{"title":"松井証券の歴史概略","sections":[{"start_year":1918,"end_year":1990,"main_title":"米の仲買から証券会社へ、兜町の地場証券として（1918〜1990）","subsections":[{"title":"六人の相場師が興した米の仲買商から","text":"松井証券の起源は、1918年5月に六人の相場師が興した米の仲買商、松井房吉商店にさかのぼる。同じ月に東京株式取引所の一般会員となり、株式の売買にも加わった。屋号は六を丸で囲んだマルロクで、屋号を持つほど古い証券会社は兜町でも数少なかった。1931年3月に株式会社松井商店を設立して法人組織に改め、戦後の1947年12月には松井證券へ商号を変更した。1948年8月に証券業の登録を受け、翌1949年4月には再開された東京証券取引所の正会員に加わった。以後は信用取引に強い地場証券として、兜町の一角を占めた。\n\nもっとも、規模は小さかった。1987年当時、東京証券取引所に会員権を持つ100社を超える正会員のなかで、松井証券の株式委託件数は下から二番目にとどまっていた。1995年3月期の営業収益は21億円、従業員は128人、資本金は6億1000万円で、東証での委託売買金額はバブル期の2.5倍にあたる約1500億円で、シェアは0.17%だった。ただし国内証券222社のうち経常黒字を確保したのが20社だけという当時にあって、松井証券はその一社であり、当期利益も黒字を維持していた。顧客の7割が信用取引を使う構成が、この収益を支えていた。","references":[{"title":"松井証券 有価証券報告書【沿革】","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"週刊東洋経済 2001年8月4日号「［企業レポート］1部上場松井証券 老舗の弱小証券会社が大手を凌駕しえた理由」","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"日経ビジネス 1995年6月12日号「松井証券 推奨販売なしの営業戦略 個人取り込み、黒字確保」","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"日経ビジネス 1996年8月5日号「松井道夫氏［松井証券社長］型破りの営業でタブー揺るがす 根底に流れる“権威”への反抗心」","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"日経ビジネス 1999年9月13日号「ひと 競争力は野村を凌ぐ「兜町の素人」10月1日、手数料9割引きで大勝負」","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"日経ビジネス 2004年10月4日号「松井道夫氏［松井証券社長］怒りを力に喧嘩を糧に」","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"週刊東洋経済 2020年6月13日号「スペシャルインタビュー 松井証券 社長 松井道夫「社長業30年の自負は古いものを捨てたことだ」」","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]}]},{"title":"営業部隊の崩壊と、婿養子として入った異業種の人","text":"1986年ごろ、松井証券は人件費を抑えるために給与体系を変え、営業マンの歩合給を大幅に圧縮した。これに反発した営業部長・次長・課長といったエース級の営業幹部五人が退社し、重要な顧客も一緒に去った。営業部隊は壊滅状態となり、残された手段として始めたのが新聞広告による集客だった。売り込む人間がいないので、広告を見た顧客からの電話を受けるほかなかった。この方法で集めた新規顧客は1996年には1日に50件を数える日もあり、口座数は3年前の3倍を超えて1万を上回った。のちに外交営業の否定として語られる方針は、理念から出発したのではなく、営業部隊を失った会社の窮余の策だった。\n\nこの会社を継いだのは、証券業界の外から来た人物だった。松井道夫氏は1953年に長野県で生まれ、1976年に一橋大学経済学部を卒業して日本郵船に入社した。タンカーや定期船を担当し、30歳で労働組合の書記長を務めた。1986年に松井証券の社長だった松井武氏の長女と結婚し、務台姓から松井姓に改めて翌1987年に入社する。当初は家業を継ぐ気がなく、結婚の条件として継がないことを挙げていたが、義父がすでに70歳に達し、このままでは会社が他人の手に渡ると判断して決断した。1988年に取締役、1990年に常務取締役営業本部長となり、社内改革の実権を委ねられた。\n\n松井道夫氏には、当時の証券界が不合理に見えた。入社当時の印象を、のちに「こんなにぼろい商売があるのか」（日経ビジネス 1996/8/5）と述べた。保護行政のもとにある証券業を、業と呼べるものではないとも突き放した。免許制に守られ、顧客のリスクで手数料を得る構造そのものへの反発が、以後の施策の動機となった。日本郵船で経験した海運同盟の崩壊も判断の根拠になった。運賃が同盟の交渉で決まっていた時代、差別化する手段のない船会社に荷主が求めたのは「誠意」だった。ところが同盟が崩れて価格競争が始まると、荷主は格安の盟外船会社へ移った。","references":[{"title":"松井証券 有価証券報告書【沿革】","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"週刊東洋経済 2001年8月4日号「［企業レポート］1部上場松井証券 老舗の弱小証券会社が大手を凌駕しえた理由」","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"日経ビジネス 1995年6月12日号「松井証券 推奨販売なしの営業戦略 個人取り込み、黒字確保」","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"日経ビジネス 1996年8月5日号「松井道夫氏［松井証券社長］型破りの営業でタブー揺るがす 根底に流れる“権威”への反抗心」","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"日経ビジネス 1999年9月13日号「ひと 競争力は野村を凌ぐ「兜町の素人」10月1日、手数料9割引きで大勝負」","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"日経ビジネス 2004年10月4日号「松井道夫氏［松井証券社長］怒りを力に喧嘩を糧に」","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"週刊東洋経済 2020年6月13日号「スペシャルインタビュー 松井証券 社長 松井道夫「社長業30年の自負は古いものを捨てたことだ」」","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]}]}]},{"start_year":1990,"end_year":1999,"main_title":"外交営業の否定から手数料自由化の先取りへ（1990〜1999）","subsections":[{"title":"営業マンと支店を減らし、電話に切り替える","text":"常務取締役営業本部長となった松井道夫氏は、まもなく外交営業員による勧誘行為の禁止を宣言し、営業マンと支店を減らして電話主体の通信取引へ切り替えた。1991年には銘柄を薦めない方針を新聞広告で打ち出した。同じ年、割引金融債を流通市場の利回りで個人に売り出して同業者から強い批判を受けた。「個人にも証券市場に参加する権利はある」（日経ビジネス 1996/8/5）というのがその理由だった。営業体制の組み替えは業績に響き、1991年度には経常赤字に陥った。ただし赤字はこの一期にとどまった。\n\n顧客の側の条件も変えた。大手が最低1000万円としていた信用取引の保証金を200万円に下げ、有価証券の保護預り手数料も業界横並びの年3000円から1000円へ引き下げた。同業他社からは「そんなことをしたら証券業界から村八分になるぞ」（日経ビジネス 1995/6/12）と脅された。1995年5月には本店営業部に多い日で140件の問い合わせが入り、同年4月に入社した17人のうち10人を本店営業部へ配し、全社員の三分の一にあたる40人体制で電話を受けた。松井道夫氏が社長に就いたのは、その翌月にあたる1995年6月である。","references":[{"title":"松井証券 有価証券報告書【沿革】","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"日経ビジネス 1995年6月12日号「松井証券 推奨販売なしの営業戦略 個人取り込み、黒字確保」","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"日経ビジネス 1996年8月5日号「松井道夫氏［松井証券社長］型破りの営業でタブー揺るがす 根底に流れる“権威”への反抗心」","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"日経ビジネス 1999年9月13日号「ひと 競争力は野村を凌ぐ「兜町の素人」10月1日、手数料9割引きで大勝負」","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"日経ビジネス 1999年12月20日号「“e組織”で大企業を撃破 松井証券、アスクルが極めた勝利の方程式」","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"週刊東洋経済 1997年2月22日号「［ザ・トーク］松井証券・松井道夫社長／松岡功・日本映画製作者連盟会長」","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"週刊東洋経済 2001年8月4日号「［企業レポート］1部上場松井証券 老舗の弱小証券会社が大手を凌駕しえた理由」","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"週刊東洋経済 2020年6月13日号「スペシャルインタビュー 松井証券 社長 松井道夫「社長業30年の自負は古いものを捨てたことだ」」","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]}]},{"title":"保護預かり料の無料化からボックスレートへ","text":"手数料をめぐる攻防は、業界団体との交渉から始まった。1996年1月、松井証券は日本証券業協会に保護預り手数料を無料にしたいと打診したが、徴収しないことは許可できないという回答を受けた。そこで同年2月に「3年間100円」へ引き下げて事実上の無料化とし、広告には今後も引き下げの努力を続けると明記した。協会が他の手数料に波及させないことを条件に無料化を容認したのは同年3月下旬で、実施は同年4月だった。翌1997年2月には店頭登録株式の委託手数料を半額にした。株式委託手数料の完全自由化は1999年10月であり、いずれもそれに先んじた。\n\n半額化の発表は、国内業者にも追随の動きを呼んだ。松井道夫氏は当時、協会へ打診した際の反応について「変わり身が早いというか節操がないというか、怒りさえ覚える」（週刊東洋経済 1997/2/22）と述べ、自分で考えず顧客のためと唱えるだけで自由化ができるのかと問うた。1998年5月には国内初の本格的なインターネット取引「ネットストック」を始め、同時にインターネットによる信用取引も開始した。翌1999年6月には株式売買の受付をネットへ一本化することを決めた。受付業務を失った顧客サポート部門は、顧客の声を集めて新商品を開発する部署へ役割を変えた。\n\n1999年10月1日、株式委託手数料の完全自由化にあわせて定額制の「ボックスレート」を導入した。売買金額が300万円までなら3回まで3000円という体系で、2000年9月には回数制限を撤廃した。割引率は当初7割を想定していたが、過大評価だったという顧客からの指摘を受けて9割に改めた。松井道夫氏はのちにこの判断を「お客さんは誠意を買ってはくれない」（週刊東洋経済 2020/6/13）と振り返った。ネット口座は1999年9月末の1万4300から10月末に1万8800へ増え、同年11月にはインターネットだけで単月1979億円の売買を仲介した。当時の役職員は140人である。","references":[{"title":"松井証券 有価証券報告書【沿革】","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"日経ビジネス 1995年6月12日号「松井証券 推奨販売なしの営業戦略 個人取り込み、黒字確保」","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"日経ビジネス 1996年8月5日号「松井道夫氏［松井証券社長］型破りの営業でタブー揺るがす 根底に流れる“権威”への反抗心」","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"日経ビジネス 1999年9月13日号「ひと 競争力は野村を凌ぐ「兜町の素人」10月1日、手数料9割引きで大勝負」","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"日経ビジネス 1999年12月20日号「“e組織”で大企業を撃破 松井証券、アスクルが極めた勝利の方程式」","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"週刊東洋経済 1997年2月22日号「［ザ・トーク］松井証券・松井道夫社長／松岡功・日本映画製作者連盟会長」","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"週刊東洋経済 2001年8月4日号「［企業レポート］1部上場松井証券 老舗の弱小証券会社が大手を凌駕しえた理由」","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"週刊東洋経済 2020年6月13日号「スペシャルインタビュー 松井証券 社長 松井道夫「社長業30年の自負は古いものを捨てたことだ」」","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]}]}]},{"start_year":2000,"end_year":2012,"main_title":"ネット証券の先頭に立ち、そこから退いた十年（2000〜2012）","subsections":[{"title":"東証一部への直接上場と信用取引の拡大","text":"2001年8月1日、松井証券は東京証券取引所市場第一部に上場した。二部やジャスダックを経ない直接上場で、264億円を調達した。動機は資金需要にあった。証券会社は財務の健全性を保つため自己資本規制比率を維持する義務を負い、信用取引残高の3%がリスク資産に算入される。信用取引を強みとする松井証券では、本業が好調であるほど比率が下がる構造になっていた。同比率は2000年3月末の365%から2001年3月末には302%へ低下した。上場に先立つ同年3月には劣後特約付無担保社債5億円を年利5.1%で発行し、松井道夫氏はこれを「泣く泣く導入した」（週刊東洋経済 2001/8/4）と説明した。\n\n上場の翌々年、松井証券は収益を押し上げる商品を投入した。2003年7月末に始めた「無期限信用取引」である。通常は6か月で決済する信用取引の返済期限を実質的に無くしたもので、開始から2か月で残高が413億円を超え、利用顧客は1万2500を上回った。松井道夫氏はこの伸びを「これほど増えるとは全くの想定外」（日経ビジネス 2003/10/6）と語った。2004年には個人向けの株式売買取次金額で野村證券を上回り、イー・トレード証券に次ぐ第2位となった。信用取引の貸出資金約3000億円は野村證券のほぼ3倍にあたる。2005年3月期の営業収益は369億円と前期比47%増、経常利益は226億円と6割増えた。","references":[{"title":"松井証券 有価証券報告書【沿革】","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"松井証券 有価証券報告書 第90期〜第96期【主要な経営指標等の推移】","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"週刊東洋経済 2001年8月4日号「［企業レポート］1部上場松井証券 老舗の弱小証券会社が大手を凌駕しえた理由」","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"週刊東洋経済 2005年6月4日号「［ビジネスリポート］「先駆者」松井証券の深まる孤立 “松井革命”第2幕 絶好調の中の「死角」」","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"週刊東洋経済 2007年7月21日号「ネット証券フロントランナー 市場のニーズ読み違えた“革命児”松井証券の焦燥」","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"日経ビジネス 2003年10月6日号「松井証券 業界常識を破り2カ月で400億」","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"日経ビジネス 2004年10月4日号「松井道夫氏［松井証券社長］怒りを力に喧嘩を糧に」","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"松井証券 決算説明会要旨 2005年5月10日","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"松井証券 決算説明会要旨 2007年5月7日","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"松井証券 決算説明会要旨 2012年4月26日","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]}]},{"title":"手数料競争から距離を置いたことの代償","text":"最高益を出した一方で、競争の形は変わっていた。イー・トレード証券は口座数・売買代金・預かり資産のシェアを優先する薄利多売を掲げ、手数料引き下げの先頭を走った。松井証券は収益の悪化を懸念して手数料競争から距離を置き、2005年3月期の平均手数料率はイー・トレード証券の2倍を超える0.12%だった。「手数料だけを気にする人はごく一部」（週刊東洋経済 2005/6/4）というのが当時の説明である。だが新規にネット取引を始める個人が証券会社を選ぶ基準は手数料の安さにあり、顧客は安いほうへ流れた。4年前は拮抗していた両社の個人株式売買代金シェアの差は、2007年には3倍以上に開いた。\n\n打ち出した施策は、いずれも成果に届かなかった。2006年9月に無期限信用取引の手数料を完全に無料化したが、他社が追随済みで手数料率は最安0.01%台まで下がっており、乗り換えを促すほどの差にならなかった。顧客は増えず手数料収入だけが減り、3か月後の同年12月に撤回した。2004年5月にりそなグループと結んだ提携も、銀行窓口では投資信託や年金を売るほうが実入りが大きく販売員が動かないまま、2006年3月に解消した。2005年に掲げた新規公開株式の引受販売手数料の無料化も、前例のない取り組みを企業が避けたため実績は2件にとどまった。\n\n2007年3月期、SBIイー・トレード証券が経常利益245億円を稼ぎ、松井証券の227億円を初めて上回った。4年前には経常利益で松井証券の8分の1にすぎなかった相手である。もっとも収益性そのものが崩れたわけではない。同期の経常利益が営業収益に占める比率は52.0%で、上場証券26社のなかで2位を保った。ただし営業収益は2006年3月期の571億円を最高に減少へ転じ、2012年3月期には177億円まで縮んだ。同期の決算説明会で経営陣は、即時決済信用取引について「現状では流動性が不足しており、顧客同士がお見合いしてしまう状況にある」（決算説明会要旨 2012/4/26）と説明した。","references":[{"title":"松井証券 有価証券報告書【沿革】","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"松井証券 有価証券報告書 第90期〜第96期【主要な経営指標等の推移】","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"週刊東洋経済 2001年8月4日号「［企業レポート］1部上場松井証券 老舗の弱小証券会社が大手を凌駕しえた理由」","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"週刊東洋経済 2005年6月4日号「［ビジネスリポート］「先駆者」松井証券の深まる孤立 “松井革命”第2幕 絶好調の中の「死角」」","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"週刊東洋経済 2007年7月21日号「ネット証券フロントランナー 市場のニーズ読み違えた“革命児”松井証券の焦燥」","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"日経ビジネス 2003年10月6日号「松井証券 業界常識を破り2カ月で400億」","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"日経ビジネス 2004年10月4日号「松井道夫氏［松井証券社長］怒りを力に喧嘩を糧に」","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"松井証券 決算説明会要旨 2005年5月10日","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"松井証券 決算説明会要旨 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有価証券報告書【沿革】","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"松井証券 有価証券報告書 第97期〜第110期【主要な経営指標等の推移】","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"松井証券 決算説明会要旨 2013年4月25日","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"松井証券 決算説明会要旨 2014年4月28日","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"松井証券 決算説明会要旨 2017年4月28日","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"松井証券 決算説明会要旨 2021年1月29日","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"松井証券 決算説明会要旨 2023年1月27日","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"週刊東洋経済 2020年6月13日号「スペシャルインタビュー 松井証券 社長 松井道夫「社長業30年の自負は古いものを捨てたことだ」」","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"日本経済新聞 2020年3月25日「松井証券社長に和里田聡氏」","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]}]},{"title":"ブローカレッジの外へ、そして創業家以外の社長へ","text":"株式の売買仲介だけに絞る方針は、2016年から緩んだ。同年11月に投資信託の取扱いを始め、あわせてポートフォリオ提案サービス「投信工房」を自社開発した。対面証券のファンドラップに対抗する位置づけだったが、翌2017年の決算説明会では「なかなか高齢者層にリーチできていない」（決算説明会要旨 2017/4/28）と述べ、投信残高は十数億円にとどまると答えた。2017年5月には外国為替証拠金取引を全額カバーするブローキング型から自社で持高を管理するトレーディング型へ切り替える方針を示した。2019年12月には投資信託の販売手数料を完全に無料化した。\n\n2020年6月、松井道夫氏が社長を退き、専務の和里田聰氏が就いた。松井道夫氏の就任から数えて25年ぶりの社長交代にあたる。松井道夫氏は代表権のない顧問となり、取締役にも残らなかった。発行済株式の58%を持つ立場でありながら会長職を選ばなかった理由を、会社の代表者は一人で十分であり二頭政治は百害あって一利なしと説明した。30年を振り返っては「私の30年間は失敗だらけだった」（週刊東洋経済 2020/6/13）と述べ、一貫していたのは古いものを捨てたことだと語った。インターネット取引の導入については、米国のEトレードを真似ただけで大したことではないとも認めた。\n\n交代後の松井証券は、自社の位置づけの見直しから着手した。2021年3月にスマートフォンアプリを刷新し、若い世代から使いにくいという声が上がっていたことを認めた。2022年2月に米国株式サービスを始めたが、他社は10年以上前から扱っており後追いにあたる。同年12月にはロゴとウェブサイトを刷新し、対面証券という印象を持たれていた点を挙げてブランドを組み替えた。2023年10月には銀行サービス「MATSUI Bank」を始めた。2026年3月期の営業収益は527億円となり、2006年3月期の571億円に次ぐ水準まで戻した。経常利益は238億円で、2014年3月期の272億円には届かなかった。","references":[{"title":"松井証券 有価証券報告書【沿革】","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"松井証券 有価証券報告書 第97期〜第110期【主要な経営指標等の推移】","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"松井証券 決算説明会要旨 2013年4月25日","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"松井証券 決算説明会要旨 2014年4月28日","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"松井証券 決算説明会要旨 2017年4月28日","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"松井証券 決算説明会要旨 2021年1月29日","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"松井証券 決算説明会要旨 2023年1月27日","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"週刊東洋経済 2020年6月13日号「スペシャルインタビュー 松井証券 社長 松井道夫「社長業30年の自負は古いものを捨てたことだ」」","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"日本経済新聞 2020年3月25日「松井証券社長に和里田聡氏」","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]}]}]}],"summary":{"title":"サマリー","text":"","qa":[{"q":"なぜ1996年に松井証券は業界横並びだった株式保護預かり料を無料にしたのか","a":"松井証券が1996年4月に株式保護預かり料を無料にした背景には、その10年前の営業部隊の崩壊がある。1986年ごろに人件費を抑えるため歩合給を圧縮したところ、反発した営業幹部五人が退社して顧客も離れ、営業部隊が壊滅した。売り込む人間を失った松井証券は新聞広告で顧客を集める形に移り、対面営業を前提とする業界慣行から先に離れていた。日本証券業協会は当初これを許可しなかったが、1996年2月に3年間100円へ下げて事実上の無料化に踏み切り、同年3月下旬に容認を取り付けた。"},{"q":"なぜ1999年の手数料完全自由化で、松井証券は当初案の7割引を9割引に改めたのか","a":"1999年5月に公表した当初案の割引率は最大7割だった。これに対し顧客から松井証券を過大評価していたという指摘が届き、松井道夫氏は割引率を9割へ改めた。判断の根拠は日本郵船時代の経験にある。運賃が同盟の交渉で決まっていた時代、荷主は差別化する手段のない船会社に誠意を求めたが、同盟が崩れて価格競争が始まると格安の盟外船会社へ移った。同年10月に導入したボックスレートは300万円まで3回3000円の定額制で、ネット口座は1か月で3割増えた。"},{"q":"なぜ2013年の一日信用取引は、2006年に撤回した手数料無料化と違って収益を反転させたのか","a":"2006年9月に無期限信用取引の手数料を無料にしたときは、各社の追随ですでに手数料率が最安0.01%台まで下がっており、乗り換えを起こせないまま3か月で撤回した。2013年1月の一日信用取引は、手数料に加えて金利と貸株料も無料にし、その日のうちに決済するデイトレードへ対象を絞った。手数料を取らない代わりに売買の回転が上がれば、顧客への貸付から得る金融収支と、空売りに課す品貸料で稼げる。松井証券は7期ぶりの増収増益に転じ、翌2014年3月期の営業収益は399億円と1.9倍になった。"}]},"auditVersion":2}