相次ぐ買収と「拡大路線」への懸念
1997年実施売上を超える借金を抱えて買い続ける——市場が財務体力を疑うなか、孫正義はなぜ「買収はやり続ける」と言い切ったのか
- 概要
- 1994年の株式公開を機に、ソフトバンクがソフトウェア流通・出版から企業買収と投資へ軸を移し、米ジフ・デービスやコムデックスなどを相次いで買収した経営判断。1996〜1997年には、売上を超える有利子負債を抱えた連続買収に市場の懸念が高まったが、孫正義は「買収はやり続ける」と拡大の継続を明言した。
- 背景
- 1994年7月の株式公開で得た資金調達力を梃子に、ソフトバンクは大型買収へ動いた。1994年から1996年にかけてジフ・デービスやコムデックスを買い、買収資金は社債でまかなった。その結果、有利子負債は売上を超える規模に膨らんでいた。
- 内容
- 市場は、連続買収による財務体力の消耗と、買収した企業の業績悪化を懸念した。孫正義は「浮利は追っていない」と反論し、買収先の情報とネットワークにこそ価値があると説いた。孫個人の会社を用いた買収スキームには批判もあり、孫は「影の部分にも自分の責任はある」と反省を語りつつ、買収の継続を崩さなかった。
- 含意
- 買収対象の事業利益より、そこから得る情報とネットワークに投資するという独自の論理が、この時期に形をとった。ジフ・デービスの情報網から米ヤフーを発掘した経験は、のちのYahoo!BBやソフトバンク・ビジョン・ファンドへと続くベンチャー投資の先駆けとなった。
「借金してでも買い続ける」という賭けの評価
この時期の判断を貫くのは、財務の健全さよりも先に、情報とネットワークの獲得を置くという価値の順序であった。売上を超える有利子負債を抱えても買収を続けたのは、孫正義が買収先の帳簿上の利益ではなく、そこから見える次の商機に賭けていたからである。市場が財務体力を疑うなかで「浮利は追っていない」「買収はやり続ける」と言い切れたのは、この価値観に確信があったからにほかならない。数字の危うさを、情報の価値で上書きしようとする発想である。
もっとも、その賭けが常に報われたわけではない。ジフ・デービスの出版事業のように、買った事業そのものは伸びずに手放したものもある。孫個人の会社を絡めた買収スキームへの批判は、拡大を急ぐあまりガバナンスが後回しになりがちな危うさも示した。それでも、情報網から米ヤフーを引き当てた一事は、この論理が単なる暴走ではなかったことを物語る。借金してでも情報を買い、そこから次の柱を見つける——1996〜1997年に批判を浴びたこの型は、のちのソフトバンクの投資戦略の原型になったとみることができる。
Yutaka Sugiura, 2026年7月
背景
公開を機に「買う会社」へ
ソフトバンクは1994年7月、日本証券業協会の店頭登録で株式を公開した。それまでの主力はソフトウェアの流通と出版であったが、公開で得た資金調達力を梃子に、経営の軸を企業買収と投資へ移していく。同年12月には米国の展示会事業コムデックスと、シリコンバレーの有力IT出版社ジフ・デービスの買収に動いた。買収の狙いは、対象企業そのものの利益より、そこに集まる情報とネットワークにあった。事実、1996年1月にはジフ・デービスの情報網を通じて発掘した米ヤフーと合弁でヤフー株式会社を設立し、日本の検索市場で最も早い位置を取っている[1][2]。
買収の資金は、主に社債でまかなわれた。相次ぐ大型買収を借入で重ねた結果、有利子負債は売上を上回る規模へと膨らんでいく。投資先や買収先の業績が会社全体の成績を左右する、綱渡りに近い財務構造であった[3]。
決断
「浮利は追っていない」——懸念への反論
拡大のペースに、市場は不安を隠さなくなった。1996年夏、日経ビジネスは相次ぐ買収に「体力はもつのか」と3つの疑問をぶつけた。孫正義の答えは「心配ない」であった。買収は高い買い物ではなく、目先の利ざやを狙う「浮利」を追ってはいない、というのがその主張であった。買収した企業の売上や利益そのものより、そこから得られる情報や人のつながりに投資している——数字の上の負債の重さを、価値の質で説明しようとした[4]。
それでも1997年秋には、懸念はいっそう強まった。買収した企業の業績が振るわず、日経ビジネスは「孫流拡大路線に暗雲」と書いた。買収スキームには、孫個人の会社を使って不採算部分を引き受けさせるやり方があり、その利益相反めいた構図にも批判が向けられた。同誌のインタビューで孫は、この手法を「ソフトバンクによかれと思ってやったこと」としながら、「影の部分にも自分の責任はある」と反省を口にする。だが、買収そのものをやめる考えはなかった。状況次第で買収を続ける構えを、はっきりと崩さなかった[5][6]。
結果
財務の工夫で当面を乗り切る
1997年秋の時点で、ソフトバンクは財務の工夫を駆使して当面の危機を乗り切った。ただし買収した企業の業績悪化は続いており、なお予断を許さないと評された。連続買収が生んだ負債と、買収先の不振という二つの重しは、この時点では解消していない。実際、ジフ・デービスの出版事業は2000年前後にインターネットの普及で広告収入が縮み、ソフトバンクは2000年に同事業を手放している。買収の一つひとつが、そのまま利益を約束したわけではなかった[7]。
それでも、この拡大路線が残したものは小さくなかった。買収を通じて得た情報とネットワークは、米ヤフーの発掘という具体的な果実を生み、日本のインターネットの入り口を早々と押さえることにつながった。買収先の事業価値より、そこに集まる情報に投資するという独自の論理は、のちのYahoo!BBやソフトバンク・ビジョン・ファンドにおけるベンチャー投資へと受け継がれていく。1996〜1997年の「拡大路線への懸念」は、ソフトバンクの投資会社としての性格が、批判にさらされながら固まっていった時期であった[8]。
- 日経ビジネス(1996年8月26日)
- 日経ビジネス(1997年10月13日)
- 日経ビジネス(1997年11月17日)
- ソフトバンクグループ 有価証券報告書(2025年3月期)【沿革】