山一證券は債務超過ではなかった。1998年3月末の時点でもそうであったと関係者は述べている。ここに手続き上の捻れがある。債務超過の証券会社には自主廃業が認められず日銀特融も使えないし、刑事事件になれば特融は実施できない。その両方の可能性を抱えた会社に、大蔵省は自主廃業という手順を選ばせた。市場が引導を渡したというより、行政の判断として下りてきただろう。
もっとも、この手順が誰の利益にもならなかったとはいえない。顧客の資産払い戻しには大蔵省主導の特別な金融措置が採られ、預けた側の損失は避けられた。会社更生に進んだ場合に同じ保護が働いたかは分からない。ただ、その代償として日本銀行の特別融資は1999年に初めて焦げ付き、破産手続の終了は2005年まで7年を要した。1965年に同じ制度で救われた会社が、二度目にはその制度を毀損して消えたことになる。