重要な意思決定
198812月

工場跡地を再開発

背景

都市化の進展で冷蔵倉庫としての継続利用が合理性を失った都心拠点

ニチレイは1942年の発足時に戦時統制の過程で全国各地の冷蔵倉庫・工場用地を継承した。1980年代に入っても都心部を含む多数の小規模不動産を保有していたが、周辺地域の都市化が進むにつれ、物流動線や拡張余地の面で制約が顕在化していた。特に東京都心部では住宅化や商業化の進展により、冷蔵倉庫としての継続利用は合理性を欠く局面に入っていた。

一方で、湾岸部を中心に地価は上昇局面にあり、帳簿上は倉庫用途のまま保有されていた土地が潜在的には高い不動産価値を持つ状態となっていた。冷蔵倉庫事業の設備更新負担が重いなかで、こうした遊休化しつつある土地をどう扱うかが経営判断の対象として浮上していた。

決断

都心倉庫跡地を売却せず保有のままオフィスビルに再開発する方針を選択

1988年12月、ニチレイは東京都中央区の旧明石町工場跡地をオフィスビルとして再開発することを決定した。冷蔵倉庫としての用途を終えた土地を売却するのではなく、引き続き保有し賃貸収入を得る選択が取られた。総工費は約65億円とされ、完成後は一括賃貸により初年度から安定的な収益が見込まれた。

この方針は旧明石町工場にとどまらず、1990年には旧勝鬨橋工場跡地についてもオフィス再開発が決定された。対象は旧明石町工場(約4,200㎡)、勝鬨橋工場(約4,600㎡)、東京工場(約6,100㎡)、湊ビル(約650㎡)の4か所で、いずれも東京湾岸エリアに位置していた。冷蔵倉庫事業の補完として不動産賃貸を収益源に組み込む判断であった。

結果

事業成長とは異なる時間軸で倉庫資産からキャッシュを回収する体制を構築

倉庫跡地のオフィス再開発により、ニチレイは食品・物流事業とは異なる収益源を確保した。売却による一時的な現金化ではなく、保有を続けたまま賃貸収入を得る選択は、事業とは異なる時間軸で資産価値を回収する戦略であった。

戦時統制期に取得した分散立地が、40年以上を経て都心の不動産資産として価値を持った構造は、設備資産の用途転換という観点で示唆的であった。冷蔵倉庫としての役割を終えた拠点が、不動産収益という形でニチレイの財務基盤を補完する役割を担った。