NTTデータグループ民営化直後のNTTからデータ通信事業本部を切り出し、資本金100億円で分社独立

時期 1988年5月
意思決定者(推定) 日本電信電話・藤田史郎 分離元・親会社・エヌ・ティ・ティ・データ通信 初代社長
論点 分社独立と公正競争の確保
概要
1988年5月23日、日本電信電話が資本金100億円でエヌ・ティ・ティ・データ通信株式会社を設立し、同年7月1日に自社データ通信事業本部の営業を譲り渡した経営判断。有価証券報告書は分離独立の理由を、効率的な事業展開と公正競争の確保の二点としている。
背景
通信が自由化される前、全国の通信ネットワークを使った情報システムを組めるのは事実上、日本電信電話公社だけであった。1967年設置のデータ通信本部は銀行ANSERやCAFIS、郵便貯金・厚生年金の大型システムを積み上げた。1985年の民営化直後、NTTの事業別売上高は音声が83%を占め、データ通信は通信会社のなかの傍流にあった。
内容
1988年6月に特別第二種電気通信事業者の登録を受け、7月1日に営業を譲り受けて営業を開始した。翌1989年7月には事業部を改組し、公共・金融・産業の各システム事業本部を置いた。顧客の産業別に部隊を割る構えは、その後の事業区分の原型として残った。
含意
初代社長には日本電信電話のデータ通信事業本部長であった藤田史郎氏が就いた。藤田氏は『借金こそあれ、蓄積はない』と新会社の身軽さと危うさを語っている。制度上は公正競争のために切り出された会社が、公社時代に築いた独占的なシステム資産を携えて出た点に、この分社の二面性があった。
筆者の見解

制度が切り出し、資産が付いてきた

この分社の中心にあるのは、競争政策上の要請と、実際に移された事業の中身とのずれである。効率的な事業展開と公正競争の確保という二つの理由は、いずれも新会社の外側にある論理であった。切り出された側が持って出たのは、銀行ANSERやCAFIS、郵便貯金や厚生年金といった、公社でなければ作れなかった基幹システムである。競争を促すために別法人にした結果、その独占的な資産だけが親会社の外へ移り、独立した会社の収益基盤になったとみることができる。

藤田史郎氏(社長)が語った『借金こそあれ、蓄積はない』という自己認識は、資産の側からみると正確ではない。財務の蓄積はなくとも、顧客と基幹システムという蓄積は最初から手元にあった。1995年の上場が分離時に引き受けた借入金の返済を動機の一つにしていた点も含め、この会社は最初から親会社との貸借の上に立っていた。分離独立から37年後の2025年9月30日、NTTデータグループはNTTの完全子会社となり、上場企業としての歩みを終えている。

Yutaka Sugiura, 2026年7月

出典・参考

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