石塚粂蔵

日本製鋼所・元会長

Ishizuka Kumezo(敬称略)

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社長就任 1955年
生年月日 —
学歴 東京高等商業学校
出自 —
社長就任までの出自
出自

1908年7月、東京高等商業学校(現一橋大学)を出て日本製鋼所へ入り、室蘭へ赴いた。当時の日本製鋼所は北炭と親子の関係にあり、両社の実権は井上角五郎氏が握っていた。室蘭工場次長兼事務部長を2年あまり務めたのち1931年9月に東京勤務となり、翌10月1日付で常務取締役に就任した。1937年には大阪の野村製作所を買収し、終戦まで同社の社長を兼ねた。

社長に選ばれた経緯
抜擢

1945年12月1日に社長へ就任したが、公職追放令にかかり1947年1月23日に辞任した。1951年8月に追放が解けて日本製鋼所へ相談役として戻り、1954年3月に会長となった。その4か月後、7月14日付の人員整理の発表を機に室蘭工場で労働争議が起こり、収拾までに7か月を要した。現地で会社側の責任を負ったのは、常務のまま室蘭の所長に就任した柳武氏である。争議の翌年、1955年11月末に石塚氏はふたたび社長の肩書を付けられた。

在任中の主な施策
施策

社長へ復帰した翌年、1956年9月から日本技術協力株式会社の社長を兼ねた。日本製鋼所の売上高は1957年3月期の97億円から1958年3月期に216億円へ伸び、1959年3月期は128億円へ戻した。1961年3月期の大株主は三井銀行6.4%を筆頭に東洋信託銀行4.0%・三井生命3.2%・三井不動産2.6%と三井系が並んだ。

在任の評価
評価

執筆予定

経歴 1908〜1959年
在任中の業績
就任前-
退任時-
変化-
就任前-
退任時-
変化-
参考文献 1件

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