大和証券SMBCの合弁解消と三井住友保有40%株の買取による完全子会社化
銀行の資本に付くか、独立を守るか——業界2位はホールセールの合弁をなぜ10年で解いたか
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- 概要
- 2009年9月10日、大和証券グループ本社が三井住友フィナンシャルグループ(SMFG)と大和証券SMBCの合弁解消で合意し、同年12月31日にSMFGが保有する40%株を当初支払額1,739億円で取得して完全子会社化、2010年1月に大和証券キャピタル・マーケッツへ商号変更した経営判断。鈴木茂晴社長のもとで独立系総合証券への回帰を選んだ。
- 背景
- 1999年に証券業界初の純粋持株会社化を果たした大和は、ホールセール証券を住友系と合弁の大和証券SMBCで運営してきた。2009年、三井住友FGが日興コーディアル証券を買収して自前の証券事業を強化し、大和証券SMBCの出資比率を過半へ引き上げて主導権を握ろうとしたことで、両社が対立した。
- 内容
- 大和は経営の独立性を守るため合弁解消を決断した。2009年12月31日にSMFGが保有する大和証券SMBC普通株式1,520株(40%)の全部を取得し、当初支払額1,739億円を支払って100%を保有、2010年1月1日に商号を大和証券キャピタル・マーケッツへ変更してホールセールの中核子会社として再出発した。
- 含意
- 銀行系証券が相次いで生まれる潮流のなか、大和は銀行資本との結合ではなく独立系総合証券の道を選び直した。2011年に大和ネクスト銀行で銀行機能を自前化し、2012年には同社を大和証券本体へ吸収合併してリテールとホールセールを再統合、10年強続いた銀行との合弁体制に幕を引いた。
銀行に付くか、独立を守るか
この判断の芯にあるのは、規模を取るために銀行の資本に付くか、独立を守るために自前で抱えるか、という証券会社の古い問いである。大和は1999年に前者を選んでホールセールを住友と起こし、10年後に後者へ振り戻して40%を買い戻した。三井住友が日興コーディアル証券を得て主導権を求めたことで均衡が崩れた経緯を思えば、対等を装った合弁が実際には力関係の上に浮かんでいたことがうかがえる。銀行と証券をひとつの器に収める難しさが、10年目の解消に凝縮しているとみることができる。
もっとも、独立を選び直した代償は小さくなかった。買い戻したホールセールはリーマン後の市況で連続赤字を生み、収益の振幅の大きさは以後も同社につきまとった。それでも大和は、銀行機能を大和ネクスト銀行で自前化し、ホールセールを本体へ再統合して、独立系総合証券としての輪郭を描き直した。銀行系証券が主流となった今日、独立の看板を掲げ続ける大和が何を強みに立つのかという問いは、資産管理型ビジネスへの転換をはかる現在の同社にも、なお引き継がれているとみられる。
Yutaka Sugiura, 2026年7月
背景
合弁で築いたホールセールの十年
大和証券は1999年4月、証券業界として初めて純粋持株会社へ移行し、商号を大和証券グループ本社へ改めた。ホールセール証券業務は住友銀行系の証券会社と組んだ大和証券エスビーキャピタル・マーケッツへ、リテール証券業務は新たな大和証券へと分離し、業態ごとに資本効率を測る二層構造を敷いた。業界1位の野村證券に体力で劣る2位として、銀行系の資本と顧客基盤をホールセールに取り込み、規模で対抗する構えであった[1]。
合弁のホールセール会社は2001年4月にさくら証券の営業を引き受け、商号を大和証券エスエムビーシー(大和証券SMBC)へ改めた。三井住友フィナンシャルグループが40%、大和証券グループ本社が60%を出資する体制で、法人向けの引受や投資銀行業務を担った。野村が単独路線を保つなかで、大和は銀行系資本との結合によって規模を取りに行く選択を、2000年代の骨格として固めていた[2][3]。
この骨格は2000年代を通じて揺らがなかった。合弁解消のおよそ一年半前にあたる2008年初頭、銀行主導の証券再編が進むなかでも大和が戦略転換を迫られるのではないかと問われた鈴木茂晴社長は、大和証券SMBCが成功している以上いま新しい形を模索する考えはないと答えていた。三井住友と連携しつつ系列には属さず、首位の野村のような孤高でも銀行系でもないという独特の立ち位置を、同社長はみずからの選択として保っていた。銀行の資本を取り込んだ合弁は、この時点では大和にとって手応えのある体制であった[4][5]。
日興コーディアル買収と主導権の綱引き
転機は2009年に訪れた。三井住友FGは同年、米シティグループから個人向けの日興コーディアル証券と法人部門の一部を買収し、自前の証券事業を一気に強化した。自前の証券会社を持たなかった三井住友にとって、個人向けの基盤も法人向けの厚みも足りないという思いが、巨額を投じた買収の背後にあった。銀行が証券を内製化する動きが、合弁相手である大和との関係を揺さぶり始めた[6]。
自前の証券基盤を得た三井住友は、合弁である大和証券SMBCの出資比率を過半へ引き上げ、子会社として主導権を握る意向を示した。だが銀行からの独立性を保ちたい大和は、これを受け入れなかった。40%と60%という出資の均衡のうえに成り立っていた合弁は、一方が主導権を求めると、両社の経営方針の相違が正面から突き合う関係へと変わった[7]。
決断
合弁解消の決断
2009年9月10日、大和証券グループ本社と三井住友FG・三井住友銀行は、大和証券SMBCに係る合弁事業を解消することで合意したと発表した。三井住友が保有する大和証券SMBC株の全部を大和証券グループ本社が取得し、同社を完全子会社とする枠組みである。三井住友側は、リーマン・ショック後の経営環境の変化とファイアウォール規制の施行を解消の理由に挙げた。10年強続いた銀行と証券の合弁は、主導権を巡る対立の末にほどかれた[8][9]。
買い取りは同年末に実行された。大和証券グループ本社は2009年12月31日付で、三井住友FGが保有する大和証券SMBC普通株式1,520株の全部を取得し、同日付で100%を握った。取得の当初支払額は1,739億円で、実際の取得価額は大和証券SMBCの同日の連結純資産の40%相当を基礎に算出し、翌2010年3月をめどに精算するとした。合弁の均衡を保っていた40%分を、大和は自らの資本で買い戻した[10][11]。
なぜ均衡を崩してまで合弁を解いたのか。鈴木茂晴社長は後に、この決断はほかに選択肢のないものであったと振り返った。三井住友が大和証券SMBCの過半数の議決権を求めたのに対し、グループのリスクと資産の大半を担うホールセール部門が連結から外れることは、大和にとって受け入れられなかった。リテールとホールセールは相乗効果を生む車の両輪であり、中核であるホールセールを非連結とすれば株主にとって見えにくい会社になる、というのが同社長の説く判断の芯であった。対等を装った合弁で相手が主導権を求めた以上、独立を守るには自らの資本で買い戻すほかなかったとの認識がうかがえる[12][13]。
独立系への回帰
完全子会社となった大和証券SMBCは、2010年1月1日に商号を大和証券キャピタル・マーケッツへ改めた。住友の名を冠したホールセール会社は、大和証券グループのホールセール業務を担う中核子会社として、大和単独の看板で再出発した。銀行系証券が相次いで生まれる潮流のなかで、大和は銀行資本との結合ではなく、独立系総合証券として自らの資本でホールセールを抱え直す道を選んだ[14]。
合弁の解消は、業界では「10年目の協議離婚」とも評された。1999年に銀行の資本を頼んでホールセールを起こした選択と、2009年にその資本を買い戻して独立を取り戻した選択は、10年を隔てて正反対の向きを持つ。証券再編が銀行主導で進むと見られたなかで、大和は自前の道を選び直した。合弁が主導権を巡って壊れた経緯は、銀行と証券をひとつの器で運営することの難しさを映していた[15][16]。
結果
合弁後の痛みと再統合
独立系への回帰は、すぐに果実を生んだわけではなかった。リーマン・ショックの影響は遅れて表れ、2011年3月期に経常損失326億円・親会社株主帰属当期純損失373億円へ転落し、続く2012年3月期も純損失394億円と2期連続の赤字となった。損失の中核はホールセールで、グローバル・マーケッツ部門は2011年3月期に▲521億円、2012年3月期に▲544億円の部門損益であった。自らの資本で抱え直したホールセールの重さが、そのまま損益に表れた[17][18]。
赤字の背景には、独立を選んだがゆえの重さがあった。大和は合弁解消の直後から、独立系になってフリーハンドが増したとして香港を第二本社と位置づけ、アジア事業を一気に拡張した。だが欧州債務危機で市況が崩れ、拡張のタイミングは裏目に出た。法人部門は7四半期連続の赤字に陥り、2011年11月には米ムーディーズが持株会社の格付けを投資不適格寸前のBaa3へ引き下げた。加えて、合弁解消で三井住友銀行の株式・社債発行の主幹事の座は同行傘下に入ったSMBC日興証券へ移り、住友系企業との取引機会も細った。独立の看板は、営業のフリーハンドと引き換えに、後ろ盾を失う重さを伴った[19][20][21]。
体制の立て直しは続いた。2010年4月に鈴木茂晴社長から日比野隆司社長へ交代し、独立系総合証券としての再建が始まる。2011年5月には大和ネクスト銀行がサービスを開始し、三井住友に頼らず銀行機能を自前で持つ体制を整えた。さらに2012年4月、大和証券キャピタル・マーケッツを大和証券本体へ吸収合併し、分けていたリテールとホールセールを再び一つに束ねた。合弁の解消は、機能の再統合まで含めて完結した[22][23]。
- 大和証券グループ本社・大和証券エスエムビーシー 適時開示 2009年12月25日「ホールセール証券事業に関する合弁解消についてのお知らせ」(https://www.daiwa-grp.jp/data/current/press-2643-attachment.pdf)
- 三井住友銀行 ニュースリリース 2009年9月10日「株式会社大和証券グループ本社との合弁事業の解消」(https://www.smbc.co.jp/news/html/j200519/j200519_01.html)
- NetIB-NEWS(2009年9月8日)「三井住友と大和、提携解消 頓挫した銀行主導の証券再編」(https://www.data-max.co.jp/2009/09/08/_2_40.html)
- 東洋経済オンライン(2009年9月16日)「三井住友と大和、10年目の協議離婚」(https://toyokeizai.net/articles/-/11007)
- Bloomberg(2009年9月10日)「三井住友FGと大和証Gが合弁解消で合意-別々に収益強化」(https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2009-09-10/KPQAQE0UQVI901)
- 大和証券グループ本社 有価証券報告書【沿革】
- 大和証券グループ本社 有価証券報告書(連結)
- 週刊東洋経済 2008年2月2日号「TOP INTERVIEW 大和証券グループ本社社長 鈴木茂晴 損させても胸を張れるか」
- 週刊東洋経済 2010年2月20日号「TOP INTERVIEW 大和証券グループ本社 執行役社長(CEO) 鈴木茂晴 合弁解消のメリット多い。フリーハンドが増した」
- 週刊東洋経済 2012年3月6日号「国内証券2位の行方 格下げ阻止へリストラ加速 独立維持できるか大和証券」