半世紀を貫いた複々線化投資——1964年都市計画決定から2018年全面完成まで
都市計画決定から54年、なぜ小田急は3,100億円の投資に踏みとどまったか
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- 概要
- 1964年12月、東京都の都市計画決定を受けて小田急電鉄が着手した代々木上原〜喜多見間の複々線化事業は、用地買収の難航と巨額の資金負担により完成までに54年を要し、2018年3月、総事業費約3,100億円をかけて全区間の複々線運転が始まった経営判断。
- 背景
- 通勤路線化で沿線人口が増えるなか、朝ラッシュ時の混雑と後続列車の徐行運転が長年の課題となり、1964年12月の都市計画決定のあとも巨額の資金負担と用地買収の難しさから工事は長期間にわたり足踏みを続けた。
- 内容
- 1997年6月の喜多見〜和泉多摩川間の第1期完成を皮切りに、2004年11月の第2期、2013年3月の下北沢付近の地下化、2018年3月の最終区間完成と、4段階・54年をかけて代々木上原〜登戸間の複々線化を完了させた。
- 含意
- 完成翌年にかけて朝ラッシュの輸送力は4割増え、混雑率は192%から150%程度まで下がった。長期投資の完遂は、新宿駅西口の再開発という次の大型プロジェクトの足がかりにもなった。
半世紀の忍耐と、次の半世紀への問い
この決断の特徴は、一人の経営者による一度限りの選択ではなく、都市計画決定という行政手続きと、半世紀に及ぶ資金調達・工事の継続という、幾人もの社長の在任期間をまたぐ持続的な取り組みだった点にある。安藤楢六氏(当時社長)が1965年に案じた「膨大な資金」への不安は、星野晃司氏(社長)が2018年に語った「感無量」という一言に至るまで、半世紀以上にわたり小田急電鉄の経営課題の底流にあり続けたとみることができる。
もっとも、この投資が沿線人口の増加という追い風を欠いていたら、54年という歳月そのものが重荷として残った可能性は否定できない。複々線化が果実を結んだのは、新宿ターミナルの商業開発や江ノ島電鉄の完全子会社化といった周辺事業が収益を補ってきたためでもある。2020年代に着手した新宿駅西口の再開発も、同じように長期の資金負担を伴う投資であり、複々線化が示した長期投資への向き合い方が、そこでも試されるとみられる。
Yutaka Sugiura, 2026年7月
背景
通勤線化と輸送力の限界
小田急電鉄は1950年代後半、観光路線から通勤路線へと収益構造を組み替えた。1958年6月のダイヤモンド誌は、それまで観光路線としての特色で業績を伸ばしてきた小田急について、今後は通勤路線としての比重が次第に高まると分析し、沿線人口の増加とともに定期利用者が収益の中心へ移りつつあることを伝えた[1]。
この構造転換のあとも、朝ラッシュ時の混雑は解消されなかった。2018年になっても東洋経済の取材に対し、小田急自身が「電車内は超満員、しかもノロノロ運転。小田急線を長年悩ませてきた朝ラッシュ時の状況」と振り返るほどで、後続列車が先行列車につかえて速度を落とす状態が日常化していた。輸送力の天井をどう取り払うかが、複々線化という大型投資に踏み切る出発点になった[2]。
1964年の都市計画決定と資金調達への懸念
1964年12月、東京都は代々木上原から喜多見までの立体交差・複々線化を都市計画として決定した。同じ年の10月には、多摩丘陵の宅地開発にあわせて京王線・小田急線の乗り入れも認可されており、小田急は輸送力増強をいくつも同時に求められる年を迎えていた。都市計画に基づく行政決定と沿線人口の急増という二つの圧力が重なり、複々線化は避けられない投資になった[3][4]。
翌1965年8月、社長の安藤楢六は「東京都がさきに多摩30万年の建設計画を発表したので、わが社でもこれに対応して喜多見から分岐し、稲城本町まで新線9.4kmの建設を計画したが、これを含めると約230億円にものぼる膨大な資金を必要とする」と語り、社内留保だけでは賄いきれない規模の投資になる懸念を示した。6年後の1971年11月、小田急建設社長の野村専太郎も証券アナリスト向けの講演で「新百合が丘、代々木上原間の本線のパイプを太くする必要もあり」と述べ、複々線化がグループ内で継続的に意識された投資課題だったことを裏付けている[5][6]。
決断
33年を隔てた第一期完成
1997年6月、都市計画決定から33年を経て、喜多見から和泉多摩川までの区間で最初の複々線化が完成した。この年度の小田急電鉄の連結営業収益はおよそ5,844億円、経常利益は211億円で、複々線化に投じた費用は経常利益の規模に照らして重い負担だった。複々線化はこの時点でまだ全体のごく一部にとどまっていた[7][8]。
2004年11月には世田谷代田から喜多見までのおよそ6km強の区間が完成し、2013年3月には下北沢駅を含む東北沢から世田谷代田までの区間で在来線の地下化が完了した。この区間は住宅密集地でのシールド工法による難工事で、商店街や住宅地との調整が工期を押し上げた。2007年3月期の運輸業セグメントは売上高およそ1,638億円、営業利益263億円を計上しており、流通・不動産事業を含む多角化した収益基盤が複々線化の投資負担を長期にわたり支えていた[9][10]。
2018年3月、最終区間の完成
2018年3月17日、東北沢から世田谷代田までの最後の区間が完成し、代々木上原から登戸までのおよそ11.7kmで複々線運転が始まった。新型特急ロマンスカー「GSE」のデビューにあわせたダイヤ改正で朝ラッシュ時の輸送力は4割増え、192%だった混雑率は150%程度まで下がった。社長の星野晃司は「感無量。ようやくここまで来た」と当日の心境を語った。複々線化の工期は約30年、1964年の都市計画決定からは54年を数えた[11][12][13]。
この投資に小田急が負担した額は3,200億円以上にのぼった。小田急は増収効果を2020年度でおよそ50億円と見込み、多摩センター駅を挟んで先行してきた京王電鉄に対しては、新宿方面への通勤急行・急行の増発というダイヤ改正で対抗した。京王も同時期に運賃の値下げで応じ、複々線化の完成は沿線間の競争を具体的な数字の応酬に変えた[14][15]。
結果
混雑緩和の実利と新宿再開発という次の課題
町田から新宿までの急行の所要時間は49分から、快速急行で37分へ12分短縮された。朝の通勤時間帯の列車本数も27本から36本に増え、54年をかけた投資は具体的な数字として利用者に届いた。2019年1月にはヒューマニックホールディングスの株式を取得し、同年10月には江ノ島電鉄を株式交換で完全子会社化して沿線の観光網を補強した。2019年3月期の連結営業収益はおよそ5,266億円、経常利益はおよそ497億円で、複々線完成年度は過去最高益の水準にあった[16][17][18]。
複々線化が完成した2018年、小田急は中期経営計画のなかで新宿駅西口の再開発検討に着手した。新宿駅西口には小田急百貨店、小田急ハルク、新宿ミロード、小田急エースなど自社の商業施設が集積しており、建物の多くは1960年代から80年代にかけて建てられたものだった。社長の星野晃司は東京メトロや京王電鉄も名を連ねる検討委員会について「新宿駅東口も交えた大きな拠点再整備になることは間違いない」と語り、複々線化に続く次の投資の輪郭を示した[19]。
- ダイヤモンド(ダイヤモンド社, 1958年6月)
- 読売新聞(1964年10月3日「30万人の住宅地」)
- 実業の世界(1965年8月)
- 証券アナリストジャーナル 1971年9巻12号「小田急建設の現状と将来」(野村専太郎)
- 週刊東洋経済 2018年3月31日号「産業リポート 小田急、悲願の複々線化“遅い電車”の汚名返上」
- 週刊東洋経済 2018年3月31日号「産業リポート 小田急、悲願の複々線化 次の野望は新宿西口の再開発」
- 小田急電鉄 有価証券報告書【沿革】
- 小田急電鉄 公式サイト
- 小田急電鉄 有価証券報告書(連結)