共用型πシステムを止め、各家庭へ光を直結するFTTHへ固定網を切り替えた基盤投資

共用型か家庭直結か——ADSLに追われたNTT東西は、固定網の光化をどう選び直したか

更新:

時期 2000年12月
意思決定者 宮津純一郎(NTT社長)/NTT東日本・NTT西日本
論点 固定網のブロードバンド基盤と光化方針
概要
2000年末から2001年にかけて、NTT東日本・西日本が、一芯の光ファイバーを複数の家庭で共有する共用型のπシステムを止め、各家庭へ光ファイバーを直接引くFTTHへ固定網の整備方針を切り替えた経営判断。ADSLやusenのFTTHに押されるなか、光基盤への巨額投資を選び直した。
背景
1999年末に電話加入者線が新規参入者へ開放されると、ISDNより速く安いxDSL事業者が相次いで現れ、usenは各家庭へ光を直結するFTTHを掲げた。携帯とIP化でNTT東西の固定電話事業が悪化するなか、1997年度導入のπシステムはブロードバンドに対応できず、家庭向けの光化はほとんど進んでいなかった。
内容
ブロードバンドに対応できないπシステムの新規工事を2000年夏に中止し、各家庭に一〜二芯の光を直接引くFTTHの試験提供を年末に始めた。アクセス系の光ファイバーを敷設し直したうえで、光アクセスサービス(後のBフレッツ)の全国展開へ進み、固定網の整備を共用型から家庭直結型へ切り替えた。
含意
共用型で低コスト化を狙った過去の光化方針が競争と技術の変化で覆り、NTT東西は家庭直結光への引き直しという巨額投資を抱えた。短期はADSLに押されたが、この投資が後にNTT東西を国内FTTHの支配的な担い手へ導き、次世代ネットワークやIOWN構想の土台にもなった。
筆者の見解

効率を優先した光化と、引き直しの投資

この判断の中心にあるのは、低コストで光を配ろうとした一度目の設計が、競争と技術の変化で覆されたという事実である。工事費が敷設費の大半を占めるなかで芯数を惜しんだπシステムは、光ファイバーの材料費低下と毎秒一〇〇メガビット級の需要の到来によって役目を失った。NTT東西は、共用型の光を家庭直結の光へ引き直すという二度目の投資を抱え込んだ。効率を優先した技術選択が、外部の競争者と規制の双方から押し戻された点に、インフラ企業が長期の技術を読み違える重さがうかがえる。

短期には、家庭直結の光はADSLとソフトバンクの攻勢に押され、普及は目標に遠く及ばなかった。しかし各家庭まで光を引き切る基盤は、その後のNTT東西を国内FTTHの支配的な担い手へと導き、後年の次世代ネットワークやIOWN構想が乗る土台にもなった。低コストを狙った最初の光化と、引き直しに踏み切った二度目の投資――固定通信の基盤をどの技術で作るかという問いは、料金と規制をめぐる長い攻防のなかで、時間をかけて決着へ向かったとみられる。

Yutaka Sugiura, 2026年7月

背景

ブロードバンド競争とアクセス回線の開放

2000年前後、日本のインターネット接続は高速で常時つながる形へ移り始めていた。1999年末に電話加入者線(ドライカッパー)が新規参入者へ開放されると、ISDNより一〇倍以上速く安いxDSL事業者が相次いで現れ、東西NTTが握ってきたアクセス回線の独占が崩れた。有線ブロードネットワークス(usen)は、各家庭まで光ファイバーを直接引くFTTHを掲げ、毎秒一〇〇メガビットの超高速サービスを月四〇〇〇〜五〇〇〇円で始める計画を示した。固定通信の主戦場は、電話からブロードバンドへ移ろうとしていた[1][2]

NTTは、自らを光ファイバー大国と誇っていた。前年度末で政令指定都市などのアクセス系光化は五六%、人口一〇万人以上の都市で三一%まで進んだと説明していたためである。ところが、ここでいう光化は半径五〇〇メートルほどのエリアに一つある「き線点」までを指し、そこから先の各家庭までは光がつながっていなかった。家庭向けのブロードバンドという物差しで見れば、光化の実態はうたわれた数字とかけ離れていた[3]

共用型πシステムという誤算

家庭向けの光化が進まなかった背景には、NTTが1997年度から入れた「新光アクセスシステム」、通称πシステムがあった。πシステムは主に住宅地域を対象に、一芯の光ファイバーを複数の家庭で共有することで敷設の低コスト化を図る設計であった。光ファイバーの材料費が銅線より高かった時代には、芯数を節約する発想にも理があった。だが光の敷設費は工事費が大半を占め、芯数を惜しんでも全体の費用はさほど変わらない構造であった[4]

πシステムが提供できる速度は毎秒六四キロビットのISDN程度にとどまり、ブロードバンドの時代には対応できなかった。NTT自身がそう判断し、2000年の夏には工事を中止した。あとに残ったのは、芯数が足りずFTTHへの活用も難しい、き線点までの光ファイバーであった。この光化には郵政省から累計一八〇〇億円の超低利融資と税制支援が投じられており、使い物になりにくい設備を積み上げた責任も問われかねなかった[5][6]

決断

各家庭へ光を直結するFTTHへの方針転換

NTT東西は方針を転換し、2000年の年末から、各家庭に一芯の光ファイバーを直接つなぐFTTHの試験提供を始めた。共用型で薄く配ったアクセス系の光を、家庭直結を前提にもう一度敷設し直す前提であった。低コストを優先した一度目の光化を捨て、各戸まで光を引き切る二度目の投資へと組み替える判断であった。この方針は、後にBフレッツの名で光アクセスサービスの全国展開へつながっていく[7]

転換の重さは、敷設をやり直す費用の大きさにあった。光の敷設費は電柱や管路を使う工事費が大半を占め、共用型で節約したはずのコストは、家庭直結へ引き直す段階で改めてのしかかる。しかも家庭向けFTTHの本格普及は、この光ファイバーの引き直しを待たねばならなかった。競争相手のusenが自前の同軸ケーブル沿いに光を敷いて先行するなか、NTTは既設網の作り替えという遠回りから始める立場にあった[8]

ダークファイバー開放という外圧

この転換は、自発的な設備刷新であると同時に、開放圧力への応答でもあった。2000年11月17日、郵政相の諮問機関である電気通信審議会の部会は、NTT東西が持つ光ファイバー網を他社へ開放すべきとの答申案を公表し、郵政省は早急に開放を命令する構えを見せた。芯線単位で光を貸し出すダークファイバーが義務づけられれば、新規参入者が入り乱れる超高速インターネットの競争が始まる見通しであった[9]

もっともNTT東西は、光は競争下で自ら構築するものであり、独占的に敷いた銅線とは事情が違うとして、ダークファイバーの提供義務を認めなかった。開放済みの銅線でも、xDSL事業者が払うドライカッパー料金は本来七〜八〇〇円と見積もられる一方、NTTは月額二六〇〇円に設定していた。自前で家庭直結の光を引き直しながら、他社への貸し出しには抵抗するという二面性のなかで、NTTは光基盤への投資と支配をあわせて選び取ろうとしていた[10][11]

結果

光3000万目標とADSLの現実

家庭直結光への転換は、すぐには実を結ばなかった。5年後の2005年、NTTは光回線3000万契約という目標を掲げたが、Bフレッツの加入は2004年度末で166万人、拡販を進めた9月末でも235万人にとどまった。日本のブロードバンド利用者はなおADSLが大半で、光の普及は目標にほど遠かった。共用型を捨てて選び直した家庭直結の光基盤は、普及の速度という点では計画に遠く届いていなかった[12]

足元では、ソフトバンクのYahoo! BBがADSLで500万人を超えて首位に立ち、固定電話の基本料金でもNTTを追い詰めた。IP化と携帯の拡大で固定電話事業は悪化し、グループの利益は携帯のNTTドコモに偏って、連結営業利益の7割近くをドコモが占めた。それでもNTTは2005年11月に、固定と移動体のネットワークをIP技術で統合し光アクセスを軸に据える次世代ネットワーク戦略を公表し、光基盤への転換を続けた[13][14]

出典・参考
  • 週刊東洋経済 2000年12月2日号「光ファイバー解放。高速ネットの好機 NTTのブロードバンド戦略は間違いだらけ」
  • 週刊東洋経済 2005年11月19日号「2010年の最強企業 情報通信 光化戦略を強化するNTTをKDDI・ソフトバンクが急追」
  • 日本電信電話 有価証券報告書(2002年3月期・連結)