駒井健一郎

日立製作所・元取締役社長

Komai Kenichiro(敬称略)

更新:
社長就任 1961年
生年月日 —
学歴 東京帝国大学工学部電気工学科
出自 —
社長就任までの出自
出自

駒井氏は1950年の朝鮮戦争を機に活発化した発電設備の受注を担い、佐久間・丸山などの水力と鶴見・潮田などの火力の商談に力を注いだ。日立は水力では経験も実験設備も豊富だったが、火力は戦前にドイツのAEGから技術を導入したのみで経験が浅く、東芝や三菱重工の後塵を拝していた。駒井氏はそこで外国の一流メーカーとの提携を求め、GEからタービン発電機の技術を導入する交渉をまとめた。

社長に選ばれた経緯
抜擢

1961年、倉田主税氏の後任として社長に就任した。前任期に導入した外国技術は数年で成果に変わり、1955年時点の日立は16工場と3分工場を基盤に製品3000種、従業員2万8000人、資本金66億円へ達していた。1959年には重電部門で東芝を追い抜いたと業界で認知されている。GEとの提携を実務でまとめた駒井氏の登用は、外国技術を使いこなす段階に見合う人事だったとみられる。

在任中の主な施策
施策

1961年にマクセル電気工業へ資本参加し、1963年4月に日立化成工業、1969年12月に日立建設機械製造を分離独立させた。1969年2月にはソフトウェア工場を新設し、計算機の受託開発を工場として抱える体制を構築している。1966年12月には中央研究所がNHK技術研究所と共同でセレン系撮像管の開発に着手した。1960年代半ばの不況では、新規はもちろん続行中の設備投資も全部中止させ、業績の悪化を同業他社より小さく抑えた。 GE・RCA・WEと技術提携

在任の評価
評価

執筆予定

経歴 1961〜1971年
在任中の業績
就任前(FY60)2,248億円
退任時-
変化-
就任前-
退任時-
変化-

免責事項およびポリシー