この攻防の争点は、改革をするかどうかではなく、舵を誰が握るかにあった。それを最もよく示すのは、大江伸治氏が双方の名簿に載っていた事実だろう。会社も提案株主も、外部から招いた経営者に再生を託すという一点では一致していた。割れたのは残りの席の埋め方であり、会社は独立社外取締役6名を自ら迎え入れる形で、提案株主は自らに近い人物を送り込む形で、それぞれ答えを出したことになる。
もっとも、否決を提案株主の劣位とだけ読むのは一面にとどまる。中山雅之元社長の賛成率68.79%は、同じ名簿に並んだ他の候補より10ポイント以上低い。株主は会社の名簿を丸ごと信任したのではなく、責任の所在を選り分けたのだといえる。その後の大江体制で粗利率を軸とする改革が進み、7期ぶりの営業黒字に届いたことを思えば、退けられたのは提案そのものであって、提案が突きつけた規律ではなかったのではないか。