三陽商会 の歴史

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創業 1943年
創業者 吉原信之
創業地 東京都板橋区
創業
1942年12月、吉原信之氏が東京府板橋区で個人経営の三陽商会を開業し、翌1943年5月に資本金5万円の株式会社として工作機械工具の修理加工と販売を始めた。1944年10月には株式会社三陽商会製作所へ改称し、豊島工場と銀座営業所を置いている。終戦直後の1945年10月に本店を東京都京橋区へ移すと、事業の主軸を工作機械工具からレインコートへ切り替えた。1948年7月に商号を株式会社三陽商会へ戻し、翌1949年9月には国内で唯一ゴム引きレインコートを生産していた日本ゴム工業と、一手発売元の特約を結んでいる。自前の工場を持たず他社の製品を百貨店へ卸す売り方が、ここで固まった。
決断
借りた名前を失ったあと、この会社は売上規模のほうを3分の1へ縮めた。1965年に英国バーバリーの国内独占ライセンスを取得し、日本専用のブラックレーベルとブルーレーベルを百貨店紳士服売場の中核に据えて、2000年代には連結売上1,400億円前後を保った。2015年6月に契約は延長されず、自社企画ブランドで売場を埋め直す。後継ブランドは規模を代替できず、2016年12月期の営業損失84億円を皮切りに6期連続の営業赤字となる。2020年5月に外部から迎えた大江伸治社長は不採算ブランドと遊休資産を整理し、粗利率を最重要の指標に据えた。規模を守ろうとした4年が赤字を長引かせ、規模を捨てた2年が営業黒字を取り戻した。
現況
規模を縮めた先に残ったのは、6割の粗利率と1%台の営業利益率である。2026年2月期の連結売上高584億円に対し売上総利益は355億円で粗利率は60.9%に達したが、販管費342億円を差し引いた営業利益は12億円にとどまった。純利益41億円も41億円の特別利益が作ったもので、本業から出た額ではない。海外は本邦が9割を超えるため地域別の記載もない。2017年2月に岩田功社長が脱百貨店へ転換して以降、百貨店の売場を減らして直営店とECへ移した販路の組み替えが、粗利率をバーバリー時代より高くしている。
競合
競争相手は同業のアパレルではなく、名前を貸していた本人だった。英国バーバリー本社は2000年代後半から日本市場の運営を自社直営へ切り替える意向を強め、2015年6月に契約は延長されずに終わっている。売上の太宗を占めた事業が相手の一存で消える構造は、ライセンス運営を主業に選んだ1965年から抱えていた。同じ立場に対し、ゴールドウインは1995年に日本と韓国に限ってザ・ノース・フェイスの商標権を取得している。2020年5月には保有比率約6%のRMBキャピタルが取締役会の全面刷新を求め、三陽商会は自前の社長交代案で委任状争奪戦を退けた。名前の持ち主にも株主にも決定権を渡した経験が、自社企画ブランドで売場を埋める現在の構成を選ばせた。
三陽商会:長期業績の推移(売上高・利益率)売上高(億円純利益率(%)
1997年12月期2026年2月期

創業ストーリー レインコート専業からバーバリー独占ライセンス取得まで (1943年〜)

工作機械工具からレインコートへ業種を切り替える戦中の創業

三陽商会の起点は1942年12月、創業者の吉原信之氏が東京府板橋区[1]『各種工業用品並びに繊維製品の製造販売』[引用元]を目的として個人経営の三陽商会を開業したことに始まる[2]。翌1943年5月、資本金5万円で株式会社三陽商会を設立し[3]、工作機械工具の修理加工・販売を開始した[4]。戦時下の物資統制経済のなかで、繊維製品と工業用品の両分野に取引機会を求める総合商社的な創業であった。1944年10月には社名を株式会社三陽商会製作所と改称し[5]、豊島工場と銀座営業所を設置、戦時の軍需に対応する工作機械の供給体制を整えた。

  • 三陽商会 有価証券報告書【沿革】
    • [1]1942年12月 創業者の吉原信之氏が東京府板橋区で個人経営の三陽商会を開業
    • [2]創業者の氏名は吉原信之
    • [3]1943年5月 資本金5万円で株式会社三陽商会を設立し工作機械工具の修理加工・販売を開始
    • [4]設立時資本金5万円
    • [5]1944年10月 社名を株式会社三陽商会製作所と改称し豊島工場と銀座営業所を設置

1945年8月の終戦直後、同社は事業の主軸を工作機械工具からレインコートへ転換した。同年10月に本店を東京都京橋区(現中央区)に移し[6]、1948年7月には社名を株式会社三陽商会と改称[7]、レインコート販売を本業とする姿に再編した。創業者の吉原信之氏がレインコートに着目した背景には、戦後の繊維配給制度のなかで衣料品が外貨節約と国内需要の両面で成長が見込める分野であったこと、そして日本ゴム工業株式会社(現オカモト株式会社)が国内で唯一にゴム引きレインコートを生産していたことの2つが重なっていた。[8]

  • 三陽商会 有価証券報告書【沿革】
    • [6]1945年(終戦後)に主軸を工作機械工具からレインコート販売へ転換、同年10月に本店を東京都京橋区(現中央区)へ移転
    • [7]1948年7月 社名を株式会社三陽商会へ改称
    • [8]ゴム引きレインコートを生産していた日本ゴム工業株式会社は現オカモト株式会社
  • 三陽商会 有価証券報告書【沿革】
    • [1]1942年12月 創業者の吉原信之氏が東京府板橋区で個人経営の三陽商会を開業
    • [2]創業者の氏名は吉原信之
    • [3]1943年5月 資本金5万円で株式会社三陽商会を設立し工作機械工具の修理加工・販売を開始
    • [4]設立時資本金5万円
    • [5]1944年10月 社名を株式会社三陽商会製作所と改称し豊島工場と銀座営業所を設置
    • [6]1945年(終戦後)に主軸を工作機械工具からレインコート販売へ転換、同年10月に本店を東京都京橋区(現中央区)へ移転
    • [7]1948年7月 社名を株式会社三陽商会へ改称
    • [8]ゴム引きレインコートを生産していた日本ゴム工業株式会社は現オカモト株式会社

日本ゴム工業との一手販売特約と百貨店ルートの開拓

1949年9月、三陽商会は日本ゴム工業株式会社[9]と同社製レインコートの一手発売元としての特約を締結した。この契約はゴム引きレインコート(当時の日本では雨具として高い実用性を持っていた)の国内独占販売権を確保するもので、戦後復興期の衣料需要のなかで三陽商会の収益基盤を一気に押し上げた。これは戦後の日本で百貨店が衣料品流通の最上位チャネルとして再興する局面と重なり、三陽商会は最初から百貨店との取引を主力とする卸売型アパレル企業の原型を作った。

  • 三陽商会 有価証券報告書【沿革】
    • [9]1949年9月 三陽商会が日本ゴム工業のレインコート一手発売元として特約を締結

1952年7月、同社は東京都千代田区に東京営業所を設置して営業活動の主体[10]を中央区から移し、1962年4月には本店を千代田区へ移転、同年5月には千代田区に本社ビルを新築した[11]。1969年2月には東京都新宿区に本社ビルを完成[12]させ本店を移転、この前後から『総合アパレルメーカーへの進出』[引用元]を本格化させた。1971年7月に株式を東京証券取引所市場第二部へ上場[13]、1977年6月には東京証券取引所市場第一部に指定替[14]えとなり、レインコート専業から始まった卸売型アパレル企業として資本市場での地位を確立した。

  • 三陽商会 有価証券報告書【沿革】
    • [10]1952年7月 東京都千代田区に東京営業所を設置し営業活動の主体を移転
    • [11]1962年4月 本店を東京都千代田区へ移転、同年5月 千代田区に本社ビルを新築
    • [12]1969年2月 東京都新宿区に本社ビルを完成・本店移転、この前後から総合アパレルメーカーへの進出を本格化
    • [13]1971年7月 東京証券取引所市場第二部へ上場
    • [14]1977年6月 東京証券取引所市場第一部に指定替え
  • 三陽商会 有価証券報告書【沿革】
    • [9]1949年9月 三陽商会が日本ゴム工業のレインコート一手発売元として特約を締結
    • [10]1952年7月 東京都千代田区に東京営業所を設置し営業活動の主体を移転
    • [11]1962年4月 本店を東京都千代田区へ移転、同年5月 千代田区に本社ビルを新築
    • [12]1969年2月 東京都新宿区に本社ビルを完成・本店移転、この前後から総合アパレルメーカーへの進出を本格化
    • [13]1971年7月 東京証券取引所市場第二部へ上場
    • [14]1977年6月 東京証券取引所市場第一部に指定替え

バーバリー独占ライセンスという経営判断

1965年、三陽商会は英国の高級ブランド[15]『バーバリー』と日本国内での独占ライセンス契約を締結した[16]。バーバリーは英国王室御用達のレインコートメーカーで、ガバジン素材のトレンチコートで世界的な評価を確立していた。三陽商会にとってこのライセンス取得は、レインコート専業の事業基盤と英国高級ブランドの組み合わせという、創業以来の事業領域に最も整合する戦略的判断であった。同時に、自社開発ブランドを育てる代わりに海外ブランドのライセンス権を取りに行く意思決定でもあり、ここから半世紀の経営路線が事実上決まった。

  • 三陽商会 有価証券報告書【沿革】
    • [15]ライセンス対象は英国の高級ブランド「バーバリー」
    • [16]1965年 英国の高級ブランド「バーバリー」と日本国内での独占ライセンス契約を締結

1970年代以降、三陽商会はバーバリーのトレンチコート・スーツ・小物を百貨店ルートで展開し、日本国内における『バーバリー=三陽商会』というブランド認知を作り上げた。バーバリーは英国本体では地味な伝統ブランドにとどまっていたが、三陽商会のライセンス運営により日本市場では百貨店紳士服売場の中核に位置するハイステータスブランドへと育った。1996年4月のミラノ現地法人サンヨーショウカイミラノ設立[17]、同年5月の香港現地法人三陽商會香港有限公司設立[18]、1998年2月の台湾現地法人國際三陽股份有限公司設立[19]、1999年10月のニューヨーク現地法人サンヨーショウカイニューヨーク設立と[20]、海外拠点の整備もバーバリー含む取扱ブランドの調達・物流体制の整備を兼ねていた。

  • 三陽商会 有価証券報告書【沿革】
    • [17]1996年4月 ミラノ現地法人サンヨーショウカイミラノを設立
    • [18]1996年5月 香港現地法人三陽商會香港有限公司を設立
    • [19]1998年2月 台湾現地法人國際三陽股份有限公司を設立
    • [20]1999年10月 ニューヨーク現地法人サンヨーショウカイニューヨークを設立
  • 三陽商会 有価証券報告書【沿革】
    • [15]ライセンス対象は英国の高級ブランド「バーバリー」
    • [16]1965年 英国の高級ブランド「バーバリー」と日本国内での独占ライセンス契約を締結
    • [17]1996年4月 ミラノ現地法人サンヨーショウカイミラノを設立
    • [18]1996年5月 香港現地法人三陽商會香港有限公司を設立
    • [19]1998年2月 台湾現地法人國際三陽股份有限公司を設立
    • [20]1999年10月 ニューヨーク現地法人サンヨーショウカイニューヨークを設立

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三陽商会の沿革1942〜2023年における主な出来事を抜粋

時代年月社長・CEO出来事重要度
個人経営三陽商会を開業
1943〜1970年レインコート専業からバーバリー独占ライセンス取得まで三陽商会を設立
社名を三陽商会製作所に商号変更
本店を中央区に移転、レインコート販売へ業態転換★★
三陽商会に商号変更
日本ゴム工業のレインコート一手発売元として特約★★
東京営業所を開設し営業主体を移転
本社を移転
本社ビルを千代田区に新築
本社ビルが竣工
総合アパレルメーカーへの転換を開始★★
1971〜2014年バーバリー成長期と1,400億円企業への到達東京証券取引所市場第二部に株式上場
東京証券取引所一部に指定替え
ニューヨークに子会社を設立
潮見商品センターを新築
ニューヨークに現地縫製工場を設立
青山ビルを新築
自社健康保険組合を設立
潮見ビルを新築
田中和夫ミラノにサンヨーショウカイミラノを設立
田中和夫子会社を設立
田中和夫國際三陽を設立
田中和夫ニューヨークにサンヨーショウカイニューヨークを設立
田中和夫バーバリー銀座店を開店
杉浦昌彦中国・三陽時装商貿を設立
杉浦昌彦本社を移転
杉浦昌彦本社を移転
2015〜2025年バーバリー喪失と6期連続赤字からの再生杉浦昌彦バーバリー独占ライセンスの喪失と、自社企画ブランドへの売場転換

2014年5月、三陽商会が英国バーバリーとの日本国内独占ライセンスを更新せず、2015年春夏で終了すると発表した経営判断。売上のおよそ半分を占めたバーバリー系事業を店じまいとはせず、マッキントッシュ ロンドンなど自社が企画する後継ブランドで売場を埋め直し、海外ブランドのライセンス運営から自社ブランド中心への業態転換に踏み出した。

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★★★
岩田功バーバリー喪失後の構造改革——岩田功社長による脱百貨店への転換

2017年2月、岩田功新社長のもとで三陽商会は新中期経営計画を発表し、EC・直営店の強化と自社ブランド投入、不採算売場からの撤退を柱とする構造改革を進めた。バーバリーのライセンス喪失で過去最大の赤字に沈んだ後、百貨店への卸売依存から脱しようとした再建策である。

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★★★
岩田功ルビー・グループの株式を取得
岩田功本社別館を増築しブルークロスビルに改名
大江伸治RMBキャピタルの委任状争奪戦を退け、自前の大江体制で防戦した2020年の攻防

2020年5月26日、三陽商会は定時株主総会で、大株主の米アクティビストRMBキャピタルが求めた経営陣の全面刷新案を否決し、大江伸治副社長を新社長に昇格させる自前の人事案を可決した。バーバリー喪失後の連続赤字を背景に、取締役会の主導権をめぐって物言う株主と現経営陣が委任状を奪い合った攻防である。

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★★★
大江伸治規模追求から粗利率重視へ——大江伸治社長による2020年の再生

2020年5月、外部から招かれた大江伸治社長のもとで、三陽商会が売上規模の追求を捨て、粗利率と営業利益率を経営の物差しに据えた構造改革。不採算ブランド・過剰在庫・遊休資産を整理し、2023年2月期に7期ぶりの営業黒字へ転じた。

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★★★
大江伸治ポール・スチュアートの国内商標権を取得★★
大江伸治連結子会社サンヨーアパレルを吸収合併
大江伸治プライム市場に移行
大江伸治創立80周年
出典・参考
  • 三陽商会 有価証券報告書【沿革】

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