センコーグループホールディングス の歴史

更新: Author:

創業 1916年
母体 扶桑運輸として創業
創業地 大阪府
創業
1916年、日本窒素肥料コンツェルンの専属物流会社として大阪府に富田商会が設立された。日窒は宮崎県延岡と朝鮮半島で硫安・石灰窒素・カーバイドを生産しており、その鉄道輸送と内航海運を担う会社を必要としていた。1941年に日窒運輸へ社名を変更したが、戦後の財閥解体で日窒コンツェルンが複数の事業会社へ分割されると、専属する相手そのものが消える。1946年7月、旧日窒運輸の改組として扇興運輸商事を大阪府で設立し、同年11月に扇興運輸へ改称した。社名の「扇」は旧日本窒素肥料のシンボルマークで、これを「再興」する意志を込めたと公式年史は記録している。1950年12月に宮崎県で通運免許と一般貸切貨物自動車運送事業免許を取得し、荷主を自前で開拓する独立系の運送会社として出発した。
決断
特定の荷主に付く形を、社名から順に外してきた。1973年10月、扇興運輸は社名から「運輸」を外してセンコーへ改称し。専属物流の出自を持つ以上、運送だけでは荷主の生産量に収益が連動し、荷主を自前で開拓し続ける弱さが残る。輸送・保管・流通加工を一拠点で完結させる方針は1980年8月の南港PDセンター開設で形になり、1996年7月には年間投資予算の3倍にあたる60億円を研修施設へ先行投資した。2004年6月に社長へ就任した福田泰久氏は陸運業界ビッグ5入りを掲げ、2007年のエーラインアマノ子会社化を起点に買収を重ねる。低温物流のランテック、介護のケアテラス、食品包装容器の中央化学と、物流以外の会社を毎年取り込み、2017年4月に持株会社センコーグループホールディングスへ移った。荷主が去れば仕事が消える構造は、荷主を増やすのではなく事業の種類を増やすことで薄めた。
現況
売上の6割強を運ぶ物流が、利益では8割近くを占める。2026年3月期の連結売上高は8996億円、営業利益は369億円。うち物流事業が売上5744億円・利益340億円で、5事業の利益合計429億円の79%を生む。商事・貿易事業は売上1929億円と全体の21%を占めながら利益は36億円にとどまり、扱う量に比べて利ざやが薄い。ライフサポート、ビジネスサポート、プロダクトの3事業を合わせても売上1318億円・利益52億円で、買い足した非物流は売上の構成を変えても利益の構成をまだ変えていない。物流事業に属する従業員は2万25人で、5事業の合計2万7672人の7割を超える。人を抱えて動かす商売の比重は、創業から110年変わっていない。
競合
個人の荷物を持たないことが、この会社の位置を決めている。1954年4月に特別積合せの路線事業へ参入しながら、個人向け宅配へは進まなかった。1976年にヤマト運輸が個人向け宅急便を始めたあとも、センコーは化学品・住宅資材・量販店向け納品と、荷主の産業ごとに専用の輸送網を積み上げ、1985年3月に量販・小売店向けの納品代行を、1987年11月に住宅資材物流センターを稼働させた。取扱個数も配達密度も競争の指標にならない代わりに、荷主の在庫をどれだけ預かり、そこで何工程を引き受けるかが競争の焦点になる。売上規模では欧州の物流会社を買収して規模を広げたNIPPON EXPRESSホールディングスに遠く及ばない。それでも荷主の工場や売場に合わせて置いた拠点は他社が入れ替えにくく、物流事業の営業利益率5.9%はグループ全体の4.1%を上回っている。
センコーグループホールディングス:長期業績の推移(売上高・利益率)売上高(億円純利益率(%)
2006年3月期2026年3月期

設立ストーリー 日窒コンツェルンの専属物流から再出発した戦後トラック会社 (1916年〜)

化学肥料コンツェルンに紐づいた誕生と財閥解体による再起

1916年、日本窒素肥料コンツェルン(日窒)の専属物流会社として大阪府に富田商会が設立された。日窒は宮崎県延岡や朝鮮半島で硫安・石灰窒素・カーバイドなどの化学肥料を生産しており、製品の鉄道輸送と内航海運を担う専属物流会社が必要だった。富田商会はこの需要を担う体制で出発し、1941年には日窒運輸へ社名を変更してコンツェルン直系の輸送会社の体裁を整えた。化学品メーカーの専属物流会社は、荷主の生産計画と運送計画が一体化する形で経営される構造で、独立した運送会社のように荷主開拓を必要としない代わりに、荷主企業の浮沈に直結する経営体だった。日窒系の専属性は、戦時下では国策化学肥料事業の物流統制に組み込まれ、戦後一気に転機を迎えた。 [1][2][3]

  • センコーグループ統合報告書2025
    • [1]1916年 日本窒素肥料コンツェルンの専属物流会社として大阪府で富田商会を設立
    • [2]日窒は延岡・朝鮮半島で硫安・石灰窒素・カーバイド等の化学肥料を生産、その鉄道輸送・内航海運を担う専属物流が必要だった
    • [3]1941年 日窒運輸へ社名変更(日本窒素肥料の子会社化)

戦後の財閥解体政策により、日窒コンツェルン自体が新日本窒素肥料(後のチッソ)など複数の事業会社へ分割再編され、専属物流会社の存在意義そのものが宙に浮いた。1946年7月、旧日窒運輸の改組として扇興運輸商事株式会社が大阪府で設立され、同年11月には扇興運輸株式会社へ社名を変更した。社章には旧日本窒素肥料のシンボルマークだった『扇』を採り、『再興』する意志を社名に込めたとセンコーグループホールディングスの公式年史は記録している。1916年の富田商会以来30年で築いた化学品輸送のノウハウと顧客関係は無形の資産として残ったが、特定の荷主コンツェルンに専属する企業形態は終わり、独立した運送会社として荷主を自前で開拓する立場で再出発した。 [4][5][6][7][8]

  • センコーグループ統合報告書2025
    • [4]戦後の財閥解体で日窒コンツェルンは新日本窒素肥料(後のチッソ)等へ分割再編された
    • [5]1946年7月 旧日窒運輸の改組として扇興運輸商事株式会社を大阪府で設立
    • [6]1946年11月 扇興運輸株式会社へ社名変更
    • [8]1916年の富田商会以来30年(1916→1946)
  • センコー百年史(センコー, 2016)
    • [7]社名「扇興」は旧日本窒素肥料のシンボルマーク「扇」を「再興」する意志を込めたものと公式年史が記録

設立直後の扇興運輸が直面したのは、戦災で荒廃した輸送インフラと、トラック・船舶燃料の慢性的不足だった。1949年10月には海上運送業・海上運送取扱業・海運仲立業・海運代理店業を順次登録し、戦前に培った内航海運の事業を再建した。続く1950年12月には宮崎県で通運(鉄道利用運送)免許を取得して鉄道貨物事業に正式に参入、同月に同県で一般貸切貨物自動車運送事業免許も取得してトラック運送を立ち上げた。旧日窒コンツェルンの主要拠点だった宮崎県延岡を出発点として、鉄道・トラック・海運の3つの輸送モードを並行整備する戦後の事業設計が固まり、後に『総合物流』を掲げる企業の輸送モード分散の原型が、復興期の手探りの中で築かれた。 [9][10][11]

  • センコーグループ統合報告書2025
    • [9]1949年10月 海上運送業・海上運送取扱業・海運仲立業・海運代理店業を登録
    • [10]1950年12月 宮崎県で通運免許と一般貸切貨物自動車運送事業免許を取得
    • [11]旧日窒コンツェルンの主要拠点・宮崎県延岡を出発点に鉄道・トラック・海運の3モードを並行整備
  • センコーグループ統合報告書2025
    • [1]1916年 日本窒素肥料コンツェルンの専属物流会社として大阪府で富田商会を設立
    • [2]日窒は延岡・朝鮮半島で硫安・石灰窒素・カーバイド等の化学肥料を生産、その鉄道輸送・内航海運を担う専属物流が必要だった
    • [3]1941年 日窒運輸へ社名変更(日本窒素肥料の子会社化)
    • [4]戦後の財閥解体で日窒コンツェルンは新日本窒素肥料(後のチッソ)等へ分割再編された
    • [5]1946年7月 旧日窒運輸の改組として扇興運輸商事株式会社を大阪府で設立
    • [6]1946年11月 扇興運輸株式会社へ社名変更
    • [8]1916年の富田商会以来30年(1916→1946)
    • [9]1949年10月 海上運送業・海上運送取扱業・海運仲立業・海運代理店業を登録
    • [10]1950年12月 宮崎県で通運免許と一般貸切貨物自動車運送事業免許を取得
    • [11]旧日窒コンツェルンの主要拠点・宮崎県延岡を出発点に鉄道・トラック・海運の3モードを並行整備
  • センコー百年史(センコー, 2016)
    • [7]社名「扇興」は旧日本窒素肥料のシンボルマーク「扇」を「再興」する意志を込めたものと公式年史が記録

鉄道利用運送を軸にした全国網と業界先駆けのコンピュータ導入

1954年4月、扇興運輸は特別積合せ貨物運送事業(路線事業)を開始し、不特定多数の荷主から少量貨物を集約して定期便で運ぶ事業に進出した。1959年7月には倉庫業の認可を取得し、輸送と保管の両機能を併せ持つ物流会社としての基本構成を整えた。1961年10月には大阪証券取引所市場第2部に上場し、株式公開による資金調達の道を開いた。1916年の富田商会創業から45年、戦後の再出発から15年を経て、戦前の専属物流会社の出自を脱した独立系運送会社として上場資本市場に登場した。上場で得た資金は、鉄道貨物の利用運送網と地方都市のトラック営業所の整備に振り向けられ、宮崎を起点に全国へ営業区域を広げる足がかりとなった。 [12][13][14][15]

  • センコーグループ統合報告書2025
    • [12]1954年4月 特別積合せ貨物運送事業(路線事業)を開始
    • [13]1959年7月 倉庫業の認可を取得
    • [14]1961年10月 大阪証券取引所市場第2部に上場
    • [15]1916年の富田商会創業から45年・戦後再出発から15年(1916→1961=45, 1946→1961=15)

1965年10月、同社は運送業界に先駆けて電子計算機(コンピュータ)を導入した。当時の運送業界では配車・運賃計算・請求業務はすべて手作業で、コンピュータを使う発想自体が業界の慣行から逸脱していた。導入は配車計画の最適化と請求書発行業務の合理化を目的としており、5年後の1970年10月には物流コンサルティング業務を開始するための情報処理基盤として活用された。コンピュータ導入の早期着手で蓄積された情報処理の知見は、1980年代以降のチェーンストア物流における納品代行システムや、1991年の日米国際VANネット、1996年以降の倉庫業務の標準化に至るまで、同社の物流ノウハウの中核を形成し続けた。鉄道とトラックを組み合わせた多モード輸送の運用には、当時のアナログ手法では捌ききれない量の情報処理が必要となり、コンピュータ早期導入の経営判断は実務必要性に裏付けられた合理だった。 [16][17][18]

  • センコーグループ統合報告書2025
    • [16]1965年10月 運送業界に先駆けて電子計算機(コンピュータ)を導入
    • [17]1970年10月 物流コンサルティング業務を開始
    • [18]1991年 日米国際VANネット(1991年10月 日本/米国間 国際VANネット完成と整合)

1970年代に入ると、輸送業界では高度経済成長による物流量の増大と、車両単位の積載量増加、輸送拠点の高速化が同時に進行した。扇興運輸は鉄道貨物の利用運送と一般トラック運送を組み合わせた事業基盤を持ち、化学品・産業資材・工業製品の長距離輸送で実績を積み上げた。鉄道貨物は石油危機以前まで産業物流の主役で、同社は通運免許を活用して鉄道駅と荷主工場の間の集配を担い、産業物流の現場で着実な業績を築いた。1972年時点で売上高は150億円規模に達し、扇興運輸として再出発した1946年から26年で、戦前の日窒系専属物流会社とは異なる性格の独立系物流企業としての基盤が築かれていた。 [19][20]

  • センコーグループホールディングス 有価証券報告書【主要な経営指標等の推移】
    • [19]1972年時点で売上高150億円規模
  • センコーグループ統合報告書2025
    • [20]扇興運輸として再出発した1946年から26年(1946→1972=26年)
  • センコーグループ統合報告書2025
    • [12]1954年4月 特別積合せ貨物運送事業(路線事業)を開始
    • [13]1959年7月 倉庫業の認可を取得
    • [14]1961年10月 大阪証券取引所市場第2部に上場
    • [15]1916年の富田商会創業から45年・戦後再出発から15年(1916→1961=45, 1946→1961=15)
    • [16]1965年10月 運送業界に先駆けて電子計算機(コンピュータ)を導入
    • [17]1970年10月 物流コンサルティング業務を開始
    • [18]1991年 日米国際VANネット(1991年10月 日本/米国間 国際VANネット完成と整合)
    • [20]扇興運輸として再出発した1946年から26年(1946→1972=26年)
  • センコーグループホールディングス 有価証券報告書【主要な経営指標等の推移】
    • [19]1972年時点で売上高150億円規模

API for AI Agents — 認証不要、URLをGETするだけで機械可読なJSONをトークン消費を抑えつつ取得できます。

センコーグループホールディングスの沿革1946〜2023年における主な出来事を抜粋

時代年月社長・CEO出来事重要度
1916〜1972年日窒コンツェルンの専属物流から再出発した戦後トラック会社扇興運輸商事を設立
扇興運輸に商号変更
海上運送業・海上運送取扱業・海運仲立業・海運代理店業を登録
通運免許と一般貸切貨物自動車運送事業免許を取得し事業展開を開始
特別積合せ貨物運送事業(路線事業)を開始★★
倉庫業の認可取得
大阪証券取引所市場第2部に上場
業界に先駆けてコンピュータを導入
物流コンサルティングを開始
1973〜2003年「センコー」改名と PD センター時代への転換扇興運輸からセンコー株式会社への社名変更

1973年10月、扇興運輸株式会社は『運輸』の文字を外し、旧社名『扇興』の音を残したセンコー株式会社へ社名を変更した。現社長の福田泰久氏は2025年版統合報告書で、この改称を『運輸だけにこだわらない』という事業多角化への意志の表明であったと振り返っている。

詳細を読む
★★★
大阪証券取引所市場第1部に上場
日本・極東と中近東・欧州間のシベリア・ランド・ブリッジサービスを開始
引越事業に本格参入
南港PDセンター(大阪市)を開設し総合複合機能倉庫の建設に着手
センコー情報システムを事業主体としてVAN事業に参入
量販・小売店向け納品代行システムが稼働しチェーンストア物流事業を開始★★
住宅資材物流センターを開設し住宅資材の物流システムが稼働
東京証券取引所市場第1部に上場
日本・米国間の国際VANネットが完成しサービス開始
年間投資予算の3倍、60億円を投じた研修施設「クレフィール湖東」の先行投資

1996年7月、センコー(現センコーグループホールディングス)が滋賀県東近江市に総合交通・物流研修施設『クレフィール湖東』を開設した。1988年に福田泰久氏が提案した60億円規模の投資計画を、年間投資予算が20億円規模であった当時の取締役会に認めさせ、27ヘクタールの用地取得を自ら5年がかりで進めた末の開設であった。

詳細を読む
★★★
大連で物流センター事業に参入
船舶の安全管理システムの国際規格「ISM」の適合証書を取得
ロジスティクスシステム「ベストパートナーシステム」が稼働
2004〜2025年福田泰久社長21年のM&Aと5事業ホールディングス化福田泰久福田泰久氏のセンコー社長就任と「陸運業界ビッグ5入り」宣言

2004年6月29日、小池洋社長(1997〜2004年在任)から福田泰久副社長がセンコー社長に昇格した。就任直後、福田泰久社長は『陸運業界ビッグ5入り』を掲げ、2007年には経営破綻した運送会社エーラインアマノの事業を譲受して取得し、以後の年次M&Aへとつなげた。

詳細を読む
★★★
福田泰久日本と中央アジア間でチャイナ・ランド・ブリッジを活用した輸送サービスを開始
福田泰久人材派遣事業に参入
福田泰久丸藤を子会社化
福田泰久農業に参入
福田泰久低温物流事業に本格参入★★
福田泰久介護事業に本格参入★★
福田泰久センコーグループHDに商号変更し持株会社体制に移行★★
福田泰久国際航空輸送事業に参入
福田泰久子育て事業に参入
福田泰久クリーニング事業に参入
福田泰久プロダクト事業に参入★★
福田泰久オーナミを子会社化し国内外の重量物輸送事業を拡大★★
出典・参考
  • センコーグループ統合報告書2025
  • センコーグループホールディングス 有価証券報告書【主要な経営指標等の推移】
  • センコー百年史(センコー, 2016)

免責事項およびポリシー