リーマン危機下のモルガン・スタンレーへの90億ドル出資

2008年実施

危機の底で沈む米証券大手へ、なぜ日本の銀行は祝日に90億ドルの小切手を差し出したのか

時期 2008年9月
意思決定者 畔柳信雄(社長)
論点 海外展開と投資銀行ビジネス
概要
2008年10月、MUFGはリーマン・ショック下で経営危機にあった米モルガン・スタンレーへ90億ドルを出資し、完全希薄化ベースで約21%を握った経営判断。当初の普通株30億ドル+転換権付優先株60億ドルの組み立てを、株価急落を受けて全額優先株へ組み替え、送金網が止まる10月13日の祝日に90億ドルの小切手を手渡して払い込みを済ませた。
背景
2008年9月の金融危機のさなか、独立系投資銀行として残ったモルガン・スタンレーの株価は連鎖破綻の懸念にさらされた。破綻を避けたい米財務省は、1.1兆ドルの預金を抱える世界2位の銀行持株会社MUFGへ書簡を送り、救済出資を後押しした。
内容
出資は年10%配当の優先株が中心で、78億ドルが転換権付き、12億ドルが転換権なし。両社は事業提携の運営委員会を設け、企業金融や資本市場での協働を掲げた。株価下落の危険を配当付き優先株で受け止め、救済と実利を両立させる設計だった。
含意
10%配当は転換権付き分だけで年8億ドル前後をMUFGにもたらし、モルガン・スタンレーは危機を越えた。2010年5月の証券合弁、2011年の普通株転換による議決権約22.4%・持分法適用会社化へと連なり、以後のMUFGの海外収益を支える柱の一つとなった。
筆者の見解

危機の底で買った、時間という資産

この判断の核心は、恐怖が値を決める市場で、あえて買い手に回った点にある。リーマン破綻の直後、世界の金融機関が資本を守りに縮むなか、MUFGは統合で得た預金の厚みを元手に、沈みかけた米証券2位へ90億ドルを差し出した。株価急落に合わせて普通株から優先株へ設計を組み替え、年10%の配当で下値の危険を抑えた交渉には、救済でありながら実利を手放さない計算がにじむ。祝日に小切手を手渡した逸話の派手さの裏で、条件の詰めはむしろ冷徹だった。

評価が定まるまでには時間がかかった。出資の年にあたる2009年3月期、MUFGは統合後初の赤字を計上し、当座はむしろ危機の重さを映した。潮目が変わるのは数年後である。モルガン・スタンレーは危機を越えて資本市場の主役に戻り、2011年に持分法適用会社となった同社の利益は、以後のMUFGの海外収益を支える柱の一つに育つ。国内で伸びしろの細る銀行が、危機の底で買った米投資銀行の時間を、十年の単位で回収していった。恐怖のさなかに振り出した1枚の小切手は、後から見れば、規律ある賭けだった。

Yutaka Sugiura, 2026年7月

背景

リーマン後に崩れた投資銀行と、預金を抱えるMUFG

2008年9月、金融危機(リーマン・ショック)のさなか、独立系投資銀行として残ったモルガン・スタンレーの株価は連鎖破綻の懸念にさらされた。米証券2位の同社は、短期資金の引き揚げと空売りに追われ、単独での生き残りが危ぶまれた。一方のMUFGは、2005年10月の統合から3年、1.1兆ドルの預金を抱える世界2位の銀行持株会社として、危機の震源から距離を置く資金の余力を持っていた。売り手が続出する市場で、買い手に回れる数少ない金融機関の一つだった[1][2]

米財務省の書簡と、出資への恐れ

救済の後押しは、米政府からも及んだ。ポールソン米財務長官は、モルガン・スタンレーの破綻が金融システムに与える打撃を避けたく、資金の余力を残すMUFGの出資を頼みとした。もっともMUFG側には、出資の直後に米政府の介入で株主の持ち分が損なわれかねないという恐れがあった。米財務省はこの不安をやわらげるため、財務省名の書簡をMUFGへ送り、出資を後押しする。危機の連鎖を止める一手として、日本の銀行の資本が当てにされた[3]

決断

9月の基本合意——90億ドルで21%

MUFGが動いたのは早かった。2008年9月下旬にモルガン・スタンレーへの巨額出資を表明し、29日には正式契約へ至る。完全希薄化ベースで約21%にあたる90億ドルの出資で、内訳は1株25.25ドルで普通株を30億ドル(発行済みの9.9%)、加えて年10%配当・転換価格31.25ドルの転換権付き優先株を60億ドルとした。普通株で提携の象徴を、優先株で配当と将来の値上がりを得る、二段構えの設計だった[4]

株価急落と、全額優先株への組み替え・90億ドルの小切手

ところが契約後、モルガンの株価は底が抜けた。9月末に20ドル台だった株価は10月10日に9ドル台まで沈み、普通株を1株25.25ドルで引き受ける当初の設計は割高になった。MUFGは払い込み直前に条件を組み替え、下落の打撃を受けにくい優先株へ90億ドル全額を移す。転換権付き78億ドルと転換権なし12億ドルに分け、いずれも年10%の配当を付け、転換価格を25.25ドルへ引き下げた。払い込みも当初の10月14日から1日早め、13日に前倒しした[5][6]

払い込みの日にも逸話が残った。10月13日はコロンバスデーの祝日で米国の銀行は休みに入り、通常の送金網が使えなかった。MUFGは90億ドルを1枚の小切手で払い込むという異例の手段をとる。ダークスーツに身を包んだMUFGの幹部一団が、ニューヨークの法律事務所へ小切手を届けにあらわれた。受け取り役のモルガン・スタンレー副会長キンドラー氏は、下っ端の職員が持参すると思っていたと後に振り返る。金融危機の底で、額面90億ドルの小切手が手渡しで海を渡った[7]

結果

危機下の配当と、持分法適用会社化への道

賭けは、まず配当で報われた。年10%の優先株配当は、転換権付き78億ドルだけでMUFGへ年8億ドル前後をもたらし、危機下でも安定した収入源となった。モルガン・スタンレーは公的資本の注入も受けて生き延び、株価は持ち直す。もっとも金融危機のさなかにあった2009年3月期のMUFGは、経常収益5兆6774億円に対し親会社株主純利益が▲2,569億円と、統合後で初の連結赤字に沈む。海外への大型出資が実を結ぶのは、なお先だった[8][9]

提携は日本と米国で形をとっていく。2010年5月、両社は国内の証券事業を束ね、MUFGが6割・モルガンが4割を出す三菱UFJモルガン・スタンレー証券と、モルガン側が過半を握るモルガン・スタンレーMUFG証券の2社を設けた。さらに2011年4月、MUFGは危機時に引き受けた優先株のうち78億ドルを普通株へ転換し、議決権約22.4%の筆頭株主となる。モルガン・スタンレーはMUFGの持分法適用会社となり、その業績が連結決算に反映された。危機下の救済出資は、恒常の提携関係へと変わった[10][11]

出典・参考