ファミリーマート の歴史

創業

1981年

創業者

沖正一郎

創業地

東京都豊島区

直近売上高(2023/2)

4,615億円

長期業績と転換点(1994/2〜2023/2)
売上高(億円純利益率(%)
Q なぜ1981年に西友ストアーはコンビニ事業を別会社へ切り出したのか
A 出店の意思決定を速めるためである。1974年3月に施行された大規模小売店舗法で大型店を出しにくくなったスーパー各社は規制の外にある小型店へ向かい、西友ストアーも1978年3月に社内へファミリーマート事業部を置いた。ところがコンビニエンスストアの出店は速さが要る事業で、1981年9月、休眠会社だった株式会社ジョナスが西友ストアーから営業と資産を譲り受けて商号を株式会社ファミリーマートへ改めた。引き継いだ89店は1985年2月に500店、1987年2月には1,000店へ届いた
Q なぜ1998年に西友はファミリーマート株を伊藤忠商事へ手放したのか
A 西友の資金繰りに理由がある。西友は東京シティファイナンスが抱えた1,360億円の不良債権を肩代わりしており、その原資としてファミリーマート株を切り売りしてきた。1998年2月、西友は保有する2,862万株を1,350億円で伊藤忠商事へ譲渡し、伊藤忠グループの持株比率は30.6%、西友グループは17.2%となった。買い手の伊藤忠商事も前年に4,000億〜5,000億円の不良資産を開示した最中にあり、その後の株価下落で2001年3月末には830億円の含み損を抱えた
Q なぜ2016年にユニーグループ・ホールディングスとの経営統合を選んだのか
A 店舗数でセブン-イレブンに並ぶことをねらった。コンビニエンスストアはセブン-イレブンの独走が続き、3位のファミリーマートと4位のサークルKサンクスは1店あたりの売上高でも引き離されていた。合併比率はユニーグループ・ホールディングス1株に対しファミリーマート0.138株で、統合後の店舗は単純合算で約1万8,000店となり、店舗数ではセブン-イレブンとほぼ並んだ。ただし1店あたりの売上高の差は統合そのものでは埋まらず、統合で得た総合スーパーのユニーは2年4か月で手放した

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1972年〜 西友の実験店から独立し、10年で1,000店に届くまで

ファミリーマートの業績推移:単体

売上高(億円)純利益率(%)
  1. 1978年 西友ストアーがフランチャイズ方式でコンビニエンスストア事業を開始
  2. 1981年 西友ストアーから営業譲渡を受けた休眠会社ジョナスがファミリーマートに商号変更
  3. 1987年 沖縄ファミリーマートを設立
  4. 1987年 東京証券取引所市場第二部に株式上場

大店法に追われたスーパーが選んだ小型店

1974年5月、セブン-イレブン・ジャパン[1]が東京都江東区に1号店を開き、日本のコンビニエンスストアが本格的に始まった。同じ年の3月には大規模小売店舗法が施行され[2]、売場面積1,500平方メートル以上の出店には調整がかかるようになる。大型店を出しにくくなったスーパー各社は、規制の外にある小型店へ向かった[3]。西友ストアーも1972年9月に企画室へ小型店担当を置き[4]、翌1973年9月には埼玉県狭山市で実験第1号店を開いた[5]。フランチャイズ方式での本格的な事業化は1978年3月で、この月に社内へファミリーマート事業部が発足[6]し、翌4月には加盟第1号店が埼玉県狭山市で営業を始めた[7]。1980年4月にはコンピュータを使う商品発注システムが動き始めた[8]

1981年9月、西友ストアーの全額出資子会社で休眠していた株式会社ジョナス[9]が、西友ストアーからファミリーマート事業部の営業と資産を譲り受け、商号を株式会社ファミリーマートへ改めた。出店の意思決定を速めるために事業部を切り出す措置[10]で、引き継いだ店舗は89店[11]、初代社長には沖正一郎氏が就いた[12]。沖氏は1951年に伊藤忠商事へ入社[13]し、1963年から西武百貨店と伊藤忠商事の合弁スーパーである株式会社マイマートへ出向して6年を過ごし[14]、1974年に西友ストアー常務取締役[15]として小型店・中型店の販売部門を担当した人物である。コンビニエンスストア設立の準備は1980年9月から進めていた[16]

    • [1]1974年5月にセブン-イレブン・ジャパン(当時ヨークセブン)1号店が東京都江東区に開店。日本の「コンビニ元年」
    • [2]1974年3月に大規模小売店舗法が施行。売場面積1,500平方メートル以上が調整対象
    • [3]大店法でスーパーの出店が難しくなり、法規制の枠に入らない小型店の展開を有力な大手スーパーが目指した
    • [4]1972年9月、西友ストア企画室に小型店担当を設置
    • [5]1973年9月、埼玉県狭山市に実験第1号店を開店
    • [8]1980年4月、コンピュータを利用した商品発注システムが稼動(沖正一郎社長は講演で1978年3月からと述べており、一次資料間で年に食い違いがある)
    • [14]1963年春、西武百貨店と伊藤忠が合弁で設立したスーパー㈱マイマートへ伊藤忠から出向し約6年間勤務
    • [15]1974年8月、㈱西友ストアー常務取締役に就任し小型店・中型店の販売部門を担当
    • [16]1980年9月からコンビニエンス・ストア設立の準備を進めた
  • ファミリーマート 有価証券報告書【沿革】
    • [6]1978年3月、西友ストアー内にファミリーマート事業部が発足(直営店1店)
    • [9]1981年9月、休眠会社の㈱ジョナスが㈱西友ストアーから営業と資産の譲渡を受け、商号を㈱ファミリーマートに変更して事業を開始
    • [7]1978年4月、フランチャイズ契約による加盟第1号店が埼玉県狭山市で営業開始
    • [10]出店意志決定の迅速化などを目的として、ファミリーマート事業部を独立させるための措置だった
    • [11]会社設立時(1981年9月)の店舗数は89店(加盟店87店・直営店2店)
    • [12]初代社長は沖正一郎(1981年9月 ㈱ファミリーマート取締役社長就任)
    • [13]沖正一郎は1951年4月に伊藤忠商事へ入社

ロイヤリティを海外へ払わない運営方式

収入の柱は、加盟者へ経営ノウハウと経営指導を提供する対価[17]として受け取るロイヤリティだった。契約は3種類あり、店舗を加盟者が用意する第1種は加盟店営業総利益の35%[18]、店舗を会社が用意する第2種は60%を本部が取る[19]。1986年1月には加盟時負担金を430万円から50万円へ下げた第3種[20]を設け、資金の乏しい人でも加盟できるようにした。契約期間は7年[21]と、この種の契約では短い。什器が年中無休24時間営業では7〜10年で古くなること[22]、加盟者の側も7年やってみて続けるかを決められるほうが参加しやすいことの2つによる。加盟店の指導は営業担当者250人が受け持ち、1週に最低2回[23]、1人あたり7〜8店を回った。

セブン-イレブン・ジャパンは米サウスランド社と提携してその運営方式[24]を全面的に使い、コンビニエンスストア業界には米国の会社へロイヤリティを払う先が多かった。ファミリーマートは自前で方式を組み立てたため[25]、海外への支払いがなかった。沖正一郎氏は1987年12月の講演でこの点を自社の特色に挙げ、国内で力がついた段階で海外へ出ることも考えたい[26]と述べた。店舗数は1985年2月に500店、1987年2月に1,000店[27]へ届き、単体の営業総収入は1983年2月期の27億円から1987年2月期には196億円[28]へ、経常利益は0.5億円から30億円へ[29]増えた。値入率は28.5%[30]で、一般のボランタリー・チェーン店の20%前後を上回っていた。

1987年12月7日[31]、ファミリーマートは東京証券取引所の市場第二部へ株式を上場した。公募350万株のほかに、西武百貨店を率いる堤清二氏[32]と株式会社有楽町西武が持ち株90万株を売り出した。1987年2月末時点で西友が発行済株式の58.4%、有楽町西武が11.4%[33]を保有しており、上場後もセゾングループの一員である立場は変わらなかった。従業員は1987年2月末で554名[34]、店舗は加盟店966店と直営店41店[35]を数え、その87.7%が東京都・神奈川県・埼玉県・千葉県に集まっていた。売上の順位はセブン-イレブン・ジャパン、ローソンに次ぐ第3位[36]だった。1989年8月には市場第一部銘柄[37]に指定された。

    • [17]フランチャイズ契約を締結した加盟店に対する経営ノウハウの提供および経営指導援助が事業の内容
    • [18]第1種フランチャイズ契約は店舗を加盟者が負担し、ロイヤリティは加盟店営業総利益の35.0%
    • [19]第2種フランチャイズ契約は店舗を同社が負担し、ロイヤリティは加盟店営業総利益の60.0%
    • [20]1986年1月より第3種を導入。加盟時負担金を430万円から50万円(加盟金のみ)に引き下げ
    • [27]1985年2月に店舗数500店(加盟店468店・直営店32店)、1987年2月に1,000店(加盟店959店・直営店41店)
    • [28]営業総収入は1983年2月期2,681百万円から1987年2月期19,654百万円へ増加
    • [29]経常利益は1983年2月期49百万円から1987年2月期2,951百万円へ増加
    • [31]1987年12月7日に東京証券取引所市場第二部へ上場
    • [32]公募3,500千株・売出900千株。売出株の放出元は堤清二と㈱有楽町西武
    • [33]1987年2月28日現在の大株主は西友58.4%、有楽町西武11.4%
    • [34]1987年2月28日現在の従業員数554名(男509名・女45名)
    • [35]1987年2月28日現在で直営店41店・加盟店966店。全店舗の87.7%が東京・神奈川・埼玉・千葉の首都圏
    • [21]契約期間は7年。什器の耐用年数が年中無休24時間営業では7〜10年で陳腐化すること、加盟者が参加しやすいことが理由
    • [22]契約期間7年の理由は、什器の耐用年数が年中無休24時間営業では7〜10年で陳腐化すること、加盟者も7年やってみて続けるかを決められるほうが参加しやすいこと
    • [23]営業担当者250人が各店を1週に最低2回、1人が7〜8店を直接訪問して指導
    • [25]先発した米国企業からノウハウを受けロイヤリティを支払う社が多い中、当社は純国産のノウハウでロイヤリティを支払っていない
    • [26]沖正一郎社長は国内での展開が軌道に乗り力がついた段階で海外進出も研究したいと述べた
    • [30]値入率は28.5%程度で、一般のボランタリー・チェーン店などの20%前後より高い
    • [36]業界における順位は売上でセブンイレブン、ローソンに次いで第3位
    • [24]セブン-イレブンはイトーヨーカ堂が米サウスランド社と提携し、そのノウハウを全面的に活用した
  • ファミリーマート 有価証券報告書【沿革】
    • [37]1989年8月、東京証券取引所の市場第一部銘柄に指定

1987年〜 セゾングループの一員として台湾へ渡り、年500店の出店に踏み込むまで

ファミリーマートの業績推移:単体

売上高(億円)純利益率(%)
  1. 1987年 沖縄ファミリーマートを設立
  2. 1987年 東京証券取引所市場第二部に株式上場
  3. 1988年 台湾に全家便利商店を設立し海外初出店
  4. 1989年 東京証券取引所市場第一部銘柄に指定
  5. 1993年 南九州ファミリーマートを設立

自前の方式を持って台湾と沖縄へ出る

1987年10月、ファミリーマートは沖縄の百貨店であるリウボウとの合弁で株式会社沖縄ファミリーマートを設立[38]し、翌1988年8月には台湾に全家便利商店股份有限公司[39]を設けた。米国から運営方式を買っていないため海外へ出るときに契約上の制約がなく、国内でも1985年4月に名古屋の株式会社綜合酒販センター[40]と合弁で中部ファミリーマート株式会社を設け、1993年4月には鹿児島県[41]で株式会社南九州ファミリーマートを設立して、地元の企業と組んで店を増やす形を取った。1988年2月末の店舗数は、中部地区のサブフランチャイズ店約60店と沖縄の開設分を含めて1,320店を超える見込み[42]だった。台湾の会社は成長を続け、2002年2月には現地の店頭市場へ株式を公開した[43]

堤清二氏のもとでセゾングループは西武百貨店から西友・パルコ・ファミリーマート・クレディセゾンへと事業を広げ、1970年代後半から1980年代前半にかけて総合生活産業と呼ばれる姿を作った[44]。ファミリーマートはその流通部門の一角として経営理念に「協業の精神」を掲げ[45]、グループで蓄えた運営ノウハウと情報を加盟者へ渡して共に稼ぐという考え方を取った。加盟店から毎日の売上金を預かり、仕入代金の支払いを本部が代行する仕組み[46]も整え、その立替にかかる金利を公定歩合に1%を上乗せした水準[47]に抑えた。もっともセゾングループ自体はバブル期の事業拡大が裏目に出て[48]、崩壊後は多額の借入金を抱えることになる。

年500店の出店が積み残した不採算店

コンビニエンスストア業界は1970年代後半から1980年代を通じて、年率30〜50%で店舗数と売上を伸ばした[49]。フランチャイズ方式なら本部は出店の費用をあまりかけずに立地を確保でき[50]、スーパーの進出に脅威を感じた中小の小売店[51]も加盟者として入ってくる。伸びが続くという前提のもと、ファミリーマートは1995年度から1997年度にかけて年間500店近い出店[52]に踏み込んだ。それ以前の出店は年200店程度[53]だったから2倍以上の速さで、この時期に出店の基準を緩めて開けた店が不採算店となり[54]、後年まで足を引っ張ったという見方が業界に残った。

    • [49]コンビニ産業は昭和50年代を通じて年率30〜50%で店舗数と売上を伸ばした
    • [50]フランチャイズチェーン方式なので本部は出店コストをあまりかけずに有力な立地の店舗を短期間に得られた
    • [51]スーパーなどの進撃に脅威を感じた中小店もその指導を評価して加盟店として参画した
  • 週刊東洋経済 2001年6月16日号「負の連鎖避けられるか 500店閉鎖の賭け ファミリーマート」
    • [52]1995年から1997年度にかけて急激に出店ペースを上げ、年間500店近い大量出店を行った
    • [53]それまでファミリーマートの出店は年200店程度だった
    • [54]この時代に基準を甘くして出した店が不採算店となり足を引張っているとの見方が根強い

店舗の純増数は1997年度を境に急激に落ちた[55]。1998年からは既存店の売上高が前年を下回り[56]はじめ、販売促進費を投じても戻らなくなる。ファミリーマートは業界3位のまま、首位のセブン-イレブン・ジャパンとの距離を詰められず[57]にいた。1店あたりの平均日販でも、ファミリーマートとローソンは大きく水をあけられ[58]ていた。劣勢の2社は出店を増やして巻き返そうとしたが、同一チェーンの店が目と鼻の先に立つ状態を招き[59]、逆の結果になった。かつて既存店から500メートルの範囲には出店しない[60]という暗黙の了解が本部と加盟者の間にあった、と関西の加盟者は述べた。

  • 週刊東洋経済 2001年6月16日号「負の連鎖避けられるか 500店閉鎖の賭け ファミリーマート」
    • [55]ファミリーマートの店舗純増数は97年度を境に急激に落ちた
    • [56]98年から既存店売り上げが前年を下回り、販促費を投入しても売り上げが伸びなかった
    • [58]一店当たりの平均日販でファミリーマートとローソンはセブン-イレブンに大きく水をあけられていた
    • [59]劣勢の両社は出店攻勢で巻き返しを図ったが逆効果となり、同一チェーンの店舗が目と鼻の先に出店することが珍しくなくなった
    • [60]関西のオーナーが「かつては既存店から五〇〇メートルの範囲には出店しないという暗黙の了解が本部との間にあった」と証言
  • 週刊東洋経済 2000年1月22日号「トップの履歴書 ファミリーマート社長 田邉充夫」
    • [57]業界三位のファミリーマートはセブン-イレブン・ジャパンとの距離を縮められないでいた
    • [49]コンビニ産業は昭和50年代を通じて年率30〜50%で店舗数と売上を伸ばした
    • [50]フランチャイズチェーン方式なので本部は出店コストをあまりかけずに有力な立地の店舗を短期間に得られた
    • [51]スーパーなどの進撃に脅威を感じた中小店もその指導を評価して加盟店として参画した
  • 週刊東洋経済 2001年6月16日号「負の連鎖避けられるか 500店閉鎖の賭け ファミリーマート」
    • [52]1995年から1997年度にかけて急激に出店ペースを上げ、年間500店近い大量出店を行った
    • [53]それまでファミリーマートの出店は年200店程度だった
    • [54]この時代に基準を甘くして出した店が不採算店となり足を引張っているとの見方が根強い
    • [55]ファミリーマートの店舗純増数は97年度を境に急激に落ちた
    • [56]98年から既存店売り上げが前年を下回り、販促費を投入しても売り上げが伸びなかった
    • [58]一店当たりの平均日販でファミリーマートとローソンはセブン-イレブンに大きく水をあけられていた
    • [59]劣勢の両社は出店攻勢で巻き返しを図ったが逆効果となり、同一チェーンの店舗が目と鼻の先に出店することが珍しくなくなった
    • [60]関西のオーナーが「かつては既存店から五〇〇メートルの範囲には出店しないという暗黙の了解が本部との間にあった」と証言
  • 週刊東洋経済 2000年1月22日号「トップの履歴書 ファミリーマート社長 田邉充夫」
    • [57]業界三位のファミリーマートはセブン-イレブン・ジャパンとの距離を縮められないでいた

1998年〜 筆頭株主がセゾンから伊藤忠商事へ代わり、量から質へ転じるまで

ファミリーマートの業績推移:連結

売上高(億円)純利益率(%)
  1. 1998年 西友によるファミリーマート株1,350億円の譲渡と、伊藤忠商事グループへの移行 親会社の資金繰りで売りに出された成長企業は、総合商社の傘下で何を立て直せたか
  2. 2000年 ファミマ・ドット・コムを設立
  3. 2002年 全家便利商店が台湾店頭市場に株式を店頭公開
  4. 2004年 中国・上海市に上海福満家便利を設立し中国本土に出店
  5. 2009年 エーエム・ピーエム・ジャパンの買収と、am/pm店舗のファミリーマートブランドへの一本化 ブランドを残すか、消すか——出店余地が細る市場で、債務超過の業界7位に120億円を投じる
  6. 2010年 エーエム・ピーエム・ジャパンを吸収合併
  7. 2015年 ココストアを株式取得により完全子会社化

1,350億円で親会社が入れ替わる

1998年2月、ファミリーマートはセゾングループから伊藤忠商事の傘下へ移った[61]。伊藤忠商事が投じた額は総額1,350億円[62]にのぼり、丹羽宇一郎社長が自ら旗を振った買い物だった。ところがその後の株価は下がり、2001年3月末の時点で伊藤忠商事は830億円の含み損[63]を抱える。住江漠副社長は「毎期確実に利益を出している[64]し、バランスシートも傷んでいない」(週刊東洋経済 2001/6/16)として2000年度決算に評価損を計上しなかった[65]が、この株価水準が1年、2年と続けば計上を避けられない状態にあった。伊藤忠商事にとってファミリーマート株のてこ入れは急務になった[66]

  • 週刊東洋経済 2000年1月22日号「トップの履歴書 ファミリーマート社長 田邉充夫」
    • [61]1998年2月、ファミリーマートはセゾングループから伊藤忠商事傘下へ移行
  • 週刊東洋経済 2001年6月16日号「負の連鎖避けられるか 500店閉鎖の賭け ファミリーマート」
    • [62]伊藤忠商事の投資は総額1,350億円で、丹羽宇一郎社長自身が旗を振ったもの
    • [63]2001年3月末時点で伊藤忠商事はファミリーマート株に830億円の含み損を抱えていた
    • [64]伊藤忠商事の住江漠副社長が「ファミリーは毎期確実に利益を出しているし、バランスシートも傷んでいない。評価損は必要ない」と述べた
    • [65]2000年度決算でファミリーマート株の評価損は計上されなかったが、株価水準が1年2年と続けば必要がないとは断言できない状況だった
    • [66]総額1,350億円もの投資は丹羽宇一郎社長自身が旗を振ったものだけに、伊藤忠にとってファミリー株のテコ入れは急務だった

1999年10月、伊藤忠商事で食品部門を歩んだ田邉充夫[67]が社長に就いた。就任の際に繰り返したのは「チェンジ・オア・ダイ」という言葉[68]で、年間400店に達したこともある出店計画を200店程度に抑え[69]、1日あたりの売上が40万円を下回る店の立て直し[70]に力を注いだ。それでも2000年度決算は創業以来はじめての経常減益[71]となり、田邉充夫氏は2001年2月末に量から質への転換を宣言して、2002年2月期に不採算店500店を閉め、新店を450店に絞った[72]。平和堂から東近畿スパー本部の約80店を譲り受けた[73]分を除けば店舗数は実質的な純減で、大手のコンビニエンスストアでは初めての事態だった。

  • 週刊東洋経済 2000年1月22日号「トップの履歴書 ファミリーマート社長 田邉充夫」
    • [67]田邉充夫は伊藤忠商事で食品部門を歩み、1999年10月にファミリーマート代表取締役社長へ就任
    • [68]社長就任時に「チェンジ・オア・ダイ(変化か死か)」という言葉を繰り返した
    • [69]かつて年間400店程度の出店をしたこともあったが、今後の出店計画は200店程度にとどめる方針
    • [70]社長就任後、1日当たり売り上げが40万円以下の不採算店舗のテコ入れに最もエネルギーを使った
  • 週刊東洋経済 2001年6月16日号「負の連鎖避けられるか 500店閉鎖の賭け ファミリーマート」
    • [71]2000年度決算でファミリーマートは創業来初の経常減益に陥った
    • [72]2002年2月期に不採算店500店を閉鎖、新店は450店。平和堂から東近畿スパー本部の店舗約80店を譲り受けた分を除けば実質的な店舗純減で、大手コンビニでは初の事態
    • [73]8月に関西の中堅スーパー平和堂から東近畿スパー本部の店舗約80店を譲り受けた

加盟者の生活に直結する本部主導の大量閉鎖は、業界では禁じ手とされていた[74]。証券アナリストからは「一度負のスパイラルに入った[75]コンビニで立ち直った例はない」(週刊東洋経済 2001/6/16)との警告も出た。閉めた500店のうち7割は開業から5年以上[76]、大半は契約更新の10年目を迎えた店だった。同じ2001年5月の人事で、ファミリーマートは店舗開発から商品までの重要な役職に伊藤忠商事の出身者を据え[77]、旧セゾン系をほぼ入れ替えた。商品調達では取引先を選別して集約し、伊藤忠商事系列の卸である西野商事が関東で物流センターを一度に4か所[78]立ち上げた。2001年度上期には弁当工場16か所と物流拠点7か所が完成した[79]

  • 週刊東洋経済 2001年6月16日号「負の連鎖避けられるか 500店閉鎖の賭け ファミリーマート」
    • [74]店舗閉鎖はオーナーの生活に直結するため、本部主導の大量閉鎖は加盟店との信頼関係を揺るがしかねない一種のタブーとされた
    • [75]JPモルガン証券の塚沢健二アナリストが「一度負のスパイラルに入ったコンビニで立ち直った例はない」と警告
    • [76]閉鎖する500店のうち7割は開業から5年以上で、大半は契約更新を迎える10年が経った店
    • [77]2001年5月の大幅な人事異動で、店舗開発・運営から商品に至るあらゆる重要ポストに伊藤忠出身者を据え、旧セゾン系をほぼ一掃した
    • [78]伊藤忠系列の卸である西野商事が2000年に関東でファミリーマート向けの物流センターを一度に4か所立ち上げた
    • [79]2001年度上期に16か所の弁当工場と7か所の物流拠点が完成し、8,000〜9,000店までカバーできる体制ができた
  • 週刊東洋経済 2000年1月22日号「トップの履歴書 ファミリーマート社長 田邉充夫」
    • [61]1998年2月、ファミリーマートはセゾングループから伊藤忠商事傘下へ移行
    • [67]田邉充夫は伊藤忠商事で食品部門を歩み、1999年10月にファミリーマート代表取締役社長へ就任
    • [68]社長就任時に「チェンジ・オア・ダイ(変化か死か)」という言葉を繰り返した
    • [69]かつて年間400店程度の出店をしたこともあったが、今後の出店計画は200店程度にとどめる方針
    • [70]社長就任後、1日当たり売り上げが40万円以下の不採算店舗のテコ入れに最もエネルギーを使った
  • 週刊東洋経済 2001年6月16日号「負の連鎖避けられるか 500店閉鎖の賭け ファミリーマート」
    • [62]伊藤忠商事の投資は総額1,350億円で、丹羽宇一郎社長自身が旗を振ったもの
    • [63]2001年3月末時点で伊藤忠商事はファミリーマート株に830億円の含み損を抱えていた
    • [64]伊藤忠商事の住江漠副社長が「ファミリーは毎期確実に利益を出しているし、バランスシートも傷んでいない。評価損は必要ない」と述べた
    • [65]2000年度決算でファミリーマート株の評価損は計上されなかったが、株価水準が1年2年と続けば必要がないとは断言できない状況だった
    • [66]総額1,350億円もの投資は丹羽宇一郎社長自身が旗を振ったものだけに、伊藤忠にとってファミリー株のテコ入れは急務だった
    • [71]2000年度決算でファミリーマートは創業来初の経常減益に陥った
    • [72]2002年2月期に不採算店500店を閉鎖、新店は450店。平和堂から東近畿スパー本部の店舗約80店を譲り受けた分を除けば実質的な店舗純減で、大手コンビニでは初の事態
    • [73]8月に関西の中堅スーパー平和堂から東近畿スパー本部の店舗約80店を譲り受けた
    • [74]店舗閉鎖はオーナーの生活に直結するため、本部主導の大量閉鎖は加盟店との信頼関係を揺るがしかねない一種のタブーとされた
    • [75]JPモルガン証券の塚沢健二アナリストが「一度負のスパイラルに入ったコンビニで立ち直った例はない」と警告
    • [76]閉鎖する500店のうち7割は開業から5年以上で、大半は契約更新を迎える10年が経った店
    • [77]2001年5月の大幅な人事異動で、店舗開発・運営から商品に至るあらゆる重要ポストに伊藤忠出身者を据え、旧セゾン系をほぼ一掃した
    • [78]伊藤忠系列の卸である西野商事が2000年に関東でファミリーマート向けの物流センターを一度に4か所立ち上げた
    • [79]2001年度上期に16か所の弁当工場と7か所の物流拠点が完成し、8,000〜9,000店までカバーできる体制ができた

セブン-イレブンを研究するのをやめた15年

2002年3月、上田準二[80]が社長に就いた。1970年に伊藤忠商事へ入社[81]し、プリマハム取締役とCVS事業部長を経ての就任である。上田準二氏はまず、セブン-イレブン・ジャパンを研究する定例会議をやめさせ[82]、その理由を「トップのたどってきた道を通るなら永遠に三流[83]」(週刊東洋経済 2008/1/26)と説明した。商品は自社で考えるようになり、このとき始めたフライドチキンは年間1億本を売る商品[84]に育った。これはセブン-イレブン・ジャパンが匂いと加盟店の手間を理由に一度やめていた商品だった[85]。2005年ごろからはサービス・クオリティ・クリーンネスの3語を掲げ[86]、店頭の水準を揃える活動に取り組み、企業理念も15年ぶりに改めた。

  • ファミリーマート 有価証券報告書【役員の状況】
    • [80]上田準二は2002年3月にファミリーマート代表取締役社長兼COOへ就任
  • 週刊東洋経済 2008年1月26日号「TOP INTERVIEW ファミリーマート社長 上田準二」
    • [81]上田準二は1970年に伊藤忠商事入社、1997年プリマハム取締役、1999年CVS事業部長を経て2002年3月よりファミリーマート社長
    • [82]社長就任当初はセブンをベンチマークするための会議を定期的に開いていたが、すぐやめさせた
    • [83]上田準二社長は「われわれは規模で3番手。トップのたどってきた道を通るなら永遠に三流だ」と述べた
    • [84]フライドチキンは年間1億本を売るヒット商品になった。セブンも販売していたが匂いや加盟店の手間が課題で一度撤退していた
    • [85]フライドチキンはかつてセブンも販売していたが、においや加盟店の手間が課題で一度撤退していた
    • [86]サービス、クオリティ、クリーンネスの頭文字を取ったS&QCを掲げると宣言したのが2008年時点の3年前(2005年ごろ)。企業理念も15年ぶりに変えた

同じ地域へ自社の店をぶつける自店競合も、上田準二氏は就任後に宣言した[87]。他社にぶつけられて閉店するよりはよいという判断で、2店が成り立たない場合には同じ加盟者へ両方の経営を勧め[88]、奨励制度で負担に報いる形を取る。2008年の時点で7,000店のうち2,000店ほどが複数店経営[89]だった。首位のチェーンはこの手法を邪道と呼んだ[90]が、加盟者不足は業界に共通する問題で、2〜3年のうちに同じ奨励を始めるチェーンが現れた。2006年には全国出店を果たし[91]、2007年までに約320億円を投じて[92]店舗システムを入れ替えた。伊藤忠商事と物流の仕組みを組み直し、約55億円の費用を削った[93]

  • 週刊東洋経済 2008年1月26日号「TOP INTERVIEW ファミリーマート社長 上田準二」
    • [87]社長就任後に自店競合を進めると宣言。他社にぶつけられて閉店するよりはよいという判断
    • [88]2店舗が成り立たなければオーナーに両方の経営を勧め、負担も大きいので奨励制度でインセンティブを与えた
    • [89]複数経営店の数は7,000店中2,000店ほど(2008年1月時点)
    • [90]トップチェーンは自店競合を邪道と言ったが、加盟者不足は業界全体の問題で2〜3年で同様に奨励するチェーンが出てきた
    • [91]2006年に全国出店を果たした
    • [92]2007年までに約320億円かけて店舗システムを一新した
    • [93]伊藤忠と協力して物流の仕組みを再構築し、約55億円を削減した

規模は買収でも積み上げた。買収の第一弾として2009年12月、ファミリーマートは株式会社エーエム・ピーエム・ジャパン[94]を株式の取得で完全子会社とし、翌2010年3月に吸収合併する。2011年4月にはエーエム・ピーエム・関西も合併した[95]。2015年10月には株式会社ココストアを完全子会社とし[96]、同年12月に合併した。海外では中国で2004年5月の上海を皮切りに[97]、広州・蘇州・杭州・成都・深圳・無錫・北京・東莞へ現地法人を置いた。連結の営業総収入は2002年2月期の1,956億円[98]から2016年2月期の4,277億円へ増え、経常利益も250億円から519億円へ伸びた[99]。連結の従業員数も同じ期間に4,205名から7,622名へ増えた[100]。2013年5月、上田氏は会長へ退き、伊藤忠商事から来た中山勇氏が社長を継いだ[101]

  • ファミリーマート 有価証券報告書【沿革】
    • [94]2009年12月、㈱エーエム・ピーエム・ジャパンを株式の取得により完全子会社とし、2010年3月に吸収合併
    • [95]2011年4月、㈱エーエム・ピーエム・関西を吸収合併
    • [96]2015年10月に㈱ココストアを株式の取得により完全子会社とし、同年12月に吸収合併
    • [97]2004年5月に中国・上海市へ上海福満家便利有限公司を設立し、以後 広州・蘇州・杭州・成都・深圳・無錫・北京・東莞に現地法人を設立
  • ファミリーマート 有価証券報告書【主要な経営指標等の推移】
    • [98]連結営業総収入は2002年2月期195,605百万円から2016年2月期427,676百万円へ増加
    • [99]連結経常利益は2002年2月期25,003百万円から2016年2月期51,888百万円へ増加
    • [100]連結従業員数は2002年2月期4,205名から2016年2月期7,622名へ増加
  • ファミリーマート 有価証券報告書【役員の状況】
    • [101]上田準二は2013年5月に代表取締役社長を退いて代表取締役会長となり、中山勇(伊藤忠商事出身)が代表取締役社長に就任した
  • ファミリーマート 有価証券報告書【役員の状況】
    • [80]上田準二は2002年3月にファミリーマート代表取締役社長兼COOへ就任
    • [101]上田準二は2013年5月に代表取締役社長を退いて代表取締役会長となり、中山勇(伊藤忠商事出身)が代表取締役社長に就任した
  • 週刊東洋経済 2008年1月26日号「TOP INTERVIEW ファミリーマート社長 上田準二」
    • [81]上田準二は1970年に伊藤忠商事入社、1997年プリマハム取締役、1999年CVS事業部長を経て2002年3月よりファミリーマート社長
    • [82]社長就任当初はセブンをベンチマークするための会議を定期的に開いていたが、すぐやめさせた
    • [83]上田準二社長は「われわれは規模で3番手。トップのたどってきた道を通るなら永遠に三流だ」と述べた
    • [84]フライドチキンは年間1億本を売るヒット商品になった。セブンも販売していたが匂いや加盟店の手間が課題で一度撤退していた
    • [85]フライドチキンはかつてセブンも販売していたが、においや加盟店の手間が課題で一度撤退していた
    • [86]サービス、クオリティ、クリーンネスの頭文字を取ったS&QCを掲げると宣言したのが2008年時点の3年前(2005年ごろ)。企業理念も15年ぶりに変えた
    • [87]社長就任後に自店競合を進めると宣言。他社にぶつけられて閉店するよりはよいという判断
    • [88]2店舗が成り立たなければオーナーに両方の経営を勧め、負担も大きいので奨励制度でインセンティブを与えた
    • [89]複数経営店の数は7,000店中2,000店ほど(2008年1月時点)
    • [90]トップチェーンは自店競合を邪道と言ったが、加盟者不足は業界全体の問題で2〜3年で同様に奨励するチェーンが出てきた
    • [91]2006年に全国出店を果たした
    • [92]2007年までに約320億円かけて店舗システムを一新した
    • [93]伊藤忠と協力して物流の仕組みを再構築し、約55億円を削減した
  • ファミリーマート 有価証券報告書【沿革】
    • [94]2009年12月、㈱エーエム・ピーエム・ジャパンを株式の取得により完全子会社とし、2010年3月に吸収合併
    • [95]2011年4月、㈱エーエム・ピーエム・関西を吸収合併
    • [96]2015年10月に㈱ココストアを株式の取得により完全子会社とし、同年12月に吸収合併
    • [97]2004年5月に中国・上海市へ上海福満家便利有限公司を設立し、以後 広州・蘇州・杭州・成都・深圳・無錫・北京・東莞に現地法人を設立
  • ファミリーマート 有価証券報告書【主要な経営指標等の推移】
    • [98]連結営業総収入は2002年2月期195,605百万円から2016年2月期427,676百万円へ増加
    • [99]連結経常利益は2002年2月期25,003百万円から2016年2月期51,888百万円へ増加
    • [100]連結従業員数は2002年2月期4,205名から2016年2月期7,622名へ増加

2016年〜 ユニーと統合して1万8,000店を抱え、伊藤忠商事の傘下で上場をやめるまで

ファミリーマートの業績推移:連結

売上高(億円)純利益率(%)
  1. 2016年 ユニーグループ・ホールディングスの吸収合併と、サークルK・サンクスのファミリーマートへのブランド統一 3位のまま縮むか、4位と組んで1万8,000店を取るか——上田準二会長が10年越しで動かした経営統合
  2. 2016年 名古屋証券取引所市場第一部に株式上場
  3. 2017年 ユニー株式の40.0%をドンキホーテホールディングスに譲渡
  4. 2019年 ユニーの完全子会社化とPPIHへの改称——GMS最大手級を呑み2兆円企業へ 「ドン・キホーテ」の名を法人から外してまで、なぜユニーを完全子会社にしたか
  5. 2019年 子会社ファミリーマートを吸収合併し商号をファミリーマートに変更
  6. 2019年 名古屋証券取引所市場第一部の上場を廃止
  7. 2020年 ファミリーマートの完全子会社化TOBと、少数株主による公正価格の争い 1株2,300円は「安すぎた」のか——親子上場の解消をめぐり、少数株主保護が問われた買収

サークルKサンクス6,300店の看板を替える

2016年9月、ファミリーマートはユニーグループ・ホールディングス株式会社を吸収合併[102]し、商号をユニー・ファミリーマートホールディングス株式会社へ改めた。コンビニエンスストア事業は株式会社サークルKサンクスへ承継させ[103]、そのサークルKサンクスが株式会社ファミリーマートへ商号を変えた。法人として残ったのは1981年設立のファミリーマート[104]で、消えたのはユニーグループ・ホールディングスの側だった。同じ月に名古屋証券取引所の市場第一部へも上場した[105]。統合で抱えた店舗はおよそ1万8,000店[106]になり、上田準二氏は発足時に首位への追い上げを掲げた[107]

  • ファミリーマート 有価証券報告書【沿革】
    • [102]2016年9月、ユニーグループ・ホールディングス㈱を吸収合併し、ユニー・ファミリーマートホールディングス㈱に商号変更
    • [103]コンビニエンスストア事業を㈱サークルKサンクスに承継し、㈱サークルKサンクスは㈱ファミリーマートに商号変更した
    • [104]1981年設立のファミリーマートがユニーグループ・ホールディングス㈱を吸収合併したため、存続法人はファミリーマート側でEDINETコードE03125も変わっていない
    • [105]2016年9月、名古屋証券取引所の市場第一部に株式上場
  • 週刊東洋経済 2017年2月18日号「ユニーファミマ上田社長『電撃辞任』の真相を語る」
    • [106]今回の統合で1万8,000店の規模を手に入れたと上田準二社長が述べた
    • [107]統合会社が発足した2016年9月、上田準二社長は「セブン-イレブンにキャッチアップしたい」と宣言した

統合会社の社長には上田準二氏が就いたが、半年後の2017年2月に辞任を表明した[108]。前年末に70歳を迎えたことを理由に挙げ[109]、後任には伊藤忠商事副社長の髙柳浩二[110]が2017年5月に就いた。看板の掛け替えは当初2年半を見込んでいたところ、統合後の3か月で830店が転換する[111]速さで進んだ。統合前に約6,300店あったサークルKサンクスの店舗のうち、約5,000店が2018年11月までに[112]ファミリーマートへ変わり、同月にブランドの統一が完了した。転換した直後の店舗は、商品力とブランドの認知が上がった結果として売上が1割伸びた[113]

  • 週刊東洋経済 2017年2月18日号「ユニーファミマ上田社長『電撃辞任』の真相を語る」
    • [108]ユニー・ファミリーマートHDの上田準二社長が2017年2月3日に辞任を表明。統合会社の社長就任から半年
    • [109]上田準二は昨年末に70歳を迎え、古稀を機に会社人生に区切りをつけようと考えていたと説明
    • [111]コンビニのブランド統一は2年半を予定していたが、統合後ほぼ3か月で830店がファミマに転換した
  • ファミリーマート 有価証券報告書【役員の状況】
    • [110]後任は伊藤忠商事の高柳浩二副社長(食料カンパニープレジデント)。有報では2017年3月に当社社長執行役員、2017年5月に代表取締役社長
  • 週刊東洋経済 2020年5月23日号「苦戦するファミリーマート『ブランド統合』の光と影」
    • [112]統合前に約6,300店あったCKS店舗のうち約5,000店を2018年11月までにファミマへブランド転換し、同月に統一を完了
    • [113]ブランド転換した直後は商品力やブランドイメージが向上した結果、店舗の売り上げが1割上昇した

もっとも、転換した加盟者には制度上の不利が伴った[114]。サークルKサンクスでは店舗の利益に連動して加盟者の引出金が増え[115]、店長の給料も本部が立て替えていたが、ファミリーマートの制度では引出金が定額で、超過分を引き出せるのは四半期に1度[116]、その7割に限られる。加えて転換した店は形式上「加盟1年目」と扱われ[117]、内装費を加盟者が負担してロイヤリティを下げる契約に必要な5年の運営実績を満たせなくなった。ある店ではロイヤリティが売上高に占める割合がサークルKサンクス時代より3ポイント近く増えた[118]。2019年5月に髙柳浩二氏から社長を引き継いだ澤田貴司氏は、同年11月に年間110億円を投じる加盟店支援の拡充を発表した[119]

  • 週刊東洋経済 2020年5月23日号「苦戦するファミリーマート『ブランド統合』の光と影」
    • [114]CKS時代に複数店を経営していたオーナーは、ファミマへの転換によって店舗運営の条件が不利になった
    • [115]CKS時代は店舗の利益に連動してオーナーの月次引出金が増え、店舗責任者の給料も本部が立て替えて支払っていた
    • [116]ファミマは定額の月次引出金制度で、超過分を引き出せるのは四半期に1回・そのうち7割のみ
    • [117]元CKSオーナーはブランド転換した際に「加盟1年目」と見なされ、内装費用をオーナーが負担する契約の条件である5年間の運営実績を満たせなくなった
    • [118]ある店舗では売上高に占めるロイヤルティーの割合がCKS時代よりも3ポイント近く増えた
    • [119]2019年11月の記者会見で澤田貴司社長が年間110億円の資金を投じる加盟店支援制度の拡充を発表
  • ファミリーマート 有価証券報告書【沿革】
    • [102]2016年9月、ユニーグループ・ホールディングス㈱を吸収合併し、ユニー・ファミリーマートホールディングス㈱に商号変更
    • [103]コンビニエンスストア事業を㈱サークルKサンクスに承継し、㈱サークルKサンクスは㈱ファミリーマートに商号変更した
    • [104]1981年設立のファミリーマートがユニーグループ・ホールディングス㈱を吸収合併したため、存続法人はファミリーマート側でEDINETコードE03125も変わっていない
    • [105]2016年9月、名古屋証券取引所の市場第一部に株式上場
  • 週刊東洋経済 2017年2月18日号「ユニーファミマ上田社長『電撃辞任』の真相を語る」
    • [106]今回の統合で1万8,000店の規模を手に入れたと上田準二社長が述べた
    • [107]統合会社が発足した2016年9月、上田準二社長は「セブン-イレブンにキャッチアップしたい」と宣言した
    • [108]ユニー・ファミリーマートHDの上田準二社長が2017年2月3日に辞任を表明。統合会社の社長就任から半年
    • [109]上田準二は昨年末に70歳を迎え、古稀を機に会社人生に区切りをつけようと考えていたと説明
    • [111]コンビニのブランド統一は2年半を予定していたが、統合後ほぼ3か月で830店がファミマに転換した
  • ファミリーマート 有価証券報告書【役員の状況】
    • [110]後任は伊藤忠商事の高柳浩二副社長(食料カンパニープレジデント)。有報では2017年3月に当社社長執行役員、2017年5月に代表取締役社長
  • 週刊東洋経済 2020年5月23日号「苦戦するファミリーマート『ブランド統合』の光と影」
    • [112]統合前に約6,300店あったCKS店舗のうち約5,000店を2018年11月までにファミマへブランド転換し、同月に統一を完了
    • [113]ブランド転換した直後は商品力やブランドイメージが向上した結果、店舗の売り上げが1割上昇した
    • [114]CKS時代に複数店を経営していたオーナーは、ファミマへの転換によって店舗運営の条件が不利になった
    • [115]CKS時代は店舗の利益に連動してオーナーの月次引出金が増え、店舗責任者の給料も本部が立て替えて支払っていた
    • [116]ファミマは定額の月次引出金制度で、超過分を引き出せるのは四半期に1回・そのうち7割のみ
    • [117]元CKSオーナーはブランド転換した際に「加盟1年目」と見なされ、内装費用をオーナーが負担する契約の条件である5年間の運営実績を満たせなくなった
    • [118]ある店舗では売上高に占めるロイヤルティーの割合がCKS時代よりも3ポイント近く増えた
    • [119]2019年11月の記者会見で澤田貴司社長が年間110億円の資金を投じる加盟店支援制度の拡充を発表

上場をやめ、伊藤忠商事の傘下に入る

統合で手にした総合スーパーからは、2年4か月で手を引いた[120]。2017年11月、ユニー・ファミリーマートホールディングスはユニー株式会社の発行済株式の40.0%[121]を株式会社ドンキホーテホールディングスへ譲り、2019年1月には残る全株式も譲渡した[122]。2019年9月には完全子会社の株式会社ファミリーマートを吸収合併[123]し、商号を株式会社ファミリーマートへ戻した。同年11月には名古屋証券取引所市場第一部の上場を廃止する[124]。ユニー株式の譲渡によって総合スーパー事業から離れ、事業はコンビニエンスストアに戻った[125]。2019年2月期の営業収益は6,172億円[126]だった。

  • ファミリーマート 有価証券報告書【沿革】
    • [120]2016年9月の統合から2019年1月の全株式譲渡まで、ユニーを傘下に置いた期間は2年4か月
    • [121]2017年11月、ユニー㈱の発行済株式の40.0%を㈱ドンキホーテホールディングスへ譲渡
    • [122]2019年1月、ユニー㈱の全株式をパン・パシフィック・インターナショナルホールディングス(旧ドンキホーテホールディングス)へ譲渡
    • [123]2019年9月、完全子会社である㈱ファミリーマートを吸収合併し、㈱ファミリーマートに商号変更
    • [124]2019年11月、名古屋証券取引所市場第一部の上場を廃止
    • [125]ユニー㈱の全株式譲渡により、連結の事業はコンビニエンスストア事業に戻った
  • ファミリーマート 有価証券報告書【主要な経営指標等の推移】
    • [126]2019年2月期(第38期)の営業収益617,174百万円

2020年11月、伊藤忠商事の子会社であるリテールインベストメントカンパニーによる公開買付けと株式併合を経て、ファミリーマートは東京証券取引所市場第一部の上場を廃止した[127]。伊藤忠商事が投じた額は5,000億円を超える[128]。1987年12月の上場から33年で株式市場を離れ[129]、2023年2月期には伊藤忠商事とリテールインベストメントカンパニーが合わせて94.7%を持つ株主構成になった。上場最後の2021年2月期は、新型コロナウイルスの影響で税引前損失89億円[130]、親会社の所有者に帰属する当期損失165億円を計上した。2021年3月には伊藤忠商事で繊維畑を歩み、小売関連会社を束ねる第8カンパニーの責任者を務めた細見研介[131]が社長に就いた。

  • ファミリーマート 有価証券報告書【沿革】
    • [127]2020年11月、伊藤忠商事㈱の子会社であるリテールインベストメントカンパニー(同)による当社株式の公開買付けと株式併合に伴い、東京証券取引所市場第一部の上場を廃止
    • [129]1987年12月7日の東証二部上場から2020年11月の上場廃止まで33年。2023年2月期の大株主は伊藤忠商事50.0%とリテールインベストメントカンパニー44.67%で計94.67%
  • 週刊東洋経済 2022年4月9日号「産業リポート ファミマ、首位奪取の成算」
    • [128]伊藤忠は2020年夏に5,000億円超をつぎ込みファミマをほぼ完全子会社化した
    • [131]細見研介は1962年生まれ、1986年伊藤忠商事入社後は主に繊維畑を歩み、小売関連のグループ会社を束ねる第8カンパニーのトップを務めた。2021年3月から社長
  • ファミリーマート 有価証券報告書【主要な経営指標等の推移】
    • [130]2021年2月期の税引前損失は8,894百万円、親会社の所有者に帰属する当期損失は16,477百万円

2022年時点で、ファミリーマートの国内店舗数は約1万6,600店とローソンを約1,900店上回り[132]、1店あたりの1日売上高も50.9万円と2020年度にローソンを抜いて業界2位に立った。ただしセブン-イレブン・ジャパンは約2万1,200店・64.7万円[133]で、日販の差は縮まっていない。サークルKサンクスから転換した店の契約更新が2022年に集中し、更新しない加盟者の店が本部の直営に戻った結果、直営店は2020年2月末の306店から504店へ増えた[134]。2023年2月期の営業収益は4,614億円[135]、税引前利益は492億円で、有価証券報告書の提出は、この期が最後となった[136]

  • 週刊東洋経済 2022年4月9日号「産業リポート ファミマ、首位奪取の成算」
    • [132]国内店舗数はローソンを1,900店ほど上回る約1万6,600店で業界2位。平均日販も2020年度にローソンを抜き2番手に浮上
    • [133]セブン-イレブンの店舗数は約2万1,200店、直近の日販は64.7万円でファミマの50.9万円に大差をつけている
    • [134]2020年2月末に306店だった直営店が2022年には504店に増え、この増加分に契約更新をしなかった旧サークルKサンクス組が含まれるとみられる
  • ファミリーマート 有価証券報告書【主要な経営指標等の推移】
    • [135]2023年2月期(第42期)の営業収益461,495百万円、税引前利益49,158百万円
    • [136]EDINET上の有価証券報告書提出は2023年5月26日提出のFY2022(2023年2月期)が最後
  • ファミリーマート 有価証券報告書【沿革】
    • [120]2016年9月の統合から2019年1月の全株式譲渡まで、ユニーを傘下に置いた期間は2年4か月
    • [121]2017年11月、ユニー㈱の発行済株式の40.0%を㈱ドンキホーテホールディングスへ譲渡
    • [122]2019年1月、ユニー㈱の全株式をパン・パシフィック・インターナショナルホールディングス(旧ドンキホーテホールディングス)へ譲渡
    • [123]2019年9月、完全子会社である㈱ファミリーマートを吸収合併し、㈱ファミリーマートに商号変更
    • [124]2019年11月、名古屋証券取引所市場第一部の上場を廃止
    • [125]ユニー㈱の全株式譲渡により、連結の事業はコンビニエンスストア事業に戻った
    • [127]2020年11月、伊藤忠商事㈱の子会社であるリテールインベストメントカンパニー(同)による当社株式の公開買付けと株式併合に伴い、東京証券取引所市場第一部の上場を廃止
    • [129]1987年12月7日の東証二部上場から2020年11月の上場廃止まで33年。2023年2月期の大株主は伊藤忠商事50.0%とリテールインベストメントカンパニー44.67%で計94.67%
  • ファミリーマート 有価証券報告書【主要な経営指標等の推移】
    • [126]2019年2月期(第38期)の営業収益617,174百万円
    • [130]2021年2月期の税引前損失は8,894百万円、親会社の所有者に帰属する当期損失は16,477百万円
    • [135]2023年2月期(第42期)の営業収益461,495百万円、税引前利益49,158百万円
    • [136]EDINET上の有価証券報告書提出は2023年5月26日提出のFY2022(2023年2月期)が最後
  • 週刊東洋経済 2022年4月9日号「産業リポート ファミマ、首位奪取の成算」
    • [128]伊藤忠は2020年夏に5,000億円超をつぎ込みファミマをほぼ完全子会社化した
    • [131]細見研介は1962年生まれ、1986年伊藤忠商事入社後は主に繊維畑を歩み、小売関連のグループ会社を束ねる第8カンパニーのトップを務めた。2021年3月から社長
    • [132]国内店舗数はローソンを1,900店ほど上回る約1万6,600店で業界2位。平均日販も2020年度にローソンを抜き2番手に浮上
    • [133]セブン-イレブンの店舗数は約2万1,200店、直近の日販は64.7万円でファミマの50.9万円に大差をつけている
    • [134]2020年2月末に306店だった直営店が2022年には504店に増え、この増加分に契約更新をしなかった旧サークルKサンクス組が含まれるとみられる

ファミリーマートの沿革1978〜2021年における主な出来事を抜粋

年月社長・CEO出来事重要度
西友ストアーがフランチャイズ方式でコンビニエンスストア事業を開始★★
西友ストアーから営業譲渡を受けた休眠会社ジョナスがファミリーマートに商号変更★★★
沖縄ファミリーマートを設立
東京証券取引所市場第二部に株式上場
台湾に全家便利商店を設立し海外初出店★★
東京証券取引所市場第一部銘柄に指定
南九州ファミリーマートを設立
西友によるファミリーマート株1,350億円の譲渡と、伊藤忠商事グループへの移行親会社の資金繰りで売りに出された成長企業は、総合商社の傘下で何を立て直せたか 詳細を読む★★★
田邉充夫ファミマ・ドット・コムを設立
上田準二全家便利商店が台湾店頭市場に株式を店頭公開
上田準二中国・上海市に上海福満家便利を設立し中国本土に出店★★
上田準二中国・広州市に広州市福満家便利店を設立
上田準二中国・蘇州市に蘇州福満家便利店を設立
上田準二エーエム・ピーエム・ジャパンの買収と、am/pm店舗のファミリーマートブランドへの一本化ブランドを残すか、消すか——出店余地が細る市場で、債務超過の業界7位に120億円を投じる 詳細を読む★★★
上田準二エーエム・ピーエム・ジャパンを吸収合併★★
上田準二エーエム・ピーエム・関西を吸収合併
上田準二中国・杭州市に杭州頂全便利店を設立
上田準二中国・成都市に成都福満家便利を設立
上田準二シニアライフクリエイトの株式を取得
上田準二中国・深圳市に深圳市頂全便利店を設立
中山勇中国・無錫市に無錫福満家便利店を設立
中山勇中国・北京市に北京頂全便利店を設立
中山勇中国・東莞市に東莞市頂全便利店を設立
中山勇ココストアを株式取得により完全子会社化★★
中山勇ココストアを吸収合併
上田準二ユニーグループ・ホールディングスの吸収合併と、サークルK・サンクスのファミリーマートへのブランド統一3位のまま縮むか、4位と組んで1万8,000店を取るか——上田準二会長が10年越しで動かした経営統合 詳細を読む★★★
上田準二名古屋証券取引所市場第一部に株式上場
髙柳浩二ユニー株式の40.0%をドンキホーテホールディングスに譲渡★★
澤田貴司ユニーの完全子会社化とPPIHへの改称——GMS最大手級を呑み2兆円企業へ「ドン・キホーテ」の名を法人から外してまで、なぜユニーを完全子会社にしたか 詳細を読む★★★
澤田貴司子会社ファミリーマートを吸収合併し商号をファミリーマートに変更★★
澤田貴司名古屋証券取引所市場第一部の上場を廃止
澤田貴司ファミリーマートの完全子会社化TOBと、少数株主による公正価格の争い1株2,300円は「安すぎた」のか——親子上場の解消をめぐり、少数株主保護が問われた買収 詳細を読む★★★
細見研介全家便利商店の発行済株式5.0%の譲渡が完了
細見研介ゲート・ワンを設立
出典・参考

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