年間投資予算の3倍、60億円を投じた研修施設「クレフィール湖東」の先行投資

取締役会が猛反対した60億円の教育インフラ構想を、福田泰久氏はなぜ8年がかりで押し通したか

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時期 1996年7月
意思決定者 福田泰久 取締役
論点 人材育成インフラへの先行投資
概要
1996年7月、センコー(現センコーグループホールディングス)が滋賀県東近江市に総合交通・物流研修施設「クレフィール湖東」を開設した。1988年に福田泰久氏が提案した60億円規模の投資計画を、年間投資予算が20億円規模であった当時の取締役会に認めさせ、27ヘクタールの用地取得を自ら5年がかりで進めた末の開設であった。
背景
1990年の貨物自動車運送事業法施行以降、規制緩和で運送事業者数が増加し、ドライバー人材の確保・育成体制が各社の競争力を左右する要素になっていた。30代半ばで滋賀県内の営業所長を務めた福田泰久氏は、現場を知らずに経営はできないという確信を持ち、教育研修施設の構想を温めていた。
内容
1988年の提案は、年間投資予算20億円の時代に60億円を投じる計画で、取締役会は猛反対した。27ヘクタールの敷地には133名の地権者がおり、福田泰久氏はこれを自ら一件ずつ交渉し、5年をかけて用地をまとめた。取締役会の承認を得て、提案から8年後の1996年7月に開設した。
含意
クレフィール湖東は2016年に自動車教習所の指定を受け、教育・研修受講者は累計1,536名に達した。人手不足が慢性化する「物流の2024年問題」の時代に、30年前の先行投資が人材育成基盤として今も生きている。
筆者の見解

確信に基づく先行投資の重み

この判断の核心は、投資の妥当性を数字だけで測れない場面で、福田泰久氏がどこまで自らの確信を貫いたかにある。年間予算の3倍という規模も、133名の地権者を一件ずつ回るという労力も、通常の経営判断であれば見送る理由になり得る条件であった。それでも取締役会を説得し切ったのは、現場で鍛えられた経営観からくる確信の強さがあったためとみることができる。

もっとも、この投資の意味が際立ったのは開設直後ではなく、2016年の教習所指定や、今日の「物流の2024年問題」という新しい文脈が生まれてからであった。1988年の時点で人手不足の長期化を正確に見通していたと断定はできないが、結果として30年越しに時代の要請と噛み合った点に、この先行投資の重みがうかがえる。

Yutaka Sugiura, 2026年7月

背景

現場を知らずして経営はできない

福田泰久氏は1969年に扇興運輸(現センコーグループホールディングス)へ入社し、本社営業部門を経て30代半ばで滋賀県内の営業所長に就いた。当時の営業所には自社ドライバー約130名に加えて協力会社のドライバーも400〜500名おり、200名を超す運転要員を統括する立場であった。着任後は自らトラックを運転して東京・大阪間を走り、現場の従業員と同じ目線で働いた[1]

「上から指示するのではなく、トップが背中を見せる」という経営観を、福田泰久氏は繰り返し語ってきた。全国の物流を支えるのは現場で働く従業員であり、現場を知らずに経営はできないという確信を、同氏は持ち続けていた。この確信は、後年のドライバー教育をめぐる判断の土台になった[2]

規制緩和で強まる運送業界の人材競争

日本の貨物運送業界では、1990年の貨物自動車運送事業法施行を境に規制緩和が進み、新規参入する運送事業者の数が増加を続けた。事業者の裾野が広がるにつれて、優良なドライバー人材を確保し育てる体制を自前で持つかどうかが、各社の競争条件を左右する要素になっていった[3]

こうした状況のなか、福田泰久氏は1988年、日本最大級の総合教育研修施設という構想を温めていた。当時の金額で投資規模は60億円に上る一方、センコーの年間投資予算は全体でも20億円にとどまっており、単独案件としては会社の年間投資枠の3倍に相当する規模であった[4]

決断

猛反対の取締役会と27ヘクタールの用地

福田泰久氏の提案に対し、取締役会は猛反対した。理由は投資額の大きさだけではなかった。候補地とした滋賀県愛知郡湖東町(現・東近江市)の27ヘクタールの敷地には133名の地権者がおり、これを一件ずつ交渉してまとめる必要があった。会社の年間投資枠の3倍を投じる計画に、用地取得の難題が重なった[5]

福田泰久氏は、133名との用地交渉を自ら一人で担った。地権者の大半は勤め人であったため、面談の約束は午後8時以降が中心となり、仕事を終えたあとに自動車で回って交渉を重ねた。地権者の中には台湾や香港、ロサンゼルスへ移り住んだ人もおり、国際電話で交渉した例もあった[6]

提案から8年、1996年の開設

全ての地権者との契約に5年を要し、途中からは湖東町役場の職員も交渉に協力した。取締役会の承認を得たのは、こうした年月を経たのちであった。1988年の提案から8年後の1996年7月、滋賀県東近江市に総合交通・物流研修施設「クレフィール湖東」が開設され、ドライバーやフォークリフトオペレーター、物流現場社員を対象とする研修拠点として稼働を始めた[7][8]

開設から7〜8年が過ぎたころ、福田泰久氏は取引先や現場から「センコーさんの現場、変わってきたね」と評されたことに深い手応えを感じたと振り返っている。60億円を投じた一件の研修施設が、単体の設備投資にとどまらず、現場の仕事ぶりそのものへ影響を及ぼしたことをうかがわせる評であった[9]

結果

教習所指定と積み上がった人材育成の実績

クレフィール湖東は2016年、滋賀県公安委員会の指定を受けて自動車教習所としての運営を始めた。大型自動車免許の取得を施設内で完結できる体制が整い、開設以来続けてきたドライバー教育に、免許取得を後押しする機能が加わった[10]

施設ではトレーナー(トラックドライバー・フォークリフトオペレーターの指導者)の育成も担い、修了生が講師として全国各地の物流現場で指導に当たっている。クレフィール湖東における教育・研修の受講者数は累計1,536名(センコーの交通研修を含む)に達し、こども交通安全教室への参加者も2006年から2024年までの累計で15,609名を数えた[11][12]

「物流の2024年問題」下で問われる先行投資の意味

センコーグループには現在、大型トラックを運転できる人材が約8,000名在籍する。グループの全ドライバーには、クレフィール湖東での安全運転訓練を5年ごとに受講することが義務付けられ、2024年度はドライバー安全運転基礎訓練に858名、トレーナー養成に63名が参加した。開設から約30年を経てなお、日常の訓練インフラとして稼働している[13][14]

運送業界ではその後、少子高齢化やドライバーの時間外労働規制強化を背景に、いわゆる「物流の2024年問題」が浮上し、輸送能力の不足が懸念される事態となった。福田泰久氏が年間予算の3倍を投じて確保した教育インフラは、規制緩和期の人材確保策から、人手不足が慢性化する時代のドライバー安全教育の基盤へと役割を広げた[15]

出典・参考
  • センコーグループ統合報告書2025
  • センコーグループホールディングス 有価証券報告書【沿革】