米GlobalLogicの約1兆円買収

売上1,000億円の企業に1兆円は高すぎるのか——デジタル企業への転換を賭けた買収

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時期 2021年3月
意思決定者 東原敏昭・中西宏明(取締役会長)・德永俊昭(専務、当時) 執行役社長兼CEO
論点 デジタル事業の強化と大型M&A
概要
2021年3月、日立製作所は米国のデジタルエンジニアリング企業GlobalLogicを買収総額約1兆368億円で取得すると発表した。年間売上およそ1,000億円の企業への1兆円投資に取締役会は紛糾したが、専務の德永俊昭氏が推進し、会長の中西宏明氏が支持して決着した経営判断である。
背景
Lumadaを軸とする社会イノベーション事業のデジタル強化が最優先課題となり、ソフトウェア開発の内製力を一気に補える相手を探していた。ABBのパワーグリッド事業取得と並ぶ、2兆円超の海外投資の一角にあたる。
内容
株式取得額は約85億米ドル、有利子負債返済を含む買収総額は約96億米ドル。社外取締役10人を含む取締役会で「シナジーが見込めない」「金額が高すぎる」と批判が相次いだが、2021年3月31日に発表し、同年7月に完全子会社化した。
含意
事業の入れ替えを平時の経営規律とした日立が、デジタルの中核を外部から取り込んだ。過去のHDD事業のような高値づかみになるか、回収の可否は中期経営計画のLumada目標に持ち越された。
筆者の見解

割高論を越える判断の物差し

この買収の核心は、金額の妥当性をどの物差しで測るかという点にある。売上の10倍という価格は、財務の指標だけを見れば割高との評価を免れない。社外取締役が過半を占める取締役会がその一点を突き、執行に再考を迫った経緯は、日立が早くから進めたガバナンス改革が形だけではなかったことを示している。反対を押し切ったのが会長個人の情熱ではなく、変革の可否という別の物差しの提示であった点に、この決着の特徴がうかがえる。

もっとも、物差しを置き換えたからといって、投資が回収される保証が生まれるわけではない。日立はかつてIBMのハードディスク事業を大枚を投じて買い、数年で手放した経験を持つ。GlobalLogicが同じ轍を踏むのか、それともデジタル企業への転換を確かなものにするのかは、Lumada 80-20という目標がどこまで実現するかにかかっている。高値づかみか先見かの判定を、あえて将来の業績に委ねた買収だったとみることができる。

Yutaka Sugiura, 2026年7月

背景

Lumadaを核とするデジタルシフトと海外投資の同時進行

リーマンショック後の川村改革以降、日立は総合電機から社会インフラとデジタルで稼ぐ企業への転換を進めていた。2016年に発表したIoT基盤Lumadaを事業の軸に据え、鉄道・電力・産業といった社会インフラに顧客のデータと日立の知見を掛け合わせて価値を生む事業を、経営の中心に据えていった。もっとも、その中核となるソフトウェア開発の力は社内に十分ではなく、大規模なデジタルサービスを世界で手がける人材と拠点を短期間で確保する必要に迫られていた[1]

手薄なデジタル開発力を埋める手段として、日立は大型の海外買収を相次いで選んだ。2020年7月にはスイスのABBからパワーグリッド事業を約7,200億円で取得し、送配電のグローバル展開を確保している。GlobalLogicの買収は、このエネルギー分野への投資と並ぶデジタル分野の一手にあたり、二件を合わせた投資額は2兆円に迫った。稼ぎ頭をエネルギーとデジタルへ入れ替える構想の、後半の柱を担う位置づけであった[2]

買収対象GlobalLogic——年間売上1,000億円のデジタルエンジニアリング企業

買収の相手に選んだGlobalLogicは、米シリコンバレーに本社を置くデジタルエンジニアリング企業である。製品やサービスの企画・設計から開発・運用までを一貫して請け負い、通信・金融・自動車・ヘルスケアなど幅広い業種の顧客400社超を抱えていた。世界に展開するデザインスタジオ8カ所とアジャイル開発拠点30カ所を持ち、2020年度の売上高は約921百万米ドル、前年からの伸び率は19.3%に達していた。日立が欲したソフトウェアの設計思想と開発の速度を、そのまま体現する会社であった[3]

問題は価格であった。買収は株式取得に約85億米ドル、有利子負債の返済を含む総額で約96億米ドル、円換算でおよそ1兆368億円に上った。年間売上が1,000億円ほどの会社に対し、その10倍にあたる金額を投じる計算になる。売上規模だけを物差しにすれば、割高との見方が避けられない水準であった。日立が過去にIBMから買収したハードディスク事業を後に売却した経緯もあり、大型買収への警戒は社内外に残っていた[4]

決断

社外取締役が過半を占める取締役会の紛糾

買収案は取締役会で強い抵抗にあった。当時の日立の取締役会は13人のうち10人を社外取締役が占め、執行の提案を外部の目で厳しく吟味する体制になっていた。1兆円という金額に対し「シナジーが生まれると思えない」「買収金額が高すぎる」との批判が相次ぎ、売上1,000億円台の会社をなぜその10倍で買うのかという疑問が繰り返し投げかけられた。ガバナンス改革を先取りしてきた日立の取締役会が、経営の重い判断に正面から歯止めをかけようとする場面であった[5][6]

取締役の警戒には過去の裏づけがあった。日立は2003年にIBMからハードディスク事業を約20億ドルで買収しながら、米韓勢との価格競争と設備投資の負担に耐えられず、2012年に約48億ドルで手放した経験を持つ。大型買収が財務を痛めた記憶は社内に残り、売上の10倍という価格は、その懸念を呼び起こすに足りた。批判は個々の取締役の慎重論というより、過去の失敗を踏まえた制度的な歯止めとして働いた[7]

德永俊昭の推進と中西宏明会長の一言

買収を強く推し進めたのは、当時専務であった德永俊昭氏である。GlobalLogicの技術力とアジャイル・デザイン思考の実践力、高い成長性に着目し、同社が今後の日立グループの成長に欠かせない存在になると見込んでいた。売上規模で測る割高論に対し、日立が持たないデジタル開発の速度と設計思想を取り込む価値をどう評価するかが、判断の分かれ目になった。反対の声が収まらないなか、決着をつけたのは会長の一言であった[8]

取締役会長の中西宏明氏は、当時病床にあった。それでもオンラインで取締役会に参加し、反対派に向けて「これは日立が変われるか、変われないかの問いだと私は思う」と述べ、買収を支持した。金額の妥当性という財務の物差しを、企業変革の可否という経営の物差しへ置き換える発言であった。この支持を受けて案は承認され、日立は2021年3月31日に買収を発表、同年7月に完全子会社化を完了した。GlobalLogicは米国子会社の日立グローバルデジタルホールディングス傘下に置かれた[9][10]

結果

デジタルエンジニアリングの中核化とLumada目標への布石

買収完了と同じ2021年7月、Lumadaを立ち上げた小島啓二氏が社長兼COOに就いた。GlobalLogicは日立のデジタル事業の中核に据えられ、Lumadaのソリューションを世界の顧客へ届ける開発力の供給源となった。売上規模に対する割高論を押し切って取り込んだ設計・開発の実践力は、社内のソフトウェア人材の底上げにも回され、日立のデジタル事業の成長を支える構図が組み上がっていった[11]

買収の成否は、日立がデジタル企業へ変われるかどうかという中西宏明氏の問いに、数字で答えられるかにかかっていた。2025年4月に公表した中期経営計画Inspire 2027で、日立はLumada事業の売上比率を長期的に80%まで高める目標を掲げ、デジタル中心の稼ぎ方を初めて数値で固定した。GlobalLogicで取り込んだ開発力は、この目標を担う中核に据えられている。1兆円という投資が見合うかどうかの検証は、この計画の達成度に持ち越された[12]

出典・参考