ニチメン:非繊維65%への総合商社化とオリエントリースの設立
1955年〜繊維から機械金属へ、十年で入れ替えた商品構成
戦後の関西五綿は、代理商化した専門商社のままでは取引の妙味が薄れるという事情から多角化を始めた。終戦直後に援助物資の輸入で専門外の商品を扱わされたことも、その一因である。それでも1955年ごろまでは五綿の扱い高の7割から8割を繊維品が占めていた。総合商社化が本格的に進んだのはその後で、日本の産業構造が重化学工業へ移ったことが旧繊維商社を動かした。1965年ごろには五綿の扱い高に占める繊維の比率は30%台まで下がり、代わって1955年ごろは7、8%だった機械金属や化学品が30%以上へ上がった。十年で商品構成がそっくり入れ替わった。
- 日本産業史2(日本経済新聞社、1994年)金融・商業「商社-進む大型化・総合化」
- [1]戦後に代理商化した旧関西五綿など専門商社は従来の専門商品では取引のうま味がなくなり多角化を始めた
- [2]終戦直後は援助物資の輸入などで専門外の商品も扱わねばならず多角化の一因になった
- [3]1955年ごろまで五綿の扱い高の70〜80%は繊維品だった
- [4]旧繊維商社が総合化に熱心だったのは日本の産業構造が重化学工業へ重点を移したためである
- [5]1965年ごろには五綿の扱い高に占める繊維比率が30%台となり、1955年ごろ7〜8%だった機械金属や化学品が30%以上に上がった
- [6]繊維比率は70〜80%から30%台へ下がり、機械金属・化学品は7、8%から30%以上へ上がった
商品構成の入れ替えは、合併と系列づくりの形で進んだ。1954年の日綿實業と丸永、1955年の丸紅と高島屋飯田は同じ繊維業者どうしの集中だったが、その後の丸紅飯田と第一鋼材・東通、伊藤忠と大洋物産・森岡興業、東洋棉花と南海興業、日商と白洋貿易、そして日綿實業と高田商会は、いずれも機械金属部門の強化を狙ったものである。日綿實業は1960年に田附を合併した。大手商社10社の年間取扱高は1955年3月期の9021億円から1966年3月期には4兆463億円へ、11年で4.5倍に膨らんでおり、日綿實業もその10社に数えられていた。
- 日本産業史2(日本経済新聞社、1994年)金融・商業「商社-進む大型化・総合化」
- [7]総合化は合併・系列化・集団化など再編成の形で進んだ
- [8]1954年の日綿と丸永、1955年の丸紅と高島屋飯田は同じ繊維業者の集中だった
- [9]丸紅飯田と第一鋼材・東通、伊藤忠と大洋物産・森岡興業、東棉と南海興業、日商と白洋貿易、日綿と高田商会の各合併は機械金属部門の強化を目的とした
- [11]大手商社10社の取扱高合計は1955年3月期9021億円から1966年3月期4兆463億円へ約4.5倍になった
- [12]大手商社10社は三井物産・三菱商事・丸紅飯田・伊藤忠・東棉・日綿・住友商事・日商・安宅・江商である
- 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社、1968年)3編 企業の歴史「日綿実業」
- [10]1960年に田附を合併した
1968年の日綿實業は、資本金75億円、従業員3600名、社長は神林正教氏という規模になっていた。取扱いに占める非繊維は65%、繊維は35%である。国内に30余りの営業店を持ち、海外ではホンコン・マニラ・バンコック・クァラルンプール・シンガポール・ラングーン・カルカッタ・ロンドンに支店を、ニューヨーク・ダラス・サンパウロ・ブエノスアイレス・ハンブルグ・パリ・ミラノ・カラチ・シドニーに現地法人を設立した。世界50数か所に支店か駐在員事務所があり、海外店勤務の社員は300名を超え、現地雇員は700名に達した。取扱品目は繊維原料と繊維製品にとどまらず、船舶・車輛・航空機・機械類・金属・鉱産物・化学品・木材・油脂・食品・セメントに及んでいる。
- 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社、1968年)3編 企業の歴史「日綿実業」
- [13]1968年時点の資本金は75億円、従業員3600名、社長は神林正教だった
- [14]重化学工業部門を中心とする非繊維の取扱割合は65%、繊維関係は35%だった
- [15]国内に30余の営業店、海外にホンコンからロンドンまでの支店と9か所の現地法人を持っていた
- [16]世界50数か所に支店ないし駐在員事務所があり、海外店勤務の社員は300名を超え現地雇員は700名に達した
- [17]取扱品目は繊維原料・繊維製品のほか船舶・車輛・航空機・機械類・金属・鉱産物・化学品・木材・油脂・食品・セメントに及んだ
参考文献[1]-[17]
- 日本産業史2(日本経済新聞社、1994年)金融・商業「商社-進む大型化・総合化」
- [1]戦後に代理商化した旧関西五綿など専門商社は従来の専門商品では取引のうま味がなくなり多角化を始めた
- [2]終戦直後は援助物資の輸入などで専門外の商品も扱わねばならず多角化の一因になった
- [3]1955年ごろまで五綿の扱い高の70〜80%は繊維品だった
- [4]旧繊維商社が総合化に熱心だったのは日本の産業構造が重化学工業へ重点を移したためである
- [5]1965年ごろには五綿の扱い高に占める繊維比率が30%台となり、1955年ごろ7〜8%だった機械金属や化学品が30%以上に上がった
- [6]繊維比率は70〜80%から30%台へ下がり、機械金属・化学品は7、8%から30%以上へ上がった
- [7]総合化は合併・系列化・集団化など再編成の形で進んだ
- [8]1954年の日綿と丸永、1955年の丸紅と高島屋飯田は同じ繊維業者の集中だった
- [9]丸紅飯田と第一鋼材・東通、伊藤忠と大洋物産・森岡興業、東棉と南海興業、日商と白洋貿易、日綿と高田商会の各合併は機械金属部門の強化を目的とした
- [11]大手商社10社の取扱高合計は1955年3月期9021億円から1966年3月期4兆463億円へ約4.5倍になった
- [12]大手商社10社は三井物産・三菱商事・丸紅飯田・伊藤忠・東棉・日綿・住友商事・日商・安宅・江商である
- 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社、1968年)3編 企業の歴史「日綿実業」
- [10]1960年に田附を合併した
- [13]1968年時点の資本金は75億円、従業員3600名、社長は神林正教だった
- [14]重化学工業部門を中心とする非繊維の取扱割合は65%、繊維関係は35%だった
- [15]国内に30余の営業店、海外にホンコンからロンドンまでの支店と9か所の現地法人を持っていた
- [16]世界50数か所に支店ないし駐在員事務所があり、海外店勤務の社員は300名を超え現地雇員は700名に達した
- [17]取扱品目は繊維原料・繊維製品のほか船舶・車輛・航空機・機械類・金属・鉱産物・化学品・木材・油脂・食品・セメントに及んだ
1955年〜1981年の業績
| 決算期 | 区分 | 売上高 | 営業利益 | 経常利益 | 純利益 | 主な投資 | ||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 億円 | YoY | 億円 | 億円 | 億円 | 利益率 | |||
| 1955年03月期 | 単体 | 1,059 | n/a | 8 | n/a | 0 | ▲0.0% | n/a |
| 1956年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1957年03月期 | 単体 | 1,829 | n/a | 16 | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1958年03月期 | 単体 | 1,703 | ▲6.9% | 17 | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1959年03月期 | 単体 | 1,757 | +3.2% | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1960年03月期 | 単体 | 2,311 | +31.5% | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1961年03月期 | 単体 | 3,056 | +32.2% | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1962年03月期 | 単体 | 3,853 | +26.1% | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1963年03月期 | 単体 | 3,989 | +3.5% | n/a | n/a | 13 | 0.3% | n/a |
| 1964年03月期 | 単体 | 4,955 | +24.2% | n/a | n/a | 9 | 0.2% | n/a |
| 1965年03月期 | 単体 | 5,905 | +19.2% | n/a | n/a | 8 | 0.1% | n/a |
| 1966年03月期 | 単体 | 5,835 | ▲1.2% | n/a | n/a | ▲10 | ▲0.2% | n/a |
| 1967年03月期 | 単体 | 5,932 | +1.7% | n/a | n/a | 0 | 0.0% | n/a |
| 1968年03月期 | 単体 | 6,517 | +9.9% | n/a | n/a | 3 | 0.0% | n/a |
| 1969年03月期 | 単体 | 7,167 | +10.0% | n/a | n/a | 5 | 0.1% | n/a |
| 1970年03月期 | 単体 | 7,785 | +8.6% | n/a | n/a | 8 | 0.1% | n/a |
| 1971年03月期 | 単体 | 8,120 | +4.3% | n/a | 18 | 14 | 0.2% | n/a |
| 1972年03月期 | 単体 | 8,587 | +5.8% | n/a | 27 | 9 | 0.1% | n/a |
| 1973年03月期 | 単体 | 10,745 | +25.1% | n/a | 45 | 23 | 0.2% | n/a |
| 1974年03月期 | 単体 | 15,868 | +47.7% | n/a | 70 | 28 | 0.2% | n/a |
| 1975年03月期 | 単体 | 20,687 | +30.4% | n/a | 36 | 24 | 0.1% | n/a |
| 1976年03月期 | 単体 | 16,881 | ▲18.4% | n/a | 37 | 21 | 0.1% | n/a |
| 1977年03月期 | 単体 | 18,105 | +7.3% | n/a | 82 | 8 | 0.0% | n/a |
| 1978年03月期 | 単体 | 17,529 | ▲3.2% | n/a | 45 | 11 | 0.1% | n/a |
| 1979年03月期 | 単体 | 17,893 | +2.1% | n/a | 44 | 11 | 0.1% | n/a |
| 1980年03月期 | 単体 | 22,898 | +28.0% | n/a | 45 | 15 | 0.1% | n/a |
| 1981年03月期 | 単体 | 26,124 | +14.1% | n/a | 54 | 16 | 0.1% | n/a |
出所:上場会社総覧 昭和31年版 半期合算、上場会社総覧 昭和34年版 半期合算、会社年鑑(1963年版)半期合算、会社年鑑(1967年版)半期合算、会社年鑑(1971年版)半期合算、会社年鑑(1976年版)半期合算、会社年鑑
出典・参考
2件
- 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社、1968年)3編 企業の歴史「日綿実業」
- 日本産業史2(日本経済新聞社、1994年)金融・商業「商社-進む大型化・総合化」