ローム の歴史

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創業 1954年
創業者 佐藤研一郎
創業地 京都府
創業
1954年12月、立命館大学理工学部を出たばかりの佐藤研一郎氏が、京都市上京区で個人企業の東洋電具製作所を創業した。製品は炭素皮膜固定抵抗器という受動部品で、社名の由来となるROHMは抵抗を表す記号と単位を組み合わせたものである。父はNHK交響楽団の前身でコンサートマスターを務めたバイオリニストで、本人もピアニストを志したが、コンクールに二度落選し、大学2年で断念している。1958年9月に資本金200万円で法人化し、1966年8月には岡山県へ製造子会社を設けて量産の拠点を広げた。1969年3月にICの開発・販売を始め、1970年8月には米国カリフォルニア州へ販売会社を設立する。1981年9月に商号をローム株式会社へ変更し、1989年1月には東京証券取引所第一部へ上場したが、約16%の株式は創業者が握り続けた
決断
先端を追わず、大手が投資を引いた製品を拾って利幅を作った。1969年3月のIC参入では、日立や東芝が汎用DRAMへ集中投資する横で、オーディオ向けのカスタムICという狭い市場を選ぶ。1989年には旧世代の16K・64K SRAMに絞って汎用メモリへ参入し、回路図を米国のデザインハウスから購入して開発費を約8割抑え、カスタムICとの混流ラインで償却の負担を軽くした。採算の規律は取引先にも及ぶ。1991年6月の株主総会で常務3人を含む取締役5人を更迭し、全営業部員に赤字受注と小口注文を切らせ、完成品メーカーへ値上げと品種削減を受け入れさせた。半導体各社が沈む1992年3月期に売上高1,860億円・経常利益140億円の最高益を出したのは、この価格規律が効いたからである。
現況
後発で拾う手法が通じない製品に、資本を集中して損失を出した。SiCパワー半導体は世界で数社しか量産できず、旧世代を拾える余白がない。2009年7月に独サイクリスタル社を買収してSiCウェハを内製化し、車載向けに設備投資を年1,000億円超まで積み上げる。2023年7月には東芝の非公開化へ最大3,000億円を拠出し、創業以来の無借金が終わって自己資本比率は85%前後から65%台へ下がった。2026年3月期は売上高4,811億円・営業利益109億円に対し、半導体素子で1,916億円の減損を計上して純損失1,584億円となり、2期続けて最終赤字を出している。開発費を8割抑えて利益を作った会社が、投資の規模で順位が決まる製品へ移り、無借金と高い利益率をともに失った。
競合
同じパワー半導体を作る相手に、競争しながら出資した。ロームが2023年に資金を投じた国内連合の傘下で非公開化した東芝は、車載向けパワー半導体で正面から競う相手でもある。両社はパワー半導体の相互生産で連携し、経済産業省から最大1,294億円の補助金を得た。一方、SiCではウェハから内製する垂直統合を選び、SiCを外部から調達したルネサスエレクトロニクスとは供給の作り方が分かれる。ただしEV市場の失速と中国勢の台頭で市況は反転し、2026年3月期の半導体素子は売上2,053億円に対し227億円の損失となった。ウェハまで自前で持ったことが、需要が引いたときに工場ごと減損を計上する構造も作った。
ローム:長期業績の推移(売上高・利益率)売上高(億円純利益率(%)
1997年3月期2026年3月期

創業ストーリー 京都の抵抗器メーカーから半導体企業への転換期 (1954年〜)

炭素皮膜抵抗器から始まった東洋電具製作所の創業

1954年12月、立命館大学理工学部を卒業したばかりの佐藤研一郎氏は、京都市上京区で個人企業・東洋電具製作所[1]を創業した。製品は炭素皮膜固定抵抗器で、社名の由来となるROHMは抵抗を意味する英字の頭文字と単位の組み合わせから名付けた。1958年に資本金200万円で法人化し[2]、京都市右京区西院に本社工場を構えて量産体制を整えた。創業期の佐藤研一郎社長は企業目的として『われわれはつねに品質を第一とする。いかなる困難があろうとも、良い商品を国の内外へ永続かつ大量に供給し、文化の進歩・向上に貢献する』[引用元]を掲げ、量産と原価管理の両立を経営の柱に据えた。佐藤研一郎氏の父はNHK交響楽団の前身である新交響楽団でコンサートマスターを務めたバイオリニストで、本人も幼少からピアノに親しんで演奏家を志したが、登龍門とされたコンクールに二度落ちた大学2年で断念し、卒業と同時に事業の道へ移っている[3]

  • ローム 有価証券報告書 第66期(2024年3月期)【沿革】
    • [1]1954年12月 佐藤研一郎が京都市上京区で東洋電具製作所を個人創業(炭素皮膜固定抵抗器の開発・販売)
    • [2]1958年9月 資本金200万円(2,000千円)で㈱東洋電具製作所を設立(法人化)
  • 日経ビジネス 1989年9月11日号
    • [3]佐藤研一郎の父は新交響楽団(NHK交響楽団の前身)のコンサートマスター。本人はピアニストを志したがコンクールに二度失敗し大学2年で断念

1966年には岡山県に製造子会社ワコー電器を設立し[4]、以後も国内各地に製造拠点を展開して低コスト・大量生産の基盤を築いた。関係会社については『地元の経営者とロームとの共同出資にするという理念を基本としている。経営能力を持ちながら、チャンスに恵まれない経営者を県庁や商工会議所などに紹介してもらい、この人ならいけるという人を発見し、この人と共同で会社を運営していく』[引用元](証券アナリストジャーナル 1983/12)という独自のネットワーク型経営を採った。抵抗器市場で安定した収益を確保しつつ、佐藤研一郎社長の関心は次第にトランジスタやICといった半導体デバイスの可能性へ向かい、単なる受動部品メーカーにとどまらず、次の成長事業への転換を模索する動きが始まった。1967年にIC進出を決めた時点の売上高は50億円に届かず、従業員も400人ほどの中堅部品メーカーにすぎなかった[5]佐藤研一郎社長は同年の年頭に、IC化の奔流に飲まれれば抵抗器は要らなくなると説き、大手が20億〜50億円を投じる研究開発費に自社は1億5000万円しか充てられないと認めたうえで、3年後には自社のICで迎え撃とうと呼びかけた[6]

  • ローム 有価証券報告書 第66期(2024年3月期)【沿革】
    • [4]1966年8月 岡山県に製造会社ワコー電器㈱(現ローム・ワコー㈱)を設立
  • 日経ビジネス 1989年9月11日号
    • [5]IC進出を決めた1967年当時の売上高は50億円未満・従業員は約400人
    • [6]1967年年頭の社長メッセージ(社史『ロームの30年』所収)で、大手の研究開発費20億〜50億円に対し自社は1億5000万円しか用意できないとしたうえで3年後のIC参入を宣言
  • ローム 有価証券報告書 第66期(2024年3月期)【沿革】
    • [1]1954年12月 佐藤研一郎が京都市上京区で東洋電具製作所を個人創業(炭素皮膜固定抵抗器の開発・販売)
    • [2]1958年9月 資本金200万円(2,000千円)で㈱東洋電具製作所を設立(法人化)
    • [4]1966年8月 岡山県に製造会社ワコー電器㈱(現ローム・ワコー㈱)を設立
  • 日経ビジネス 1989年9月11日号
    • [3]佐藤研一郎の父は新交響楽団(NHK交響楽団の前身)のコンサートマスター。本人はピアニストを志したがコンクールに二度失敗し大学2年で断念
    • [5]IC進出を決めた1967年当時の売上高は50億円未満・従業員は約400人
    • [6]1967年年頭の社長メッセージ(社史『ロームの30年』所収)で、大手の研究開発費20億〜50億円に対し自社は1億5000万円しか用意できないとしたうえで3年後のIC参入を宣言

ICへの参入とカスタム戦略による独自の生存戦略

転機は1969年に訪れた。ロームはICの開発・販売を開始し、受動部品専業から半導体メーカー[7]へ事業領域を広げた。日立や東芝といった大手が汎用DRAMに集中投資を注ぎ込むなか、ロームはビデオやオーディオ向けのカスタムICという隙間市場を狙う戦略を発表した。佐藤研一郎社長は『カスタムは設計エンジニアを100人増やしたからといって、100人分売り上げが増えるというものではない。商品寿命も短い』[引用元](日経ビジネス 1989/02/27)と限界を認めつつも、大手が力を入れるテレビ用を避けてオーディオ用を狙う後発戦略で独自の地歩を築いた。大手との汎用品競争を避けて高付加価値領域で勝負する方針がここで固まった。

  • ローム 有価証券報告書 第66期(2024年3月期)【沿革】
    • [7]1969年3月 ICの開発・販売を開始(受動部品から半導体メーカーへの転換)

1983年時点で同社は抵抗器で国内シェア3位(13.8[8]%)、ダイオード5位(12.1%)、[9]トランジスタ6位(7.2%)を確保する地位にあった[10]。CDプレーヤー用半導体レーザーやファクシミリ用サーマルヘッドなど複数の分野でトップシェアを獲得し、1989年のSRAM市場進出では旧世代の16K・64K品に絞って参入する『3番手戦略』をとった。佐藤研一郎社長自身が『2番手というより、さらに後から行く3番手戦略』『白紙の状態から開発するのに比べて80%ぐらいは費用を抑えられている』[引用元](日経ビジネス 1989/02/27)と語った通り、回路図を米国のデザインハウスから購入して開発コストを削り、大手が生産設備から手を抜いた旧世代市場を丹念に拾う手法で利益率を維持した。

  • 証券アナリストジャーナル(日本証券アナリスト協会, 1983年12月)
    • [8]1983年時点で抵抗器 国内シェア3位(13.8%)
    • [9]1983年時点でダイオード 国内シェア5位(12.1%)
    • [10]1983年時点でトランジスタ 国内シェア6位(7.2%)

SRAM進出の算盤は細かく弾かれていた。16Kと64Kの国内需要は月に数百万個から1000万個で、その1割を取れば月産数十万個になるという常務の見立てを土台に、16Kが300円弱・64Kが400円弱という落ち着いた価格から年商80億円規模の事業になると見積もった[11]。前工程を担ったのは1986年に買収した米エクセル・マイクロエレクトロニクスで、日米半導体摩擦のもとで同社の製品は米国製と数えられたため、輸入拡大を求められていた国内メーカーへ売り込みやすかった[12]。京都本社に建設中のLSI研究センターではカスタムICと同じ製造ラインにSRAMを流し、後発ゆえに重くなる償却を混流でならす算段だった[13]

  • 日経ビジネス 1989年2月27日号
    • [11]16K・64K SRAMの国内需要は月数百万〜1000万個、その1割で月産数十万個・年商80億円規模と試算(芦田弥五郎常務)
    • [12]16K・64Kの前工程は1986年買収の米エクセル社が担当し、同社製品は日米半導体シェアカウント上「米国製品」と認められた
    • [13]京都本社のLSI研究センターでSRAMをカスタムICと同一ラインに流す混流生産で償却負担を吸収する計画
  • ローム 有価証券報告書 第66期(2024年3月期)【沿革】
    • [7]1969年3月 ICの開発・販売を開始(受動部品から半導体メーカーへの転換)
  • 証券アナリストジャーナル(日本証券アナリスト協会, 1983年12月)
    • [8]1983年時点で抵抗器 国内シェア3位(13.8%)
    • [9]1983年時点でダイオード 国内シェア5位(12.1%)
    • [10]1983年時点でトランジスタ 国内シェア6位(7.2%)
  • 日経ビジネス 1989年2月27日号
    • [11]16K・64K SRAMの国内需要は月数百万〜1000万個、その1割で月産数十万個・年商80億円規模と試算(芦田弥五郎常務)
    • [12]16K・64Kの前工程は1986年買収の米エクセル社が担当し、同社製品は日米半導体シェアカウント上「米国製品」と認められた
    • [13]京都本社のLSI研究センターでSRAMをカスタムICと同一ラインに流す混流生産で償却負担を吸収する計画

シリコンバレー進出とローム商号への変更および東証一部上場

1970年、創業からわずか16年で米国シリコンバレーに販売会社ROHM CORPORATIONを設立した[14]。1971年には製造子会社エクサー社をシリコンバレーに設立し、日本の半導体メーカーとしては最も早い段階で米国生産拠点を持った企業となった。1986年には米エクセル・マイクロエレクトロニクスを買収してEEPROMの生産拠点を獲得し、日米半導体摩擦のなかで『米国製品』と見なされる供給能力も取り込んだ。以後、世界各地に開発・製造・販売拠点を展開して、海外売上比率は一貫して6割前後を維持[15]するグローバルな事業構造を築いた。京都の小さな抵抗器メーカーが世界の半導体マップに名を刻む出発点が、このシリコンバレー進出だった。

  • ローム 有価証券報告書 第66期(2024年3月期)【沿革】
    • [14]1970年8月 米国カリフォルニア州に販売会社ROHM CORPORATIONを設立(初の海外拠点)
  • ローム 有価証券報告書(【主要な経営指標等の推移】)
    • [15]海外売上比率 6割前後

1981年には東洋電具製作所からローム株式会社へ商号[16]を変更した。1983年には大阪証券取引所二部に株式を上場し[17]、1986年には一部に指定替えとなり[18]、1989年には東京証券取引所一部への上場を果たした[19]。資本市場へのアクセスを得て、同社は半導体研究センター、LSI研究センター、VLSI研究センターなどの研究開発拠点を相次いで開設し、IC・LSIの自社開発体制を強化した。任天堂の山内溥氏は佐藤研一郎社長について『偉大な孤狼かただの変人か』[引用元](日経ビジネス 1989/09/11)と語った。京都の同業者とも距離を取り、財界活動や新入社員の入社式にも顔を見せない孤高のスタイルで、世界市場を睨む半導体企業としての骨格が整った時期だった。

  • ローム 有価証券報告書 第66期(2024年3月期)【沿革】
    • [16]1981年9月 商号を㈱東洋電具製作所からローム㈱に変更
    • [17]1983年11月 大阪証券取引所市場第二部に上場
    • [18]1986年9月 大証第二部から第一部に指定
    • [19]1989年1月 東京証券取引所市場第一部に上場

1989年3月期の売上高は1275億円、ローム本体の従業員は2000人を超え、売上の7割を個別半導体とICが占めるまでになった[20]。同じ年の春、佐藤研一郎社長は本社構内に約200億円を投じたLSI研究センターを完成させる[21]。半導体の売上高が1000億円に届かない企業が、その2割強に当たる金額を一度に設備へ振り向ける決断であり、社長自身が、自分が言い出さなければ誰も踏み切れないとして責任を引き受けると社内に語っている[22]。ウェハーを月に1万枚流して何を作るかさえ誤らなければ戦えるというのが、投資に踏み切った拠り所だった[23]

  • 日経ビジネス 1989年9月11日号
    • [20]1989年3月期 売上高1275億円・ローム本体の従業員2000人超・売上の70%を個別半導体とICが占める
    • [21]1989年春 京都本社構内に約200億円を投じたLSI研究センターを完成(半導体売上高の2割強に相当する設備投資)
    • [22]佐藤研一郎は、この規模の投資は自分が言い出さないと踏み切れないので自らの責任で行うとし、月1万〜1万5000枚のウェハーで何を作るかを誤らなければやっていける自信があると述べた
    • [23]佐藤研一郎は、この規模の投資は自分が言い出さないと踏み切れないので自らの責任で行うとし、月1万〜1万5000枚のウェハーで何を作るかを誤らなければやっていける自信があると述べた
  • ローム 有価証券報告書 第66期(2024年3月期)【沿革】
    • [14]1970年8月 米国カリフォルニア州に販売会社ROHM CORPORATIONを設立(初の海外拠点)
    • [16]1981年9月 商号を㈱東洋電具製作所からローム㈱に変更
    • [17]1983年11月 大阪証券取引所市場第二部に上場
    • [18]1986年9月 大証第二部から第一部に指定
    • [19]1989年1月 東京証券取引所市場第一部に上場
  • ローム 有価証券報告書(【主要な経営指標等の推移】)
    • [15]海外売上比率 6割前後
  • 日経ビジネス 1989年9月11日号
    • [20]1989年3月期 売上高1275億円・ローム本体の従業員2000人超・売上の70%を個別半導体とICが占める
    • [21]1989年春 京都本社構内に約200億円を投じたLSI研究センターを完成(半導体売上高の2割強に相当する設備投資)
    • [22]佐藤研一郎は、この規模の投資は自分が言い出さないと踏み切れないので自らの責任で行うとし、月1万〜1万5000枚のウェハーで何を作るかを誤らなければやっていける自信があると述べた
    • [23]佐藤研一郎は、この規模の投資は自分が言い出さないと踏み切れないので自らの責任で行うとし、月1万〜1万5000枚のウェハーで何を作るかを誤らなければやっていける自信があると述べた

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ロームの沿革1954〜2025年における主な出来事を抜粋

時代年月社長・CEO出来事重要度
1954〜1989年京都の抵抗器メーカーから半導体企業への転換期佐藤研一郎が東洋電具製作所を創業★★
佐藤研一郎東洋電具製作所を設立
佐藤研一郎西大路工場を新設
佐藤研一郎本社を移転
佐藤研一郎ワコー電器を設立
佐藤研一郎ICの開発・販売を開始★★
佐藤研一郎ROHM CORPORATION設立
佐藤研一郎本社敷地内に半導体製造ラインを設置★★
佐藤研一郎商標をR.ohmからROHMに変更
佐藤研一郎商号をロームに変更
佐藤研一郎大阪証券取引所市場第二部に上場
佐藤研一郎東証一部上場下でのオーナー社長・佐藤研一郎の統治スタイル

1989年の東京証券取引所一部上場前後に、ロームの創業オーナー・佐藤研一郎社長が確立した独自の統治スタイルをめぐる経営判断。財界活動や取引先への挨拶回りを一切せず外部に姿を見せない一方、社内では直接話法で自らの考えを説き、権限を委ねながらも約16%の株式を握って会社を統べた。

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★★★
佐藤研一郎大手が避けた市場を狙う「3番手戦略」でのSRAM参入

1989年、半導体業界11位の中堅だったロームが、大手が高集積度品へ投資を移して手を抜いた旧世代のSRAMに絞って汎用メモリーへ参入した経営判断。日立・東芝・日本電気が巨額投資でしのぎを削る先端品を避け、16K・64Kといった旧世代品の『限界供給部分』を丹念に拾う後発の『3番手戦略』をとった。

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★★★
佐藤研一郎LSI研究センターを新設
1990〜2008年創業者経営の成熟と無借金高収益体質の確立期佐藤研一郎半導体不況下の受注整理と生産改革

1992年、半導体不況のさなかにローム(佐藤研一郎社長)が、不採算の部品や小口注文を取引中止も覚悟して整理し、生産性の向上と設備投資の抑制を同時に進めた経営判断。完成品メーカー優位の商慣行に部品メーカーの側から値上げと品種削減を求め、1992年3月期に過去最高益を達成した。

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★★★
佐藤研一郎ISO9001認証取得
佐藤研一郎横浜テクノロジーセンター開設
佐藤研一郎ISO14001認証取得
佐藤研一郎VLSI研究センターを新設
佐藤研一郎京都テクノロジーセンター開設
佐藤研一郎LSI計測技術センターを新設
佐藤研一郎沖電気工業から半導体事業部門を買収★★
2009〜2022年SiCパワー半導体集中投資と業績の急変動佐藤研一郎サイクリスタル社を買収
佐藤研一郎Kionix社を買収
澤村諭澤村諭が代表取締役社長に就任
澤村諭SiC製ショットキーバリアダイオードを開発・販売開始★★
澤村諭初の純損失
澤村諭初の営業赤字★★
藤原忠信藤原忠信が代表取締役社長に就任
藤原忠信パナソニックから半導体デバイス事業の一部を譲受★★
松本功松本功が代表取締役社長に就任
松本功タンタルコンデンサ事業を売却
松本功東芝の非公開化連合へ最大3000億円を拠出し、パワー半導体の協業に賭ける

2023年7月18日、ロームは日本産業パートナーズ(JIP)を中心とする国内連合による東芝の株式非公開化に参画し、合計3000億円を拠出すると発表した。自己資本比率85%前後・実質無借金を続けてきた堅実経営の会社が、パワー半導体の協業をにらんで発祥以来の財務規律を崩す判断であった。

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★★★
松本功営業赤字転落・純損失★★
東克己東克己が代表取締役社長に就任
出典・参考
  • ローム 有価証券報告書 第66期(2024年3月期)【沿革】
  • ローム 有価証券報告書(【主要な経営指標等の推移】)
  • 証券アナリストジャーナル(日本証券アナリスト協会, 1983年12月)
  • 日経ビジネス 1989年9月11日号
  • 日経ビジネス 1989年2月27日号

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