ユニーサークルケイ・ジャパンとサンクスの統合によるサークルKサンクスの発足
業界5位と6位を束ねて第四勢力をつくった判断は、なぜ加盟店の離反を招いたのか
- 概要
- 1998年11月にユニーと子会社のサークルケイ・ジャパンがサンクスアンドアソシエイツの株式51%を総額400億円で公開買付けし、2000年9月の持株会社構想を経て2004年に両社が合併し株式会社サークルKサンクスが発足した経営判断。
- 背景
- コンビニ業界はセブン-イレブン・ジャパン、ローソン、ファミリーマートの3社が突出しており、5位と6位のままでは先細りが避けられなかった。両社を合わせれば店舗数でファミリーマートに迫る。
- 内容
- 当初は合併も視野に入れたが、加盟店やエリアフランチャイズとの契約内容の違いを埋める作業に膨大な時間と手間がかかるため、いったん持株会社方式へ方向転換した。合併に至ったのは資本提携から6年後である。
- 含意
- 統合後も二つのブランドを残し、中京圏を地盤とするサークルKと関東中心のサンクスが同じエリアで出店を続けたため、加盟店には相手が競合他社のままだった。2010年以降はエリアフランチャイズの離反が相次いだ。
統合の順序が、後から効いてきた
規模を確保するという目的だけを見れば、この統合は成立している。5位と6位を合わせて5,334店とし、3位ファミリーマートの5,685店に迫った。仕入と物流でスケールを取るという計算にも根拠があり、セブン-イレブンとの物流費率の2ポイント差は、放置すれば売るほど利益差が開く水準であった。両社の首脳が持株会社を選んだ判断も、加盟店オーナーという株主以外の当事者を抱えるフランチャイズビジネスでは現実的な選択だったといえる。
誤算は、後回しにしたものが消えなかった点にある。契約の統一という最も内向きで手間のかかる作業を先送りしたまま、資本と看板だけを先に一つにした結果、加盟店から見た会社は6年経っても二つのままだった。同じエリアで二つの看板が競い、顧客も混乱する状態が続けば、オーナーが本部に見切りをつける理由は積み上がる。2010年以降に富山、千葉・東京、四国と離反が続いたのは、統合そのものの是非ではなく、統合の順序が生んだ帰結とみることができる。規模を先に取り、統合の実務を後に回すやり方は、加盟店が事業の主体である業態では通用しにくかった。
この判断の重みは、ユニー本体にも及んだ。2008年に前村哲路社長がファミリーマートとの提携を問われて、経営統合したサークルKサンクスではたいへん苦労したと述べ、コンビニで直接手を組むのは得策ではないと語ったのは、この経験があったからである。2015年に自主独立を捨ててファミリーマートとの統合へ進んだとき、ユニーが最も警戒していた論点も、やはり加盟店との契約であった。
Yutaka Sugiura, 2026年8月
背景
上位3社に離された5位と6位
1990年代後半のコンビニエンスストア業界では、セブン-イレブン・ジャパン、ローソン、ファミリーマートの3社が突出していた。ユニー傘下のサークルケイ・ジャパンは5位、サンクスアンドアソシエイツは6位[2]であり、すでに飽和に近い市場でこの順位のままではジリ貧が避けられないという読みが両社にあった[1]。体力のあるうちに手を打つ必要があった。
相手方にも事情があった。サンクスは流通系の安定株主を探しており、株式の46%を保有していた小野グループが持株の全てを譲渡することを承諾した[3]。仲介したのはM&A仲介会社の野村企業情報で、1998年4月にサークルケイへ買収を提案している[4]。サークルケイにとってサンクスは店舗の重複が少なく、手薄だった首都圏の強化にも合う相手であった。
決断
資本提携から入り、合併は6年後に回した
1998年11月、ユニーと子会社のサークルケイ・ジャパンはサンクスアンドアソシエイツの株式51%を総額400億円で公開買付けした。エリア・フランチャイズを含む両社の店舗数は4,650店[5]となり、3位ファミリーマートに迫る。当初は合併も視野に入れると説明されたが、その後段だけが独り歩きし、1999年には合併延期という報道が出た。サンクスの橘高隆哉社長は、合併をいつするかを議論したことはなく議題にも上がっていないと否定している[6]。
合併を急がなかった理由は、コンビニという業態の構造にあった。店舗のほとんどが加盟店とのフランチャイズ契約で成り立っており、合併するなら契約内容を統一する必要がある。それも加盟店に有利な側へ揃えざるをえない[7]。加えてサークルケイの強い東海地区には100店以上のサンクスがあり、神経質になっているオーナーもいた[8]。橘高社長は合併には相当に内向きなエネルギーが要ると述べ、システムの統合を年次で進める道を選んだ。
持株会社という中間形態を挟む
2000年9月、両社は翌年7月をめどに持株会社を設立すると発表した[9]。合併には人事や賃金の統合という内向きの作業が要るが、持株会社なら合併の利点だけを取れる、というのが橘高社長の説明である。両社を合わせた店舗数は5,334店となり、3位ファミリーマートの5,685店に近づいた[10]。狙いは仕入交渉と物流にあり、取引先への支払いを一本化して値入れ率を改善し、物流センターを統廃合する計画であった。先行するセブン-イレブンとの売上高物流費率の差はおよそ2ポイントあった[11]。
結果
二つのブランドを残した統合が加盟店の離反を招いた
2004年、サークルケイ・ジャパンとサンクスアンドアソシエイツは合併し、株式会社サークルKサンクスとなった[12]。ところが二つのブランドは残され、中京圏を地盤とするサークルKと関東中心のサンクスが統合後も同じエリアで出店を続けたため、加盟店にとって相手は競合他社のままだった[13]。四国にはサンクス東四国とサークルケイ四国の2つのエリアフランチャイズがあり、顧客の混乱も招いた。加盟店からは、合併以降に意思決定が急激に遅くなったという声が上がった[14]。
離反は2010年から続いた。サンクスアンドアソシエイツ富山がローソンへの転換を表明して事業を譲渡し、千葉と東京で店舗を運営したシー・ヴイ・エス・ベイエリアも訴訟を経て15億円を支払って和解し、2012年5月に全店をローソンへ替えた[15]。2012年には香川と徳島でサンクス123店を運営するサンクスアンドアソシエイツ東四国がセブン-イレブンへの鞍替えを表明する。1店1日当たりの売上高でセブン-イレブンとは約20万円の差がついていた[16]。
- 有価証券報告書
- 週刊東洋経済 1998年11月7日号「サークルケイ サンクスを系列化」
- 週刊東洋経済 1999年11月13日号「サークルケイ/サンクス合併先送り報道の真相」
- 週刊東洋経済 2000年12月9日号「サークルK サンクス 合従連衡に賭ける」
- 週刊東洋経済 2008年8月2日号「ユニー社長 前村哲路」
- 週刊東洋経済 2012年11月9日号「サークルKサンクス 止まらないFC離反」