高杉晋一

三菱電機・元取締役社長(1947年1月27日)

Takasugi Shinichi(敬称略)

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社長就任 1947年1月
生年月日 —
学歴 東京帝国大学法学部
出自 —
社長就任までの出自
出自

1917年に東京帝国大学英法科を出て三菱合資会社へ入社し、銀行部に配属された。大阪支店の貸付係長のときロンドンへ留学し、帰国後は本店監査課長、日本橋支店副長、四谷支店長、船場支店長を経て1940年に名古屋支店長へ就任した。1943年に名古屋支店長から三菱電機の監査役へ移り、電気の技術にはいっさい口を出さない方針を固めた。銀行の管理畑から電機会社へ入った経歴である。

社長に選ばれた経緯
抜擢

1945年5月に監査役から取締役、同年9月に常務取締役へ進んだ。1946年2月に公職追放令が施行されて先輩の役員が去り、取締役会の無記名投票で過半数を得て1947年1月27日に取締役社長へ就任した。当時の三菱電機は空襲で全施設の31%を失い、三菱商事の解散で従来の販売機関を一挙に失っていた。技術者ではなく銀行部出身の管理者が、財閥解体と戦後法令への対処を担う社長に選ばれたとみられる。

在任中の主な施策
施策

三菱商事の解散で失った販売機関を作り直すため、1946年から1949年にかけて大阪・名古屋・福岡・札幌などへ営業所を開設し、全国の販売網を敷き直した。1949年5月には10%の人員整理と10%の賃金引き下げを発表し、同月に東京証券取引所へ株式を上場した。米ウエスチングハウス社が商号を失えば技術契約は結べないと通告したため、1950年4月に三井・住友の代表とともに吉田茂首相へ陳情し、1951年4月に技術提携を復活させた。 ウエスチングハウスと再提携

在任の評価
評価

執筆予定

経歴 1947〜1956年
在任中の業績
就任前-
退任時-
変化-
就任前-
退任時-
変化-

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