1954年12月、立命館大学理工学部を卒業したばかりの佐藤研一郎氏は、京都市上京区で個人企業・東洋電具製作所[1]を創業した。製品は炭素皮膜固定抵抗器で、社名の由来となるROHMは抵抗を意味する英字の頭文字と単位の組み合わせから名付けた。1958年に資本金200万円で法人化し[2]、京都市右京区西院に本社工場を構えて量産体制を整えた。創業期の佐藤研一郎社長は企業目的として『われわれはつねに品質を第一とする。いかなる困難があろうとも、良い商品を国の内外へ永続かつ大量に供給し、文化の進歩・向上に貢献する』[引用元]を掲げ、量産と原価管理の両立を経営の柱に据えた。佐藤研一郎氏の父はNHK交響楽団の前身である新交響楽団でコンサートマスターを務めたバイオリニストで、本人も幼少からピアノに親しんで演奏家を志したが、登龍門とされたコンクールに二度落ちた大学2年で断念し、卒業と同時に事業の道へ移っている[3]。
1966年には岡山県に製造子会社ワコー電器を設立し[4]、以後も国内各地に製造拠点を展開して低コスト・大量生産の基盤を築いた。関係会社については『地元の経営者とロームとの共同出資にするという理念を基本としている。経営能力を持ちながら、チャンスに恵まれない経営者を県庁や商工会議所などに紹介してもらい、この人ならいけるという人を発見し、この人と共同で会社を運営していく』[引用元](証券アナリストジャーナル 1983/12)という独自のネットワーク型経営を採った。抵抗器市場で安定した収益を確保しつつ、佐藤研一郎社長の関心は次第にトランジスタやICといった半導体デバイスの可能性へ向かい、単なる受動部品メーカーにとどまらず、次の成長事業への転換を模索する動きが始まった。1967年にIC進出を決めた時点の売上高は50億円に届かず、従業員も400人ほどの中堅部品メーカーにすぎなかった[5]。佐藤研一郎社長は同年の年頭に、IC化の奔流に飲まれれば抵抗器は要らなくなると説き、大手が20億〜50億円を投じる研究開発費に自社は1億5000万円しか充てられないと認めたうえで、3年後には自社のICで迎え撃とうと呼びかけた[6]。
転機は1969年に訪れた。ロームはICの開発・販売を開始し、受動部品専業から半導体メーカー[7]へ事業領域を広げた。日立や東芝といった大手が汎用DRAMに集中投資を注ぎ込むなか、ロームはビデオやオーディオ向けのカスタムICという隙間市場を狙う戦略を発表した。佐藤研一郎社長は『カスタムは設計エンジニアを100人増やしたからといって、100人分売り上げが増えるというものではない。商品寿命も短い』[引用元](日経ビジネス 1989/02/27)と限界を認めつつも、大手が力を入れるテレビ用を避けてオーディオ用を狙う後発戦略で独自の地歩を築いた。大手との汎用品競争を避けて高付加価値領域で勝負する方針がここで固まった。
1983年時点で同社は抵抗器で国内シェア3位(13.8[8]%)、ダイオード5位(12.1%)、[9]トランジスタ6位(7.2%)を確保する地位にあった[10]。CDプレーヤー用半導体レーザーやファクシミリ用サーマルヘッドなど複数の分野でトップシェアを獲得し、1989年のSRAM市場進出では旧世代の16K・64K品に絞って参入する『3番手戦略』をとった。佐藤研一郎社長自身が『2番手というより、さらに後から行く3番手戦略』『白紙の状態から開発するのに比べて80%ぐらいは費用を抑えられている』[引用元](日経ビジネス 1989/02/27)と語った通り、回路図を米国のデザインハウスから購入して開発コストを削り、大手が生産設備から手を抜いた旧世代市場を丹念に拾う手法で利益率を維持した。
SRAM進出の算盤は細かく弾かれていた。16Kと64Kの国内需要は月に数百万個から1000万個で、その1割を取れば月産数十万個になるという常務の見立てを土台に、16Kが300円弱・64Kが400円弱という落ち着いた価格から年商80億円規模の事業になると見積もった[11]。前工程を担ったのは1986年に買収した米エクセル・マイクロエレクトロニクスで、日米半導体摩擦のもとで同社の製品は米国製と数えられたため、輸入拡大を求められていた国内メーカーへ売り込みやすかった[12]。京都本社に建設中のLSI研究センターではカスタムICと同じ製造ラインにSRAMを流し、後発ゆえに重くなる償却を混流でならす算段だった[13]。
1970年、創業からわずか16年で米国シリコンバレーに販売会社ROHM CORPORATIONを設立した[14]。1971年には製造子会社エクサー社をシリコンバレーに設立し、日本の半導体メーカーとしては最も早い段階で米国生産拠点を持った企業となった。1986年には米エクセル・マイクロエレクトロニクスを買収してEEPROMの生産拠点を獲得し、日米半導体摩擦のなかで『米国製品』と見なされる供給能力も取り込んだ。以後、世界各地に開発・製造・販売拠点を展開して、海外売上比率は一貫して6割前後を維持[15]するグローバルな事業構造を築いた。京都の小さな抵抗器メーカーが世界の半導体マップに名を刻む出発点が、このシリコンバレー進出だった。
1981年には東洋電具製作所からローム株式会社へ商号[16]を変更した。1983年には大阪証券取引所二部に株式を上場し[17]、1986年には一部に指定替えとなり[18]、1989年には東京証券取引所一部への上場を果たした[19]。資本市場へのアクセスを得て、同社は半導体研究センター、LSI研究センター、VLSI研究センターなどの研究開発拠点を相次いで開設し、IC・LSIの自社開発体制を強化した。任天堂の山内溥氏は佐藤研一郎社長について『偉大な孤狼かただの変人か』[引用元](日経ビジネス 1989/09/11)と語った。京都の同業者とも距離を取り、財界活動や新入社員の入社式にも顔を見せない孤高のスタイルで、世界市場を睨む半導体企業としての骨格が整った時期だった。
1989年3月期の売上高は1275億円、ローム本体の従業員は2000人を超え、売上の7割を個別半導体とICが占めるまでになった[20]。同じ年の春、佐藤研一郎社長は本社構内に約200億円を投じたLSI研究センターを完成させる[21]。半導体の売上高が1000億円に届かない企業が、その2割強に当たる金額を一度に設備へ振り向ける決断であり、社長自身が、自分が言い出さなければ誰も踏み切れないとして責任を引き受けると社内に語っている[22]。ウェハーを月に1万枚流して何を作るかさえ誤らなければ戦えるというのが、投資に踏み切った拠り所だった[23]。
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|---|---|---|---|---|
| 1954〜1989年京都の抵抗器メーカーから半導体企業への転換期 | 佐藤研一郎が東洋電具製作所を創業 | ★★ | ||
| 佐藤研一郎 | 東洋電具製作所を設立 | ★ | ||
| 佐藤研一郎 | 西大路工場を新設 | ★ | ||
| 佐藤研一郎 | 本社を移転 | ★ | ||
| 佐藤研一郎 | ワコー電器を設立 | ★ | ||
| 佐藤研一郎 | ICの開発・販売を開始 | ★★ | ||
| 佐藤研一郎 | ROHM CORPORATION設立 | ★ | ||
| 佐藤研一郎 | 本社敷地内に半導体製造ラインを設置 | ★★ | ||
| 佐藤研一郎 | 商標をR.ohmからROHMに変更 | ★ | ||
| 佐藤研一郎 | 商号をロームに変更 | ★ | ||
| 佐藤研一郎 | 大阪証券取引所市場第二部に上場 | ★ | ||
| 佐藤研一郎 | 東証一部上場下でのオーナー社長・佐藤研一郎の統治スタイル 1989年の東京証券取引所一部上場前後に、ロームの創業オーナー・佐藤研一郎社長が確立した独自の統治スタイルをめぐる経営判断。財界活動や取引先への挨拶回りを一切せず外部に姿を見せない一方、社内では直接話法で自らの考えを説き、権限を委ねながらも約16%の株式を握って会社を統べた。 詳細を読む | ★★★ | ||
| 佐藤研一郎 | 大手が避けた市場を狙う「3番手戦略」でのSRAM参入 1989年、半導体業界11位の中堅だったロームが、大手が高集積度品へ投資を移して手を抜いた旧世代のSRAMに絞って汎用メモリーへ参入した経営判断。日立・東芝・日本電気が巨額投資でしのぎを削る先端品を避け、16K・64Kといった旧世代品の『限界供給部分』を丹念に拾う後発の『3番手戦略』をとった。 詳細を読む | ★★★ | ||
| 佐藤研一郎 | LSI研究センターを新設 | ★ | ||
| 1990〜2008年創業者経営の成熟と無借金高収益体質の確立期 | 佐藤研一郎 | 半導体不況下の受注整理と生産改革 1992年、半導体不況のさなかにローム(佐藤研一郎社長)が、不採算の部品や小口注文を取引中止も覚悟して整理し、生産性の向上と設備投資の抑制を同時に進めた経営判断。完成品メーカー優位の商慣行に部品メーカーの側から値上げと品種削減を求め、1992年3月期に過去最高益を達成した。 詳細を読む | ★★★ | |
| 佐藤研一郎 | ISO9001認証取得 | ★ | ||
| 佐藤研一郎 | 横浜テクノロジーセンター開設 | ★ | ||
| 佐藤研一郎 | ISO14001認証取得 | ★ | ||
| 佐藤研一郎 | VLSI研究センターを新設 | ★ | ||
| 佐藤研一郎 | 京都テクノロジーセンター開設 | ★ | ||
| 佐藤研一郎 | LSI計測技術センターを新設 | ★ | ||
| 佐藤研一郎 | 沖電気工業から半導体事業部門を買収 | ★★ | ||
| 2009〜2022年SiCパワー半導体集中投資と業績の急変動 | 佐藤研一郎 | サイクリスタル社を買収 | ★ | |
| 佐藤研一郎 | Kionix社を買収 | ★ | ||
| 澤村諭 | 澤村諭が代表取締役社長に就任 | ★ | ||
| 澤村諭 | SiC製ショットキーバリアダイオードを開発・販売開始 | ★★ | ||
| 澤村諭 | 初の純損失 | ★ | ||
| 澤村諭 | 初の営業赤字 | ★★ | ||
| 藤原忠信 | 藤原忠信が代表取締役社長に就任 | ★ | ||
| 藤原忠信 | パナソニックから半導体デバイス事業の一部を譲受 | ★★ | ||
| 松本功 | 松本功が代表取締役社長に就任 | ★ | ||
| 松本功 | タンタルコンデンサ事業を売却 | ★ | ||
| 松本功 | 東芝の非公開化連合へ最大3000億円を拠出し、パワー半導体の協業に賭ける 2023年7月18日、ロームは日本産業パートナーズ(JIP)を中心とする国内連合による東芝の株式非公開化に参画し、合計3000億円を拠出すると発表した。自己資本比率85%前後・実質無借金を続けてきた堅実経営の会社が、パワー半導体の協業をにらんで発祥以来の財務規律を崩す判断であった。 詳細を読む | ★★★ | ||
| 松本功 | 営業赤字転落・純損失 | ★★ | ||
| 東克己 | 東克己が代表取締役社長に就任 | ★ |
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事実根拠:出所(ローム)