決断
事業の輪郭を引いたのは経営者ではなく、そのつどの制度だった。関税還付は5年の時限立法で、実権を掌握した磯村音介氏と秋山一裕氏は延長と官営化を求めて衆議院議員へ贈賄し、1909年に日糖疑獄として露見して全重役が辞職した。招かれた藤山雷太氏のもとで1927年に東洋製糖、1935年に新高製糖を合併し、台湾へ広がった。敗戦で失ったのは外地の設備だけではない。本店を台湾に置く外地会社であったため、門司工場など国内財産まで連合国側の管理下に入った。1949年8月の政令第291号で在外会社の制限が解けると、翌1950年4月に内地財産だけを承継した第二会社として門司一工場から再出発した。
1984年2月 ニットーへ営業譲渡
1950年4月 門司工場ひとつでの再起