホールディングス株式会社を吸収合併し、商号をユニー・ファミリーマートホールディングス株式会社へ改めた。コンビニエンスストア事業は株式会社サークルＫサンクスへ承継させ、そのサークルＫサンクスが株式会社ファミリーマートへ商号を変えた。法人として残ったのは1981年設立のファミリーマートで、消えたのはユニーグループ・ホールディングスの側だった。同じ月に名古屋証券取引所の市場第一部へも上場した。統合で抱えた店舗はおよそ1万8,000店になり、上田準二氏は発足時に首位への追い上げを掲げた。\n\n統合会社の社長には上田準二氏が就いたが、半年後の2017年2月に辞任を表明した。前年末に70歳を迎えたことを理由に挙げ、後任には伊藤忠商事副社長の髙柳浩二氏が2017年5月に就いた。看板の掛け替えは当初2年半を見込んでいたところ、統合後の3か月で830店が転換する速さで進んだ。統合前に約6,300店あったサークルＫサンクスの店舗のうち、約5,000店が2018年11月までにファミリーマートへ変わり、同月にブランドの統一が完了した。転換した直後の店舗は、商品力とブランドの認知が上がった結果として売上が1割伸びた。\n\nもっとも、転換した加盟者には制度上の不利が伴った。サークルＫサンクスでは店舗の利益に連動して加盟者の引出金が増え、店長の給料も本部が立て替えていたが、ファミリーマートの制度では引出金が定額で、超過分を引き出せるのは四半期に1度、その7割に限られる。加えて転換した店は形式上「加盟1年目」と扱われ、内装費を加盟者が負担してロイヤリティを下げる契約に必要な5年の運営実績を満たせなくなった。ある店ではロイヤリティが売上高に占める割合がサークルＫサンクス時代より3ポイント近く増えた。2019年5月に髙柳浩二氏から社長を引き継いだ澤田貴司氏は、同年11月に年間110億円を投じる加盟店支援の拡充を発表した。","references":[{"title":"ファミリーマート 有価証券報告書【沿革】","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"週刊東洋経済 2017年2月18日号「ユニーファミマ上田社長『電撃辞任』の真相を語る」","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"週刊東洋経済 2020年5月23日号「苦戦するファミリーマート『ブランド統合』の光と影」","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"週刊東洋経済 2022年4月9日号「産業リポート ファミマ、首位奪取の成算」","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"ファミリーマート 有価証券報告書【主要な経営指標等の推移】","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]}]},{"title":"上場をやめ、伊藤忠商事の傘下に入る","text":"統合で手にした総合スーパーからは、2年4か月で手を引いた。2017年11月、ユニー・ファミリーマートホールディングスはユニー株式会社の発行済株式の40.0%を株式会社ドンキホーテホールディングスへ譲り、2019年1月には残る全株式も譲渡した。2019年9月には完全子会社の株式会社ファミリーマートを吸収合併し、商号を株式会社ファミリーマートへ戻した。同年11月には名古屋証券取引所市場第一部の上場を廃止する。ユニー株式の譲渡によって総合スーパー事業から離れ、事業はコンビニエンスストアに戻った。2019年2月期の営業収益は6,172億円だった。\n\n2020年11月、伊藤忠商事の子会社であるリテールインベストメントカンパニーによる公開買付けと株式併合を経て、ファミリーマートは東京証券取引所市場第一部の上場を廃止した。伊藤忠商事が投じた額は5,000億円を超える。1987年12月の上場から33年で株式市場を離れ、2023年2月期には伊藤忠商事とリテールインベストメントカンパニーが合わせて94.7%を持つ株主構成になった。上場最後の2021年2月期は、新型コロナウイルスの影響で税引前損失89億円、親会社の所有者に帰属する当期損失165億円を計上した。2021年3月には伊藤忠商事で繊維畑を歩み、小売関連会社を束ねる第8カンパニーの責任者を務めた細見研介氏が社長に就いた。\n\n2022年時点で、ファミリーマートの国内店舗数は約1万6,600店とローソンを約1,900店上回り、1店あたりの1日売上高も50.9万円と2020年度にローソンを抜いて業界2位に立った。ただしセブン-イレブン・ジャパンは約2万1,200店・64.7万円で、日販の差は縮まっていない。サークルＫサンクスから転換した店の契約更新が2022年に集中し、更新しない加盟者の店が本部の直営に戻った結果、直営店は2020年2月末の306店から504店へ増えた。2023年2月期の営業収益は4,614億円、税引前利益は492億円で、有価証券報告書の提出は、この期が最後となった。","references":[{"title":"ファミリーマート 有価証券報告書【沿革】","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"週刊東洋経済 2017年2月18日号「ユニーファミマ上田社長『電撃辞任』の真相を語る」","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"週刊東洋経済 2020年5月23日号「苦戦するファミリーマート『ブランド統合』の光と影」","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"週刊東洋経済 2022年4月9日号「産業リポート ファミマ、首位奪取の成算」","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"ファミリーマート 有価証券報告書【主要な経営指標等の推移】","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]}]}]}],"summary":{"title":"サマリー","text":"","qa":[{"q":"なぜ1981年に西友ストアーはコンビニ事業を別会社へ切り出したのか","a":"出店の意思決定を速めるためである。1974年3月に施行された大規模小売店舗法で大型店を出しにくくなったスーパー各社は規制の外にある小型店へ向かい、西友ストアーも1978年3月に社内へファミリーマート事業部を置いた。ところがコンビニエンスストアの出店は速さが要る事業で、1981年9月、休眠会社だった株式会社ジョナスが西友ストアーから営業と資産を譲り受けて商号を株式会社ファミリーマートへ改めた。引き継いだ89店は1985年2月に500店、1987年2月には1,000店へ届いた。"},{"q":"なぜ1998年に西友はファミリーマート株を伊藤忠商事へ手放したのか","a":"西友の資金繰りに理由がある。西友は東京シティファイナンスが抱えた1,360億円の不良債権を肩代わりしており、その原資としてファミリーマート株を切り売りしてきた。1998年2月、西友は保有する2,862万株を1,350億円で伊藤忠商事へ譲渡し、伊藤忠グループの持株比率は30.6%、西友グループは17.2%となった。買い手の伊藤忠商事も前年に4,000億〜5,000億円の不良資産を開示した最中にあり、その後の株価下落で2001年3月末には830億円の含み損を抱えた。"},{"q":"なぜ2016年にユニーグループ・ホールディングスとの経営統合を選んだのか","a":"店舗数でセブン-イレブンに並ぶことをねらった。コンビニエンスストアはセブン-イレブンの独走が続き、3位のファミリーマートと4位のサークルＫサンクスは1店あたりの売上高でも引き離されていた。合併比率はユニーグループ・ホールディングス1株に対しファミリーマート0.138株で、統合後の店舗は単純合算で約1万8,000店となり、店舗数ではセブン-イレブンとほぼ並んだ。ただし1店あたりの売上高の差は統合そのものでは埋まらず、統合で得た総合スーパーのユニーは2年4か月で手放した。"}]},"auditVersion":2}