デクセリアルズ株式交換によるソニーの完全子会社化と東証二部からの上場廃止

独立心の強い公開子会社を、親会社ソニーはなぜ株式市場から引き上げたか

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時期 1999年3月
意思決定者(推定) ソニー 出井伸之社長
論点 親子上場の解消とグループ資本政策
概要
1999年3月、ソニーは上場子会社3社を株式交換で100%子会社にする計画を発表した。対象はソニー・ミュージックエンタテインメント、ソニーケミカル、ソニー・プレシジョン・テクノロジーの3社で、うちソニーケミカルは東京証券取引所第二部の上場企業であった。2000年1月、ソニーケミカルは株式交換によりソニーの完全子会社となり、上場を廃止した。
背景
ソニーケミカルは1987年に東証二部へ上場し、素材技術子会社として独自の資本市場アクセスを持っていた。ソニー向けの売上比率は低く、独立心の強い子会社として知られた。一方の親会社ソニーは1990年代末にカンパニー制の再編とグループ経営の一体化を進め、上場子会社を個別に抱える体制を見直した。
内容
ソニーは1999年10月に施行された株式交換制度を用い、少数株主が持つソニーケミカル株を自社株と交換して全株を取得した。ソニーケミカルは上場から約12年で公開子会社の時代を終え、ソニーの100%子会社として非公開に戻った。以後、ACF・反射防止フィルム・光学弾性樹脂の機能性材料を育てた。
含意
完全子会社化はソニーケミカルの資本市場との回路をいったん閉じた。だが2012年、今度はソニー自身が事業ポートフォリオ改革で同社をPEファンドへ売却し、2015年に同社は再上場した。資本の帰属を親会社へ寄せた判断が、12年後に逆向きの分離へ折り返したとみられる。
筆者の見解

公開子会社を畳むということ

この判断を、グループ経営の効率化という言葉だけで読むと芯を外す。1999年当時、上場子会社は親会社と少数株主の利害が分かれる構図を抱え、ソニーはその回路を親会社へ束ねる道を選んだ。株式交換で少数株主の株を自社株と替え、独立心の強いソニーケミカルの資本市場との接点をいったん閉じた。素材子会社が外部にも製品を売り、独自の株主を持っていた12年間を、親会社の資本のなかへ畳んだ判断とみることができる。

もっとも、資本を親会社へ寄せたこの判断は、12年後に逆向きへ折り返した。2012年、ソニーは選択と集中を掲げて同じ会社を今度は手放し、ソニーケミカルはPEファンドのもとで独立し、2015年に再上場した。連結売上高は2023年3月期に1062億円へ伸び、新家社長は子会社のままなら投資判断は遅れたと後年語っている。資本を誰の手に置くかは、親会社の事業構成の都合で動くのかもしれない。同じ会社を束ね、また放したソニーの二つの判断は、その一例として読める。

Yutaka Sugiura, 2026年7月

背景

ソニーの公開子会社という立場

ソニーケミカルは1962年にソニーが設立した素材技術子会社で、プリント基板用の接着剤や異方性導電膜(ACF)を手がけた。1987年7月に東京証券取引所第二部へ上場し、親会社の傘下にありながら独自の資本市場アクセスを持った。ソニー向けの売上比率は低く、外部の電子機器メーカーへ素材を供給する独立心の強い子会社として知られていた。1994年にはリチウムイオン電池用の保護素子へも参入している[1][2]

一方の親会社ソニーは、1990年代末にグループ経営の組み替えを進めていた。事業をカンパニーに分けて権限を委ねる体制を再編し、経営の一体化と資本の効率を重んじる方向へ方針を改めた。この流れのなかで、傘下に個別上場する子会社を抱える形が、親会社と少数株主の利害が分かれる構図として見直しの対象となった。上場子会社の株式を親会社へ集約する検討が進んだ[3]

決断

株式交換による100%子会社化

1999年3月、ソニーは上場子会社3社を株式交換で100%子会社にする計画を発表した。対象はソニー・ミュージックエンタテインメント、ソニーケミカル、ソニー・プレシジョン・テクノロジーの3社であった。少数株主が持つ各社の株式を、ソニー自身の株式と交換して全株を取得し、いずれも2000年1月を目処に完全子会社へ移す枠組みで、グループの資本と経営を親会社に束ねる狙いがあった[4]

計画は1999年10月に施行された株式交換制度を用いて実行された。2000年1月、ソニーケミカルは株式交換によりソニーの完全子会社となり、東証二部の上場を廃止した。1987年の上場から約12年で公開子会社の時代を終え、以後は非公開の子会社として12年間を過ごすことになる。独自の資本市場アクセスを持った素材子会社が、親会社の資本のなかへ戻った[5]

結果

12年間の完全子会社時代と、その後の分離

完全子会社となったソニーケミカルは、機能性材料の事業を育てた。2002年に反射防止フィルム、2007年に光学弾性樹脂を製造開始し、ACFと合わせて3製品の基盤を固めた。2006年にはソニー宮城を吸収合併してソニーケミカル&インフォメーションデバイスへ商号を変え、情報デバイス事業を取り込んだ。非公開の子会社として、親会社の資本のもとで素材事業を積み上げた期間であった[6]

転機は2012年に訪れた。ソニーは事業ポートフォリオの改革を進め、選択と集中の一環でケミカルプロダクツ関連事業をPEファンドへ売却した。同社はソニーから完全に分離し、2013年にデクセリアルズへ商号を変えた。2015年には東証一部へ再上場し、2000年の上場廃止から15年ぶりに株式市場へ戻った。連結売上高は2023年3月期に1062億円へ伸び、独立後に収益性を高めた[7][8]

独立後、新家由久社長は完全子会社化の時代を振り返って、意思決定の速さの意味を語っている。子会社のままだったら成長投資の判断は遅れていたかと問われ、「それは絶対にある」と述べた。グループ子会社では、成長投資への理解と判断が資本市場の評価と噛み合うとは限らない、というのがその含意であった。親会社に資本を束ねる形が、投資判断の速度を鈍らせる面を持つという見方である[9]

出典・参考

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