住友銀行との資本提携と証券業界初の純粋持株会社化
証券不況とビッグバンのなか、原良也社長は業界2位の生き残りをどんな器に託したか
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- 概要
- 証券不況とビッグバンに直面した大和証券が、1998年に住友銀行との資本提携を決断し、1999年4月26日に日本の上場会社として初の純粋持株会社「大和証券グループ本社」へ移行した経営判断。ホールセール証券業務を住友銀行との合弁・大和証券SBキャピタル・マーケッツへ、リテール証券業務を新・大和証券へ分け、業態別の二層構造を敷いた。原良也社長のもとで進められた。
- 背景
- 大和証券は1993年3月期から断続的に連結赤字を重ね、1998年3月期には当期純損失837億円を計上した。1996年に始まった金融システム改革(日本版ビッグバン)で銀行と証券の垣根が下がるなか、日興証券が先に米トラベラーズ・グループとの提携に動き、単独路線を保ってきた大和は生き残りへの提携を迫られた。
- 内容
- 1998年に住友銀行と合弁会社設立の最終合意を結び、1999年4月26日に旧・大和証券を持株会社へ転換して大和証券グループ本社へ商号変更した。ホールセールは住友キャピタル証券と統合した合弁の大和証券SBキャピタル・マーケッツ(大和60%・住友銀行40%)、リテールは新設の大和証券が担い、野村證券より先に持株会社体制を整えた。
- 含意
- 移行直後の1999年3月期は連結純損失1,279億円と底を打ったが、2000年3月期はIT相場を追い風に純利益1,054億円へ回復した。2001年に合弁はさくら証券を統合して大和証券SMBCへ広がり、2000年代の骨格になった。もっとも合弁は2010年に解消され、大和は独立系総合証券へ戻った。銀行との距離をめぐる大和の選択は、その後も揺れ続けた。
銀行と証券のあいだで、器だけが残った
この決断で効いたのは、提携そのものよりも、それを収めた器の選び方であった。大和は住友銀行の資本を受け入れるために、業界で誰も試していなかった上場会社の純粋持株会社という形を選び、リテールとホールセールを業態ごとに切り分けた。野村證券より先にこの器を用意したことで、大和は市況の反転を素早く利益へ変え、その後の合弁の拡大も解消も、本体を揺らさずに子会社の組み替えとして進められた。銀行と組むという中身以上に、どんな器に組み替えるかという判断が、2000年代の大和の身のこなしを軽くしたといえる。
一方で、銀行との距離の取り方そのものは、いまも定まったとはいいがたい。1998年に窮余の策として結んだ住友銀行との合弁は、三井住友との本格提携へ広がったのち、10年あまりで解消され、大和は独立系へ戻った。銀行の資本を借りて規模を取るのか、独立を保って身軽さを取るのか——業界2位が野村證券とどう違う生き方をするのかという問いは、四半世紀を経てなお残されている。純粋持株会社という器だけが、その揺れを吸収する土台として一貫して残った。持株会社の下で誰と組み、何を切り分けるのか。大和が1998年に選んだ器は、いまも大和という会社の土台にある。
Yutaka Sugiura, 2026年7月
背景
証券不況とビッグバン、そして住友銀行との旧縁
大和証券は1990年代を通じて深刻な証券不況のなかにあった。株式委託手数料と債券売買益が細り、連結の当期損益は1993年3月期に赤字へ転じたのち、1995年3月期は純損失445億円、1997年3月期は純損失800億円、1998年3月期は純損失837億円と、断続的に赤字を重ねた。同社は人員削減を含むリストラで苦境の打開を図ったものの、業界2位という自負に見合う収益を、単独では取り戻せずにいた[1][2]。
1996年に始まった金融システム改革(日本版ビッグバン)は、株式売買委託手数料の自由化と業態の垣根の撤廃を段階的に進め、証券会社が銀行の資本と顧客基盤を取り込む道を開いた。大和はこの構造転換を「第3の波」と呼び、証券民主化、直接金融化と国際化に続く三度目の変化と受け止めていた。ライバルの日興証券が先に米トラベラーズ・グループとの提携に動くと、単独路線を保ってきた大和の焦りは深まり、住友銀行との資本提携という生き残りの策へと傾いた[3][4]。
住友銀行との関係は、この提携で初めて生まれたものではなかった。両社は1970年代にシンガポールの合弁証券DBS大和に関与し、大和がアジアダラー債やユーロ円債で国際部門の評価を築く一角を住友銀行と共有していた。1984年末には両社の「大提携」の構想が取り沙汰されたこともある。国際部門に強い証券会社と、法人取引に厚い都市銀行という組み合わせは、四半世紀にわたって接近と静観を繰り返してきた間柄であった[5][6]。
四半世紀の間柄が具体的な提携へ動いたのは、1997年末のことであった。同年12月、東京での昼食会で、住友銀行の西川善文頭取が原良也社長に「投資銀行業務がうまくいかんのや」と漏らし、一緒にやれることはないかと持ちかけた。原社長がまずデリバティブでの情報交換を返したこのやりとりが、翌1998年7月28日の戦略的提携の基本合意へとつながる発端であった。都市銀行の側にも、ビッグバンで証券のホールセールへ踏み出しながら自前では投資銀行業務を伸ばせないという危機意識があり、両社の思惑が重なっていた[7][8]。
決断
住友銀行との資本提携と、上場会社初の純粋持株会社
1998年、大和証券は住友銀行との資本提携を決断し、合弁会社設立の最終合意にこぎ着けた。住友銀行の西川善文頭取は、この提携でトップ級の証券会社を目指すと語り、都市銀行が証券のホールセールへ本格参入する足がかりと見ていた。都市銀行の資本と法人取引の基盤を取り込み、業界1位の野村證券に規模で対抗する——それが窮余の策に込めた大和の狙いであった。ビッグバンが開いた銀行と証券の接近の道を、大和は日興証券に続く二番手として選び取った[9][10][11]。
提携を器の形に落とし込んだのが、1999年4月26日の純粋持株会社への移行であった。旧・大和証券はグループ会社の支配・管理に専念する持株会社となり、商号を大和証券グループ本社へ改めた。日本の上場会社として初の純粋持株会社であり、野村證券よりも先に持株会社体制を整えた。ホールセール証券業務は住友銀行系の住友キャピタル証券と統合した合弁会社・大和証券SBキャピタル・マーケッツ(大和60%、住友銀行40%出資)へ、リテール証券業務は新設の大和証券へ、それぞれ営業を譲渡して二層に分けた[12][13]。
なぜ提携を単なる合弁ではなく、会社の器そのものの組み替えにまで広げたのか。リテールとホールセールでは、必要な資本の性格も収益の振れ方も異なる。両者を一つの会社に抱えたままでは、住友銀行の資本をホールセールだけに、と切り分けて受け入れることが難しい。持株会社の下に業態別の子会社を並べれば、ホールセールのみを銀行と合弁にし、リテールは大和単独で持ち、業態ごとに資本効率を測り直せる。1990年代に2度の年度赤字を経た大和にとって、収益の振れを業態単位で管理する組織設計は、生き残りの条件と映った[14][15][16]。
結果
移行直後の底とV字回復、合弁の10年
持株会社への移行は、器を組み替えるだけの手続きではなかった。ホールセール部門を合弁の大和証券SBキャピタル・マーケッツへ営業譲渡する過程で、大和には約2,000億円の資産譲渡益が生じた。ホールセール証券会社の社長に就いた清田瞭副社長は、この益を関連会社の不良債権処理などに充て、1990年代に積み上がった負の遺産を一挙に処理すると語った。旧・大和証券の社員はいったん全員が退職金の満額支給を受けて新会社へ移り、退職一時金は廃止された。組織の再編は、財務と雇用の両面で1990年代の痛手を清算する実務と一体であった[17][18]。
移行の初年度は、まだ不況の底にあった。持株会社化の直前にあたる1999年3月期の連結は、経常損失880億円・当期純損失1,279億円と、1990年代で最も深い赤字に沈んだ。潮目が変わったのは翌年である。IT関連株の相場高騰を追い風に、2000年3月期の連結は営業収益6,547億円・経常利益2,241億円・当期純利益1,054億円へ急回復した。持株会社という新しい器は、市況の反転をそのまま利益に映すだけの身軽さを備えていた[19][20]。
合弁体制も、その後に形を整えた。2001年4月、大和証券SBキャピタル・マーケッツはさくら証券から営業全部を譲り受け、商号を大和証券エスエムビーシー(大和証券SMBC)へ改めた。前年に住友銀行とさくら銀行が合併して三井住友銀行が生まれたのに合わせ、ホールセール合弁も三井住友フィナンシャルグループとの本格的な組み合わせへ広がった。銀行系証券の規模で野村證券に挑む二層構造は、こうして2000年代の大和の骨格に定まった[21][22]。
もっとも、銀行との合弁が大和の恒久の姿になったわけではない。三井住友フィナンシャルグループが日興コーディアル証券の買収などで独自の証券事業を強めると、ホールセール合弁の利害はずれていった。大和は経営の独立を優先し、2010年1月に合弁を解消して社名を大和証券キャピタル・マーケッツへ改め、2012年4月にはこれを大和証券本体へ吸収合併した。リテールとホールセールは再び一つに戻り、大和は独立系総合証券として立ち直りを図った。1998年の提携決断から十余年で、銀行との距離は一巡した[23][24]。
- 大和証券グループ本社「大和証券グループのあゆみ」(https://www.daiwa-grp.jp/about/history.html)
- 大和証券グループ本社 有価証券報告書【沿革】
- 大和証券グループ本社 有価証券報告書(連結)
- 大和証券 有価証券報告書(連結)
- 日経ビジネス 1998年8月3日号「住友銀行と手を組む大和証券の事情 日興証券に提携で先越され決断、生き残りへ窮余の策」
- 日経ビジネス 1998年8月31日号「編集長インタビュー 西川善文氏 大和と提携、トップ級証券目指す」
- 『日本会社史総覧』(1995年)「大和證券」
- 三井住友銀行「大和証券SBキャピタル・マーケッツとさくら証券の統合について」(2001年)(https://www.smbc.co.jp/news/news_back/news_saku/topics/newsrls/010205_syoken.htm)
- 週刊東洋経済 1998年8月8日号「特別レポート 再編へ牙むいた住友の危機意識 住友銀行・大和証券『戦略提携』の真相」
- 週刊東洋経済 1998年8月8日号「フラッシュ 初めに“持株会社構想”ありきだった ビッグバン・キーマンに聞く 大和証券社長 原良也」
- 週刊東洋経済 1999年2月13日号「特集 下克上!証券業界に激震 大和証券・住友銀行 大和社員はすべて退職!」