東京スカイツリー建設への1,430億円投資
電波塔の誘致という商機を、東武鉄道は「設立以来最大の単独投資」としてどう引き受けたか
更新:
- 概要
- 地上デジタル放送用の新しい電波塔の建設地探しの中で、東武鉄道が保有する押上の貨物駅跡地が候補に浮上し、2006年3月に建設地として決定された。東武鉄道は自社保有地にタワーと複合商業施設を建設する事業主体となり、2012年5月に東京スカイツリータウンを開業させた。
- 背景
- 地上デジタル放送への完全移行を控え、東京タワーでは高層ビルの増加により電波の到達に限界が見え始めていた。東武鉄道は当時、有利子負債約8,100億円を抱えており、そこへ大型投資を重ねることには慎重な見方もあった。
- 内容
- 2006年3月の建設地決定を経て2008年7月に着工し、タワー本体に600億円、周辺の商業・オフィス施設に780億円、総額約1,430億円を投じた。投資回収期間を25年に設定し、開業2年目には単年度の営業黒字化を見込む計画を描いた。
- 含意
- 2012年5月の開業後、レジャー事業のセグメント利益は赤字から100億円超の黒字へ急回復した。鉄道・不動産・レジャー各事業への波及も含め、設立以来最大となる単独投資は東武鉄道の事業構造そのものを動かした。
巨額投資と、その先に残る問い
有利子負債8,100億円を抱えるさなかに1,430億円を単独で投じるという判断は、電波塔という一見畑違いの案件を、沿線価値向上のための都市開発として引き受けた点に核心があったとみることができる。押上の貨物駅跡地という自社資産と、地上デジタル放送への移行という外部の制度変更が重なった機会を、鉄道会社が自らの成長戦略に転換した例といえる。開業初年度からタワー部分が黒字を計上し、赤字だったレジャー事業が一気に100億円超の利益を生む事業へ切り替わった点に、投資判断の的中がうかがえる。
もっとも、その成功は開業当初のブームに支えられた面も大きい。DCL誌面自身が指摘していたように、展望施設はリピーターが生まれにくく、既存施設の多くは開業時をピークに入場者を減らしていく。25年という長い投資回収期間の設定は、超長期の判断を許容してきた同族経営の特性を映す数字であるが、その回収計画が実際にどこまで進んだかは、開業から十数年を経た今日でも、なお注視を要する論点として残っているとみられる。
Yutaka Sugiura, 2026年7月
背景
東京タワーの限界と、押上の貨物駅跡地
地上デジタル放送への完全移行を控え、高さ333メートルの東京タワーでは高層ビルの林立によって電波の届きにくい地域が広がりつつあった。在京テレビ局は新しい電波塔の建設地を探しており、その候補として浮上したのが、墨田区押上・業平橋地区にあった東武鉄道保有の貨物駅跡地であった。2006年3月、この土地が正式に建設地として決定された[1][2]。
東武鉄道にとって、この土地は単なる遊休地ではなかった。同社は2003年3月に半蔵門線・東急田園都市線との相互乗入れを始めており、押上駅の交通結節機能はすでに高まりつつあった。自社が保有する用地に、地元墨田区の誘致意欲や浅草に隣接する立地の観光価値が重なり、鉄道会社が電波塔と複合商業施設を自ら運営する、それまでにない事業構想が動き出した[3]。
「荷が重い」有利子負債と、期待された長期の波及効果
東武鉄道は当時、有利子負債約8,100億円を抱えており、周辺再開発を含め総事業費1,430億円を投じる計画には「荷が重い」との見方も一部にあった。1992年の池袋駅西口再開発(東武百貨店池袋店増床、投資額約900億円)がバブル崩壊で長期にわたり採算の重荷になっていた経緯もあり、超大型投資への慎重論が生まれるのは自然な流れであった[4]。
それでも東武鉄道は、浅草と並ぶ国際的な観光名所としての認知が高まれば、沿線価値の向上や鉄道・流通業への波及効果が長期にわたって期待できるとみていた。開発計画には「Rising East」という名称が与えられ、六本木や丸の内など都心中心だった東京の再開発の流れを、下町の東部地区に呼び込む狙いが込められていた[5]。
決断
06年の建設地決定から、1,430億円の投資へ
2006年3月に押上・業平橋地区への建設が正式に決まったのち、東武鉄道は2008年7月に起工式を開き、建設に着手した。総投資額は約1,430億円で、その内訳はタワー本体である東京スカイツリーに600億円、周辺のショッピングゾーン「東京ソラマチ」やオフィス「東京スカイツリーイーストタワー」を含む街区「スカイツリータウン」の建設に780億円であった[6]。
東武関係者は、東急電鉄が渋谷に建てたオフィス・商業ビル「渋谷ヒカリエ」の総投資額が約1,000億円であったことを引き合いに、巨大タワーへの投資額は意外に高くないと語った。会社は開業から25年で投資を回収し、開業2年目には単年度の営業黒字化を目指す計画を掲げ、世界一の高さを持つ自立式電波塔という前例のない建造物に、設立以来最大となる単独投資を賭けた[7][8]。
開業直前に描いた収支計画
開業を目前に控えた2012年5月時点で、東武鉄道はスカイツリープロジェクト単体の収支計画を、初年度売上高201億円・営業利益8億円、開業費用が一巡する2年目以降は5年目まで毎年40億円前後の営業利益を生むシナリオとして描いていた。入場者数は初年度400万人、2年目は460万人を見込み、電波料収入や東京ソラマチの賃貸収入も収益源に据えていた[9]。
一方でオフィスゾーンの入居率は約25%にとどまり、都心から離れた押上の立地は不利との指摘もあった。証券アナリストは、それでも収支計画がオフィス苦戦をある程度織り込んだ数字とみていた。開業を前に根津嘉澄社長は「沿線全域、さらにはその延長線上の福島県、茨城県に及ぶ地域の活性化につながることを願っている」と述べ、鉄道会社としての波及効果に期待をかけた[10][11]。
結果
2012年5月開業と、レジャー事業の急回復
2012年2月29日にタワー本体が完成し、施工した大林組から運営会社の東武タワースカイツリーへ引き渡された。着工から約3年8か月の工期を経て、5月22日に東京スカイツリータウンが開業した。開業初年度、タワー部分単独の営業利益は91億円を計上し、当初の黒字化目標を上回るペースで立ち上がった[12][13]。
開業前の2012年3月期にレジャー事業のセグメント利益は6.2億円の赤字であったが、開業後初のフル決算期となった2013年3月期には105.9億円の黒字へと急回復した。会社全体の業績にも波及し、2013年4月の会社四季報最新情報は東武鉄道について、前年開業のスカイツリー効果で運輸・レジャー・不動産事業がそろって好調であり、翌2014年3月期もその効果が続くと評価した[14][15]。
- 週刊東洋経済 2008年7月26日号「04 鉄道新・観光名所となるか 東京スカイツリー着工」
- 週刊東洋経済 2010年12月21日号「特集 2011年大予測 PART4 産業・企業編」
- 週刊東洋経済 2012年5月18日号「NEWS&REPORT 01 東武の収支計画で読むスカイツリーの成否」
- 週刊東洋経済 2013年4月19日号「会社四季報最新情報」
- 東洋経済オンライン「東武「伊勢崎線の旧業平橋駅」から大変貌の今」
- 日本経済新聞(2010年7月22日)「『東京スカイツリー』25年で投資回収か」
- 日本経済新聞(2012年2月29日)「東京スカイツリー完成 建設会社、東武に引き渡し」
- 東武鉄道 有価証券報告書(2006年3月期・連結)
- 東武鉄道 有価証券報告書(セグメント情報)