S Foods株式交換によるムラチクの完全子会社化と吸収合併
米国産牛肉が止まった年に、国産牛肉の仕入ルートを会社ごと受け入れる
- 概要
- 2004年9月1日、エスフーズが株式交換でムラチクを完全子会社とし、2005年3月1日に吸収合併した経営判断。ムラチク創業者の村上真之助氏は同時期に代表取締役副社長兼食肉本部長として入社し、2006年3月に社長へ就いた。
- 背景
- 2003年12月の米国産牛肉輸入停止で、米国産の内臓肉・牛肉を軸としてきた同社の商材が細った。豪州産牛肉や豚原料の製品開発で穴を埋めたものの、国産牛肉の仕入ルートは弱く、混乱した食肉市場のなかで調達先の幅が課題となっていた。
- 内容
- 現金ではなく自社株式を対価とする株式交換で、店頭公開会社だったムラチクを丸ごと取り込んだ。発行済株式総数は6,075,185株増えて32,042,221株となり、半年後の吸収合併では東京本社を東京支店に、旧ムラチク本社を姫路支店に改めて拠点を組み替えた。
- 含意
- 合併を含む2006年2月期の連結売上高は926億7千6百万円と前年同期比64.7%増。同じ2005年3月1日にFREMONT BEEF COMPANYも完全子会社化し、以後の連続買収は村上真之助社長のもとで進んだ。
株を渡すという買い方が連れてきたもの
現金を使わずに株式を渡す買い方は、手元資金を守る代わりに、買い手の株主構成を組み替える。エスフーズが発行した6,075,185株は交換後の発行済株式総数のおよそ19%にあたり、ムラチク側の株主は交換の日からエスフーズの成績を自分の資産として見る立場になった。輸入牛肉が国境で止まった年に、国産牛肉の仕入ルートと販売網を会社ごと迎え入れ、そこにいた経営者まで一緒に受け入れた点で、商材の穴埋めと後継者の確保が一つの取引に重なっている。
対価として渡した株の行方は、大株主欄に残った。2016年2月期の有価証券報告書で、村上真之助氏は7,990,000株・24.76%を持つ筆頭株主として、1989年の合弁相手であった丸紅の15.0%の上に並んでいる。合併から11年後、エスフーズの社長席と筆頭株主の欄には、買われた側の創業者の名前が入っていた。
Yutaka Sugiura, 2026年7月
背景
主力の商材が国境で止まった
2003年12月、米国でのBSE確認を受けて米国産牛肉の輸入が停止した。エスフーズは1972年1月の牛上みの開発輸入以来、米国で食用習慣の乏しい内臓部位を安く仕入れて国内で売る商売を築き、1989年4月にはネブラスカ州にFREMONT BEEF COMPANYを設けて現地処理まで手を伸ばしていた。主力商材の入口が国の措置で閉じたことになり、有価証券報告書は当時を、平成15年12月の米国産牛肉輸入停止以来、混乱する食肉市場において安全で安心な食肉製品の安定的な供給を目指した、と記している[1][2]。
対策は商材の入れ替えで進んだ。豚大腸を原料とする「とんてっちゃん」や「もつ鍋」、豪州産牛肉を自社の製造技術で加工した「味わい焼肉」を投入し、2004年3月には丸紅畜産から豪州レンジャーズバレー高原牧場の牛製品について国内販売権を得ている。ただし、これらはいずれも輸入原料の産地を替える手当てであった。牛肉をめぐる混乱は業績にも表れており、連結の当期純損益は2002年2月期に22億円の赤字、2004年2月期は売上高502億円に対し3億円の黒字にとどまっていた[3][4][5]。
国産牛肉を持つ同業と、持たない自社
相手のムラチクは、村上真之助氏が1982年12月に設立した食肉加工会社であった。村上氏は1975年に村上畜産へ入って食肉業界に身を置き、1981年にエムアンドエム食品、翌年にムラチクを設立、1989年11月に取締役、1993年7月に代表取締役社長へ就いている。エスフーズの有価証券報告書はムラチクを、国産牛肉を得意とする会社と紹介しており、輸入肉を扱ってきたエスフーズが手薄にしていた仕入ルートと販売先を握っていた[6][7]。
両社はどちらも株式を公開していた。ムラチクは2000年2月に株式を店頭公開し、エスフーズは同年8月に社名をスタミナ食品から改めるとともに東京証券取引所・大阪証券取引所の市場第一部へ指定されている。公開会社同士であれば、株価という共通の物差しの上で株式交換という手段が使える。現金を積んで買う道と、自社の株を渡して迎え入れる道の両方が、この時点で開いていた[8][9]。
決断
現金ではなく株式を渡す
2004年9月1日、エスフーズは株式交換によりムラチクを完全子会社とした。この交換で発行済株式総数は6,075,185株増え、32,042,221株となっている。新たに出た株は交換後の総数のおよそ19%にあたり、輸入停止で市場が荒れる時期に手元の現金を減らさずに同業を丸ごと取り込む方法を選んだことになる。あわせてムラチクの子会社であるエムアンドエム食品が連結の範囲に入り、オーエムツーネットワークが関連会社となった[10][11]。
完全子会社としてから半年後の2005年3月1日、エスフーズはムラチクを吸収合併して法人格を消した。合併に伴い東京本社を東京支店、名古屋支店を名古屋第一営業所、九州支店を九州営業所へそれぞれ改称し、旧ムラチク本社を姫路支店としている。持株の形で並べておくのではなく、支店の看板を書き換えて営業網を一本に束ねる進め方であった。両社の得意先が重なる地域では拠点の統廃合も行われ、コンピューターシステムの統合も併せて実施された[12][13]。
同じ日付で米国拠点も内側へ
ムラチク合併と同じ2005年3月1日、エスフーズはFREMONT BEEF COMPANYの株式を丸紅らから譲り受けて完全子会社としている。国産牛肉の仕入ルートと、1989年から16年続いた米国の合弁拠点が、一日のうちに同じ資本の内側へ移った。輸入停止で痛んだ調達を、産地を替えるだけでなく、国産と米国産の両方を自社グループで持つ形に組み替える判断であった[14]。
川下側の手当ても続いた。2005年8月9日、エスフーズは株式公開買付によってジャスダック上場のオーエムツーネットワークを連結子会社とし、同社の子会社5社も連結に加えている。食肉の小売・外食を担う一群がグループへ入り、有価証券報告書は、川上から川下までの太い流れを持つ総合食肉企業グループの基礎を作り上げた、とこの年を総括した。ムラチクの統合は、その基礎の最初の一手にあたる[15][16]。
結果
売上64.7%増と、1年半後の社長交代
合併を含む2006年2月期の連結売上高は926億7千6百万円となり、前年同期比で364億9百万円、64.7%の増収となった。営業利益は18億9千6百万円で11.1%増、経常利益24億4千7百万円に対し、当期純利益は9億8千8百万円と5.2%の減益であった。売上総利益は74.6%増えた一方、販売費及び一般管理費が91.2%増と伸びており、拠点とシステムを一本化する過程の費用がそのまま損益に出ている。連結の従業員数は1,113名となった[17][18]。
統合の帰結は数字だけにとどまらなかった。ムラチクの完全子会社化を機に2004年9月、村上真之助氏はエスフーズの代表取締役副社長兼食肉本部長として入社し、2006年3月には代表取締役社長へ就いている。創業者の森島征夫氏は代表取締役会長に退いた。副社長として入ってから1年半での交代で、創業家からではなく、買った相手の創業者へ経営を渡す承継となった。2007年5月の藤栄商事、2008年10月のヒョウチク、2009年3月の九州相模ハム、2014年1月のグリコハムと続く買収は、いずれも村上社長のもとで実行されている[19][20][21]。
国産牛肉が主力に組み込まれるまで
合併で入った国産牛肉の流通は、その後の事業構成の土台になった。2007年3月にはオーエムツーネットワークが焼肉の牛太の全株式を取得して外食事業に参入し、2012年1月には神戸ビーフの輸出が始まっている。ムラチクが持っていた和牛の仕入先と、オーエムツーが持っていた小売・外食の店舗が、輸入肉を扱ってきた本体の販売網に接がれた。米国産牛肉の輸入停止で細った商材を埋めるための統合が、国産牛肉を売り先ごと抱える体制に育った[22][23]。
2024年2月期のセグメント情報では、食肉等の製造・卸売事業が売上3,927億円・セグメント利益116億円、食肉等の小売事業が240億円・16億円、食肉等の外食事業が75億円・5億円となっている。連結売上の92%を製造・卸売事業が占め、ムラチク由来の和牛ブランド肉の流通もこの中に収まった。合併の当期に926億円だった連結売上高は、18年で4,250億円まで伸びている[24][25]。
- エスフーズ 有価証券報告書【沿革】
- エスフーズ 有価証券報告書 第40期(2006年2月期)
- エスフーズ 有価証券報告書 第41期(2007年2月期)【役員の状況】
- エスフーズ 有価証券報告書(2016年2月期)【大株主の状況】
- エスフーズ 公式サイト「沿革」(https://www.sfoods.co.jp/company04.html)