吉山博吉

日立製作所・元取締役社長

Yoshiyama Hirokichi(敬称略)

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社長就任 1971年
生年月日 —
学歴 東京帝国大学工学部電気工学科
出自 —
社長就任までの出自
出自

吉山氏は日立の生え抜きで、1976年版の会社年鑑も社長を吉山博吉氏と記している。育った日立は、外国技術を導入した領域と自前で育てた領域を併せ持つ会社だった。代表が電子顕微鏡で、戦後は旧帝国大学系の大学の一号機をすべて受注し、日本電気と東芝を競争から脱落させている。1960年代後半には日立と日本電子の顕微鏡が世界需要の半分を占め、RCAが撤退した。

社長に選ばれた経緯
抜擢

1971年、駒井健一郎氏の後任として社長に就任した。就任前年度の1971年3月期は売上高7887億円・経常利益465億円だったのに対し、翌1972年3月期は売上高7827億円・経常利益361億円へ減少し、拡大が止まった年に交代している。前任期の日立は工場の新設を重ね、1969年から1970年にかけてソフトウェア・青梅・大みか・高崎の各工場を相次いで設けていた。

在任中の主な施策
施策

1971年6月に生産技術研究所、1973年2月にシステム開発研究所を新設し、1974年6月には土浦工場を新設した。中央研究所は焼き付きを解けなかったセレン系撮像管アーセコンを1970年に放棄したうえで、同年に別構造の基本特許を出願し、1972年12月にサチコンの開発を大型プロジェクトへ格上げしている。1975年に商品として完成させ、1977年には同じ開発へ長年投資しながら成功できなかったRCAへ技術を供与した。

在任の評価
評価

執筆予定

経歴 1971〜1980年
在任中の業績
就任前(FY70)7,887億円
退任時-
変化-
就任前-
退任時-
変化-

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