ソフトバンクグループ Yahoo!BBでADSL参入 自前の通信インフラ事業への参入と、それが招いた経営の危機

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時期 2001年9月
当時の社長 孫正義
論点 投資会社から事業会社への転換と消費者事業モデルの確立
何をなぜ決めたか
概要

2001年、ソフトバンクが"Yahoo!BB"ブランドでADSLに参入し、モデムの無料配布などの莫大な先行投資でシェアを取りにいった経営判断。参入直後の2002年度はブロードバンド事業が売上を超える巨額の赤字を計上し、事業売却=解体しかないとまで報じられたが、孫正義氏は投資を続け、参入5年目に黒字転換した。

背景

当時のネット接続はISDNが主流で、速度が遅く料金も高かった。ADSLは既存の電話回線で高速・低価格を実現する新技術として台頭していた。ネットバブル崩壊で投資先株式の含み益が縮んだソフトバンクは、投資依存から脱し安定したキャッシュフローを生む主力事業を必要としていた。

内容

ソフトバンクは検索ポータルYahoo!のブランドを使い、街頭でのモデム無料配布(通称パラソル部隊)やテレビCMの集中放映、加入者への金券配布でユーザーを一気に囲い込んだ。赤字の拡大を承知のうえで、加入者が一定数を超えれば損益分岐点を突破するという先行投資の賭けに出た。

含意

先行投資でシェアを確保し、数年後に黒字化する——ADSLで確立したこの消費者事業モデルは、のちの携帯電話事業や決済事業(PayPay)へ受け継がれた。投資会社の色を強めていたソフトバンクが、自ら顧客へサービスを届ける事業会社の顔を持つ転機ともなった。

いつ何が起きたか 6件
筆者の見解
筆者の見解

売上の2倍の赤字を許容できる会社

この決断の核心は、単にADSLという事業へ参入したことではなく、売上の2倍を超える赤字を数年にわたって許容しきった点にある。ふつうの会社なら、上場以来初の最終赤字と"解体しかない"という外部の声の前で、投資を絞るのが自然であった。孫正義氏がそうしなかったのは、加入者数という一点さえ積み上げれば損益は必ず反転するという計算があり、その一点に資源を集中させたからである。危機の渦中で投資を続けられるかどうかが、この賭けの分かれ目であった。

あわせて重いのは、この危機のなかで身につけた型が、その後のソフトバンクを長く規定したことである。先に赤字を覚悟でシェアを取り、後から回収する——ADSLで確立したこの発想は、携帯電話の顧客獲得競争でも、PayPayの大盤振る舞いでも繰り返された。売上の2倍の赤字に耐えた経験は、資本を集中投下してシェアを奪い取るソフトバンクの競争スタイルそのものを鍛えたのだろう。

Yutaka Sugiura, 2026年7月

業績の推移
同じ問いに直面した会社

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事業のデジタル化2019年みずほフィナンシャルグループ3行の勘定系を一元化し、業務ごとに組み直した次期システムへの全面刷新システム統合とIT投資
2000年NTT各家庭へ光を直結する固定網への切り替えを選んだ基盤投資固定網のブロードバンド基盤と光化方針
1988年三洋証券資本金に匹敵する300億円を投じる、自社史上最大の設備投資証券業務の情報化への投資規模
1983年DCMホールディングス計算機と物流センターを組み合わせた、商いの土台づくり仕入構造と情報・物流投資
2024年江崎グリコ342億円を投じた入れ替えが招いた、チルド商品の出荷停止と75億円の営業減益基幹システムの刷新と業務プロセスの統合
大型設備投資2002年ユキグニファクトリー競合主力のぶなしめじ・エリンギへの参入と生産拠点の増設まいたけ1品目への依存ときのこ品目の拡大
2002年神戸製鋼所製鉄所構内での石炭火力発電所の建設と、電力卸供給という収益源の確保収益源の分散と自主独立路線
2003年東武鉄道1,349億円を投じた、電波塔を核とする街づくりへの転換沿線価値向上のための巨額単独投資
1998年カネカ専業子会社の設立と、薄膜シリコンへの100億円超の投資新規事業への投資と撤退規律
2005年名古屋鉄道新空港の開港に合わせた常滑からの延伸と、空港アクセスの確保事業再編と成長投資
参考文献
出典・参考
  • 日経ビジネス(2002年2月11日)
  • ソフトバンクグループ 有価証券報告書(2025年3月期)【沿革】

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