伊藤傳三氏が大阪市北区で個人経営の食品工業を興したのは1928年である[1]。資本の要るボンレスハムやロースハムで先発と競っても勝ち目はないと考え、中身と包装の両方を作り替えたうえで1934年に『セロハンウインナ』を売り出した[2]。豚肉85〜90%に兎肉10〜15%を混ぜ、赤いセロハンの断ちくずを筒状に貼った袋へ詰め、卸値を1本5銭に置いた[3]。他社のソーセージが100匁45銭だったのに対し、10匁ずつ包装して1本単位で売れる点が神戸市内の飲食店に受け、開発から2年余りで3万円の蓄えができた[4]。戦争が激しくなると原料の調達が行き詰まって事業は中断し、戦災で工場も家も焼失した[5]。
戦後の再興は1946年4月の合名会社伊藤食品工業の設立から始まり、1948年6月には伊藤栄養食品工業へ改組して兵庫県から重要民需産業の指定を受けた[6]。この時期に主力を務めたのは魚肉の『ニューソーセージ』で、1947年秋ごろまで売れ筋の座を占めた[7]。1948年に入ると豚肉のほか兎肉・子牛・山羊肉・馬肉が出回り始めたが、馬肉と山羊肉はにおいが強く、ハム・ソーセージにはほとんど使われていなかった[8]。伊藤傳三氏は鮮度を落とさずに臭みを抜く方法を探し、氷水で水洗いする脱臭法にたどり着いて畜肉の寄せハムを作り、原料肉の足りない業界にプレスハムを生んだ[9]。同業他社のプレスハムは温度管理のばらつきから色が黒ずんだり風味が抜けたりしていたため、伊藤傳三氏は同業者の技術幹部を集め、温度管理と製造工程、氷水による水洗い技術のすべてを公開した[10]。
大衆化を阻んでいた物品税についても伊藤傳三氏は大蔵省主税局と談判し、1949年6月11日にプレスハムの課税撤廃を取り付け、翌1950年1月には単味品に残っていた10%も全廃させた[11]。販路では代理店を通さず小売店と直接取引する方式に切り替え、自社製品だけを扱う小売店を『伊藤ハム会』として組織し、加盟は全国約6,000店に達した[12]。原料では1958年にニュージーランドから3,000トンのマトンを輸入し、日本全体でその年に入った3,200トンのほとんどを使い切った[13]。1961年1月に商号を伊藤ハム栄養食品へ変え、同年10月に東京・大阪両証券取引所の第二部と神戸証券取引所へ上場し、1967年7月に東京・大阪の第一部へ指定された[14]。1978年2月期のハム・ソーセージ売上高は927億円に達し、678億円の日本ハムを引き離して首位に立ったが、と畜場の経営はゼロだった[15]。
庄司清和氏が静岡県沼津市で米久食品を興したのは1965年である[16]。畜産学部の出身で、在学中に脱脂粉乳を乳酸発酵させた飲料を売り歩いて研究室の費用を稼いだ庄司清和氏は、卒業後に東京の米久へ就職したものの16カ月で辞めた[17]。当時の食肉業界では関西系のハム会社が全国の販売網を作り終えて上場も済ませており、食肉加工業者は400社を超えていた[18]。資金も信用も技術もない米久にハム・ソーセージの生産は無理で、作っても売れる状態ではなかった[19]。そこで食肉の卸売りを手がけ、足りない先へ余っている肉を運び、骨や脂を取る作業を残業で引き受けて手間賃を稼ぐ日々を約10年続けた[20]。
取引先が200〜300社、営業所が2〜3カ所になった1973年から、米久はハム・ソーセージの製造と販売を本格的に始めた[21]。後発の不利を埋める方法として庄司清和社長が置いたのは、独自の商品開発による差別化である[22]。それまでハムの形は丸か四角か三角しかなかったところへ、手作りハムの『ダルマ・スモークハム』を出して当てた[23]。大手各社の間では、米久の商品開発から目を離してはいけないという評価が定着した[24]。ミートボールやロールキャベツなど半調理品の商品群も広げ、生ハムは1982年に開発を終えて全国シェアの首位を取った[25]。
販売では東海道メガロポリスと呼ばれる帯に絞って売り込み、得意先は約1,400社、売上高構成比は大手・中小スーパーが4割強、卸・専門店が4割強を占めた[26]。従業員は415人にパートタイマー約200人、関連会社13社を合わせると約1,100人で、平均年齢は従業員が29歳、役員が44歳、支店長・工場長が36歳だった[27]。社是は創業当初の『肉店の裏方はおまかせください』[引用元]から『Better Products, Better Service』[引用元]を経て、『ヘルシー・コミュニケーション』へ移した[28]。仕入先はほとんどが生産者で、商社を通じた海外からの調達が約30%を占めた[29]。1986年10月6日、米久は東京と名古屋で株式を店頭公開した[30]。
1979年の時点で、伊藤ハム栄養食品の強みだった高級品の商品開発力と直販の優位は他社の巻き返しで薄れ、ハム・ソーセージの生産数量の伸びも前年の13.4%増から1.9%増へ落ちていた[31]。日本ハムの『ウィニー』やプリマハムの『オーフレッシュ』が当たり、伊藤ハム栄養食品が類似商品で追う場面が増えた[32]。そこで加工の設備と研究に資金を向ける。1984年6月に商号を伊藤ハムへ変えた[33]。1989年12月に茨城県守谷町へ中央研究所を新設した。
米久が食肉から離れた分野で伸ばしたのはマッシュルームである[34]。庄司清和社長は経済新聞の市況欄でマッシュルームがキロ1,500円と付いているのを見て調べた[35]。生産コストは和牛の47分の1で原価は250円に満たないのに、日本では農家の生産規模が小さく人件費と設備費が90%以上を占めるために高値になっていた[36]。若い技術者3人を米国とカナダへ連れて行き、カナダの生産会社に残して学ばせ、同じやり方で日本での生産を始めた[37]。日本たばこ産業から発酵とバイオテクノロジーの技術を導入した工場は1986年に完成し、坪当たり収穫量は従来の日本の農家に比べて約2倍になった[38]。生産の中心は静岡県富士宮市の朝霧高原に置いた[39]。
販売面では食肉専門店の衰退とスーパーの過当競争が重なり、米久は数年前から独自の販売経路を作っていた[40]。経営資産として冷凍・冷蔵車170台を保有して東名高速を中心に走らせ、営業担当が1台ずつ受け持って1台あたり年2億円を売り上げた[41]。営業所にはすべて冷凍・冷蔵庫を備え、マイナス15度からプラス10度の温度帯で東京・大阪間のチルド輸送を自前で組み、産地直送の『うまいもの便』を伸ばした[42]。業界で400番目の設立でありながら、1987年2月期の売上高は338億円に達し、協会に加盟する270社ほどのなかで第8位に付けた[43]。首位の日本ハムの年間売上高は3,800億円だった[44]。
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|---|---|---|---|---|
| 1928〜1995年プレスハムで首位に立った伊藤ハムと、商品開発の米久 | 伊藤傳三が大阪府で伊藤食品加工業を創業(伊藤ハムの起点) | ★★★ | ||
| 伊藤ハムがセロハンウインナー(現ポールウインナー)を開発 | ★★ | |||
| 伊藤ハムが兵庫県神戸市で合名会社伊藤食品工業を復興 | ★★ | |||
| 伊藤ハムが伊藤栄養食品工業を設立 | ★★ | |||
| 伊藤ハムがハム・ソーセージの原料肉としてマトンの使用技術を開発 | ★★ | |||
| 伊藤ハムが東京都目黒区に目黒工場を新設 | ★ | |||
| 庄司清和が静岡県で米久食品を創業(米久の起点) | ★★★ | |||
| 伊藤ハムが東京証券取引所・大阪証券取引所市場第一部に上場 | ★ | |||
| 米久がスモークハム・ダルマスモークハムを発売 | ★ | |||
| 米久が生ハム専用工場の御殿場工場(現ふじやま工場)を新築 | ★ | |||
| 伊藤ハムが手造りウインナーバイエルンを発売 | ★ | |||
| 伊藤ハムがポークビッツを発売 | ★ | |||
| 米久が御殿場高原あらびきポークを発売 | ★ | |||
| 1996〜2015年創業者が退いた米久と、罰金3,000万円を科された伊藤ハム | 米久が東京証券取引所市場第一部に上場 | ★ | ||
| 伊藤ハムが東京都目黒区にアルト伊藤ビル(現ホールディングス本社)を新設 | ★ | |||
| 伊藤ハム・米久・三菱商事が包括業務提携契約を締結 | ★★ | |||
| 米久がECサイトを開設しネット通販に本格参入 | ★ | |||
| 伊藤ハムが茨城県取手市に取手工場を新設 | ★ | |||
| 伊藤ハムと米久が共同持株会社設立による経営統合の基本契約書を締結 | ★★ | |||
| 2016〜2025年1兆円に迫る売上と5期続いたハム・ソーセージの数量減 | 宮下功 | 株式移転により伊藤ハム米久ホールディングスを設立し東京証券取引所に上場 | ★★★ | |
| 宮下功 | ニュージーランドのANZCO FOODS LTD.の株式を追加取得し完全子会社化 | ★★★ | ||
| 宮下功 | 明治ケンコーハム(後の米久ケンコーハム)の株式を取得し完全子会社化 | ★★ | ||
| 宮下功 | 植物性素材を用いたまるでお肉!シリーズを発売 | ★★ | ||
| 宮下功 | 米久ケンコーハムの事業を米久に譲渡し清算 | ★ | ||
| 宮下功 | 東京証券取引所プライム市場に移行 | ★ | ||
| 宮下功 | IHミートパッカー十和田ビーフプラントが竣工 | ★ |
免責事項およびポリシー
事実根拠:出所(伊藤ハム米久ホールディングス)