1972年〜 西友の実験店から独立し、10年で1,000店に届くまで
ファミリーマートの業績推移:単体
- 1978年 西友ストアーがフランチャイズ方式でコンビニエンスストア事業を開始
- 1981年 西友ストアーから営業譲渡を受けた休眠会社ジョナスがファミリーマートに商号変更
- 1987年 沖縄ファミリーマートを設立
- 1987年 東京証券取引所市場第二部に株式上場
大店法に追われたスーパーが選んだ小型店
1974年5月、セブン-イレブン・ジャパン[1]が東京都江東区に1号店を開き、日本のコンビニエンスストアが本格的に始まった。同じ年の3月には大規模小売店舗法が施行され[2]、売場面積1,500平方メートル以上の出店には調整がかかるようになる。大型店を出しにくくなったスーパー各社は、規制の外にある小型店へ向かった[3]。西友ストアーも1972年9月に企画室へ小型店担当を置き[4]、翌1973年9月には埼玉県狭山市で実験第1号店を開いた[5]。フランチャイズ方式での本格的な事業化は1978年3月で、この月に社内へファミリーマート事業部が発足[6]し、翌4月には加盟第1号店が埼玉県狭山市で営業を始めた[7]。1980年4月にはコンピュータを使う商品発注システムが動き始めた[8]。
- [1]1974年5月にセブン-イレブン・ジャパン(当時ヨークセブン)1号店が東京都江東区に開店。日本の「コンビニ元年」
- [2]1974年3月に大規模小売店舗法が施行。売場面積1,500平方メートル以上が調整対象
- [3]大店法でスーパーの出店が難しくなり、法規制の枠に入らない小型店の展開を有力な大手スーパーが目指した
- [4]1972年9月、西友ストア企画室に小型店担当を設置
- [5]1973年9月、埼玉県狭山市に実験第1号店を開店
- [8]1980年4月、コンピュータを利用した商品発注システムが稼動(沖正一郎社長は講演で1978年3月からと述べており、一次資料間で年に食い違いがある)
- ファミリーマート 有価証券報告書【沿革】
- [6]1978年3月、西友ストアー内にファミリーマート事業部が発足(直営店1店)
- [7]1978年4月、フランチャイズ契約による加盟第1号店が埼玉県狭山市で営業開始
1981年9月、西友ストアーの全額出資子会社で休眠していた株式会社ジョナス[9]が、西友ストアーからファミリーマート事業部の営業と資産を譲り受け、商号を株式会社ファミリーマートへ改めた。出店の意思決定を速めるために事業部を切り出す措置[10]で、引き継いだ店舗は89店[11]、初代社長には沖正一郎氏が就いた[12]。沖氏は1951年に伊藤忠商事へ入社[13]し、1963年から西武百貨店と伊藤忠商事の合弁スーパーである株式会社マイマートへ出向して6年を過ごし[14]、1974年に西友ストアー常務取締役[15]として小型店・中型店の販売部門を担当した人物である。コンビニエンスストア設立の準備は1980年9月から進めていた[16]。
- ファミリーマート 有価証券報告書【沿革】
- [9]1981年9月、休眠会社の㈱ジョナスが㈱西友ストアーから営業と資産の譲渡を受け、商号を㈱ファミリーマートに変更して事業を開始
- [10]出店意志決定の迅速化などを目的として、ファミリーマート事業部を独立させるための措置だった
- [11]会社設立時(1981年9月)の店舗数は89店(加盟店87店・直営店2店)
- [12]初代社長は沖正一郎(1981年9月 ㈱ファミリーマート取締役社長就任)
- [13]沖正一郎は1951年4月に伊藤忠商事へ入社
- [14]1963年春、西武百貨店と伊藤忠が合弁で設立したスーパー㈱マイマートへ伊藤忠から出向し約6年間勤務
- [15]1974年8月、㈱西友ストアー常務取締役に就任し小型店・中型店の販売部門を担当
- [16]1980年9月からコンビニエンス・ストア設立の準備を進めた
- [1]1974年5月にセブン-イレブン・ジャパン(当時ヨークセブン)1号店が東京都江東区に開店。日本の「コンビニ元年」
- [2]1974年3月に大規模小売店舗法が施行。売場面積1,500平方メートル以上が調整対象
- [3]大店法でスーパーの出店が難しくなり、法規制の枠に入らない小型店の展開を有力な大手スーパーが目指した
- [4]1972年9月、西友ストア企画室に小型店担当を設置
- [5]1973年9月、埼玉県狭山市に実験第1号店を開店
- [8]1980年4月、コンピュータを利用した商品発注システムが稼動(沖正一郎社長は講演で1978年3月からと述べており、一次資料間で年に食い違いがある)
- [14]1963年春、西武百貨店と伊藤忠が合弁で設立したスーパー㈱マイマートへ伊藤忠から出向し約6年間勤務
- [15]1974年8月、㈱西友ストアー常務取締役に就任し小型店・中型店の販売部門を担当
- [16]1980年9月からコンビニエンス・ストア設立の準備を進めた
- ファミリーマート 有価証券報告書【沿革】
- [6]1978年3月、西友ストアー内にファミリーマート事業部が発足(直営店1店)
- [9]1981年9月、休眠会社の㈱ジョナスが㈱西友ストアーから営業と資産の譲渡を受け、商号を㈱ファミリーマートに変更して事業を開始
- [7]1978年4月、フランチャイズ契約による加盟第1号店が埼玉県狭山市で営業開始
- [10]出店意志決定の迅速化などを目的として、ファミリーマート事業部を独立させるための措置だった
- [11]会社設立時(1981年9月)の店舗数は89店(加盟店87店・直営店2店)
- [12]初代社長は沖正一郎(1981年9月 ㈱ファミリーマート取締役社長就任)
- [13]沖正一郎は1951年4月に伊藤忠商事へ入社
ロイヤリティを海外へ払わない運営方式
収入の柱は、加盟者へ経営ノウハウと経営指導を提供する対価[17]として受け取るロイヤリティだった。契約は3種類あり、店舗を加盟者が用意する第1種は加盟店営業総利益の35%[18]、店舗を会社が用意する第2種は60%を本部が取る[19]。1986年1月には加盟時負担金を430万円から50万円へ下げた第3種[20]を設け、資金の乏しい人でも加盟できるようにした。契約期間は7年[21]と、この種の契約では短い。什器が年中無休24時間営業では7〜10年で古くなること[22]、加盟者の側も7年やってみて続けるかを決められるほうが参加しやすいことの2つによる。加盟店の指導は営業担当者250人が受け持ち、1週に最低2回[23]、1人あたり7〜8店を回った。
- [17]フランチャイズ契約を締結した加盟店に対する経営ノウハウの提供および経営指導援助が事業の内容
- [18]第1種フランチャイズ契約は店舗を加盟者が負担し、ロイヤリティは加盟店営業総利益の35.0%
- [19]第2種フランチャイズ契約は店舗を同社が負担し、ロイヤリティは加盟店営業総利益の60.0%
- [20]1986年1月より第3種を導入。加盟時負担金を430万円から50万円(加盟金のみ)に引き下げ
- [21]契約期間は7年。什器の耐用年数が年中無休24時間営業では7〜10年で陳腐化すること、加盟者が参加しやすいことが理由
- [22]契約期間7年の理由は、什器の耐用年数が年中無休24時間営業では7〜10年で陳腐化すること、加盟者も7年やってみて続けるかを決められるほうが参加しやすいこと
- [23]営業担当者250人が各店を1週に最低2回、1人が7〜8店を直接訪問して指導
セブン-イレブン・ジャパンは米サウスランド社と提携してその運営方式[24]を全面的に使い、コンビニエンスストア業界には米国の会社へロイヤリティを払う先が多かった。ファミリーマートは自前で方式を組み立てたため[25]、海外への支払いがなかった。沖正一郎氏は1987年12月の講演でこの点を自社の特色に挙げ、国内で力がついた段階で海外へ出ることも考えたい[26]と述べた。店舗数は1985年2月に500店、1987年2月に1,000店[27]へ届き、単体の営業総収入は1983年2月期の27億円から1987年2月期には196億円[28]へ、経常利益は0.5億円から30億円へ[29]増えた。値入率は28.5%[30]で、一般のボランタリー・チェーン店の20%前後を上回っていた。
- [24]セブン-イレブンはイトーヨーカ堂が米サウスランド社と提携し、そのノウハウを全面的に活用した
- [25]先発した米国企業からノウハウを受けロイヤリティを支払う社が多い中、当社は純国産のノウハウでロイヤリティを支払っていない
- [26]沖正一郎社長は国内での展開が軌道に乗り力がついた段階で海外進出も研究したいと述べた
- [30]値入率は28.5%程度で、一般のボランタリー・チェーン店などの20%前後より高い
- [27]1985年2月に店舗数500店(加盟店468店・直営店32店)、1987年2月に1,000店(加盟店959店・直営店41店)
- [28]営業総収入は1983年2月期2,681百万円から1987年2月期19,654百万円へ増加
- [29]経常利益は1983年2月期49百万円から1987年2月期2,951百万円へ増加
1987年12月7日[31]、ファミリーマートは東京証券取引所の市場第二部へ株式を上場した。公募350万株のほかに、西武百貨店を率いる堤清二氏[32]と株式会社有楽町西武が持ち株90万株を売り出した。1987年2月末時点で西友が発行済株式の58.4%、有楽町西武が11.4%[33]を保有しており、上場後もセゾングループの一員である立場は変わらなかった。従業員は1987年2月末で554名[34]、店舗は加盟店966店と直営店41店[35]を数え、その87.7%が東京都・神奈川県・埼玉県・千葉県に集まっていた。売上の順位はセブン-イレブン・ジャパン、ローソンに次ぐ第3位[36]だった。1989年8月には市場第一部銘柄[37]に指定された。
- [31]1987年12月7日に東京証券取引所市場第二部へ上場
- [32]公募3,500千株・売出900千株。売出株の放出元は堤清二と㈱有楽町西武
- [33]1987年2月28日現在の大株主は西友58.4%、有楽町西武11.4%
- [34]1987年2月28日現在の従業員数554名(男509名・女45名)
- [35]1987年2月28日現在で直営店41店・加盟店966店。全店舗の87.7%が東京・神奈川・埼玉・千葉の首都圏
- [36]業界における順位は売上でセブンイレブン、ローソンに次いで第3位
- ファミリーマート 有価証券報告書【沿革】
- [37]1989年8月、東京証券取引所の市場第一部銘柄に指定
- [17]フランチャイズ契約を締結した加盟店に対する経営ノウハウの提供および経営指導援助が事業の内容
- [18]第1種フランチャイズ契約は店舗を加盟者が負担し、ロイヤリティは加盟店営業総利益の35.0%
- [19]第2種フランチャイズ契約は店舗を同社が負担し、ロイヤリティは加盟店営業総利益の60.0%
- [20]1986年1月より第3種を導入。加盟時負担金を430万円から50万円(加盟金のみ)に引き下げ
- [27]1985年2月に店舗数500店(加盟店468店・直営店32店)、1987年2月に1,000店(加盟店959店・直営店41店)
- [28]営業総収入は1983年2月期2,681百万円から1987年2月期19,654百万円へ増加
- [29]経常利益は1983年2月期49百万円から1987年2月期2,951百万円へ増加
- [31]1987年12月7日に東京証券取引所市場第二部へ上場
- [32]公募3,500千株・売出900千株。売出株の放出元は堤清二と㈱有楽町西武
- [33]1987年2月28日現在の大株主は西友58.4%、有楽町西武11.4%
- [34]1987年2月28日現在の従業員数554名(男509名・女45名)
- [35]1987年2月28日現在で直営店41店・加盟店966店。全店舗の87.7%が東京・神奈川・埼玉・千葉の首都圏
- [21]契約期間は7年。什器の耐用年数が年中無休24時間営業では7〜10年で陳腐化すること、加盟者が参加しやすいことが理由
- [22]契約期間7年の理由は、什器の耐用年数が年中無休24時間営業では7〜10年で陳腐化すること、加盟者も7年やってみて続けるかを決められるほうが参加しやすいこと
- [23]営業担当者250人が各店を1週に最低2回、1人が7〜8店を直接訪問して指導
- [25]先発した米国企業からノウハウを受けロイヤリティを支払う社が多い中、当社は純国産のノウハウでロイヤリティを支払っていない
- [26]沖正一郎社長は国内での展開が軌道に乗り力がついた段階で海外進出も研究したいと述べた
- [30]値入率は28.5%程度で、一般のボランタリー・チェーン店などの20%前後より高い
- [36]業界における順位は売上でセブンイレブン、ローソンに次いで第3位
- [24]セブン-イレブンはイトーヨーカ堂が米サウスランド社と提携し、そのノウハウを全面的に活用した
- ファミリーマート 有価証券報告書【沿革】
- [37]1989年8月、東京証券取引所の市場第一部銘柄に指定