重要な意思決定
20059月

尼崎第1工場を稼働(PDP)

背景

薄型テレビの方式争いとプラズマへの資源集中

2000年代前半、地上デジタル放送の開始とともに薄型テレビ市場が急拡大した。プラズマ(PDP)、液晶(LCD)、有機ELといった方式が次世代の主役を競う構図の中で、PDPは50インチ以上の大画面領域で画質・応答速度に優位性を持つとされ、松下電器はこの技術に社運を賭ける判断を迫られていた。

一方、液晶は当初中小型中心と見られていたが、シャープや韓国勢が大型化と低価格化を急速に推し進め、市場構造は想定を超える速度で変化していた。装置産業であるパネル事業は巨額の設備投資と量産立ち上げの早さが競争力を左右し、先行者が規模を確保すれば後発の追随は困難になる特性を持っていた。

松下電器はLCD事業を東芝との合弁に移管し、自社の中核をPDPに定めた。テレビを「V商品」と位置づけ、グループ再編後の成長エンジンとする構想のもと、デバイスからセットまでの垂直統合で競争優位を築く方針が固められた。

決断

尼崎3工場への累計6000億円投資

松下電器は茨木工場に続き、兵庫県尼崎市にPDPの大規模生産拠点を建設することを決定した。2005年9月に尼崎第1工場を稼働させ、2007年に第2工場、さらに第3工場へと段階的に拡張した。各工場はガラス基板の大型化と高効率生産を前提とし、量産効果によるコスト低減を狙う設計であった。

投資総額は関連設備を含め累計で6000億円規模に達した。経営陣は「生産能力が1位でなければシェア1位は取れない」との認識のもと、需要拡大期に一気に投資を積み上げた。減価償却費の範囲内投資を原則とする中期計画においても、PDP事業には例外的な資源配分が認められていた。

巨額投資は稼働した瞬間から減価償却費として固定費化する。市場環境が変化しても投資を巻き戻すことはできず、一度踏み出せば引き返し点を超える性質を持つ決断であった。

結果

液晶の追い上げとPDP撤退、巨額損失の計上

2008年のリーマンショック以降、テレビ市場は急速に縮小し価格下落が加速した。同時に液晶の大型化とコスト競争力の向上が進み、PDPの優位性は急速に薄れた。市場は方式別ではなく「薄型テレビ」全体で価格が評価されるようになり、プラズマは価格面で劣位に立たされた。

松下電器は稼働延期や投資縮小を打ち出したが、巨額の減価償却負担と需要減退が重なり、テレビ事業は連続赤字に陥った。尼崎第3工場の生産停止を経て、2013年にはPDP生産からの完全撤退を決断した。2012年3月期・2013年3月期には2期連続で7000億円超の最終赤字を計上している。

6000億円規模の集中投資が液晶との競争に勝ち切れず、事業撤退と巨額損失に至った経緯は、装置産業における技術選択の不可逆性を端的に示している。シャープの堺工場と並び、日本の家電メーカーが2000年代に直面した設備投資判断の教訓として記録される。