ワールド の歴史

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創業 1959年
創業者 畑崎廣敏木口衞
創業地 兵庫県神戸市
創業
1959年1月、神戸市生田区(現中央区)で畑崎廣敏氏と木口衞氏が、資本金200万円のセーター卸売業、株式会社ワールドを設立した。両名は当時22歳で、神戸の繊維商社『光商会』を退職しての独立である。国内のニットメーカーと全国の小売店を2人で回って取引先を広げ、1962年には問屋の慣行だった返品制をやめ、小売店に商品を買い取らせる買取制へ転じた。在庫の危険を小売へ渡す代わりに、自社は当たる商品を企画する力だけで競う立場へ移る。ただし自社の店を持つのは、それから30年あまり先のことだった。
決断
売れ残りを誰が抱えるかを、そのつど置き換えてきた。1992年の『スパークス』構想では在庫の危険を自社へ引き取り、OZOCを皮切りに企画から店頭までを持つ製造小売へ転じた。ブランドは約40まで増え、その店舗運営の費用が既存店の収益を圧迫する。2005年、寺井秀蔵社長と畑崎一族は買収総額2,300億円のMBOで上場を廃止した。買収資金の8割を会社負担の借入で賄ったため有利子負債は2,000億円規模へ膨らみ、2015年に外部から迎えた上山健二社長が約500店を閉鎖し不採算ブランド10超を廃止して、売上高営業利益率を4.2%から5.6%へ戻した。
現況
自社ブランドの外側に、他社の機能を請け負う収益源が育っている。2026年2月期の連結売上高は2,840億円、営業利益160億円で、内訳はブランド事業1,939億円、生産・物流・店舗運営を外販するプラットフォーム事業780億円、デジタル事業119億円である。セグメント利益ではブランド事業89億円に対しプラットフォーム事業が46億円を占め、他社向けの機能提供が3割近くを生んでいる。2018年に13年ぶりに東証一部へ復帰したあとは、2022年のナルミヤ・インターナショナル、2025年のエムシーファッションと買収で機能を足し、2026年4月からB2CとB2Bの2セグメント体制へ再編した。
競合
競争の焦点は、抱えるブランドの数ではなく1ブランドあたりの規模へ移った。ワールドは百貨店とショッピングセンターの区画ごとに年代とテイストを割り当てる方式で伸び、1986年7月期に売上高1,414億円・経常利益235億円へ達している。一方、毎週の売価変更で完全売り切りを敷いたファーストリテイリングは単一ブランドへ絞って売価の決定まで自社に置き、電算と物流を内製したしまむらは電算と物流を内製して低価格帯を固めた。上下から挟まれた中価格帯では、1ブランドが売場の1区画しか取れない構造が原価でも広告でも不利に働き、ワールドは現在、買収で得た機能を他社へも提供することで規模を補っている。
ワールド:長期業績の推移(売上高・利益率)売上高(億円純利益率(%)
1997年3月期2026年2月期

創業ストーリー セーター卸の独立から日本最大の利益率を誇るアパレル企業へ (1959年〜)

「買取制」逆張りで作った企画卸の競争優位

1959年1月、神戸市生田区(現中央区)でセーター卸売業[1]の株式会社ワールドが設立された。創業者は当時22歳の畑崎廣敏氏と木口衞氏で、両名は神戸[2]の繊維商社『光商会』(セーターの卸売業)を退職して独立した。当時の関西ニット業界では卸売業からの独立は珍しい選択ではなく、メーカーと小売店を仲介する問屋業務は分業構造として確立していた。資本金200万円でスタートしたワールドは、[3]創業時から仕入れ面では国内ニットメーカーの開拓、販売面では全国の小売店の開拓をそれぞれ地道に進め、創業者2名が全国を回って取引先を広げる出発期を過ごした。神戸という立地は当時のアパレル業界では生産地と消費地のあいだに位置する中継地点であり、関東・関西・四国・九州の小売網にアプローチしやすい商業地としての強みを持っていた。

  • ワールド 有価証券報告書 第68期(2026年2月期)【沿革】
    • [1]1959年1月 神戸市生田区で㈱ワールドを設立(セーター卸売業)
    • [3]資本金200万円でスタート
  • 畑崎広敏(公開略歴)
    • [2]創業者は畑崎廣敏氏(当時22歳)と木口衞氏で、両名は神戸の繊維商社「光商会」を退職して独立した

1962年、ワールドは小売店に対する『買取制』を導入した。当時の卸売業界の商習慣は、小売店が問屋から商品を仕入れたあと売れ残りを返品できる『委託販売制』『返品制』が中心で、在庫リスクは問屋側が負う構造だった。買取制は小売店側に在庫リスクを負わせる代わりに、問屋側は仕入れ品の選定と企画開発に専念し、ヒット商品を作る編集力で差別化する仕組みであった。買取制は単なる商取引慣行の逆転にとどまらず、卸売の競争軸を『在庫リスクを引き受ける財務力』から『ヒット商品を企画する開発力』へ転換する経営戦略上の選択であった。

1970年代に入ると、ワールドは買取制の競争優位を活かして急成長軌道に乗った。1971年7月期の売上高49億円・税込利益5.5億円から、[4]1976年7月期には売上高422億円・税込利益63.1億円と5年間で売上を約9倍に伸ばした。[5]利益率は15%前後の高水準を保ち、[6]当時のアパレル業界では群を抜く収益性を確保していた。1976年時点のワールドは非上場のまま売上422億円・利益63億円という財務体質を持ち、関西アパレル界では女子大生の就職先として人気が高い企業と言われる存在になっていた。1978年7月期の売上高は550億円・税込利益87億円、[7]1981年7月期には905億円・経常利益159億円と、[8]創業から22年で売上1,000億円を窺う規模に到達した。

  • ヤノニュース(1025)
    • [4]1971年7月期 売上高49億円・税込利益5.5億円
    • [5]1976年7月期 売上高422億円・税込利益63.1億円(5年で売上約9倍)
    • [6]利益率15%前後の高水準(評価の数値根拠=1976年 63.1/422≈15%)
    • [7]1978年7月期 売上高550億円・税込利益87億円
  • ヤノニュース(1103)
    • [8]1981年7月期 売上高905億円・経常利益159億円
  • ワールド 有価証券報告書 第68期(2026年2月期)【沿革】
    • [1]1959年1月 神戸市生田区で㈱ワールドを設立(セーター卸売業)
    • [3]資本金200万円でスタート
  • 畑崎広敏(公開略歴)
    • [2]創業者は畑崎廣敏氏(当時22歳)と木口衞氏で、両名は神戸の繊維商社「光商会」を退職して独立した
  • ヤノニュース(1025)
    • [4]1971年7月期 売上高49億円・税込利益5.5億円
    • [5]1976年7月期 売上高422億円・税込利益63.1億円(5年で売上約9倍)
    • [6]利益率15%前後の高水準(評価の数値根拠=1976年 63.1/422≈15%)
    • [7]1978年7月期 売上高550億円・税込利益87億円
  • ヤノニュース(1103)
    • [8]1981年7月期 売上高905億円・経常利益159億円

製縫進出と神戸ポートアイランド本社竣工

1970年代後半から1980年代前半にかけて、ワールドは事業ドメインの垂直統合を進めた。1974年に子供服分野へ進出、[9]1978年にはメンズ・スポーツウェア分野へ進出し、同年に縫製分野への垂直統合も開始した[10]。1980年には繊維商社の株式会社ワールドテキスタイル、1980年11月には縫製の株式会社ワールドインダストリーを相次いで設立し、[11]繊維素材から縫製までを内製化する構造を組み上げた。1981年4月には百貨店市場への進出を目的に株式会社ノーブルグーを設立し、[12]販路としても卸売中心から小売・百貨店向けへの拡張を進めた。

  • ワールド 有価証券報告書 第68期(2026年2月期)【沿革】
    • [9]1974年 子供服分野へ進出
    • [10]1978年 メンズ・スポーツウェア分野へ進出/縫製分野への垂直統合を開始
    • [11]1980年 ㈱ワールドテキスタイル、1980年11月 ㈱ワールドインダストリーを設立
    • [12]1981年4月 百貨店進出のため㈱ノーブルグーを設立

1982年4月、ワールド単体の売上高は1,000億円を突破した[13]。創業から23年での1,000億円達成は、利益率重視で規模を後追いさせるワールドの経営方針からすると相当に急速な伸びだった。1984年3月、神戸市中央区港島中町(ポートアイランド)に新社屋を竣工し[14]、本社を移転した。神戸市が開発した人工島ポートアイランドへの本社移転は、関西を代表する企業としての存在感を象徴する立地選択であった。社員向け福利厚生として月3,000円で社内食堂の食べ放題、スポーツ施設の無料利用などを整え、関西では『女子大生の就職人気No.1』企業となった。

  • 論文「ビジネス・システムの進化にかんする研究」(井上)
    • [13]1982年(7月期)にワールド単体売上高が1,000億円を突破
  • ワールド 有価証券報告書 第68期(2026年2月期)【沿革】
    • [14]1984年3月 神戸市中央区ポートアイランドに新社屋を竣工し本社移転

ただし1984年7月期の半ばから、ワールドの主力レディースブランド『コルディア』『ルイシャンタン』の2大ブランドが減収に転じた。創業以来続いた急成長は1984年から1986年にかけて鈍化し、1986年7月期の売上高1,414億円・経常利益235億円を1つの天井として、[15]その後数年は横ばい〜微減基調に転じた。同時期、ワールドは1987年に上海世界時装有限公司を合弁設立し、生産機能の海外展開を開始した。[16]買取制で作ったヒット商品開発力が、生産網の海外化と並行して国内アパレル業界に広く模倣されるなかで、競争優位の源泉が相対的に薄れつつあった時期である。

  • 論文「ビジネス・システムの進化にかんする研究」(井上)
    • [15]1986年7月期 売上高1,414億円・経常利益235億円(成長の天井)
  • ワールド 有価証券報告書 第68期(2026年2月期)【沿革】
    • [16]1987年 上海世界時装有限公司を合弁設立(生産の海外展開を開始)
  • ワールド 有価証券報告書 第68期(2026年2月期)【沿革】
    • [9]1974年 子供服分野へ進出
    • [10]1978年 メンズ・スポーツウェア分野へ進出/縫製分野への垂直統合を開始
    • [11]1980年 ㈱ワールドテキスタイル、1980年11月 ㈱ワールドインダストリーを設立
    • [12]1981年4月 百貨店進出のため㈱ノーブルグーを設立
    • [14]1984年3月 神戸市中央区ポートアイランドに新社屋を竣工し本社移転
    • [16]1987年 上海世界時装有限公司を合弁設立(生産の海外展開を開始)
  • 論文「ビジネス・システムの進化にかんする研究」(井上)
    • [13]1982年(7月期)にワールド単体売上高が1,000億円を突破
    • [15]1986年7月期 売上高1,414億円・経常利益235億円(成長の天井)

「スパークス構想」とSPA転換の準備

1992年1月、畑崎社長は中期経営ビジョン『スパークス(SPARCS)構想』を発表[17]した。当時の海外ではZARAやH&MがSPA(製造小売一体)モデルで急成長を始めており、ワールドはこの仕組みを日本アパレル市場に持ち込む構想を掲げた。スパークス構想は単なる新ブランド投入ではなく、ワールドの事業ドメインそのものを『卸売中心』から『製造小売一体型SPA』へ組み替える方針宣言であった。

  • ワールド 有価証券報告書 第68期(2026年2月期)【沿革】
    • [17]1992年1月 中期経営ビジョン「スパークス(SPARCS)構想」を発表(畑崎社長)

スパークス構想の具現化策として、ワールドは1993年に新業態事業部を設置し、20代向けレディースファッション『OZOC』をSPAモデルで立ち上げた。当初は売上が低迷したものの、積極的なテレビCMと有名デザイナーの起用、ショッピングセンター中心の出店戦略が組み合わさり、1996年頃からOZOCは年間販売高100億円を突破する主力ブランドへ成長した。OZOCの成功はワールドのSPA転換の象徴であり、卸売主体の事業構造から自社ブランドのSPA展開を主力とする構造への転換が、1990年代を通じて進められた。並行してインディヴィ・タケオキクチ・アンタイトル・アンタイトルなど、年代・テイスト別に複数ブランドを並列展開する手法を確立し、デパート内のフロア区画ごとに異なるブランドを並べる『ブランドポートフォリオ展開』がワールドの代名詞となった。

1993年11月、ワールドは大阪証券取引所市場第2部に株式上場した[18]。創業から34年での上場であり、関西アパレル業界では遅めの上場時期にあたる。1995年3月期には創業以来初の最終赤字71億円[19]に転落したが、これはゴルフ場開発の中止に伴う特別損失計上が主因だった。1998年6月、畑崎氏の義弟である寺井秀蔵氏が代表取締役社長に就任した。同年12月には東京証券取引所市場第2部に上場、翌1999年9月には大証・東証ともに市場第[20]1部銘柄に指定された。上場から6年で東証一部入りした経緯であり、ワールドは関西の中堅アパレル企業から、東京中心の上場アパレル大手へと立ち位置を移した。1999年3月期の連結売上高2,061億円、純利益31億円という業績は、[21]創業40年で日本のアパレル業界における大手の一角としての規模を確立したことを意味した。

  • ワールド 有価証券報告書 第68期(2026年2月期)【沿革】
    • [18]1993年11月 大阪証券取引所市場第2部に株式上場(創業34年目)
    • [20]1998年12月 東証市場第2部上場/1999年9月 大証・東証とも市場第1部に指定
  • 会社四季報
    • [19]1995年3月期に創業以来初の最終赤字71億円(ゴルフ場開発中止の特損が主因)
    • [21]1999年3月期 連結売上高2,061億円・純利益31億円
  • ワールド 有価証券報告書 第68期(2026年2月期)【沿革】
    • [17]1992年1月 中期経営ビジョン「スパークス(SPARCS)構想」を発表(畑崎社長)
    • [18]1993年11月 大阪証券取引所市場第2部に株式上場(創業34年目)
    • [20]1998年12月 東証市場第2部上場/1999年9月 大証・東証とも市場第1部に指定
  • 会社四季報
    • [19]1995年3月期に創業以来初の最終赤字71億円(ゴルフ場開発中止の特損が主因)
    • [21]1999年3月期 連結売上高2,061億円・純利益31億円

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ワールドの沿革1959〜2024年における主な出来事を抜粋

時代年月社長・CEO出来事重要度
1959〜1999年セーター卸の独立から日本最大の利益率を誇るアパレル企業へ木口衞ワールドを設立
木口衞東京店を開設
木口衞神戸本社ビルを竣工
畑崎廣敏この頃より子供服分野に参入
畑崎廣敏小売分野に参入★★
畑崎廣敏この頃より縫製分野に参入
畑崎廣敏メンズ・スポーツウェア分野に参入
畑崎廣敏販売員教育分野に参入
畑崎廣敏繊維商社分野に参入
畑崎廣敏ワールドインダストリーを設立し縫製分野の拡充
畑崎廣敏百貨店市場に参入★★
畑崎廣敏神戸市中央区ポートアイランドに新社屋を竣工し本社を移転
畑崎廣敏合弁会社上海世界時装有限公司を設立
畑崎廣敏株式額面変更のため形式上の存続会社であるワールドに吸収合併
畑崎廣敏中期経営ビジョン「スパークス(SPARCS)」構想を発表★★
畑崎廣敏大阪証券取引所市場第二部に上場
寺井秀藏東京証券取引所市場第二部に上場
寺井秀藏東京・大阪両証券取引所の市場第一部銘柄に指定
2000〜2017年MBOによる非上場化と寺井社長の体制で表面化した構造課題寺井秀藏イッツデモを設立
寺井秀藏ジェイテックスを子会社化しホームファッション事業に参入
寺井秀藏業績好調のなかで選んだMBOによる非公開化

2005年、寺井秀蔵社長の主導で、業績が安定するさなかにワールドが買収総額約2,300億円・当時最大級のMBOによって非上場化した経営判断。社長が事実上100%を出資する受け皿会社を通じたTOBに発行済株式総数の約95%が応じ、同年11月に上場を廃止した。

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★★★
寺井秀藏ハーバーHDアルファと合併し解散しワールドを商号変更で承継★★
寺井秀藏中国における生産機能会社として世界時興(上海)貿易有限公司を設立
寺井秀藏ファッション・コ・ラボを設立しECモール事業と他社EC受託事業を開始★★
上山健二上山健二社長による大規模構造改革——500店閉鎖と不採算ブランドの廃止

ファストファッションの挟撃と重い固定費・有利子負債のなか、外部出身の上山健二社長が400〜500店の閉鎖と不採算ブランドの廃止・希望退職で固定費を落とし、定価販売率の改善と合わせて収益力を回復させた構造改革

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★★★
上山健二ワールドを事業持株会社とする持株会社体制へ移行★★
2018〜2026年再上場とエコシステム構想による事業ポートフォリオ拡張上山健二ユーズドセレクトのティンパンアレイを子会社化しリユース事業に参入★★
上山健二MBOによる非公開化から13年を経ての東証一部再上場

2018年9月28日、ワールドが東京証券取引所市場第一部へ再上場した経営判断。2005年のMBOで上場を廃止してから13年ぶりの復帰で、上山健二社長が主導した。公開価格2,900円に対し初値は2,755円と5%下回り、時価総額は約1,000億円にとどまった。

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★★★
鈴木信輝持分法適用関連会社のナルミヤ・インターナショナルを子会社化★★
鈴木信輝ラグジュアリーセレクトのストラスブルゴを子会社化
鈴木信輝オフプライスストアのアンドブリッジを子会社化
鈴木信輝子会社ラクサス・テクノロジーズのIPOにより持分法適用関連会社化
出典・参考
  • ワールド 有価証券報告書 第68期(2026年2月期)【沿革】
  • 畑崎広敏(公開略歴)
  • ヤノニュース(1025)
  • ヤノニュース(1103)
  • 論文「ビジネス・システムの進化にかんする研究」(井上)
  • 会社四季報

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