大隈武雄

オークマ・元取締役社長

Okuma Takeo(敬称略)

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社長就任 1978年2月
生年月日 —
学歴 東京帝国大学経済学部
出自 —
社長就任までの出自
出自

1910年に岐阜県で生まれ、1936年3月に東京帝国大学経済学部を出て、1939年7月に大隈鐵工所へ入った。1944年10月に取締役、1948年8月に取締役副社長、1951年11月に代表取締役副社長となり、旭精機工業の代表取締役副社長も兼ねている。営業畑を一筋に歩み、陽気で行動的な性格と見られていた。大隈家の養子で大隈孝一氏の妹婿にあたり、1955年9月末と1961年3月末の大株主にはいずれも個人として上位に並んでいる。

社長に選ばれた経緯
抜擢

オイルショック後の受注減で1974年9月期に経常損失へ落ち、1977年9月期の累積赤字は36億2,000万円に積み上がっていた。1976年1月の380人に続く第2次480人の希望退職提案に労働組合が反発して交渉が2カ月に及び、1978年2月に賃金カットなど4項目で歩み寄った。労組が提案を受け入れたのと同時に、1948年から30年間社長を務めた大隈孝一氏が引責退陣し、副社長歴26年の武雄氏が後を継いだ。技術畑の前任と営業畑の後任という対照的な交代だった。

在任中の主な施策
施策

就任初日にベンツを含む社用車6台を処分し、社長室を3分の1の広さへ移した。副社長・専務と次長の職位を廃して社長と13人の部長を直結させ、労組三役を加えた経営会議を最高意思決定機関に据えている。製品開発は技術者主導から販売・製造を交えた開発会議方式へ改め、赤字の種と呼んでいたNC装置を市場性を考えた技術開発に切り替えて事業化した。主力銀行株400万株のうち350万株を売り、1978年3月期に3億円だった当期純損失は1979年3月期に15億円の純利益へ転じた。

在任の評価
評価

執筆予定

経歴 1939〜1988年
在任中の業績
就任前(FY76)133億円
退任時-
変化-
就任前-
退任時-
変化-
参考文献 3件
参考文献
  • 日本企業要覧 1964年版
  • 日経ビジネス 1980年4月21日号「大隈鉄工所 再建へ社長の砕身が『全員一丸』を喚起」
  • 日経ビジネス 1985年4月29日号 編集長インタビュー「素っ裸になれば“奇跡”も起こせる」大隈武雄氏(大隈鐵工所社長)

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