ホクトの決断社史:経営の意思決定を振り返る

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決断

資材を売る相手だった農家の隣に、自ら工場を建設した。1971年から本社工場できのこの試験栽培を続けたのは、生産技術を農家へ渡して資材の売上を拡大するためだった。しかし農地の宅地化で野菜の作付面積は60万ヘクタール割れ寸前まで減り、小規模な農家をあてにしていては売上が安定しない。1989年4月、水野正幸社長は資材の供給から自社での量産へ主軸を転換し、長野の柳原に、翌5月には福岡の広川に消費地向けのきのこセンターを開設した。1983年12月に設けたきのこ総合研究所で品種を自前で開発し、研究と生産と資材を一社に集めた構えが、日本たばこや新日鉄など十数社が参入して撤退した市場に残る条件を作った。

  • 2001年 雪国まいたけへ対抗参入
    業績の推移
  • 1989年4月 柳原きのこセンター設置

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