関義長
三菱電機・元取締役社長
社長就任 1956年
生年月日 —
学歴 東京帝国大学電気工学科
出自 —
社長就任までの出自
出自
1915年に三菱造船へ入社し、三菱電機の創立とともに電機へ移った。1930年代半ばには神戸製作所の工作課長として新入社員の実習を監督している。高杉晋一社長のもとで副社長を務め、米ウエスチングハウス社との技術提携を続けるには商号と商標を守り会社を一本のまま保つことが絶対の条件だと判断した経営幹部の一人であった。造船から移った生え抜きの技術者である。
社長に選ばれた経緯
抜擢
1956年、高杉晋一氏が取締役会長へ退き、関義長氏が社長に就任した。高杉氏は関氏を盟友と呼び、あらゆる角度から問題を究明して結論を出すため、その企画や提案には無条件で同意できたと記している。就任前年度の1956年3月期は単体売上高250億円・営業利益17億円で、営業利益は1954年3月期の39億円から半分以下に減少していた。1955年3月期には配当を1割8分へ下げていた。
在任中の主な施策
施策
1959年ごろ、提携先の米ウエスチングハウス社から一センチ角ほどの集積回路の試作品を持ち帰り、中央研究所に同じものを作るよう命じた。研究所は製法を考案して1961年に"モレクトロン"の名で商品化し、これが国産IC第一号となった。1959年8月には半導体の量産だけを担う北伊丹工場を新設した。1960年に鎌倉製作所、1962年に京都製作所と相模製作所を建設している。
在任の評価
評価
執筆予定
経歴 1956〜1964年
在任中の業績
就任前(FY55)251億円
退任時-
変化-
就任前(FY55)7.1%
退任時-
変化-