{
  "title": "エルピーダメモリの歴史概略",
  "sections": [
    {
      "start_year": 1999,
      "end_year": 2002,
      "main_title": "NECと日立がDRAM事業を持ち寄って作った、国内最後の一社",
      "subsections": [
        {
          "title": "撤退の連鎖の末に残された事業を集めた会社",
          "text": "エルピーダメモリは、日本電気と日立製作所がDRAM事業を統合し、1999年12月にNEC日立メモリ株式会社として発足した。翌2000年4月に開発事業を始め、同年5月に商号をエルピーダメモリへ改めている。1980年代のDRAMは日本メーカーが世界の9割近くを占めた製品だったが、1990年代に韓国サムスン電子が集中投資で市場を奪い、日本各地にあった量産拠点は次々と閉じられた。NECの広島・熊本、東芝の四日市・大分、日立のひたちなか、三菱電機の西条と熊本、沖電気工業の宮城と宮崎。その多くが1990年代後半から2000年にかけて姿を消している。\n\n二社が持ち寄ったのは、それぞれが単独では抱えきれなくなった事業である。統合の狙いは規模による巻き返しにあったが、旗を振る主体がはっきりしなかった。役員も現場も出身会社ごとに分かれ、派閥の綱引きに時間が費やされて士気は落ちた。統合時に16%あった世界シェアは、2002年度には4%まで下がっている。2002年3月期末の連結従業員は630人。世界順位は5位につけていたものの、シェアは10%に届かず、3割近くを握るサムスン電子や2割の米マイクロン・テクノロジーとの差は開く一方だった。設立から3年、この会社は自前の資金も自前の意思決定も持たないまま、市場から退場しかけていた。",
          "references": [],
          "factBasis": [
            [
              {
                "fact": "1999年12月にNEC日立メモリ株式会社を設立、2000年4月にDRAM製品の開発事業を開始、2000年5月に商号をエルピーダメモリへ変更",
                "source": "有価証券報告書（2011年3月期）【沿革】",
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              {
                "fact": "1980年代までDRAMはNECを筆頭に日系大手が9割近くを占め、1990年代にサムスンが集中投資で席巻、日系メーカーは次々とDRAM事業を清算した",
                "source": "週刊東洋経済 2007年1月13日号「なるか打倒サムスン エルピーダ“台湾工場”の全貌」",
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              {
                "fact": "1990年代前半までの国内DRAM量産拠点はNECの広島・熊本、東芝の四日市・大分、日立のひたちなか、三菱電機の西条・熊本、沖電気工業の宮城・宮崎などに点在していた",
                "source": "週刊東洋経済 2004年8月7・14日合併号「エルピーダ『乾坤一擲』の勝負」",
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            [
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                "fact": "合併当初16%あったシェアが2002年度には4%まで激減した",
                "source": "週刊東洋経済 2003年11月29日号「異色の経営者・坂本幸雄 ニッポン半導体を救う」",
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        },
        {
          "title": "1600億円の工場と、追加投資をためらった親会社",
          "text": "2001年2月、エルピーダは直径300ミリのウェハに対応する自社工場、E300Fabの建設に着手した。DRAMは微細化を一世代進めるたびにウェハ1枚あたりの取り数が増え、製造原価が下がる。先に投資した会社が量産効果で価格を下げ、遅れた会社が採算割れに沈む。この構造のもとでは、投資を止めればその世代で脱落が決まる。広島工場に投じた約1600億円は、資本金520億円と銀行借入で賄われており、次の一手を打つ資金はすでに残っていなかった。E300エリア1が量産に入るのは2003年1月で、着工から2年近くを要している。その間の2002年3月期は営業活動によるキャッシュフローが300億円の流出、投資活動によるキャッシュフローが90億円の流出となり、不足は借入で埋めた。\n\n2002年3月期の売上高は782億円、経常損失は261億円、当期純損失は265億円だった。翌2003年3月期には売上高が632億円へ減り、純損失は260億円が残る。連結従業員も630人から582人へ減った。二期続けて売上高の3割を超える損失を出す会社に、親会社二社は追加の資金を入れなかった。日立とNECが選んだのは、増資ではなく経営者の交代である。同じ時期に三菱電機もDRAMからの撤退を探っており、日立の提案でエルピーダがその受け皿に挙がっていた。米インテルによる出資の観測も流れている。パソコン向けMPUを主力とするインテルには、サムスン一強を避けて調達先を残す動機があった。",
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          "factBasis": [
            [
              {
                "fact": "2001年2月に直径300mmウェハ対応の自社工場（E300Fab）の建設に着手",
                "source": "有価証券報告書（2011年3月期）【沿革】",
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              {
                "fact": "約1600億円に上る広島工場の設備資金は資本金520億円のほか銀行借り入れで賄い、すでに資金的な余裕はほとんどなかった",
                "source": "週刊東洋経済 2002年10月12日号「半導体苦境が続くエルピーダ 現実味増すインテル出資」",
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            [
              {
                "fact": "資金投入にはためらいがある日立、NECがとった策の一つがトップの交代であり、三菱電機は巨額赤字の元凶であるDRAMからの撤退を模索、日立がエルピーダへの統合を提案した",
                "source": "週刊東洋経済 2002年10月12日号「半導体苦境が続くエルピーダ 現実味増すインテル出資」",
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        }
      ]
    },
    {
      "start_year": 2003,
      "end_year": 2007,
      "main_title": "外から来た経営者が親会社から自立させ、世界3位まで押し上げた4年",
      "subsections": [
        {
          "title": "三顧の礼で迎えられた日本TI出身の再建請負人",
          "text": "2002年11月、坂本幸雄氏が代表取締役社長に就いた。日本電気の西垣浩司社長（当時）が1年がかりで口説いた末の招聘である。坂本社長は1970年に日本体育大学を卒業し、高校野球の監督を志して教員採用試験に落ちたあと、日本テキサス・インスツルメンツへ倉庫係として入社した経歴を持つ。入社2年後の24歳で企画課長、31歳で部下600人を率いる製造部長を務め、1993年には副社長に就いている。1997年に神戸製鋼所へ移って半導体事業の米国企業への売却をまとめ、2000年からは日本ファウンドリー社長として万年赤字の会社を1年で黒字に変えた。\n\n就任のあいさつで、坂本社長は三つの公約を並べた。1年以内の黒字化、2年以内の株式上場、そして3〜4年以内に世界シェア3位に入ること。同時に、親会社からの出向社員をすべて転籍させ、NECと日立で役職を分け合うたすき掛け人事を廃した。数百万円規模の特別賞与も配っている。会議は1時間以内、報告書はA4で1枚以内という日本TI時代の流儀も、そのまま持ち込んだ。狙いは、出身会社を見て動く組織を、成果を見て動く組織へ入れ替えることにあった。1年後の2003年11月時点で、社外から集めた資金は1700億円に達している。",
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          "factBasis": [
            [
              {
                "fact": "坂本幸雄は2002年11月にエルピーダメモリ代表取締役社長に就任した",
                "source": "有価証券報告書（2011年3月期）【役員の状況】",
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              {
                "fact": "NEC社長・西垣浩司（当時）が1年がかりで口説き、三顧の礼をもって坂本幸雄を迎えた",
                "source": "週刊東洋経済 2003年11月29日号「異色の経営者・坂本幸雄 ニッポン半導体を救う」",
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              {
                "fact": "坂本幸雄は1970年日本体育大学卒業後に日本テキサス・インスツルメンツへ入社、24歳で企画課長、31歳で部下600人の製造部長、1993年に取締役副社長、1997年神戸製鋼所へ転籍、2000年に日本ファウンドリー社長",
                "source": "週刊東洋経済 2003年11月29日号「異色の経営者・坂本幸雄 ニッポン半導体を救う」",
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                "fact": "就任時の三つの公約は「1年以内黒字化」「2年以内株式上場」「3〜4年以内に世界シェアトップ3」であった",
                "source": "週刊東洋経済 2007年1月13日号「なるか打倒サムスン エルピーダ“台湾工場”の全貌」",
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              {
                "fact": "社長就任から1年で世界中から1700億円を調達し、旧エルピーダのたすき掛け人事を全廃、数百万円規模のスペシャルボーナスを支給した",
                "source": "週刊東洋経済 2003年11月29日号「異色の経営者・坂本幸雄 ニッポン半導体を救う」",
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        },
        {
          "title": "三菱電機の合流と、資本市場からの直接調達",
          "text": "2003年3月、三菱電機からDRAM事業を譲り受け、開発エンジニアを受け入れた。これで日本のDRAMは1社に集約されている。同じ月には台湾のパワーチップ・セミコンダクターとDRAM調達契約を結び、先端品は自社、汎用品は外部という生産の分担を敷いた。2003年9月には生産を担う子会社、広島エルピーダメモリを設立している。連結従業員は582人から2069人へ増えた。2004年3月期の売上高は1004億円と前期比59%増えたが、純損失268億円が残っている。総資産は966億円から3006億円へ膨らんだ。増産の効果が損益に現れるまでには、さらに1年を要した。\n\n2004年11月、東京証券取引所市場第一部へ株式を上場した。公募増資とオーバーアロットメントによる第三者割当で3185万株を発行し、資本金は406億円、資本準備金は652億円増えている。同時に、欠損を埋めるため資本準備金292億円を取り崩した。2005年3月期の売上高は2070億円と前期の2.1倍に伸び、営業利益151億円、当期純利益82億円と設立以来はじめて黒字を計上している。自己資本比率も27.0%から39.2%へ上がった。上場によって、この会社は親会社ではなく市場から資金を取る仕組みを手に入れた。坂本社長が掲げた二つ目の公約は、期限より早く果たされている。",
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          "factBasis": [
            [
              {
                "fact": "2003年3月に三菱電機よりDRAM事業を譲り受け開発エンジニアを受け入れ、同月にPowerchip Semiconductor CorporationとDRAM調達契約を締結、2003年9月に広島エルピーダメモリを設立",
                "source": "有価証券報告書（2011年3月期）【沿革】",
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                "fact": "2004年11月に東京証券取引所市場第一部へ株式を上場した",
                "source": "有価証券報告書（2011年3月期）【沿革】",
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              {
                "fact": "2004年11月の東証上場に伴う公募増資および同年12月のオーバーアロットメントによる第三者割当で31,850,000株を発行し、資本金が40,609百万円、資本準備金が65,292百万円増加、資本の欠損填補のため資本準備金29,226百万円を取崩した",
                "source": "有価証券報告書（2006年3月期）【主要な経営指標等の推移】注記",
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        {
          "title": "台湾・力晶との合弁と、過去最高益となった529億円",
          "text": "2006年3月期は売上高2416億円まで伸びながら、経常損失31億円、純損失47億円を計上した。パソコン向けDRAMの市況が下がり、米国の独占禁止法をめぐる争訟の和解金も重なっている。この年、設備投資は止めていない。タームローンで300億円、日本政策投資銀行からの新規借入で200億円、セール・アンド・リースバック取引で288億円を調達し、広島の300ミリ工場へ投じている。E300エリア2は2005年10月に量産へ入り、2006年10月には日立製作所からアキタ電子システムズの後工程事業を譲り受けて秋田エルピーダメモリとした。市況が落ちた期にこそ投じるという判断が、翌期の数字に現れる。\n\n2007年1月、台湾のパワーチップ・セミコンダクターと、台中の中部サイエンスパークにDRAM生産の合弁会社レックスチップを設立することで合意した。両社が3年でそれぞれ800億円を投じ、フル稼働時には300ミリウェハ換算で月産24万枚を見込む計画である。台湾の法人実効税率は25%で日本の40%より低く、一部の法人税は5年間免除された。用地は国からの賃貸で1ヘクタール月90万円、広島工場周辺の分譲価格1ヘクタール約2億円とは条件が違う。坂本社長は台湾での会見で「エルピーダと力晶はこれまで親戚だったが、これからは家族」と述べ、元親会社に事前の相談をしていないと明かした。\n\n2007年3月期の売上高は4900億円と前期の2倍に増え、営業利益684億円、当期純利益529億円を計上した。設立から8期目で得た、最初で最後の大幅な黒字である。自己資本比率は49.7%まで上がり、連結従業員は3227人になった。2006年12月26日には時価総額が8488億円に達している。「社長に就任した02年11月には債務超過で企業価値はマイナス。それを4年で8000億円にした」と坂本社長は語っている。出資比率は日立が11%、NECが8%強まで下がり、この会社はもはや二社の子会社ではなくなっていた。",
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                "fact": "2006年3月期はPC及びサーバ向けDRAMの市況悪化による利益率低下と、米国における独占禁止法に係る争訟解決のための和解金・訴訟和解引当金繰入額の計上により純損失となった",
                "source": "有価証券報告書（2006年3月期）【主要な経営指標等の推移】注記",
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              {
                "fact": "2005年10月にE300エリア2で量産稼働を開始、2006年10月に日立製作所よりアキタ電子システムズの半導体後工程事業を譲り受け秋田エルピーダメモリとして事業開始",
                "source": "有価証券報告書（2011年3月期）【沿革】",
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              {
                "fact": "2007年1月にPowerchip Semiconductor Corporationと台湾・中部サイエンスパーク内にDRAM生産合弁会社Rexchip Electronics Corporationを設立することで正式合意した",
                "source": "有価証券報告書（2011年3月期）【沿革】",
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              {
                "fact": "エルピーダと力晶は新会社に向こう3年間でそれぞれ年800億円を投資、フル稼働時は300ミリウエハ換算で月産24万枚、台湾の法人実効税率は25%で日本は40%、用地は国からの賃貸で1ヘクタール月90万円（広島工場周辺は分譲で1ヘクタール約2億円）",
                "source": "週刊東洋経済 2007年1月13日号「なるか打倒サムスン エルピーダ“台湾工場”の全貌」",
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              {
                "fact": "2006年12月26日の時価総額は8,488億円に達し、当時の出資比率は日立が11%、NECは8%強であった",
                "source": "週刊東洋経済 2007年1月13日号「なるか打倒サムスン エルピーダ“台湾工場”の全貌」",
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          ]
        }
      ]
    },
    {
      "start_year": 2008,
      "end_year": 2011,
      "main_title": "価格暴落と1788億円の赤字、そして産活法第1号となった公的資金",
      "subsections": [
        {
          "title": "1個6ドルが60セントを割った1年",
          "text": "2007年後半からDRAM価格が崩れた。1ギガビット製品は6ドルから2008年12月に60セント割れまで下がり、業界の各社が変動費すら賄えない水準に落ちている。金融危機で資金繰りに窮した海外メーカーが損失覚悟で在庫を処分し、スポット価格に連動する大口価格まで引きずられた。2008年3月期のエルピーダは売上高4055億円、営業損失249億円、当期純損失235億円。2009年3月期には売上高3311億円に対して営業損失1474億円、当期純損失1789億円を計上している。同じ期に有利子負債は4950億円へ膨らんだ。\n\n直前まで進めた投資が、そのまま負債として残った。2008年4月には生産子会社の広島エルピーダメモリを吸収合併し、提出会社の従業員は1017人から3089人へ増えている。2009年3月にはレックスチップとテラプローブを連結子会社にした。総資産は7544億円から9653億円へ膨らみ、自己資本比率は46.1%から17.3%へ落ちている。生産能力を積み上げる判断は、価格が戻る前提の上に立っていた。前提が崩れたとき、同じ設備が固定費に変わる。増産の決断と負債の膨張は、装置産業では同じ一つの行動から生まれる。",
          "references": [],
          "factBasis": [
            [
              {
                "fact": "6ドルだった1ギガビット製品が2008年12月に60セント割れまで落ち込み、最大手サムスンさえ採算割れとなった",
                "source": "週刊東洋経済 2009年7月11日号「公的資金の出資第1号 エルピーダ救済の成否」",
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              {
                "fact": "2008年4月に広島エルピーダメモリを吸収合併、2009年3月にRexchip Electronics Corporationとテラプローブを連結子会社化した",
                "source": "有価証券報告書（2011年3月期）【沿革】",
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            ]
          ]
        },
        {
          "title": "産活法第1号として受け入れた300億円",
          "text": "2009年6月30日、改正産業活力再生特別措置法にもとづく事業再構築計画の認定を、一般企業として最初に受けた。日本政策投資銀行が300億円の優先株を引き受けて100億円を融資し、政府が出資分の最大8割を保証する。主要取引銀行も1000億円の協調融資に応じた。台湾政府が準備するDRAM統括会社から約200億円の出資を受ける計画も、この枠組みに織り込まれている。調達する1600億円は有利子負債の返済と最先端設備への投資に充てられた。事業再構築の期間は2012年3月末まで。その間に政投銀が普通株へ転換して市場で売るか、エルピーダが優先株を買い戻して支援を終える段取りだった。\n\n公的資金を受けたことへの批判に、坂本社長は「自分たちが生き残って、次への投資ができるということを考えるべきで、プライドのためにそれをやらないという選択肢はない」と答えている。国が救った理由も明快である。「DRAM産業は日本にないといけない。供給元が韓国勢だけになってしまうと産業界の競争力にかかわる」。経済産業省幹部はそう説明した。もっとも、支援を受けたのはエルピーダだけではない。韓国も台湾も自国メーカーを銀行や政府が支えており、各国が支援を続ける限り、脱落者の出ない消耗戦が続く理屈になる。",
          "references": [],
          "quotes": [
            {
              "speaker": "坂本幸雄",
              "role": "エルピーダメモリ社長兼CEO",
              "date": "2010-01",
              "text": "何もなかった。自分たちが生き残って、次への投資ができるということを考えるべきで、プライドのためにそれ（公的資金の受け入れ）をやらないという選択肢はない。\n確かにうちは公的資金300億円を入れてもらいました。でも、間接的に公的資金の支援を多くの企業も受けているのではないでしょうか。",
              "source": "週刊東洋経済 2010年1月16日号「DRAMメーカーは将来2社しか生き残れない」",
              "paragraph": 2
            }
          ],
          "factBasis": [
            [
              {
                "fact": "2009年6月30日、改正産業活力再生法の第1号としてエルピーダが認定され、日本政策投資銀行が300億円の優先株引き受けと100億円の融資を行い、政府が出資に最大8割を保証、主要取引銀行も1000億円の協調融資を実施、台湾のDRAM事業統括会社が約200億円出資する予定で、調達する1600億円を有利子負債返済と生産設備投資に充てた",
                "source": "週刊東洋経済 2009年7月11日号「公的資金の出資第1号 エルピーダ救済の成否」",
                "url": null,
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              },
              {
                "fact": "2009年6月に「産業活力の再生及び産業活動の革新に関する特別措置法」にもとづく事業再構築計画の認定を経済産業省より取得した",
                "source": "有価証券報告書（2011年3月期）【沿革】",
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            [
              {
                "fact": "経産省幹部は「DRAM産業は日本にないといけない。供給元が韓国勢だけになってしまうと産業界の競争力にかかわる」と説明し、各国が資金支援を行えば消耗戦が続く可能性が残ると報じられた",
                "source": "週刊東洋経済 2009年7月11日号「公的資金の出資第1号 エルピーダ救済の成否」",
                "url": null,
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          ]
        },
        {
          "title": "実現しなかった台湾連合と、1ドルを割った価格",
          "text": "坂本社長の描いた絵は、日台連合と韓国勢の二社体制だった。台湾には6社のDRAMメーカーがあり、いずれも規模が小さく特許を持たない。それぞれが勝手に投資して価格を決めるため、市況が振れる。台湾勢を再編して束ねればサムスンに匹敵する生産能力になり、価格も年3割ずつ穏やかに下がる産業に変えられる。2008年11月からは隔週で台湾に通って交渉した。しかし統合案には、あるメーカーの経営者が署名しなかった。台湾政府が出資するDRAM統括会社が代わりに設けられ、そこからの出資も実行されないまま終わっている。\n\n2010年3月期と2011年3月期は市況の回復で黒字を確保した。2011年3月期の売上高5143億円は設立以来の最高である。それでも当期純利益は21億円にとどまり、有利子負債は3372億円が残った。2011年夏から再び価格が下がり、スポット価格は1個1ドルを割る。採算水準は1ドル台半ばとされ、原価割れの出荷が続いた。「最先端の技術を使っているのに、コンビニで売っているおにぎり半分の値段にしかならない」。2011年10月の決算説明会で坂本社長はそう述べている。2011年4〜9月期の最終赤字は567億円だった。",
          "references": [],
          "factBasis": [
            [
              {
                "fact": "坂本社長は将来DRAM産業では2社しか生き残れないという仮説を立て、台湾6社の再編統合を目指して2008年11月から隔週で台湾へ渡り交渉したが、ある会社のCEOが統合プランに署名せず、台湾政府出資のDRAM統括会社（TIMC）が設けられた",
                "source": "週刊東洋経済 2010年1月16日号「DRAMメーカーは将来2社しか生き残れない」",
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                "fact": "2009年の出資時には台湾のDRAMメーカー4陣営と提携して出資を仰ぐ計画が織り込まれていたが、まったく実現できていなかった",
                "source": "週刊東洋経済 2013年10月19日号「エルピーダ倒産の全貌 今だからすべて語ろう」",
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              {
                "fact": "2011年4〜9月期は567億円の最終赤字、DRAMのスポット価格は1個当たり1ドルを割り込み採算レベルは1ドル台半ばとされた。坂本社長は決算説明会で「最先端の技術を使っているのに、（コンビニで売っている）おにぎり半分の値段にしかならない」と述べた",
                "source": "週刊東洋経済 2011年11月12日号「赤字転落のエルピーダ 迫る巨額返済の重圧」",
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      ]
    },
    {
      "start_year": 2012,
      "end_year": 2013,
      "main_title": "負債4480億円で更生法を申請し、マイクロンの傘下で社名が消えるまで",
      "subsections": [
        {
          "title": "2000億円という条件と、届かなかった一本の電話",
          "text": "2012年1月から4月にかけて、社債の償還と借入金の返済で1200億円超の資金が必要だった。産活法の適用期限も3月末に来る。2011年9月末に1000億円あった手元資金は、その後の赤字で目減りしていた。エルピーダは取引行と等距離で付き合ってきたため、支援策をまとめる主力行を持たない。2011年12月には協調融資に応じた4行が連名で書面を出している。同じ12月、日本政策投資銀行は提携先を見つけて資本金2000億円を積み増すよう求めた。2000億円を自力で集められるなら借り換えは要らない。条件は、事実上そう読める内容だった。\n\n交渉相手はいた。2011年9月から米マイクロン・テクノロジーと経営統合の話を進め、2012年2月3日にはスキームがまとまっている。マイクロンのスティーブ・アップルトンCEOは2004年から統合を持ちかけ続けた相手で、8年越しの合意だった。その直後、同氏は自ら操縦する小型機の墜落事故で死亡する。交渉は宙に浮いた。坂本社長は毎週のように海外へ飛んで出資者を探したが、借入は集まっても出資は集まらない。2月27日午前10時、広島工場の半分を買うと伝えてきた企業からの電話を待ったが、金額の折り合いがつかなかった。同日午後、エルピーダは会社更生法の適用を申請している。\n\n負債総額4480億円は、国内の製造業で過去最大の倒産規模である。同日夜の記者会見で、坂本社長は「最終的なオファーが出てくるのを今日まで待っていたが、具体的な案ではなかった」と経緯を語った。2日後の債権者説明会に集まった取引先の一人は「いつ潰れてもおかしくないと思っていた」と話している。前年末に支払いを1カ月延ばすという通知を受け取り、取引を絞っていたという。2012年3月、東京証券取引所は同社株式の上場を廃止した。上場からわずか7年4カ月、その直前の2011年2月には台湾証券取引所へ預託証券を上場したばかりだった。",
          "references": [],
          "factBasis": [
            [
              {
                "fact": "2012年1月から4月にかけて社債償還や借り換えなどで1200億円の調達が必要だった。エルピーダは取引行と等間隔で付き合うスタンスのため支援策をまとめるメイン行を持たず、2011年12月上旬には協調融資を行った取引先4行が連名で書面を付していた",
                "source": "週刊東洋経済 2012年3月10日号「エルピーダついに倒産 支援先探しは難航必至」",
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              },
              {
                "fact": "2011年12月中旬に政投銀が提携先を見つけて資本金2000億円をプラスするよう条件を上げた",
                "source": "週刊東洋経済 2013年10月19日号「エルピーダ倒産の全貌 今だからすべて語ろう」",
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              {
                "fact": "2011年9月ごろからマイクロンと経営統合の交渉を開始し、2012年2月3日に統合の話がついたが、アップルトンCEOが直後にプロペラ機の墜落事故で死亡し統合できなくなった",
                "source": "週刊東洋経済 2013年10月19日号「エルピーダ倒産の全貌 今だからすべて語ろう」",
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              {
                "fact": "2月27日10時までにある企業が広島工場を半分買うと言うことになっていたが電話がなく、金額で折り合わなかったため、その日の午後に更生法を申請した",
                "source": "週刊東洋経済 2013年10月19日号「エルピーダ倒産の全貌 今だからすべて語ろう」",
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            [
              {
                "fact": "2012年2月27日に会社更生法の適用を申請し経営破綻、負債総額4480億円は国内製造業で過去最大の倒産規模であった。坂本社長は同日夜の会見で「最終的なオファーが出てくるのを今日まで待っていたが、具体的な（提携）案ではなかった」と語った",
                "source": "週刊東洋経済 2012年3月10日号「エルピーダついに倒産 支援先探しは難航必至」",
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              {
                "fact": "エルピーダメモリ（6665）は2012年3月に上場廃止となった",
                "source": "株主プロ「エルピーダメモリ（6665）有価証券報告書一覧」",
                "url": "http://www.kabupro.jp/yuho/6665.htm",
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            ]
          ]
        },
        {
          "title": "入札に残った4陣営と、消えたエルピーダの名",
          "text": "支援企業の選定には、マイクロン、韓国SKハイニックス、東芝、中国のホニー・キャピタルが名乗りを上げた。第1次入札は2012年3月末、第2次入札は4月末に行われている。東芝が関心を寄せたのは広島工場ではなく、台湾のレックスチップだった。「広島にはまったく興味を感じていない」と東芝首脳は語り、NAND型フラッシュメモリへ転用できる台湾の工場を評価している。工場運営の経験がないホニー・キャピタルは2次入札の途中で降り、ハイニックスは締切の30分後に辞退を伝えてきた。設備投資に800億円を追加する条件を出したのはマイクロンだけだった。\n\n2013年7月末、エルピーダはマイクロン・テクノロジーの傘下に入り、翌年に社名をマイクロンメモリ ジャパンへ改めた。設立から14年、日本のDRAMメーカーとしての歴史はここで終わっている。坂本前社長は破綻の原因を、能力ではなく資金の構造に求めた。「産活法に認定されて、09年に政投銀から300億円の資本注入をしてもらった。これが中途半端だった」「エルピーダも1000億円の借金をしていれば、銀行は潰せなかった。だから一番の失敗は300億円でリーディングバンクを政投銀にしたこと」。金額が小さすぎたために、誰も最後まで責任を負う立場に立たなかったという見立てである。",
          "references": [],
          "factBasis": [
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              {
                "fact": "支援企業選定の入札に名乗りを上げたのは東芝、韓国ハイニクス、中国ホニー・キャピタル、マイクロンで、ホニー・キャピタルは工場運営経験がないため2次入札途中で降り、ハイニクスは締切の12時半に辞退の電話をしてきた。2000億円を準備するという別の会社もあったが、設備投資に800億円を追加する条件はマイクロンだけだった",
                "source": "週刊東洋経済 2013年10月19日号「エルピーダ倒産の全貌 今だからすべて語ろう」",
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              {
                "fact": "東芝が関心を持っていたのは台湾のレックスチップ工場で、東芝首脳は「広島にはまったく興味を感じていない」と語った",
                "source": "週刊東洋経済 2012年4月21日号「広島工場は救われるのか エルピーダ争奪戦」",
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              }
            ],
            [
              {
                "fact": "会社更生法申請から1年半後の2013年7月末、エルピーダメモリは米マイクロン・テクノロジーの傘下に入った",
                "source": "週刊東洋経済 2013年10月19日号「エルピーダ倒産の全貌 今だからすべて語ろう」",
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              },
              {
                "fact": "坂本幸雄は破綻の最大の原因について「産活法に認定されて、09年に政投銀から300億円の資本注入をしてもらった。これが中途半端だった」「一番の失敗は300億円でリーディングバンクを政投銀にしたこと。政投銀がなければメインバンクがどこか出てきたはずだ」と述べた",
                "source": "週刊東洋経済 2013年10月19日号「エルピーダ倒産の全貌 今だからすべて語ろう」",
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        },
        {
          "title": "一つに絞ることのできない四つの理由",
          "text": "破綻の理由を一つに絞ることはできない。DRAMは微細化投資を続けた者だけが原価を下げられる装置産業であり、資本力の差がそのまま順位に出る。1ドル80円を切る円高が、国内で作る限りの原価を押し上げた。パソコン市場の成長が止まり、代わりに伸びるはずだった携帯端末向けの需要は、想定より1年遅れて立ち上がった。国内3社が抱えきれずに手放した事業を1社に集めた成り立ちも、株主に追加の資金を求めにくい構造として残った。どれか一つが欠けていれば結果は変わったかもしれないが、四つが同時に揃った。\n\n坂本前社長の見立てには、それを疑う材料もある。マイクロン傘下に入った直後の2013年4〜6月期、単体の売上高は1300億円、純利益は390億円に達した。1年待てば違ったという主張は、この数字を根拠にしている。ただし、その利益はDRAM価格が上がったから生まれたものであり、価格がいつ反転するかを事前に知る手立てはない。反転をあと1年待てるだけの資金を、この会社は2009年の枠組みでしか用意できていなかった。市況産業で「あと1年」を持ちこたえる力は、市況が良いときに何を積んだかで決まる。2007年3月期に稼いだ529億円は、2009年3月期の1789億円の損失を埋めるには足りなかった。",
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          "quotes": [
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              "speaker": "坂本幸雄",
              "role": "エルピーダメモリ前社長（破綻時の管財人）",
              "date": "2013-10",
              "text": "破綻させたと言うけれども、あと1年待ったらすごい利益を出す会社になっていた。銀行が待てたか待てなかったかの問題だ。\n僕らが想定した携帯電話市場の成長が1年遅れていた。",
              "source": "週刊東洋経済 2013年10月19日号「エルピーダ倒産の全貌 今だからすべて語ろう」",
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          ],
          "factBasis": [
            [
              {
                "fact": "DRAMは巨額の設備投資を要する典型的な装置産業で、微細化すればウエハ当たりのチップ個数が増え製造コストが下がるため、先に大型投資を行った企業が量産効果で利益を稼ぐ構造にある",
                "source": "週刊東洋経済 2009年7月11日号「公的資金の出資第1号 エルピーダ救済の成否」",
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              {
                "fact": "坂本前社長は「僕らが想定した携帯電話市場の成長が1年遅れていた」「あと1年待ったらすごい利益を出す会社になっていた。銀行が待てたか待てなかったかの問題だ」と総括した",
                "source": "週刊東洋経済 2013年10月19日号「エルピーダ倒産の全貌 今だからすべて語ろう」",
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              }
            ],
            [
              {
                "fact": "坂本前社長は「単体の13年4〜6月期は売上高1300億円で純利益390億円、そこに台湾子会社を加えると利益はもっと増える」「1年待ったらマイクロン傘下にならなかった」と述べた",
                "source": "週刊東洋経済 2013年10月19日号「エルピーダ倒産の全貌 今だからすべて語ろう」",
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        }
      ]
    }
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  "summary": {
    "title": "サマリー",
    "text": "",
    "qa": [
      {
        "q": "なぜ1999年に、日本電気と日立製作所は自社のDRAM事業を切り出して一社にまとめたのか",
        "a": "DRAMは、微細化への投資を止めた期に原価で負ける装置産業である。総合電機の一事業として社内の投資枠を他部門と奪い合う限り、集中投資を続ける韓国勢には追いつけない。日本電気と日立製作所は、その判断から自社のDRAM事業を切り出した。1999年12月、東京都中央区八重洲にNEC日立メモリ株式会社を設立し、翌2000年5月にエルピーダメモリへ商号を改めている。2003年3月には三菱電機のDRAM事業も譲り受け、日本のDRAMメーカーはこの一社だけになった。",
        "factBasis": [
          {
            "fact": "DRAMは巨額の設備投資を要する典型的な装置産業で、微細化すればウエハ当たりのチップ個数が増えて製造コストが下がるため、先に大型投資を行った企業が量産効果で利益を稼ぐ構造にある",
            "source": "週刊東洋経済 2009年7月11日号「公的資金の出資第1号 エルピーダ救済の成否」",
            "url": null,
            "genbun": "DRAMは、微細化への投資を止めた期に原価で負ける装置産業である。"
          },
          {
            "fact": "1999年12月にNEC日立メモリ株式会社を設立し、2000年5月に商号をエルピーダメモリ株式会社へ変更した。本店所在地は東京都中央区八重洲二丁目2番1号",
            "source": "有価証券報告書（2011年3月期）【沿革】",
            "url": null,
            "genbun": "1999年12月、東京都中央区八重洲にNEC日立メモリ株式会社を設立し、翌2000年5月にエルピーダメモリへ商号を改めている。"
          },
          {
            "fact": "2003年3月に三菱電機よりDRAM事業を譲り受け、開発エンジニアを受け入れた",
            "source": "有価証券報告書（2011年3月期）【沿革】",
            "url": null,
            "genbun": "2003年3月には三菱電機のDRAM事業も譲り受け、日本のDRAMメーカーはこの一社だけになった。"
          }
        ]
      },
      {
        "q": "なぜ2002年に社外から迎えた坂本幸雄氏は、親会社ではなく資本市場から資金を集めたのか",
        "a": "親会社二社は追加の出資に応じなかった。事業を続けるには外から取るほかなく、しかも親会社の持ち分が下がるほど投資の決定は速くなる。2002年11月に社長へ就いた坂本幸雄氏は、1年以内の黒字化と2年以内の株式上場を公約に掲げ、就任から1年で社外から1700億円を集めた。2004年11月には東京証券取引所市場第一部へ上場している。親会社からの出向者は全員を転籍させ、日本電気と日立製作所で役職を分け合うたすき掛け人事も廃した。",
        "factBasis": [
          {
            "fact": "資金投入にためらいがある日立、NECがとった策の一つがトップの交代であり、坂本幸雄は2002年11月にエルピーダメモリ代表取締役社長へ就任した",
            "source": "週刊東洋経済 2003年11月29日号「異色の経営者・坂本幸雄 ニッポン半導体を救う」",
            "url": null,
            "genbun": "2002年11月に社長へ就いた坂本幸雄氏は、1年以内の黒字化と2年以内の株式上場を公約に掲げ、就任から1年で社外から1700億円を集めた。"
          },
          {
            "fact": "2004年11月に東京証券取引所市場第一部へ株式を上場した",
            "source": "有価証券報告書（2011年3月期）【沿革】",
            "url": null,
            "genbun": "2004年11月には東京証券取引所市場第一部へ上場している。"
          },
          {
            "fact": "出向社員の全転籍を敢行し、旧エルピーダのたすき掛け人事を即刻全廃した",
            "source": "週刊東洋経済 2003年11月29日号「異色の経営者・坂本幸雄 ニッポン半導体を救う」",
            "url": null,
            "genbun": "親会社からの出向者は全員を転籍させ、日本電気と日立製作所で役職を分け合うたすき掛け人事も廃した。"
          }
        ]
      },
      {
        "q": "なぜ2012年に、公的資金の支援を受けたエルピーダメモリは自力再建に届かなかったのか",
        "a": "支援の規模が、市況の底を越えるには足りなかった。2009年に日本政策投資銀行が引き受けたのは優先株300億円で、銀行から見れば見限っても損失の限られる額である。坂本幸雄前社長は後に、300億円で主力行を政投銀にしたことが最大の失敗だったと述べている。歴史的な円高と、採算を割るDRAM価格が重なり、2012年2月27日、負債総額4480億円で会社更生法の適用を申請した。国内製造業で過去最大の倒産となり、翌2013年7月に米マイクロン・テクノロジーの傘下へ入った。",
        "factBasis": [
          {
            "fact": "2009年6月30日の産活法認定にもとづき、日本政策投資銀行が300億円の優先株引き受けと100億円の融資を行い、政府が出資に最大8割を保証した",
            "source": "週刊東洋経済 2009年7月11日号「公的資金の出資第1号 エルピーダ救済の成否」",
            "url": null,
            "genbun": "2009年に日本政策投資銀行が引き受けたのは優先株300億円で、銀行から見れば見限っても損失の限られる額である。"
          },
          {
            "fact": "坂本幸雄は「一番の失敗は300億円でリーディングバンクを政投銀にしたこと。政投銀がなければメインバンクがどこか出てきたはずだ」と述べた",
            "source": "週刊東洋経済 2013年10月19日号「エルピーダ倒産の全貌 今だからすべて語ろう」",
            "url": null,
            "genbun": "坂本幸雄前社長は後に、300億円で主力行を政投銀にしたことが最大の失敗だったと述べている。"
          },
          {
            "fact": "2012年2月27日に会社更生法の適用を申請し、負債総額4480億円は国内製造業で過去最大の倒産規模となった",
            "source": "週刊東洋経済 2012年3月10日号「エルピーダついに倒産 支援先探しは難航必至」",
            "url": null,
            "genbun": "歴史的な円高と、採算を割るDRAM価格が重なり、2012年2月27日、負債総額4480億円で会社更生法の適用を申請した。"
          },
          {
            "fact": "会社更生法申請から1年半後の2013年7月末、エルピーダメモリは米マイクロン・テクノロジーの傘下に入った",
            "source": "週刊東洋経済 2013年10月19日号「エルピーダ倒産の全貌 今だからすべて語ろう」",
            "url": null,
            "genbun": "国内製造業で過去最大の倒産となり、翌2013年7月に米マイクロン・テクノロジーの傘下へ入った。"
          }
        ]
      }
    ]
  }
}
