米「ナチュラル・アメリカン・スピリット」米国外事業の約6000億円買収

「買収王」三たびの大型M&A——縮小市場でなぜ6000億円を投じたか

更新:

時期 2015年9月
意思決定者 小泉光臣 JT 社長
論点 縮小する国内たばこ市場での高価格帯ブランドの獲得
概要
2015年9月29日、JT(日本たばこ産業)が米たばこ大手レイノルズ・アメリカンから、たばこブランド「ナチュラル・アメリカン・スピリット」の米国以外での事業を約6,000億円で取得すると発表した経営判断。商標権と日本・ドイツなど米国外の販売会社9社を取得し、2016年1月に買収を完了した。小泉光臣社長の下、M&A司令塔の新貝康司副社長が主導した8年ぶりの大型買収である。
背景
国内たばこ需要は1996年をピークにほぼ半減し、頼みの海外市場でも規制強化が進んでいた。飲料事業からの撤退など多角化の見直しも重なり、成長を託せる領域はたばこに絞られつつあった。広告や販促の規制で新ブランドを育てにくい成熟市場で売り上げを伸ばすには、名の知れたブランドの買収が現実的な選択肢であった。
内容
取得対象はアメスピの米国外事業(商標権と販売会社9社)で、買収額は約6,000億円。対象事業の2014年度売上高は176億円で、税務メリットを差し引いた実質的な買収費用約4,700億円は売上高の約26年分に相当した。1箱480円と主力メビウス(430円)より高いアメスピで手薄な高価格帯を強化し、日本の販売網で育てる狙いであった。
含意
利益指標では割高な買収に市場は冷ややかで、発表翌日に株価は一時10%安となった。JTは成長性への投資と位置づけ、新貝副社長は「時間を買うM&A」と表現した。買収後は国内製造への転換など採算改善を進め、割高との批判を育成の実績で覆せるかが問われた。
筆者の見解

割安な買収家が賭けた「成長性」

この買収の核心は、縮小する本業をどう成長軌道につなぎ留めるかという、成熟企業に共通の難題にある。国内市場が半減し、頼みの海外市場でも規制が強まるなかで、JTは規制ゆえに新ブランドを育てにくいたばこ事業にあって、成長するブランドを買収することで活路を開こうとした。利益指標では測れない成長性に約6,000億円を投じた判断は、これまで割安な買収を積み重ねてきた同社にとって、明らかに性格の異なる賭けであったとみることができる。

市場が突いた割高感は、裏を返せば、JTが自らの目利きと育成力にどれだけ自信を持っていたかの表れでもある。名の知れた小粒なブランドを取り込み、販売網と価格戦略で数年かけて育てるという筋書きは、かつてマールボロやイタリア市場で示してきた同社の得意技に重なる。買収額に見合う成果を出せるかは、結局のところ時間が答えを出す性質のものであり、「時間を買うM&A」という言葉が試されるのは、発表時の熱狂が引いた後の地道な育成の段階であったとみられる。

Yutaka Sugiura, 2026年7月

背景

半減する国内市場と海外頼みの成長

JTの足元では、国内たばこ市場の縮小が続いていた。健康志向の高まりや相次ぐたばこ増税を背景に、国内の紙巻きたばこ需要は1996年の3,483億本をピークに、2014年には1,793億本へとほぼ半減していた。専売公社を前身とする同社にとって国内は収益の基盤であり、その市場が構造的に縮んでいく現実は、成長の源泉を海外に求めざるを得ない状況を生んでいた[1]

縮小への危機感から、JTは早くから海外へ活路を求めてきた。1999年に米RJRナビスコの米国外たばこ事業を約9,400億円で、2007年には英たばこ大手ギャラハーを約2兆2,000億円で買収し、売上高の半分超を海外たばこで稼ぐ構造へと転換していた。2015年12月期の連結売上高は2兆2,528億円、営業利益は5,652億円で、その3分の2を海外事業が生み出す姿になっていた。ただし主力市場であるロシアなどでも規制強化が進み、海外もまた安泰とは言い切れなくなっていた[2][3][4]

多角化の見直しと、たばこへの回帰

たばこ一本足からの脱却も、思うようには進んでいなかった。JTは1985年の民営化以降、飲料や加工食品、医薬へと多角化を広げてきたが、飲料と医薬は赤字が続き、加工食品の利益も全体の1%に満たなかった。2015年2月には飲料事業からの撤退を発表し、自動販売機事業をサントリー食品インターナショナルへ売却している。多角化の各分野で勝ち切れないなか、成長を託せる領域は結局たばこに戻りつつあった[5]

ただし、たばこで成熟市場の売り上げを伸ばすのは容易ではなかった。広告宣伝や販売促進の規制が厳しく、新規ブランドの立ち上げは難しいため、名の知れた既存ブランドを買収する以外に有効な手立ては乏しかった。欧米の大物再編案件を虎視眈々と狙いつつも独占禁止法の壁は高く、そのなかでJTのM&A部隊が白羽の矢を立てたのが、日本の都市部で若者の支持を集めるアメリカン・スピリットであった[6]

決断

6000億円という買収の中身

2015年9月29日、JTは米たばこ大手レイノルズ・アメリカンから、ブランド「ナチュラル・アメリカン・スピリット」の米国以外での事業を約6,000億円で取得することで合意したと発表した。取得の対象は同ブランドの商標権と、日本やドイツなど米国外の販売会社9法人であり、資金は手元資金と借り入れで賄い、2016年初頭の買収完了を見込んだ。同ブランドは無添加や天然といったコンセプトで支持を広げ、日本市場では年3割を超えるペースで売り上げを伸ばしていた[7]

市場が驚いたのは金額の大きさであった。買収対象事業の2014年度業績は売上高176億円、税前利益21億円にすぎず、営業権や商標権の償却に伴う税務上のメリットを差し引いた実質的な買収費用は約4,700億円と、それでも売上高の約26年分に相当した。M&Aをこれまで利益指標で評価してきた市場の物差しからは、成長性を加味しても割高との声が相次いだ[8]

「時間を買う」投資への転換

割高との批判に対し、JTは成長性に賭ける投資であることを前面に掲げた。小泉光臣社長は今回の買収を「たばこ事業の中長期的な利益成長に向けた重要な一手」と位置づけた。アメスピは1箱480円と主力ブランドのメビウス(430円)より高く、手薄だった高価格帯の強化につながるとみていた。数量シェアを追うのではなく、価格帯とブランドの独自性に投資する考えが、この判断にははっきりと表れていた[9]

M&Aの司令塔である新貝康司副社長は、この買収を過去の案件とは性格が異なると説明した。これまでの買収はEV/EBITDA倍率のような利益指標で評価してきたが、今回は年率35%で売り上げが伸びる会社を買ったのであり、過去の実績で測ることは必ずしも妥当でないとした。同副社長はJTのグローバル化を「時間を買うM&A」と表現し、規制で新ブランドを育てにくい成熟市場において、成長するブランドを取り込むことに勝算があるとの立場を示した[10]

結果

冷ややかな市場と、買収後の育成

発表直後の市場の評価は厳しかった。買収発表翌日の2015年9月30日、JTの株価は一時、前日比10%安の3,556円まで下落した。縮小する市場に巨額を投じることへの疑問がなお残るなかで、買収は2016年1月に完了し、商標権と米国外9法人がJTの傘下に入った。8年ぶりの大型買収は、割高との批判を残したまま実行に移された[11][12]

買収後のJTは、割高との批判を実績で覆すことに力を注いだ。新貝副社長が買収時に示唆していた自社生産への切り替えは具体化し、2017年には輸入していたアメスピの国内製造への転換を進め、輸送コストの削減による採算改善を図った。日本での販売網を生かした配荷率の引き上げとあわせ、高価格帯ブランドを育てて買収価値を回収する道筋を描いていった[13][14]

出典・参考
  • 週刊東洋経済 2015年10月2日号「核心リポート04 JT、三たび大型買収 巨額さに疑問の声も」
  • 週刊東洋経済 2015年10月30日号「【巻頭特集 JT「買収王」の手の内】 6000億円でアメスピ買収 JT買収王の手の内」
  • 週刊東洋経済 2015年10月30日号「【巻頭特集 JT「買収王」の手の内】 INTERVIEW 日本たばこ産業 副社長 新貝康司 JTにしかわからないM&Aの勝算がある」
  • 日本経済新聞(2015年9月30日)「JT、6000億円買収合意 たばこ世界展開加速 米レイノルズの国外事業 9法人取得」https://www.nikkei.com/article/DGKKASDZ29HS5_Z20C15A9TJC000/
  • 日本経済新聞(2016年1月)「JT、米たばこブランドの国外事業買収完了」https://www.nikkei.com/article/DGXLASDZ14H18_U6A110C1EAF000/
  • 日本経済新聞(2017年4月)「JT、アメスピを国内製造 輸送費カット」https://www.nikkei.com/article/DGXLZO14922590U7A400C1TI5000/

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