畑崎廣敏
ワールド・元木口衞氏に代わり代表取締役社長
社長就任 1972年
生年月日 —
学歴 兵庫県立洲本実業高等学校
出自 —
社長就任までの出自
出自
畑崎氏は1936年に兵庫県津名郡で生まれ、1954年に県立洲本実業高等学校を卒業すると同時に、神戸の光商会へ入社した。光商会は帽子・衣類をはじめ日用雑貨を扱う小売業で、のちにエンパイアと名を改めている。社員25人の会社で清掃から荷造り・営業・企画までを担い、3年で営業成績の首位に立った。1959年1月、光商会の上司だった木口衞氏と2人でワールドを設立し、専務取締役に就任した。資本金200万円は前職で貯めた分では足りず、借り集めて工面している。
社長に選ばれた経緯
抜擢
1972年、畑崎氏は木口衞氏に代わって社長に就任し、木口氏は会長へ回った。木口氏は光商会時代の13歳年上の上司で、創業直後は前職の問屋に義理立てしたメーカーが商品を流さず、畑崎氏はビルの天井裏の倉庫に住み込んで仕入れ先を開拓している。就任時のワールドは1965年2月に東京店を出店し、1968年10月に神戸本社ビルを構えるまでになっていた。就任2年目の1973年秋には消費不況で50万枚・20億円の在庫を抱え、1974年7月期は創業以来初の減益に転じた。
在任中の主な施策
施策
畑崎氏は在庫を抱えた反省から、商品を右から左へ流す問屋を離れ、企画とデザインを自社に置いて生産をメーカーへ発注する「工場を持たないメーカー」へ事業を組み替えた。1974年に子供服、1978年にメンズ・スポーツウェアへ広げ、同年から縫製の内製化に入った。1984年3月には神戸ポートアイランドへ本社を移している。1992年1月には製造小売への転換を掲げる「スパークス構想」を発表し、1993年11月、創業34年目に大阪証券取引所第二部へ上場した。
在任の評価
評価
執筆予定
経歴 1954〜1997年
在任中の業績
就任前(FY71)84億円
退任時-
変化-
就任前-
退任時-
変化-
参考文献 3件
- 日経ビジネス 1977年2月14日号「編集長インタビュー 畑崎廣敏氏(ワールド社長)」
- Decide 1985年11月号「世界企業への道 ワールド社長畑崎廣敏」
- 創業者精神 : 独力で優良企業を築いた経営者列伝(日経ベンチャー別冊、1993年)「現社長との出会いがすべてを決めた」木口衞