ニチレイ の歴史

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創業 1942年
母体 水産会社の合同
創業地 東京都中央区
創業
1942年12月、日本水産や日魯漁業を含む水産大手18社の陸上部門を集約して帝国水産統制が設立された。市場から選んで築いた資産ではなく、戦時の鮮魚需給を担う国策として全国約220か所の冷凍・製氷・冷蔵工場を一括で引き継いだ。1945年12月に日本冷蔵へ商号を改め、1949年5月に東京証券取引所へ上場して、大株主だった水産各社との資本関係を整理した。1951年8月に缶詰から加工食品へ参入し、1956年には畜産を加えている。1985年2月には商号をニチレイへ変更した。ただし設備を保有すること自体は競争優位にならず、荷を預かる保管の商いは長く低い利益率にとどまった。
決断
自ら選んで持ったのではない設備を、使い道のほうで作り替えてきた。1951年に社長へ就任した木村鉱二郎氏は、倉庫が生む安定収益を食品の設備投資へ充当する方針を掲げ、冷蔵倉庫業から冷力を核とする総合食品企業へ定義し直した。缶詰を1951年、調理冷凍食品を1952年、畜産を1956年と、冷やす能力の隣へ順に商品を並べている。1980年代末には保管面積ではなく処理能力を評価軸に据え、1993年に大手スーパー専用の総合物流センターを稼働させ、1998年に3PLへ参入した。2005年4月には純粋持株会社へ移行して五つの事業会社へ分割し、食品と物流をそれぞれの会社の判断に委ねた。
現況
売上の6割を食品が作り、設備投資の7割を低温物流が使う。2026年3月期の連結売上高7,161億円・営業利益390億円のうち、食品事業が売上4,264億円・営業利益199億円、低温物流事業が売上2,820億円・営業利益186億円である。売上では食品が上回る一方、利益率は低温物流の6.6%が食品の4.7%を超えた。同期の設備投資355億円のうち240億円を低温物流が占め、セグメント資産も低温物流の2,714億円が食品の2,437億円を上回る。この偏りは、1980年代末に保管面積ではなく処理能力を評価軸へ移したことが決めた。
競合
冷凍食品で並ぶ相手とは、組織を分けるか一つにするかで道が分かれた。ニチレイは2005年に食品と低温物流を別々の事業会社へ置き、権限をそれぞれへ委ねている。一方のマルハとニチロが統合したマルハニチロ(現Umios)は、2013年の農薬混入事件を経て2014年に持株会社体制を解消し、グループ6社を一つの事業会社へ統合した。もう一つの違いは川上にある。2005年3月期に売上の36%を占めた水産・畜産は2025年3月期に18%へ下がり、2026年3月期には食品事業へ吸収された。相場に左右される原料の商いから離れ、荷主から預かって運ぶ料金で稼ぐ構成へ移った。
ニチレイ:長期業績の推移(売上高・利益率)売上高(億円純利益率(%)
1997年3月期2026年3月期

設立ストーリー 水産18社を束ねた統制会社の発足と、冷力を核とした食品への拡張 (1942年〜)

水産大手18社の陸上部門を束ねた統制会社

ニチレイの前身は、1942年5月19日公布の水産統制令[1]に基づき、海洋漁業に伴う水産物の販売、製氷・冷蔵業などの中央統制機関[2]として設けられた帝国水産統制株式会社である。水産会社を中心に18社などが出資[3]し、資本金50百万円で1942年12月24日に設立された[4]。もっとも会社の系譜はさらに古く、1884年には日本で最初の製氷会社である東京製氷が創立[5]され、1897年に設立された機械製氷と1907年に合併して日本製氷となった[6]。以来の合併と吸収が同社の母体[7]であり、全国に散在する冷凍工場はその歴史を物語る[8]。翌1943年4月、水産物の買入・販売と製氷・冷蔵・凍結事業を開始した[9]

  • 株式会社ニチレイ 有価証券報告書【沿革】
    • [1]1942年5月19日 水産統制令の公布
    • [2]設立目的 海洋漁業に伴う水産物の販売・製氷冷蔵業などの中央統制機関
    • [3]帝国水産統制株式会社 水産会社を中心に18社などの出資
    • [4]設立時資本金 50百万円/1942年12月24日設立
    • [9]1943年4月 水産物の買入・販売並びに製氷・冷蔵・凍結事業の開始
  • 証券アナリストジャーナル 1970年8巻2号(日本冷蔵社長 朝長嚴)
    • [5]1884年(明治17年)東京製氷の創立 日本で最初の製氷会社
    • [6]1897年設立の機械製氷と1907年に合併して日本製氷
    • [7]日本製氷が当社の母体で以来合併・吸収を継続
    • [8]全国に散在する冷凍工場が合併の歴史を物語る

戦争によって同社は、保有していた製氷能力の43%、冷蔵能力の42%、凍結能力の31%と、海外における全事業網を失った[10]。1945年11月30日の水産統制令の廃止[11]を受け、同年12月1日に商法上の株式会社へ改組し、社名を日本冷蔵株式会社へ改めた[12]。1948年2月には過度経済力集中排除法による該当企業の指定を受けた[13]が、その後に指定取消の見通しがつき、1949年3月へ1億円を増資して資本金を1億5,000万円とした[14]。あわせて当時としては大量といえる約1,000名の人員整理を断行[15]し、同年10月にはさらに3億5,000万円を増資して資本金を5億円とした[16]。1949年5月、東京・大阪・名古屋の各証券取引所へ株式を上場[17]した。

  • 証券アナリストジャーナル 1970年8巻2号(日本冷蔵社長 朝長嚴)
    • [10]戦争により製氷能力43%・冷蔵能力42%・凍結能力31%と海外全事業網を喪失
    • [13]1948年2月 過度経済力集中排除法による該当企業の指定
    • [14]1949年3月 1億円増資で資本金1億5,000万円
    • [15]約1,000名の人員整理を断行
    • [16]1949年10月 3億5,000万円増資で資本金5億円
  • 株式会社ニチレイ 有価証券報告書【沿革】
    • [11]1945年11月30日 水産統制令の廃止
    • [12]1945年12月1日 商法上の株式会社へ改組し日本冷蔵株式会社へ社名変更
    • [17]1949年5月 東京・大阪・名古屋の各証券取引所へ株式上場
  • 株式会社ニチレイ 有価証券報告書【沿革】
    • [1]1942年5月19日 水産統制令の公布
    • [2]設立目的 海洋漁業に伴う水産物の販売・製氷冷蔵業などの中央統制機関
    • [3]帝国水産統制株式会社 水産会社を中心に18社などの出資
    • [4]設立時資本金 50百万円/1942年12月24日設立
    • [9]1943年4月 水産物の買入・販売並びに製氷・冷蔵・凍結事業の開始
    • [11]1945年11月30日 水産統制令の廃止
    • [12]1945年12月1日 商法上の株式会社へ改組し日本冷蔵株式会社へ社名変更
    • [17]1949年5月 東京・大阪・名古屋の各証券取引所へ株式上場
  • 証券アナリストジャーナル 1970年8巻2号(日本冷蔵社長 朝長嚴)
    • [5]1884年(明治17年)東京製氷の創立 日本で最初の製氷会社
    • [6]1897年設立の機械製氷と1907年に合併して日本製氷
    • [7]日本製氷が当社の母体で以来合併・吸収を継続
    • [8]全国に散在する冷凍工場が合併の歴史を物語る
    • [10]戦争により製氷能力43%・冷蔵能力42%・凍結能力31%と海外全事業網を喪失
    • [13]1948年2月 過度経済力集中排除法による該当企業の指定
    • [14]1949年3月 1億円増資で資本金1億5,000万円
    • [15]約1,000名の人員整理を断行
    • [16]1949年10月 3億5,000万円増資で資本金5億円

連合軍への冷力提供から総合食品企業への転換

平和条約が結ばれる1952年までの間、企業の自主的な経営には制約が残り[18]、日本冷蔵も約60前後の残存冷蔵庫を連合軍の進駐利用へ振り向けた[19]。冷力の利用を漁業の付帯的な業務と考えていた同社は、このとき冷力が食品に果たす役割の大きさを知り[20]、冷蔵業の発展への確信と、冷力を利用した食品分野への進出とを両立させる方針[21]を定めた。1948年12月には事業目的へ缶詰、肥料、飼料及び油脂の製造・売買と水産物の輸出入を加え[22]、1951年8月に缶詰工場を設置して食品生産事業を開始した[23]。1952年10月には調理冷凍食品の販売を始め[24]、1956年5月に畜産事業へ参入した[25]

  • 証券アナリストジャーナル 1970年8巻2号(日本冷蔵社長 朝長嚴)
    • [18]1952年の平和条約締結までは企業の自主的経営に制約
    • [19]約60前後の残存冷蔵庫を連合軍の進駐利用へ振り向け
    • [20]冷力の利用を付帯事業と考えていたが冷力が食品作用に果たす役割の大きさを学んだ
    • [21]冷蔵業の将来への確信と冷力を利用した食品分野への展開の両立を決意
  • 株式会社ニチレイ 有価証券報告書【沿革】
    • [22]1948年12月 事業目的に缶詰・肥料・飼料及び油脂の製造売買と水産物の輸出入を追加
    • [23]1951年8月 缶詰工場を設置し食品生産事業を開始
    • [24]1952年10月 調理冷凍食品の販売開始
    • [25]1956年5月 畜産事業の開始

木村鉱二郎氏を中心とする再建[26]のもとで、戦前の水準まで戻した冷凍部門は第一次五カ年計画と第二次三ヵ年計画によって世界的水準へ引き上げられ、事業場の再配置を経て全国に有機的に連結された冷凍工場網ができた[27]。日本冷蔵はこの工場網を基盤に独自の『コールド・ベルト』を形づくり[28]、海外でも早くから遠洋の水産資源に着目して子会社や漁業基地を設け、日本漁船の誘致や漁獲物の洋上輸出も手がけた[29]。冷凍部門を土台に商事部門が鮮魚などの販売業、缶詰・ハム・ソーセージ・冷凍食品の製造販売、畜産物と配合飼料、海外事業へ広がり[30]、年間取扱高は1967年度に437億円へ達した[31]。国内事業場は支社10・冷凍工場136・食品工場6・販売所24・海外事業場5・研究所の合計183カ所[32]を数えた。

  • 証券アナリストジャーナル 1970年8巻2号(日本冷蔵社長 朝長嚴)
    • [26]木村鉱二郎氏が中心となり再建へ努力を重ねた
  • 経済春秋社編『企業の歴史 : 明治百年』(1968年)
    • [27]第一次五カ年計画・第二次三ヵ年計画で冷凍部門を世界的水準へ引き上げ全国連結の冷凍工場網を構築
    • [28]冷凍工場網を基盤とする独自の「コールド・ベルト」の形成
    • [29]海外に子会社・漁業基地を設け日本漁船を誘致し漁獲物の洋上輸出も実施
    • [30]冷凍部門を基盤に商事部門が鮮魚販売・食品・畜産・海外事業へ展開
    • [31]年間取扱高 1967年度 437億円
    • [32]国内事業場 合計183カ所(支社10・冷凍工場136・食品工場6・販売所24・海外事業場5・研究所)
  • 証券アナリストジャーナル 1970年8巻2号(日本冷蔵社長 朝長嚴)
    • [18]1952年の平和条約締結までは企業の自主的経営に制約
    • [19]約60前後の残存冷蔵庫を連合軍の進駐利用へ振り向け
    • [20]冷力の利用を付帯事業と考えていたが冷力が食品作用に果たす役割の大きさを学んだ
    • [21]冷蔵業の将来への確信と冷力を利用した食品分野への展開の両立を決意
    • [26]木村鉱二郎氏が中心となり再建へ努力を重ねた
  • 株式会社ニチレイ 有価証券報告書【沿革】
    • [22]1948年12月 事業目的に缶詰・肥料・飼料及び油脂の製造売買と水産物の輸出入を追加
    • [23]1951年8月 缶詰工場を設置し食品生産事業を開始
    • [24]1952年10月 調理冷凍食品の販売開始
    • [25]1956年5月 畜産事業の開始
  • 経済春秋社編『企業の歴史 : 明治百年』(1968年)
    • [27]第一次五カ年計画・第二次三ヵ年計画で冷凍部門を世界的水準へ引き上げ全国連結の冷凍工場網を構築
    • [28]冷凍工場網を基盤とする独自の「コールド・ベルト」の形成
    • [29]海外に子会社・漁業基地を設け日本漁船を誘致し漁獲物の洋上輸出も実施
    • [30]冷凍部門を基盤に商事部門が鮮魚販売・食品・畜産・海外事業へ展開
    • [31]年間取扱高 1967年度 437億円
    • [32]国内事業場 合計183カ所(支社10・冷凍工場136・食品工場6・販売所24・海外事業場5・研究所)

冷凍と食品を半々にする利益体制への組み替え

1970年1月時点の冷蔵能力は37万トンで、全国能力290万トンに対する13%を占め[33]、水産大手4社の合計能力14万8,000トンを上回った[34]。もっとも朝長嚴社長は、償却の進んだ冷凍設備で利益をあげている姿を反省[35]し、冷凍分野の運用資産を時価へ修正すると利益率は約20%から4%へ下がる[36]と述べた。そこで冷・食補完を掲げ、食品分野でも冷凍部門の純益24億円と同額の利益を確保するよう社内へ求め[37]、そのための設備投資を続けた。結果として利益の構成は冷凍54%・食品46%となり、冷凍部門が全体利益の93%を占めた時代から変わった[38]。関連企業は51社を数え、これを含めた実体は売上854億円・利益28億円[39]であった。

  • 証券アナリストジャーナル 1970年8巻2号(日本冷蔵社長 朝長嚴)
    • [33]1970年1月時点 冷蔵能力37万トン・全国能力290万トンに対しシェア13%
    • [34]水産大手4社(日水・日魯・大洋・極洋)の合計冷蔵能力 14万8,000トン
    • [35]朝長嚴社長 償却の進んだ冷凍設備で利益をあげている姿への反省
    • [36]冷凍分野の運用資産を時価修正すると利益率は約20%から4%へ低下
    • [37]冷・食補完 食品分野でも冷凍部門の純益24億円と同額の利益体制を要請
    • [38]利益構成は冷凍54%・食品46%へ/かつては冷凍部門が全体利益の93%
    • [39]関連企業51社/これを含めた実体は売上854億円・利益28億円

1972年1月末の冷蔵能力は44万トンで、朝長社長が就任した時点の26万トンから5年で18万トン増えた[40]。全国の設備能力に占めるシェアは14%前後だが、大都市や主要港湾など重要地域では35%から40%を占めた[41]。同社は5、6年前から原料対策の重要性を認識して輸出を抑え輸入体制へ重点を切りかえており、輸入9・輸出1の比率になっていた[42]ため、円切上げでは1億3,000万円から1億4,000万円の為替差益を得た[43]。冷凍食品では業界のシェア35%を占めて首位[44]にあり、100%出資の子会社54社を含めた連結ベースの売上高は1,275億円、純利益は約30億円[45]であった。

  • 証券アナリストジャーナル 1972年10巻4号(日本冷蔵社長 朝長嚴)
    • [40]1972年1月末 冷蔵能力44万トン/社長就任時26万トンから5年で18万トン増
    • [41]全国設備能力シェア14%前後/重要地域では35〜40%
    • [42]原料対策の重要性から輸出を抑え輸入体制へ重点を転換し輸入9・輸出1の比率
    • [43]円切上げで1億3,000万円〜1億4,000万円の為替差益
    • [44]冷凍食品の業界シェア35%で首位
    • [45]100%出資子会社54社/連結売上高1,275億円・純利益約30億円
  • 証券アナリストジャーナル 1970年8巻2号(日本冷蔵社長 朝長嚴)
    • [33]1970年1月時点 冷蔵能力37万トン・全国能力290万トンに対しシェア13%
    • [34]水産大手4社(日水・日魯・大洋・極洋)の合計冷蔵能力 14万8,000トン
    • [35]朝長嚴社長 償却の進んだ冷凍設備で利益をあげている姿への反省
    • [36]冷凍分野の運用資産を時価修正すると利益率は約20%から4%へ低下
    • [37]冷・食補完 食品分野でも冷凍部門の純益24億円と同額の利益体制を要請
    • [38]利益構成は冷凍54%・食品46%へ/かつては冷凍部門が全体利益の93%
    • [39]関連企業51社/これを含めた実体は売上854億円・利益28億円
  • 証券アナリストジャーナル 1972年10巻4号(日本冷蔵社長 朝長嚴)
    • [40]1972年1月末 冷蔵能力44万トン/社長就任時26万トンから5年で18万トン増
    • [41]全国設備能力シェア14%前後/重要地域では35〜40%
    • [42]原料対策の重要性から輸出を抑え輸入体制へ重点を転換し輸入9・輸出1の比率
    • [43]円切上げで1億3,000万円〜1億4,000万円の為替差益
    • [44]冷凍食品の業界シェア35%で首位
    • [45]100%出資子会社54社/連結売上高1,275億円・純利益約30億円

200カイリ規制と、社名から冷蔵を外す判断

200カイリ漁業規制に伴う水産品の市況悪化などで、冷凍事業に頼った事業の続け方では将来の展望が開けないという危機感[46]が社内に生まれた。日本冷蔵は1977年3月に運送取扱子会社を設け[47]、1979年1月にはアメリカで農・水・畜産品の集荷・販売子会社を設立した[48]。1982年6月にはバイオテクノロジー分野へ進み[49]、1984年4月には事業目的へ医薬品、医薬部外品及び試薬の製造・売買と、種苗の生産及び売買を加えた[50]。1983年4月に就任した金田幸三社長は、この危機感のもとで食品加工部門の強化[51]と新規事業への進出を進めた。

  • 日経ビジネス 1989年6月5日号
    • [46]200カイリ漁業規制に伴う水産品の市況悪化と冷凍事業依存への危機感
    • [51]1983年4月就任の金田幸三社長が食品加工部門の強化と新規事業進出を主導
  • 株式会社ニチレイ 有価証券報告書【沿革】
    • [47]1977年3月 運送取扱子会社の設立
    • [48]1979年1月 アメリカにおける農・水・畜産品の集荷・販売子会社の設立
    • [49]1982年6月 バイオテクノロジー分野への進出
    • [50]1984年4月 事業目的に医薬品・医薬部外品及び試薬の製造売買、種苗の生産及び売買を追加

1985年2月、日本冷蔵は商号を株式会社ニチレイへ変更[52]した。製氷や冷蔵倉庫業が表看板であった日本冷蔵の時代に50%程度であった社名の知名度は、これを機に急上昇し、1997年初めには100%近い水準を保った[53]。1988年4月にはアセロラドリンクを本格的に発売[54]し、同年9月にオランダの冷蔵会社を買収して同国での冷蔵事業へ進んだ[55]。同年12月にはニチレイ明石町ビルが竣工し、オフィスビル賃貸事業を本格的に開始した[56]。翌1989年4月には厚生省許可特別用途食品の糖尿病食調製用組合わせ食品を発売[57]した。

  • 株式会社ニチレイ 有価証券報告書【沿革】
    • [52]1985年2月 商号を株式会社ニチレイへ変更
    • [54]1988年4月 アセロラドリンクの本格発売
    • [55]オランダの冷蔵会社の買収による同国冷蔵事業への進出
    • [56]ニチレイ明石町ビルの竣工とオフィスビル賃貸事業の本格開始
    • [57]1989年4月 厚生省許可特別用途食品の糖尿病食調製用組合わせ食品の発売
  • 日経ビジネス 1997年1月20日号
    • [53]社名の知名度は日本冷蔵時代の50%程度から社名変更を機に急上昇し1997年初めに100%近い水準
  • 日経ビジネス 1989年6月5日号
    • [46]200カイリ漁業規制に伴う水産品の市況悪化と冷凍事業依存への危機感
    • [51]1983年4月就任の金田幸三社長が食品加工部門の強化と新規事業進出を主導
  • 株式会社ニチレイ 有価証券報告書【沿革】
    • [47]1977年3月 運送取扱子会社の設立
    • [48]1979年1月 アメリカにおける農・水・畜産品の集荷・販売子会社の設立
    • [49]1982年6月 バイオテクノロジー分野への進出
    • [50]1984年4月 事業目的に医薬品・医薬部外品及び試薬の製造売買、種苗の生産及び売買を追加
    • [52]1985年2月 商号を株式会社ニチレイへ変更
    • [54]1988年4月 アセロラドリンクの本格発売
    • [55]オランダの冷蔵会社の買収による同国冷蔵事業への進出
    • [56]ニチレイ明石町ビルの竣工とオフィスビル賃貸事業の本格開始
    • [57]1989年4月 厚生省許可特別用途食品の糖尿病食調製用組合わせ食品の発売
  • 日経ビジネス 1997年1月20日号
    • [53]社名の知名度は日本冷蔵時代の50%程度から社名変更を機に急上昇し1997年初めに100%近い水準

保管の商いを低温物流サービスへ定義し直す

1980年代後半、円高と食料輸入の拡大が冷蔵倉庫に追い風となり、1988年の食料品輸入額は前年比31%増の約309億ドルへ達した[58]。ニチレイグループの冷蔵保管能力は1989年3月期末で約92万9000トンと業界の13%弱を占めた[59]。もっとも冷凍部門は売上が全体の10%にも満たないのに利益の半分以上を稼ぐ大黒柱でありながら、経常利益の対売上高比率は2%前後[60]にとどまった。荷物の少量多品種化と入出庫の多頻度化[61]が進むなかで、金田幸三社長は『冷蔵倉庫もこれからは流通倉庫としてフローに付いていく』[引用元]と述べた[62]

  • 日経ビジネス 1989年6月5日号
    • [58]1988年の食料品輸入額 前年比31%増の約309億ドル
    • [59]1989年3月期末のニチレイグループ冷蔵保管能力 約92万9000トン・業界シェア13%弱
    • [60]冷凍部門は売上全体の10%未満で利益の半分以上を稼ぐが経常利益率は2%前後
    • [61]荷物の少量多品種化と入出庫の多頻度化のニーズの高まり
    • [62]金田幸三社長 冷蔵倉庫も流通倉庫としてフローに付いていくとの発言

その布石として、ニチレイは1986年に子会社の日本低温流通を設立し、全国の冷蔵倉庫のネットワーク化[63]によって倉庫間の長距離輸送に伴う入出庫情報を集約し、最も効率的な輸送ルートを運送業者へ斡旋して配送のロスを減らす仕組み[64]を構築した。増強を続ける冷蔵倉庫についても、金田幸三社長は単なる保管基地ではなく、物流をコントロールする基地としての情報機能によって付加価値を高める投資が欠かせないとみた[65]。1990年4月、ニチレイは物流事業を本格的に開始[66]し、新規事業として開発を進めていたシステム物流を独立の事業とするため、冷凍事業本部内に物流事業部を新設した[67]

  • 日経ビジネス 1989年6月5日号
    • [63]1986年 子会社の日本低温流通を設立し全国冷蔵倉庫のネットワーク化に着手
    • [64]倉庫間長距離輸送の入出庫情報を集約し効率的な輸送ルートを斡旋して配送ロスを削減
    • [65]金田幸三社長 冷蔵倉庫を保管基地でなく物流コントロール基地の情報機能で付加価値を高める投資が必要とした
  • 株式会社ニチレイ 有価証券報告書【沿革】
    • [66]1990年4月 物流事業の本格開始
  • ニチレイ75年史「システム物流」
    • [67]システム物流を独立事業とするため冷凍事業本部内に物流事業部を新設

全国各地の冷凍工場は物流サービスセンターへ呼び名を改め、単なる冷蔵倉庫ではなく、荷主の原材料や製品の搬入から凍結・軽加工・選別、配送に至るまでの物流と、それに伴う情報の流れを集中的に管理しうる新しい低温物流の施設[68]として定義し直された。1993年9月には関西の大手スーパー専用の尼崎総合物流センター[69]、同年10月には関東の大手スーパー専用の船橋総合物流センターがそれぞれ稼働し、通過型のトランスファーセンター事業が本格化[70]した。この間の1991年2月にはニチレイ東銀座ビルが竣工し、同年4月に本社を同ビルへ移した[71]

  • ニチレイ75年史「システム物流」
    • [68]冷凍工場を物流サービスセンターへ改称し搬入から凍結・軽加工・選別・配送までの物流と情報を集中管理
    • [69]1993年9月 尼崎総合物流センター稼働(関西のスーパー専用)
    • [70]1993年10月 船橋総合物流センター稼働と通過型TC事業の本格化
  • 株式会社ニチレイ 有価証券報告書【沿革】
    • [71]1991年2月 ニチレイ東銀座ビル竣工/同年4月 本社を同ビルへ移転
  • 日経ビジネス 1989年6月5日号
    • [58]1988年の食料品輸入額 前年比31%増の約309億ドル
    • [59]1989年3月期末のニチレイグループ冷蔵保管能力 約92万9000トン・業界シェア13%弱
    • [60]冷凍部門は売上全体の10%未満で利益の半分以上を稼ぐが経常利益率は2%前後
    • [61]荷物の少量多品種化と入出庫の多頻度化のニーズの高まり
    • [62]金田幸三社長 冷蔵倉庫も流通倉庫としてフローに付いていくとの発言
    • [63]1986年 子会社の日本低温流通を設立し全国冷蔵倉庫のネットワーク化に着手
    • [64]倉庫間長距離輸送の入出庫情報を集約し効率的な輸送ルートを斡旋して配送ロスを削減
    • [65]金田幸三社長 冷蔵倉庫を保管基地でなく物流コントロール基地の情報機能で付加価値を高める投資が必要とした
  • 株式会社ニチレイ 有価証券報告書【沿革】
    • [66]1990年4月 物流事業の本格開始
    • [71]1991年2月 ニチレイ東銀座ビル竣工/同年4月 本社を同ビルへ移転
  • ニチレイ75年史「システム物流」
    • [67]システム物流を独立事業とするため冷凍事業本部内に物流事業部を新設
    • [68]冷凍工場を物流サービスセンターへ改称し搬入から凍結・軽加工・選別・配送までの物流と情報を集中管理
    • [69]1993年9月 尼崎総合物流センター稼働(関西のスーパー専用)
    • [70]1993年10月 船橋総合物流センター稼働と通過型TC事業の本格化

揚げない揚げ物と、伸び悩む企業ブランド

1991年、当時社長であった金田幸三氏は、3、4年かかってもよいから他社がまねできない大型商品を作るよう指示した[72]。1992年春には商品企画室・食品開発研究所・味覚評価室の三部署に営業や生産などの関連部署を加え[73]、20代30代の若手約15人を集めたプロジェクトチーム[74]が編成された。主婦への調査から、油を使わずに揚げ立ての味を味わえるコロッケを求めているという仮説[75]を立て、総菜用に開発していた衣の技術を応用して、1994年3月に『新・レンジ生活 サクサクのコロッケ』[引用元]を発売した[76]。反応は当初から品切れを起こすほど大きく、1994年度の売上高は単品で60億円に達した[77]

  • 日経ビジネス 1996年1月1日・8日号
    • [72]1991年 金田幸三社長(当時)が3〜4年かけてでも他社がまねできない大型商品を作るよう指示
    • [73]1992年春 商品企画室・食品開発研究所・味覚評価室の三部署に営業・生産などの関連部署を加えて開発計画が始動
    • [74]20代30代の若手約15人を集めたプロジェクトチームの編成
    • [75]主婦は油を使わずに揚げ立ての味を味わえるコロッケを求めているとの仮説
    • [76]総菜用に開発した衣の技術を応用し1994年3月に「新・レンジ生活 サクサクのコロッケ」を発売
    • [77]発売当初から品切れ/1994年度の売上高は単品で60億円

1995年秋には皮を工夫した『パリパリの春巻』を投入[78]した。もっとも1300億円の有利子負債を抱えるニチレイにとって多額の設備投資が要る冷蔵倉庫の急拡大は難しく[79]、水産物取引が主体の商事部門は相場に左右されやすかった[80]。1993年12月の経営会議へ配られた企業イメージ調査[81]では、良い印象を持っているかという問いにハウス食品と味の素がそれぞれ80%であったのに対し、ニチレイは50%にとどまった[82]。1994年4月、手島忠社長は各部門から集めた20人あまりのスタッフに、CI導入から10年を機に強みと弱みを洗い出し、目指すべき企業像を探るよう指示[83]した。

  • 日経ビジネス 1996年1月1日・8日号
    • [78]1995年秋 皮を工夫した「パリパリの春巻」を投入
  • 日経ビジネス 1997年1月20日号
    • [79]有利子負債1300億円を抱え多額の設備投資を要する冷蔵倉庫の急拡大が困難
    • [80]水産物取引が主体の商事部門は相場に左右されやすい
    • [81]1993年12月の経営会議に企業イメージ調査の結果が配布された
    • [82]良い印象を持っているかの問いにハウス食品・味の素は各80%、ニチレイは50%
    • [83]1994年4月 手島忠社長が20人あまりのスタッフへCI導入10年を機に強み弱みの洗い出しと企業像の探索を指示
  • 日経ビジネス 1996年1月1日・8日号
    • [72]1991年 金田幸三社長(当時)が3〜4年かけてでも他社がまねできない大型商品を作るよう指示
    • [73]1992年春 商品企画室・食品開発研究所・味覚評価室の三部署に営業・生産などの関連部署を加えて開発計画が始動
    • [74]20代30代の若手約15人を集めたプロジェクトチームの編成
    • [75]主婦は油を使わずに揚げ立ての味を味わえるコロッケを求めているとの仮説
    • [76]総菜用に開発した衣の技術を応用し1994年3月に「新・レンジ生活 サクサクのコロッケ」を発売
    • [77]発売当初から品切れ/1994年度の売上高は単品で60億円
    • [78]1995年秋 皮を工夫した「パリパリの春巻」を投入
  • 日経ビジネス 1997年1月20日号
    • [79]有利子負債1300億円を抱え多額の設備投資を要する冷蔵倉庫の急拡大が困難
    • [80]水産物取引が主体の商事部門は相場に左右されやすい
    • [81]1993年12月の経営会議に企業イメージ調査の結果が配布された
    • [82]良い印象を持っているかの問いにハウス食品・味の素は各80%、ニチレイは50%
    • [83]1994年4月 手島忠社長が20人あまりのスタッフへCI導入10年を機に強み弱みの洗い出しと企業像の探索を指示

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ニチレイの沿革1942〜2023年における主な出来事を抜粋

時代年月社長・CEO出来事重要度
1942〜1972年水産18社を束ねた統制会社の発足と、冷力を核とした食品への拡張帝国水産統制を設立
日本冷蔵に商号変更
東京証券取引所に株式上場
冷蔵倉庫業から「冷力を核とする総合食品企業」への転換

戦後の1950年代から1960年代にかけて、日本冷蔵(現ニチレイ)が、木村鉱二郎氏(社長)のもとで冷蔵倉庫業と水産一次加工に依存した業態を、冷凍・製氷の『冷力』を核とする総合食品企業へと定義し直した面的な経営判断。缶詰・冷凍食品・畜産などへ事業を広げた。

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★★★
畜産事業に参入
設備投資を継続
1973〜1995年水産の失速を受けた事業転換と、保管業から低温物流サービスへ水産部門で赤字転落★★
商号をニチレイに変更
医薬品事業・育種事業への新規参入
アセロラドリンクを発売
冷蔵倉庫の保管業からシステム物流・3PLへの業態転換

1980年代末、ニチレイは冷蔵倉庫の単純な保管業を、仕分け・軽加工・配送・情報管理を一体で担う『システム物流』へと定義し直した。1986年に設立した子会社の日本低温流通による全国ネットワーク化を布石に、1990年4月には冷凍事業本部内に物流事業部を新設し、各地の冷凍工場を『物流サービスセンター』へ位置づけ直した。金田幸三社長が進めた体質転換の一環であった。

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★★★
サクサクコロッケを開発
1996〜2007年基幹二部門の同時不振から共同CEO体制を経て純粋持株会社へ品質保証体制を強化
浦野光人家庭用冷食「本格炒め炒飯」を発売
浦野光人家庭用冷食「特から」を発売
浦野光人純粋持株会社体制への移行と五事業会社への再編

2004年11月30日、ニチレイは翌2005年4月1日をもって純粋持株会社体制へ移行すると発表した。加工食品・水産・畜産・低温物流・バイオサイエンス・シェアードサービスの各事業を会社分割で五つの事業会社へ切り出し、持株会社はグループ戦略と資源配分に専念する。浦野光人社長が主導した組織再編であった。

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★★★
村井利彰養鶏場を直営
2008〜2025年低温物流と加工食品の二本柱を海外へ広げ、戦略商材へ絞り込む村井利彰Transports Godfroyを取得
大谷邦夫米食品会社を取得
大谷邦夫冷凍食品の強化
大櫛顕也中期経営計画(FY2022-24)を開始
大櫛顕也冷凍米飯工場を新設(福岡県)
出典・参考
  • 株式会社ニチレイ 有価証券報告書【沿革】
  • ニチレイ75年史「システム物流」
  • 経済春秋社編『企業の歴史 : 明治百年』(1968年)
  • 証券アナリストジャーナル 1970年8巻2号(日本冷蔵社長 朝長嚴)
  • 証券アナリストジャーナル 1972年10巻4号(日本冷蔵社長 朝長嚴)
  • 日経ビジネス 1989年6月5日号
  • 日経ビジネス 1996年1月1日・8日号
  • 日経ビジネス 1997年1月20日号

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