S Foods の歴史

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創業 1967年
創業者 森島征夫
創業地 兵庫県西宮市
創業
1967年5月、森島征夫氏が兵庫県尼崎市で有限会社スタミナ食品を設立し、牛・豚の内臓肉の販売を始めた。森島氏は1939年静岡県磐田市の生まれで、ホテル・貿易・食品会社を経て1966年に独立している。当時の食肉流通はロースやバラなどの正肉が主役で、ハツ・レバー・小腸は焼肉店へ細々と流れる周辺商材にすぎなかった。その扱いにくい部位だけを専業で引き受けたため、正肉を扱う食肉大手とは仕入れ先も売り先も重ならなかった。1970年には株式会社へ改組して自社工場を構え、2000年に商号をエスフーズへ改めた。
決断
他社が値をつけない部位と、他人が握っている工程を、順に自分の側へ取り込んできた。1972年に米国では食用習慣のない牛上みの(第2胃)の開発輸入に成功し、国内では賄えない調達規模を得た。1982年に牛小腸を味付けした『こてっちゃん』が家庭用の定番になると原料の必要量が跳ね上がり、買い付ける立場のままでは量も仕様も他社の判断に委ねられた。そこで1989年、丸紅らとの合弁で米ネブラスカ州に自前の食肉処理場を置いた。2003年12月の米国産牛肉輸入停止で主力商材が細ると、今度は国産牛の流通網を持つ同業を株式交換で完全子会社化した。買収のたびに、原料の量と仕様を決める権限が取引先から自社へ移った。
現況
牧場から食肉処理、加工、卸売、小売、外食までを自前で持つ垂直統合である。2015年にイリノイ州の食肉処理会社を買収し、米国の食肉処理場をネブラスカの1カ所から2カ所へ増やした。2026年2月期の連結売上高4,723億円・営業利益105億円のうち、製造・卸売が9割超、小売249億円・外食100億円である。米国売上は549億円と1割強だが、米国の有形固定資産は2022年2月期の46億円から375億円へ8倍に膨らんだ。構造改革費用で営業利益が51億円へ減少した2025年2月期も緩めず、2026年竣工のオーロラ新工場で処理能力を2.5倍にする。
競合
同じ垂直統合でも、食肉大手が手を出さない商材から組み上げてきた。ハム・ソーセージの棚を握る食肉大手に対し、エスフーズは正肉商が扱わない内臓肉から入り、そこで築いた米国産の調達経路を足場にした。原料を海外で自給する発想には先例があり、国内首位の日本ハムは牛肉輸入自由化を前に豪州で処理から流通までを垂直統合していた。これに対しエスフーズが1989年に米国へ渡った狙いは、輸出産地の確保ではなく、日本でしか商品にならない部位の入口を自分の側に置くことだった。米国の2つの処理場から米国産牛を入れ、同じ海外事業部が神戸ビーフをアジアへ出す現在の形も、その延長にある。
S Foods:長期業績の推移(売上高・利益率)売上高(億円純利益率(%)
1997年2月期2026年2月期

創業ストーリー 内臓肉販売から「こてっちゃん」開発までの18年 (1967年〜)

廃棄部位だった牛小腸を商材に据えた創業

1967年5月、森島征夫氏は兵庫県尼崎市大西老松町に[1]有限会社スタミナ食品を設立し、牛・豚の内臓肉販売を開始[2]した。森島氏は1939年静岡県磐田市生まれ[3]、新大阪ホテル・ヤマトシャツ貿易部・スエヒロ食品を経て1966年に独立、1967年5月の法人設立がエスフーズの起点となる[4]。当時の日本の食肉流通では、ロース・バラなどの正肉が主役で、ハツ・レバー・小腸といった内臓部位は地方の焼肉店や個人事業者に細々と流通する周辺商材だった。森島氏は内臓肉に商機を見出し、調達と販売の専業に踏み込んだ。創業地の尼崎は阪神工業地帯の労働者向けに焼肉文化が定着していた地域で、内臓肉の地場需要は厚かった。

  • エスフーズ 有価証券報告書【沿革】
    • [1]創業地は兵庫県尼崎市大西老松町である
    • [2]1967年5月に森島征夫が兵庫県尼崎市大西老松町で有限会社スタミナ食品を設立し内臓肉販売を開始した
  • 日本食糧新聞(2001年6月)
    • [3]森島征夫は静岡県磐田市の出身である
    • [4]森島征夫は1966年(昭和41年)に独立した

1970年1月、スタミナ食品株式会社[5](資本金300万円)に組織変更し[6]、同年11月には兵庫県尼崎市武庫川町に工場を新設して本社も移転[7]した。創業から3年で個人経営の延長線上にあった事業を法人格と自社工場を持つ食肉加工業へ作り替えた。製造機能の内製化は、外注では確保できない冷蔵・カット・包装工程の品質管理を自社の判断で行えるという意味があり、内臓肉という鮮度劣化の早い商材を扱う事業者にとって決定的だった。

  • エスフーズ 有価証券報告書【沿革】
    • [5]1970年1月にスタミナ食品株式会社へ組織変更した
    • [6]組織変更時の資本金は300万円だった
    • [7]1970年11月に兵庫県尼崎市武庫川町に工場を新設し本社も移転した

1972年1月、米国から内臓肉(牛上みの=牛の第2胃)[8]の開発輸入に成功した。米国の食肉産業では牛の内臓部位は食用習慣が乏しく、副産物として安価に流通していた。森島氏は米国産小腸・上みのなど内臓部位を日本に輸入する経路を作り上げ、国内産だけでは賄えない調達規模を確保した。1980年代以降の米国産牛肉輸入卸売事業の基盤も、この内臓肉輸入の経路から作られた。1978年3月にはスタミナフードサプライ株式会社[9](現・連結子会社 株式会社味兆)を設立し、調味済み内臓肉の卸売機能を分社化した。創業から10年で、内臓肉専業の食肉加工卸として地場で定着した。

  • エスフーズ 有価証券報告書【沿革】
    • [8]1972年1月に米国から内臓肉(牛上みの)の開発輸入に成功した
    • [9]1978年3月にスタミナフードサプライ株式会社(現・味兆)を設立した
  • エスフーズ 有価証券報告書【沿革】
    • [1]創業地は兵庫県尼崎市大西老松町である
    • [2]1967年5月に森島征夫が兵庫県尼崎市大西老松町で有限会社スタミナ食品を設立し内臓肉販売を開始した
    • [5]1970年1月にスタミナ食品株式会社へ組織変更した
    • [6]組織変更時の資本金は300万円だった
    • [7]1970年11月に兵庫県尼崎市武庫川町に工場を新設し本社も移転した
    • [8]1972年1月に米国から内臓肉(牛上みの)の開発輸入に成功した
    • [9]1978年3月にスタミナフードサプライ株式会社(現・味兆)を設立した
  • 日本食糧新聞(2001年6月)
    • [3]森島征夫は静岡県磐田市の出身である
    • [4]森島征夫は1966年(昭和41年)に独立した

「小腸を使った商品をつくりなさい」一声から始まった味付加工品

1982年7月、牛内臓肉加工品『こてっちゃん』を発売[10]した。発端は森島社長が1981年1月に発した、小腸を使った商品をつくれという指示だった。当時の小腸は焼肉店向けの生肉流通が中心で、家庭向けの加工品としての商品化は進んでいなかった。スタミナ食品は米国産牛小腸の大量調達経路を持ち、味付け・包装した即食タイプの加工品をスーパーマーケット向けに供給するという商品設計に踏み込んだ。商品名『こてっちゃん』は、牛の大腸を指す韓国語『てっちゃん』に小腸[11]であることを示す『こ』を冠した呼称で、家庭用加工食品としての参入を狙った命名である。社長一声の現場指示が、後のヒット商品に直結した事例となった。

  • エスフーズ 有価証券報告書【沿革】
    • [10]1982年7月に牛内臓肉加工品「こてっちゃん」を発売した
  • 証券アナリストジャーナル 27(10)(1982年)
    • [11]商品名「こてっちゃん」は牛の大腸を指す韓国語「てっちゃん」に小腸を示す「こ」を冠した呼称である

『こてっちゃん』は発売から数年で全国スーパーマーケットの定番商品となり、1984年1月には兵庫県西宮市鳴尾浜に本社社屋・工場を建設して移転[12]した。1985年11月には本社近隣地に生肉加工工場(現・西宮第二工場)も建設し[13]、内臓肉専業から正肉も扱う総合食肉加工業へ業容を広げた。当時の食肉加工業界では伊藤ハム・日本ハム・丸大食品など大手3社がハム・ソーセージ市場を支配しており、新規参入の余地は限定的だった。スタミナ食品は内臓肉と味付き加工品という大手3社が手薄な領域に資源を集中し、独自のポジションを確立した。

  • エスフーズ 有価証券報告書【沿革】
    • [12]1984年1月に兵庫県西宮市鳴尾浜に本社社屋・工場を建設し移転した
    • [13]1985年11月に本社近隣地に生肉加工工場(現・西宮第二工場)を建設した
  • エスフーズ 有価証券報告書【沿革】
    • [10]1982年7月に牛内臓肉加工品「こてっちゃん」を発売した
    • [12]1984年1月に兵庫県西宮市鳴尾浜に本社社屋・工場を建設し移転した
    • [13]1985年11月に本社近隣地に生肉加工工場(現・西宮第二工場)を建設した
  • 証券アナリストジャーナル 27(10)(1982年)
    • [11]商品名「こてっちゃん」は牛の大腸を指す韓国語「てっちゃん」に小腸を示す「こ」を冠した呼称である

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S Foodsの沿革1967〜2022年における主な出来事を抜粋

時代年月社長・CEO出来事重要度
1967〜1984年内臓肉販売から「こてっちゃん」開発までの18年スタミナ食品を設立し内臓肉の販売を開始
スタミナ食品に組織変更
工場を新設し本社も移転
米国から内臓肉(牛上みの)の開発輸入に成功★★
スタミナフードサプライを設立
牛内臓肉製品「こてっちゃん」を発売★★
本社社屋・工場を新設し移転
1985〜2009年米国上流統合と店頭公開、二代目社長誕生まで東京本社・船橋工場を新設
丸紅らとの合弁で米ネブラスカ州にFREMONT BEEF COMPANYを設立

1989年4月、スタミナ食品(現エスフーズ)が丸紅らとの合弁で米ネブラスカ州フリモント市にFREMONT BEEF COMPANYを設立し、米国での食肉処理・加工の拠点を持った経営判断。森島征夫社長が同社の取締役会長を兼ねた。

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★★★
日本証券業協会の店頭登録銘柄として株式を公開
牛内臓肉製品「牛・もつ鍋」を発売
船橋第二工場を新設
大阪証券取引所市場第二部に上場
東京証券取引所市場第二部に上場
社名をエスフーズに変更
株式交換によるムラチクの完全子会社化と吸収合併

2004年9月1日、エスフーズが株式交換でムラチクを完全子会社とし、2005年3月1日に吸収合併した経営判断。ムラチク創業者の村上真之助氏は同時期に代表取締役副社長兼食肉本部長として入社し、2006年3月に社長へ就いた。

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★★★
FREMONT BEEF COMPANYの株式を丸紅等から譲受け完全子会社化★★
オーエムツーネットワークを子会社化
村上真之助九州相模ハムの全株式を取得
2010〜2025年連続買収と垂直統合事業の現在村上真之助北海道中央牧場の全株式を取得
村上真之助日高食肉センターを子会社化
村上真之助神戸ビーフの輸出を開始
村上真之助グリコハムの全株式を取得
村上真之助AURORA PACKING COMPANY買収による米国食肉処理の2拠点化

2015年12月11日、エスフーズが同年11月に設立した連結子会社SFA INC.を通じ、米イリノイ州ノースオーロラの牛肉処理業者AURORA PACKING COMPANYの全株式を取得した経営判断。取得原価は現金263百万円、のれんは66百万円であった。

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★★★
村上真之助東京支店を建設し移設
村上真之助東京証券取引所プライム市場に移行
出典・参考
  • エスフーズ 有価証券報告書【沿革】
  • 証券アナリストジャーナル 27(10)(1982年)
  • 日本食糧新聞(2001年6月)

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