ユナイテッドアローズ の歴史

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創業 1989年
創業者 重松理
創業地 東京都渋谷区
創業
1989年10月、重松理氏が東京都渋谷区神宮前に資本金5,000万円でユナイテッドアローズを設立した。重松氏はビームスの立ち上げに携わった人物で、出資者にはアパレル大手のワールドを迎えている。翌11月にパリのブティック『マリナ・ド・ブルボン』の日本展開を運営代行する形で第1号店を開設し、1990年7月に渋谷店、1992年10月には原宿本店を構えて本社も同所へ移した。自主企画品を売上の5割以上に置く『セレクト編集型SPA』を業態に据え、高い粗利益率で収益を作っている。ただし創業の資本は自前ではなく、独立した資本構成を持つまでには時間がかかった。
決断
輸入品の目利きで作った差を、自社の企画へ置き換えてきた。2002年3月に東証二部、2003年3月に一部へ上場し、自主企画レーベルを多層に持つ商品体制へ移った。2002年のオデット エ オディール、2003年のドゥロワー、2006年のビューティ&ユースと自主企画のレーベルを重ね、店舗の大型化と在庫管理を進める『スーパーSPA化構想』で売上高1,000億円を目標に置いた。企画を社内へ寄せるほど素材の調達と生産の機能が足りなくなり、2007年8月に三菱商事と資本・業務提携を結んで自己株式162万株を譲渡した。提携は2012年9月に解消している。輸入品の選択で差をつける立場から離れた分だけ、原価と在庫の責任が自社へ移った。
現況
価格帯を一つに絞ったところで、売上は過去最高へ戻った。2021年3月期は営業損益66億円・当期損益72億円の赤字で、同年4月に社長CEOへ就任した松崎善則氏のもとで不採算店を整理してEC基盤を刷新した。定価で売る比率を引き上げ、基幹システム『UA3.0』を刷新した結果、2026年3月期の連結売上高は1,646億円、営業利益は91億円、親会社株主に帰属する当期純利益は61億円となった。売上総利益率も52.4%と、2019年3月期の51.4%を上回る。2026年3月には低価格業態の子会社コーエンを株式譲渡で連結から外している。値引きに依存しない販売の比率を上げたことが、売上を戻す局面で粗利率を押し上げた。
競合
同じ服を安く売る競争からは、自分から降りた。2008年5月に低価格業態のコーエンを設立して量販の価格帯へ参入したが、2026年3月に株式を譲渡して連結から外している。ファーストリテイリングが2006年に低価格帯を埋めるジーユーを設立したのとは反対の順序である。ワールドが2015年に500店の閉鎖と不採算ブランドの廃止で固定費を落としたように、中価格帯のブランドは店数と固定費の重さで整理を迫られた。ユナイテッドアローズは店数を増やす代わりに、原宿本店の改装と会員制度『UAクラブ』の刷新で客単価を上げる側へ寄せている。低価格の売場を持たない選択は国内で粗利率52.4%を生んだが、海外は台湾14店と上海1店にとどまり、同じ売り方の通る市場をまだ広げられていない。
ユナイテッドアローズ:長期業績の推移(売上高・利益率)売上高(億円純利益率(%)
2006年3月期2026年3月期

創業ストーリー ビームスからの独立で始まった創業とセレクト編集型SPAの確立 (1989年〜)

ワールドを後ろ盾にしたビームス出身者の独立創業

ユナイテッドアローズは、1989年10月に東京都渋谷区神宮前二丁目で資本金5,000万円をもって設立された[1]。創業社長の重松理氏は、1976年に原宿で始まったセレクトショップの草分け『アメリカンライフショップビームス』の立ち上げに携わった人物で、ビームスを離れたのち、アパレル大手のワールドを出資者に迎えてユナイテッドアローズ[2]を興した。設立当初は、パリのブティック『マリナ・ド・ブルボン』の日本国内でのショップ展開を運営管理する代行業務から事業を始め、同年11月に渋谷区へ第1号店を開いた[3]

  • ユナイテッドアローズ 有価証券報告書【沿革】
    • [1]1989年10月 東京都渋谷区神宮前二丁目に資本金5,000万円で設立
    • [3]設立当初はパリのブティック「マリナ・ド・ブルボン」の日本国内ショップ展開の運営管理代行から事業を開始し、1989年11月に渋谷区へ第1号店を開店
  • WWDJAPAN 2017年11月21日
    • [2]重松理氏はビームス(1976年原宿創業のアメリカンライフショップビームス)の立ち上げに携わったのち、ワールドを出資者にユナイテッドアローズを設立

重松理氏は1949年生まれで、ユナイテッドアローズの設立と同時に社長へ就いた。創業チームには、のちに社長となる岩城哲哉氏らビームス出身者が加わり[4]、セレクトショップの現場運営に通じた人材が経営の中核を占めた。既存のセレクトショップとの差別化を明確にしたうえで独立した点が、その後の業態設計を方向づけた。重松理氏を中心とする創業チームは、大量出店で規模を追うより、感度と接客で選ばれる店づくりを優先する方針を、初期から共有していた。

  • ユナイテッドアローズ 有価証券報告書【役員の状況】
    • [4]創業チームにはのちに社長となる岩城哲哉氏らビームス出身者が加わった
  • ユナイテッドアローズ 有価証券報告書【沿革】
    • [1]1989年10月 東京都渋谷区神宮前二丁目に資本金5,000万円で設立
    • [3]設立当初はパリのブティック「マリナ・ド・ブルボン」の日本国内ショップ展開の運営管理代行から事業を開始し、1989年11月に渋谷区へ第1号店を開店
  • WWDJAPAN 2017年11月21日
    • [2]重松理氏はビームス(1976年原宿創業のアメリカンライフショップビームス)の立ち上げに携わったのち、ワールドを出資者にユナイテッドアローズを設立
  • ユナイテッドアローズ 有価証券報告書【役員の状況】
    • [4]創業チームにはのちに社長となる岩城哲哉氏らビームス出身者が加わった

自主企画商品5割超のセレクト編集型SPAという業態設計

創業から数年で、ユナイテッドアローズは他社と交わらない独自の業態を打ち出した。海外や国内から選び抜いた商品を並べるセレクトショップと、企画から販売までを自社で担うSPAの双方の強みを組み合わせ、自主企画商品を売上の5割以上に据える『セレクト編集型SPA』を掲げた[5]。会社は商品構成を先駆性10%・時代性40%・独自性50%という比率に置き[6]、輸入で試した先駆的な商材のうち日本の生活文化に根づいたものを自主企画へ落とし込む循環をつくった。自主企画中心の構成は粗利益率を高く保ち、業績への寄与度を上げる仕組みになった。

  • 証券アナリストジャーナル 1999年8月号
    • [5]セレクトショップとSPAを組み合わせ、自主企画商品を5割以上とする「セレクト編集型SPA」を業態として標榜
    • [6]商品構成比を先駆性10%・時代性40%・独自性50%と定めていた

業態のもう一つの柱が、複数の自主企画レーベルを束ねる多レーベル政策だった。流行の短いサイクルと中期のサイクルの双方をカバーするため、会社は16の自主企画レーベルを抱え[7]、それぞれに商品調達を担う部門別のチームを置いた。企業コンセプトとしては、常に自己革新を続ける『進化する老舗』と、百貨店の10分の1の商材でライフスタイルを提案する『専門10貨店』を掲げた[8]。量を追わず時代対応力を優先する方針を明示し、接客サービスの水準を競争力の中心に据えた。この業態設計は、その後も長く会社の商品政策の基本となった。

  • 証券アナリストジャーナル 1999年8月号
    • [7]16の自主企画レーベルを持つ多レーベル政策を採用
    • [8]企業コンセプトとして「進化する老舗」「専門10貨店」を標榜
  • 証券アナリストジャーナル 1999年8月号
    • [5]セレクトショップとSPAを組み合わせ、自主企画商品を5割以上とする「セレクト編集型SPA」を業態として標榜
    • [6]商品構成比を先駆性10%・時代性40%・独自性50%と定めていた
    • [7]16の自主企画レーベルを持つ多レーベル政策を採用
    • [8]企業コンセプトとして「進化する老舗」「専門10貨店」を標榜

御三家の一角としての原宿本店と株式店頭登録

1990年7月、会社はユナイテッドアローズ業態の第1号店となる渋谷店を東京都渋谷区に開いた。1992年10月にはフラッグシップとして原宿本店を神宮前三丁目に構え、本店・本社を同所へ移した[9]。1999年3月期には売上高143億円、総店舗数18[10]店舗の規模へと成長した。原宿という発信力のある立地を本店に据えたことは、ブランドの世界観を打ち出すうえでも大きな意味を持った。

  • ユナイテッドアローズ 有価証券報告書【沿革】
    • [9]1990年7月にユナイテッドアローズ第1号店の渋谷店を開店、1992年10月に原宿本店を開き本店・本社を移転
  • 証券アナリストジャーナル 1999年8月号
    • [10]1999年3月期の売上高143億円、総店舗数18店舗

事業拡大に合わせ、会社は新しい業態と資本市場への足がかりを整えた。1999年9月には中価格帯の『グリーンレーベル リラクシング』を新宿へ本格出店し、同年12月には銀製装飾品を扱う『クロムハーツ』業態[11]を港区で始めた。資本面では、1999年7月に日本証券業協会へ株式を店頭登録し[12]、公開企業となった。翌2001年には分散していた本社機能を神宮前二丁目へ集約し、店舗網の拡大を支える体制を固めた。業態と資本の両面をほぼ同時に整えたことで、会社は次の10年に向けた店舗網拡大の足場を固め、多レーベル化を本格化させる準備を整えた。

  • ユナイテッドアローズ 有価証券報告書【沿革】
    • [11]1999年9月にグリーンレーベル リラクシングを本格出店、同年12月にクロムハーツ業態を開始
    • [12]1999年7月に日本証券業協会へ株式を店頭登録
  • ユナイテッドアローズ 有価証券報告書【沿革】
    • [9]1990年7月にユナイテッドアローズ第1号店の渋谷店を開店、1992年10月に原宿本店を開き本店・本社を移転
    • [11]1999年9月にグリーンレーベル リラクシングを本格出店、同年12月にクロムハーツ業態を開始
    • [12]1999年7月に日本証券業協会へ株式を店頭登録
  • 証券アナリストジャーナル 1999年8月号
    • [10]1999年3月期の売上高143億円、総店舗数18店舗

東証二部・一部への上場と多レーベル化

2002年3月、ユナイテッドアローズは東京証券取引所市場第二部へ株式を上場し、翌2003年3月には市場第一部銘柄に指定[13]された。1999年の店頭登録からわずか数年で東証一部に達した背景には、既存店の二桁増収を続ける成長力と、公開企業として求められる情報開示やガバナンス体制の整備があった。上場で得た資金と信用力は、店舗の大型化や新しい自主企画レーベルへの投資を支える基盤となった。セレクトショップ『御三家』のなかで唯一の上場企業という立場も、取引先や採用面での信用を厚くした。

  • ユナイテッドアローズ 有価証券報告書【沿革】
    • [13]2002年3月に東証二部へ上場、2003年3月に一部銘柄へ指定

上場を機に、会社は特定の顧客層や価格帯に応じた自主企画レーベルを相次いで立ち上げ、多レーベル化を進めた。2002年に『オデット エ オディール』、2003年に『ドゥロワー』、2006年に『ビューティ&ユース ユナイテッドアローズ』を投入し[14]、旗艦のユナイテッドアローズ業態を軸にしながら顧客層の幅を広げた。2003年9月には原宿本店を増床し、店舗数は50[15]店舗を超えた。単一のブランドに頼らず、価格帯と客層の異なる複数のレーベルで売り場を構成する形は、その後の成長を支える基本の型となった。年齢や予算に応じて顧客が同じ会社の別レーベルへ移りやすい構造は、囲い込みの面でも働いた。

  • ユナイテッドアローズ 有価証券報告書【沿革】
    • [14]2002年オデット エ オディール、2003年ドゥロワー、2006年ビューティ&ユース ユナイテッドアローズを投入
    • [15]2003年9月に原宿本店を増床し店舗数が50店舗を超えた
  • ユナイテッドアローズ 有価証券報告書【沿革】
    • [13]2002年3月に東証二部へ上場、2003年3月に一部銘柄へ指定
    • [14]2002年オデット エ オディール、2003年ドゥロワー、2006年ビューティ&ユース ユナイテッドアローズを投入
    • [15]2003年9月に原宿本店を増床し店舗数が50店舗を超えた

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ユナイテッドアローズの沿革1989〜2026年における主な出来事を抜粋

時代年月社長・CEO出来事重要度
1989〜2001年ビームスからの独立で始まった創業とセレクト編集型SPAの確立ユナイテッドアローズを設立
ユナイテッドアローズ(UA)第1号店となる渋谷店をオープン★★
原宿本店を開店
本店・本社を同所に移転
株式額面金額を50,000円から500円に変更するため、エスレフルと合併
本社ビルが竣工
本社を移転
日本証券業協会に株式を店頭登録
「グリーンレーベル リラクシング」業態のGLR新宿店を開店★★
CHROME HEARTS TOKYOを開店
「クロムハーツ」業態の本格展開を開始★★
分散していた本社機能を集約するため、本社所在地を神宮前二丁目に移転
2002〜2006年東証への上場とマルチレーベル化によるデザイン力勝負への転換東証上場を挟んだ自主企画レーベルの多層展開と、デザイン主体の商品づくりへの移行

2002年3月の東京証券取引所市場第二部上場と翌2003年3月の市場第一部指定を挟み、ユナイテッドアローズは商品の6割前後を占める自社企画品を、バイヤー別注の加工からデザイナー・パタンナーが設計する商品へ切り替えた。1999年に掲げた自主企画中心の商品政策とマルチレーベル政策を、上場後の規模で組み直した転換であった。

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★★★
東京証券取引所 市場第一部銘柄に指定
UA原宿本店を増床しリニューアルオープン、店舗数が50店舗超え
岩城哲哉イタリア製鞄等の輸入・卸売・販売を主業とするフィーゴを子会社化
2007〜2018年三菱商事との資本業務提携と1000億円企業への到達岩城哲哉店舗数が100店舗超え
岩城哲哉子会社ペレニアル ユナイテッドアローズを設立
岩城哲哉三菱商事との資本・業務提携と、自己株式162万株の譲渡

2007年8月、ユナイテッドアローズは三菱商事と資本・業務提携を行うことで基本合意し、翌9月に自己株式162万株を29億円で三菱商事へ譲渡した。ショッピングセンター向けカジュアル事業を広げるための素材調達と商品製造を狙いとした提携で、岩城哲哉社長のもとで結ばれ、2012年9月に解消された。

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★★★
岩城哲哉衣料品等の小売を主業とする低価格業態の子会社、コーエンを設立★★
重松理ペレニアル ユナイテッドアローズを清算結了
竹田光広三菱商事との資本・業務提携を解消★★
竹田光広衣料品等の小売を主業とする海外子会社「台湾聯合艾諾股份有限公司」を台湾に設立
竹田光広衣料品等の小売を主業とする子会社、Designsを設立
竹田光広子会社CHROME HEARTS JPを設立
2019〜2026年コロナ危機からの構造改革とグローバル・持株会社化への歩み竹田光広衣料品等の小売を主業とする海外子会社「悠艾(上海)商貿有限公司」を中国に設立
竹田光広株式譲渡によりフィーゴを連結対象から除外
竹田光広コロナ禍の赤字転落を受けた不採算店の整理とEC基盤の刷新

コロナ禍の営業赤字転落を受け、竹田光広社長のもとで始まった構造改革を、2021年4月に就任した松崎善則社長が引き継ぎ、不採算店の整理とEC基盤の刷新を柱に進めた経営判断。2022年3月期に前期末比20店舗の純減を見込み、店頭依存を薄めて店舗とネットの再配分へ動いた。

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★★★
松崎善則靴磨き・靴修理業を主業とするBOOT BLACK JAPANの全株式を取得
松崎善則CHROME HEARTS JPを持分法適用関連会社から除外
松崎善則衣料品等の企画を主業とする子会社、TELMAを設立
松崎善則株式譲渡によりコーエンを連結対象から除外★★
松崎善則連結の期末店舗数が273店舗(うち国内258店舗、台湾14店舗、上海1店舗)に
出典・参考
  • ユナイテッドアローズ 2025年3月期決算説明会 質疑応答集
  • ユナイテッドアローズ 2026年3月期決算説明会 質疑応答集
  • ユナイテッドアローズ 有価証券報告書【沿革】
  • ユナイテッドアローズ 有価証券報告書【役員の状況】
  • 証券アナリストジャーナル 1999年8月号
  • WWDJAPAN 2017年11月21日

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