ソフトバンクグループ米スプリント買収による北米携帯市場への進出

国内3位のキャリアが、巨大な米国市場に約1.8兆円を賭けられるか

時期 2012年10月
意思決定者(推定) 孫正義 社長
論点 通信事業の海外展開と規模拡大の是非
概要
ソフトバンクが2012年10月に発表し2013年7月に完了した、米携帯3位スプリントの買収。総額約216億ドル(約1.8兆円)でスプリント株の約78%を取得して子会社化し、国内キャリアから北米の巨大市場へ進出した経営判断。
背景
2006年のボーダフォン日本買収で通信キャリアとなったソフトバンクは、基地局投資で国内3位を固めたが、国内市場は成熟へ向かっていた。次の成長を、規模がものを言う世界最大級の米国携帯市場に求める必要があった。
内容
約216億ドルを投じてスプリント株の約78%を取得し子会社化。孫正義氏が自ら陣頭指揮を執ってPMIを進め、日本で成功したキャリア再建の手法を米国で再現し、赤字が続くスプリントの立て直しを図った。
含意
巨大市場での規模を一挙に得た一方、スプリントの赤字体質は買収後も残り再建は難航した。2020年のTモバイルとの合併でソフトバンクの直接の手を離れ、通信キャリアから投資持株会社への転換を加速する一里塚となった。
筆者の見解

規模は買えても、日本の手法は通じたか

この買収の核心は、成功体験の移植がどこまで通じるかという問いにある。ソフトバンクは日本で、基地局への集中投資と料金競争という明確な手法でキャリア事業を立て直した実績を持っていた。その手法を、規模だけを頼りに巨大な米国市場へそのまま持ち込めるとみたところに、この判断の強気と危うさが同居していたとみることができる。約1.8兆円で規模は即座に買えたが、赤字体質という中身までは金額では変えられなかった。

もっとも、結果として手を離れたことが、ソフトバンクにとって失敗だけを意味したわけではない。スプリントはTモバイルとの合併で存続の道を得て、ソフトバンクは通信キャリアという重い資産を抱え続ける立場から一歩退いた。世界規模の通信への賭けは、キャリアとしての頂点を極める夢とは別に、同社を投資持株会社へと押し出す力としても働いた。規模を追った判断が、皮肉にも別の方向への転換を早めた事例といえる。

Yutaka Sugiura, 2026年7月

背景

国内で固めた足場と、成熟の壁

ソフトバンクが通信キャリアとなったのは、2006年のボーダフォン日本買収であった。孫正義氏が自ら陣頭指揮を執ってブランドをソフトバンクへ統一し、2011年末からは携帯基地局の整備・増強に2,500億円を投じて競合との通信品質差を詰めた。アイフォーンの独占販売を追い風に収益力は回復し、2012年3月期の営業利益はボーダフォン買収時の約10倍にあたる6,752億円へ伸び、買収で膨らんだ純有利子負債も約2.5兆円から8,000億円へ縮んでいた。国内で携帯3位の足場を固める一方、日本の市場は加入者の伸びが鈍り、次の成長をどこに求めるかが経営の課題となっていた[1][2]

当初から米国が本命だったわけではない。ソフトバンクの幹部は世界地図を広げて進出先を探り、まず人口の多い中国とインドを検討したが、中国の携帯大手は国有企業で買収できず、インドは1契約当たり月額収入が2ドル前後と低く日本の手法が通じないとして外れた。残った米国は、月額収入が50〜60ドルと日本並みで、スマートフォンが主力かつ後払い契約が中心という、規模がものを言う点でも日本と近い市場であった。ソフトバンクは、日本でキャリア事業を立て直した手法をこの巨大市場で再現できるとみて、国内キャリアにとどまらず世界規模の通信事業者を目指す道を選んだ[3][4]

決断

約1.8兆円でスプリントを子会社化

2012年10月15日に発表した買収は、当初はスプリント株の70%を201億ドル(約1兆5,700億円)で取得する内容であった。ところが2013年4月に米衛星放送大手のディッシュ・ネットワークが対抗買収を提案し、ソフトバンクは総額を216億ドルへ引き上げてこれを退けた。6月25日の臨時株主総会で承認を得て、買収は7月11日に完了した。最終的に当時の為替で約1兆8,000億円を投じてスプリント株の約78%を取得し、米携帯3位を子会社とした。日本企業による対外投資として際立って大きな金額であり、完了後には社名からネクステルを外してスプリントとして再出発させた[5][6][7][8]

買収の狙いは、日本で成功したキャリア経営を米国へ移植することにあった。孫正義社長は、電波と基地局への集中投資で通信品質を高め、料金競争で加入者を奪う日本の手法を、そのまま米国で再現しようとした。買収総額のうち80億ドルは増資の形でスプリントに注入し、財務改善と設備投資の原資に充てる構えであった。孫社長は「リスクを取らないのが最大のリスク」と語る一方、経営が苦しくなっても日本から追加の資金は出さないと宣言し、撤退の線を先に引いていた。赤字が続くスプリントを立て直せれば、世界規模の通信事業者としての地位とM&Aを成長に転じる実行力を、同時に示せるという読みであった[9][10]

結果

再建の難航と、手を離れるまで

買収は、規模の面では即座に効いた。スプリントを連結したことで、2014年3月期の連結売上高は前期の約3兆3,783億円から約6兆6,666億円へと倍増し、従業員数も一挙に7万人規模へ膨らんだ。スプリントと合わせた契約数は約9,700万件となり、ソフトバンクは売上高で世界3位の携帯電話会社として新たなスタートを切った。日本の一キャリアであった同社は、この買収で売上の桁が変わる規模へと躍り出た。世界規模の通信事業者という看板は、数字の上ではここで現実になった[11][12]

だが、肝心の立て直しは思うように進まなかった。買収直後からスプリントはネットワーク品質でベライゾンとAT&Tに及ばず、Tモバイルの躍進で4位転落も懸念された。孫正義社長はTモバイル買収で2強の壁を崩そうとしたが、2014年に連邦通信委員会が競争環境の悪化を理由に難色を示し、構想は実らなかった。スプリントの赤字体質は買収後も残り、2020年4月のTモバイルとの合併でソフトバンクの直接の手を離れた。米国での賭けは、日本で通用した手法がそのまま通じるとは限らないことを示すと同時に、通信キャリアから投資持株会社へと軸を移していくソフトバンクの転換を、結果として後押しした[13][14][15]

出典・参考

この決断を下した社長 孫正義

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