1937年10月、東邦電力創立50周年記念事業として[1]、当時の社長松永安左ヱ門により財団法人東邦産業研究所が設立された。[2]研究所の半導体研究室ではセレン整流器の試作研究が始まり、戦時下には軍の指定研究機関として試作品を納入した実績も残した。[3]終戦により研究所は1946年に解散へ向かったが、半導体研究室主任で工学博士の小谷銕治が技術者と設備を引き継ぐ判断を下し、同年9月に東邦産研電気株式会社が埼玉県志紀町で設立された。[4]資本金は15万円という小さな船出で、社名は前身の研究機関名をそのまま引き継ぎ、技術の連続性を社外にも示す意味合いを持った。創立宣言には『吾等は半導体工業に専念し吾国産業の発展に寄与する』[引用元]という一項が掲げられ[5]、研究所由来の技術者集団が半導体一筋に進む初志が刻まれた。
戦後復興期の電気機器需要にあわせ、東邦産研電気はセレン整流器を主力商品として事業を立ち上げた。[6]1952年5月には本社・工場を埼玉県大和田町へ移転し[7]、研究所機能と量産機能を一体化する体制を整えた。製品の世代交代をめぐる判断は早かった。1952〜53年頃にゲルマニウム整流器が登場した際、その研究では他社に後れていた同社は『ゲルマニウムはセレンからシリコンに代わる一過程に過ぎない』[引用元]と見切り、他社に先がけてシリコンの開発に専念した。[8]その結果、1958年にはわが国ではじめて自社技術による拡散型シリコン整流素子を完成させ[9]、研究所出身の技術者集団が持つ研究力を量産製品の開発で示した。前身の研究所が松永安左ヱ門・東邦電力という戦前期の電力大手と接点を持っていた経緯は、戦後の取引基盤としても残り、産業用電源向け半導体の納入先を支えた。
1961年3月の店頭公開を経て同年10月[10]、東京証券取引所市場第二部へ上場した。上場により半導体素子の量産投資に資金を投じる道筋ができた。翌1962年6月、社名を東邦産研電気からサンケン電気に変更し[11]、現在の社名が定着した。社名変更は単なる名称差し替えに留まらず、研究機関の後継から半導体メーカーへ自己定義を移す節目として社内外に示された。技術面でも事業の柱が定まりつつあった。1962年には自動車用シリコン整流素子の量産を他社に先がけて開発し[12]、後年の車載半導体事業へつながる入り口を開いた。さらに1966年にはシリコンパワートランジスタが日本電信電話公社の初の認定品となり[13]、研究所由来の技術水準の高さを社外に示した。創業から四半世紀を経ずに東証二部上場と社名変更にこぎ着けた過程は、戦後復興期に半導体素子需要が伸びた追い風の上にあった。
1963年3月には埼玉県川越市に川越工場を竣工し[14]、半導体素子の量産拠点を埼玉県内で増強する体制が定着した。1968年時点の同社は、創立25周年の1971年9月期を到達点に置く5ヵ年計画を進めており、同期の売上高35億円・年間成長率20%維持・利益率5〜6%維持という三つの数字を掲げ[15]、半導体専業のまま規模拡大と収益維持の両立を狙った。事業領域の拡張には合弁も用い、プロテクターを生産するサンケン・エアバクス社を設立して生産を始め、自動電圧調整機を手がける次の合弁会社の設立も進めた。[16]1970年8月には東京証券取引所市場第一部へ上場し[17]、戦前の研究所を起点とする企業がわずか33年で一部へ到達した。同時期の1970年2月には鹿島サンケン株式会社を生産子会社として設立し[18]、本社と離れた立地で集積回路向けの製造機能を持たせ、1970年代半ばまでに本社川越・鹿島の2極体制が組み上がった。
1973年6月、韓国サンケン株式会社を設立[19]して海外進出の第一歩を記した。日本企業の韓国進出としては比較的早い時期の事例で、半導体組み立て工程の人件費差を取り込む狙いが先行した。1974年4月にはサンケン電設株式会社を設立して電設機器分野への参入を進め[20]、半導体だけでなく電源装置・社会システム分野へ事業領域を広げる初期段階の布石が打たれた。1978年7月には石川県下の関係会社5社を合併して石川サンケン株式会社を設立し[21]、地域別に分散していた生産機能を集約する整理が進んだ。1981年10月には山形サンケン株式会社を、1988年3月には福島サンケン株式会社を設立した[22]。
1980年代の入り口にあたる1978〜1981年、サンケン電気の事業構造は半導体素子・電源装置・社会システムの3分野構成へ向けて骨組みが固まった。[23]半導体素子は家電・産業機器向けのトランジスタ・ダイオード、電源装置は産業用スイッチング電源、社会システムは航空障害灯・LED表示器などの公共インフラ向け製品である。各分野はそれぞれ異なる顧客層を持ち、相互の景気変動を打ち消す事業ポートフォリオの形を取った。研究所から引き継いだ技術系企業文化と、戦後復興期の国内需要のもとで組み上がった3分野構成は、1990年代以降30年以上にわたって同社の事業構造の基本形として残った。
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|---|---|---|---|---|
| 1937〜1980年戦後復興期の半導体黎明と東邦産研の系譜を継ぐ独立 | 故松永安左ヱ門氏により㈶東邦産業研究所が設立されセレン整流器の試作研究を開始 | ★★ | ||
| 東邦産研電気を設立 | ★ | |||
| 本社・工場を移転 | ★ | |||
| 株式店頭公開開始 | ★ | |||
| 東京証券取引所市場第二部に上場 | ★ | |||
| 商号をサンケン電気と変更 | ★ | |||
| 川越工場竣工 | ★ | |||
| 鹿島サンケンを設立 | ★ | |||
| 東京証券取引所市場第一部に上場 | ★ | |||
| サンケンを設立 | ★ | |||
| サンケン電設を設立 | ★ | |||
| 石川県下の関係会社5社を合併し石川サンケンを設立 | ★ | |||
| 1981〜2015年海外展開とパワー半導体事業の世界規模拡張 | 山形サンケンを設立 | ★ | ||
| 福島サンケンを設立 | ★ | |||
| サンケン エレクトリック ホンコン カンパニーを設立 | ★ | |||
| スプレーグ テクノロジーズ半導体部門を買収しAllegro MicroSystems Incを設立 | ★★ | |||
| ピーティー サンケン インドネシアを設立 | ★ | |||
| サンケン エレクトリック コリアを設立 | ★ | |||
| 台湾三墾電気股份有限公司を設立 | ★ | |||
| ポーラー ファブ エルエルシーを買収しポーラー セミコンダクター インクを設立 | ★ | |||
| サンケンオプトプロダクツを設立 | ★ | |||
| 飯島貞利 | サンケンロジスティクスを新設分割により設立 | ★ | ||
| 飯島貞利 | サンケン ノースアメリカ インクを設立 | ★ | ||
| 2016〜2025年事業選択集中とAllegro持分減で塗り替わる連結体 | 和田節 | サンケン エレクトリック(タイランド)カンパニー リミテッドを設立 | ★ | |
| 和田節 | エフィッシモによる公開買付けの実施と支配的株主への台頭 2021年2月9日、旧村上ファンド系の投資会社エフィッシモ・キャピタル・マネージメントが、サンケン電気株の保有比率を約10%から最大30%へ引き上げるとして公開買付け(TOB)を開始した。買付価格は1株5,205円、最大251億円の枠であった。サンケン電気は2月24日に賛否を示さない『中立』の立場を表明し、TOBは目標に届かないまま成立して、エフィッシモの保有比率は19.16%へ上がった。 詳細を読む | ★★★ | ||
| 和田節 | サンケン電設の株式の全てをGSユアサに譲渡 | ★ | ||
| 髙橋広 | Allegro MicroSystems Incの公募増資・株式売却により持分法適用関連会社化 | ★★ | ||
| 髙橋広 | ポーラー セミコンダクター エルエルシーが連結対象から除外 | ★ |
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事実根拠:出所(サンケン電気)