信越化学工業 の歴代社長

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1971年1980年1990年2000年2010年2020年2026年

小林周蔵退任

1971年社長就任

代表取締役社長

小田切新太郎退任

1974年社長就任

代表取締役社長

金川千尋退任

1990年社長就任

1975年取締役代表取締役社長

森俊三退任

2010年社長就任

1992年取締役代表取締役社長

斉藤恭彦現任

2016年社長就任

1978年入社2001年取締役代表取締役社長
創業社長の関係
創業

1926年9月、信濃電気の越寿三郎氏と日本窒素肥料の野口遵氏が資本金500万円で信越窒素肥料を興した。石灰窒素の過当競争で1931年に操業が止まり、同年5月に社長へ就いた小坂順造氏が資本を一本化して再建する。子の小坂徳三郎氏が1956年から15年社長を務め、小坂家の社長は1971年で途切れた。

社長登用の傾向
登用

小坂家の後は、信濃電気から移った小林周蔵氏を挟み、経理部長から上がった小田切新太郎氏以降は自社に入った役員が継いでいる。中興の祖は1990年から19年10か月率いた金川千尋氏で、後任の森俊三氏・斉藤恭彦氏は入社から46年と38年をかけて昇った。6代のうち5代が代表取締役副社長からの昇格である。

社長任期の傾向
任期

金川千尋氏の19年10か月が最長で、小田切新太郎氏の16年1か月、小坂徳三郎氏の15年が続く。直近3代は金川千尋氏の19年10か月、森俊三氏の6年、2016年6月就任の斉藤恭彦氏が10年目である。借入を持たず自己資金だけで増設を決める投資が、長い在任を支えてきたと思われる。

いまの体制への含意
含意

退いた社長は代表取締役会長や取締役相談役として残り、金川千尋氏は2010年に会長へ移ったうえ翌年からシンテック会長も務めた。社長候補は副社長か米シンテック社長を通る一本道で、斉藤恭彦氏も2011年からシンテックを預かっている。米国の塩ビ事業を任された者が本社の頂点に立つ。

氏名 社長在任期間 退任年は推定 在任年数 推定状況出自役職在任中の決断施策
小坂徳三郎(1956年就任)1956〜1971年1956年就任15年退任実質創業家代表取締役社長
小林周蔵(1971年就任)1971〜1974年1971年就任3年退任外部出身代表取締役社長
小田切新太郎(1974年就任)1974〜1990年1974年就任16年退任生え抜き代表取締役社長決断1976年シンテックの完全子会社化1979年ダウコーニングとの合弁設立
金川千尋(1990年就任)1990〜2010年1990年就任20年退任生え抜き代表取締役社長決断1990年シンテック方式の全社展開
森俊三(2010年就任)2010〜2016年2010年就任6年退任生え抜き代表取締役社長決断2016年斉藤恭彦氏が社長就任
斉藤恭彦(2016年就任)2016年〜現任2016年就任11年現任生え抜き代表取締役社長1978年4月に信越化学工業へ入社し、2001年6月に取締役、2002年6月に常務取締役、2005年6月に専務取締役へ進んだ。2007年7月に代表取締役専務、2010年6月に代表取締役副社長となった。2011年1月には子会社シンテックの取締役社長を兼ねている。入社から社長就任まで38年を一社で通した生え抜きで、副社長の在任中に海外子会社の経営を預かった。
歴代社長の在任期間 全6代
1949年上場1960年1970年1980年1990年2000年2010年2020年2026年

小坂徳三郎退任

1956年社長就任

1949年入社代表取締役社長

小林周蔵退任

1971年社長就任

小田切新太郎退任

1974年社長就任

代表取締役社長

金川千尋退任

1990年社長就任

1962年入社1975年取締役代表取締役社長

森俊三退任

2010年社長就任

1963年入社1992年取締役代表取締役社長

斉藤恭彦現任

2016年社長就任

1978年入社2001年取締役代表取締役社長

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