小林節太郎

富士フイルム・元富士ゼロックス 初代社長

Kobayashi Setsutaro(敬称略)

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社長就任 1960年6月
生年月日 —
学歴 関西学院
出自 —
社長就任までの出自
出自

1899年に兵庫県小野市で生まれ、1923年に関西学院を出て岩井産業に入り、大日本セルロイドを経て1934年に富士写真フイルムへ入社した。営業部長を務めて1937年に取締役、1943年11月に専務取締役、1958年6月に副社長へ進んだ。工場長・研究所長を経た同僚が並ぶなかで、営業から役員になった。1961年4月の大株主上位は東洋信託銀行4.8%を筆頭に信託銀行・生命保険が占め、設立母体の大日本セルロイドは3.2%で4位である。

社長に選ばれた経緯
抜擢

前任の春木栄氏は京都大学を出て足柄工場長を務めた技術畑で、小林氏は営業部長から取締役に就任した営業畑である。1958年6月に副社長となり、その2年後の1960年6月に社長へ就任した。就任前の1958年10月期は売上高143億円・当期純利益7.7億円だった。

在任中の主な施策
施策

就任翌年の1961年10月期に214億円だった売上高は、退任前年の1970年10月期に1002億円となり、1000億円台に乗った。当期純利益も同じ期間に9.5億円から75.7億円へ増えた。退任の年の1971年10月期は経常利益106億円で、前期の121億円から減っている。1971年6月に会長へ就任した。

在任の評価
評価

執筆予定

経歴 1923〜1971年
在任中の業績
就任前-
退任時-
変化-
就任前-
退任時-
変化-
参考文献 1件

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