井植薫

三洋電機・元取締役社長

(敬称略)

Iue Kaoru(1911年生まれ)

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生年月日 1911年1月1日
学歴
出自
出自
1949年12月に松下電器産業の常務取締役製造部長を辞し、兄の井植歳男氏が興した三洋電機製作所へ入所した。1950年4月の法人設立で取締役資材部長となり、1953年7月に常務取締役、1961年7月に専務取締役、1968年1月に取締役副社長へ進んでいる。松下電器でも三洋電機でも製造と資材を担当し、工場側から経営陣へ上がった。人事・総務を歩いた次兄の井植祐郎氏とは役割が分かれていた。
抜擢
1971年1月、社長だった兄の井植祐郎氏が取締役会長へ退き、取締役副社長から取締役社長に就いた。同じ月に後藤清一氏と加藤三郎氏が取締役副社長へ並んでいる。後藤氏は松下電器産業の灯器製造部長から1947年に移った創業以来の製造責任者、加藤氏は住友銀行の常務取締役から1964年に移った財務出身で、製造と金融の両輪が社長を支える布陣になった。創業家3人の中で最も製造に近い人物を据えた交代だったとみられる。
施策
最大顧客の米シアーズから合弁子会社ウォーイック社の再建を打診され、1976年9月にサンヨー・マニュファクチャリング・コーポレーションを設立して同社を約31億円で取得し、アーカンソー州でカラーテレビの現地生産に入った。1980年には年産96万台へ達し、日本企業では最大規模の北米現地生産となった。1982年2月には英フィリップス社の英国テレビ工場を取得した。国内では1970年代後半から空調機器・厨房家電・オーディオ機器へ品目を広げた。
評価
執筆予定
就任前(FY69)2,417億円
退任時(FY04)24,846億円
変化(35カ年)+928%
就任前-
退任時(FY04)1.4%
変化-

参考文献経歴・学歴・出身地の裏づけに当たった資料

  • 日本企業要覧 1961年版 経歴・出身地・生年
  • 日本企業要覧 1972年版 経歴・出身地・生年

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